第一話 ⑥
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夜の闇に艶やかに光る。その長い黒髪が持つ存在感に、この場にいる全員が目を奪われた。
音寧は軽く屋上から飛び出し、ふわりと空を舞った。彼女の黒髪が美しい曲線を描き、すとんと地面に降り立つ。ちょうど飛鳥たちを背中にかばうようにして、幹久の眼前に。
腰丈のコートに、その裾から少し見えるスカート。それとロングブーツとの間。音寧の右太ももに、赤黒い紋様がはっきりと浮かんでいる。
音寧はその脚線美を見せつけるかのように、威風堂々と立つ。
「音姉ー!ナイスタイミング!」
「さすがは鉄壁にして絶壁の女!」
「ふふん。真打は遅れて登場するものでしょう?あと恭一マジで殴る」
そんな二人とは別に、飛鳥は何とも複雑だった。音寧の背中に見惚れながらも、好きな女性に守られた事実に恥ずかしさや悔しさも感じている。さらに、その自信満々の顔を見てしまうと、憧れの人の変わってなさに嬉しくもなってしまう。
「音姉、ありがとう」
「もう大丈夫よ。あとはお姉ちゃんに任せなさい」
複雑な心境の飛鳥だったが、それでも表情には素直な気持ちが出るものだ。やはり、音寧の姿を見て声を聞いて、一番最初に浮かび上がるものは笑顔なのだ。そして、音寧もしっかりと笑顔を返してくれた。
「さて、私の弟たちに手を出して、タダで済むとは思ってないわよね?」
「いいとこで邪魔しやがって__」
音寧と向き合った瞬間、それまで幹久が放っていた雰囲気が一気に変化した。ただひたすらに熱量を放っていた顔が、まるで氷点下にいるくらいに表情が凍りつく。
「何見下してんだよ、オバさん」
音寧は飛鳥より背が高い。ということは、飛鳥よりも背が低い幹久は、当然音寧から見下ろされる形になっていた。
キレていた。さっきまでとは全く別のキレ方をしていた。幹久の流血が心なしか増加しているような気がする。血の気が多すぎだろう。
そして音寧は、凍りついた表情筋は笑顔を崩さず、こめかみに血管を浮かばせるのだった。
「俺はなあ、女に見下されるのが大っ嫌いなんだよ……」
「あ~らゴメンね、ボク。そうよね、小さい子には優しくしないとね。大丈夫よ、お姉さん怖くないから」
音寧はそう言うと、非常にわざとらしく腰を曲げ、幹久と視線を合わせた。
「誰が小さいだとコラ。てめえの貧乳棚に上げてんじゃねえぞ。なんだてめえのそれは?壁か?」
今度は音寧の血管が切れる番だった。
完全に小学生レベルの口喧嘩となっていた。
「あらあら、背が小さいと人としての器までちっちゃくなっちゃうのかしら。かわいそうに」
「だったらそこのチキン野郎にも同じことが言えるな」
「ウチのコは別!ヨソはヨソ、ウチはウチ!」
「てめえどこのモンペだ!」
「モンペじゃありません、お姉ちゃんです!」
この理解不能な答えは、間違いなくモンペのそれである。しかし、その無い胸を堂々と張っている音寧に対し、誰も反撃する言葉を持たないことも確かだった。
一時、滝のように血を溢れさせていた幹久でさえ一気に真顔になり。さらにピタリと出血も治る始末。絶大な医療効果だった。
「……何か萎えた。おいチキン野郎。今日のところはこれくらいで勘弁してやる」
わざわざ飛鳥を指差してからそう言い放ち、幹久はすっかりやる気を削がれた様子で、その場に背を向けた。
飛鳥は去っていく幹久の背を、意外そうな面持ちで見つめていた。
正直、音寧が現れたことで、状況は随分と変化した。それでも、幹久が引き下がるヴィジョンなど、全く見えなかった。当然だが、飛鳥は幹久のことなど何も知らない。今日まで会ったことすらなかったのだから。やはり、表面的な情報だけでは限界がある。
「プークスクス。何そのセリフ。まるで池野めだ__」
「ストップ!せっかく相手が引いてくれてるのに、何で新たな火種投入しようとしてんの!」
「うるっさい!邪魔すんじゃないの恭一!__ってあんた、さっきのセリフ忘れてないからね!こっちきなさい!」
「いってーな!マジで殴ることねーだろ!」
何はともあれ、これでひと段落したことに違いない。音寧と恭一のやり取りを聞いていると、自分たちの日常が戻ってきたことが実感できた。
「音姉ー!」
真白がとても嬉しそうな顔で音寧に飛びついた。真白がここまで無警戒な表情を見せるのは、飛鳥と音寧の二人にだけだ。当然、恭一に向けられたことは一度もない。
「真白~!よかった~!元気ね~!相変わらずね~!__ホント相変わらずね……。妹なのにね……。なんでこんなに違うのかしらね……。チクショウ……」
真白の飛びつきを真正面から受け止めたものだから、音寧は格差社会の厳しさも正面から受け止めねばならなくなった。それは冷たく突き刺さるものだったが、やわらかくて気持ちがいいものでもあった。
「だって、私妹キャラだけど、音姉とは実際にはイトコだからね。しょうがないよ」
「正論で殴るのはやめて……」
音寧の流す涙は、全員が無事に集まれたことの喜びの涙ということにしておこう。
「音姉のおかげで、みんな助かったよ。ありがとう」
実際のところ、音寧が駆けつけるまで300秒は経っていなかった。正確には185秒。飛鳥が一人で対処できた時間は、ほんの1ラウンドほどだった。まさに狙いすましたかのようなタイミングだったが、本当に急いで駆けつけてくれたのだろう。
「飛鳥も、しっかりと真白を守ってくれたのね。えらいえらい」
飛鳥、真白、恭一、そして音寧。その全員が大した怪我もなく揃うことができたのは、本当に喜ばしいことだった。しかし、だからと言って、飛鳥にとってはせっかくセットした一番美しく見える髪型を、くしゃくしゃに撫でまわすのはやめて欲しかった。
「音姉、子供扱いしないでよ」
「違うわよ。これは弟扱い」
正直本当に嫌なのだが、にこにこしている音寧の顔を見ていると無下にもできない。基本的に弟は姉には勝てないものなのだ。
「俺の扱いと全然違うじゃねえか」
方や頭を殴られ、方や頭を撫でられている。別に自分も頭を撫でられたいわけではない……むしろ、絶対にそんなことはされたくないのだが、ここまでの扱いの違いについて、恭一だって一言くらい物申したい。
そんな恭一に対し、音寧は飛鳥の頭を撫でながらあっさりとこう答えた。
「あんたのは愚弟扱い」
「ひでえ……」
去年までは、当たり前にこんな毎日を過ごしていた。音寧が大学へ進学するため屋敷を離れ、夏休みにも帰省していたとはいえ、そこからまた数ヶ月間。こうやって4人が揃うことはなかった。それなのに、さらにその再会を邪魔され、一歩間違えれば、こんな風に笑いあえることはなかったかもしれない。これから先、色々と知らなければならないこと、考えなければならないことが沢山あるはずだ。しかし、4人とも今くらいは、ようやく取り戻したこの日常に浸っていたかった。
「よし、それじゃ何かあったかいものでも食べて帰りますか。お姉ちゃんがオゴってあげよう」
「やった~!私ラーメン食べたい!」
「お前さっき屋台で散々食ってなかったか?」
「大丈夫!私太っても、おっぱい大きくなるだけだから!」
「へー、フーン、アッソウ……。おかしいな、何で私はお腹から下にばっかり……」
「大丈夫だよ音姉。たとえどれだけ太っても、音姉は世界一美しいよ。その美脚線さえ崩れなければ」
「大丈夫じゃない!そんな器用な太り方出来るか!」
夜中のラーメンは確実に太る。しかし、それが背徳感となり、なぜかさらにラーメンを美味しく感じさせる。
今の時間帯で開いている店となれば、街中の飲屋街の辺りになる。神社での騒動があったが、正月の飲屋街などまだまだお祭騒ぎだろう。
そういった場所に足を踏み入れるのは、少しの不安と大きな高揚感がある。飛鳥たちは、さあどこの店に行こうかと話しながら、移動を始めようとした。が__
音寧の背後に、深い闇が立っていた。それが人のものだと認識するより先に、その闇から放たれた銀色の光が、音寧の右脚を貫く。
「__!!」
声にならない悲鳴。
さっきまで音寧の紋様が浮かび上がっていた場所。そこに今は深々と刀が突き刺さっていた。
誰も何も気がつかなかった。刺されている音寧さえも、状況に頭が追いついていない。
それでも、闇は蠢めく。
まるで川の流れのような滑らかな動きで、音寧の脚から刀を引き抜いた。それでようやく止まっていた時間が動き出しす。
絞り出すような悲鳴と同時に、音寧の身体が崩れ落ちる。
「音姉!」
考える前に身体が動いていた。飛鳥はとっさに音寧を抱きとめる。
飛鳥の行動は人として正しい。だが、考えが足りないのも確かだった。この異常事態で、飛鳥は刀をもった相手に背中を晒していた。
空を切る音。再び銀色の光が走る。それに飛鳥が振り返るよりも早く__
「格」
音寧の言葉とともに、光の壁がそれを遮った。
刀と壁が火花を散らす。しかし、さすがに律の壁を切り裂くことはできず、その闇は素早く距離をとった。
そうされることで、飛鳥たちはようやくその闇をはっきり認識することができた。
恐ろしく冷たい瞳が、まずそこにあった。黒ずくめの服装で背が高く、それだけでも不気味な圧迫感を覚える。さらに右手には血に濡れた日本刀。左手には、赤黒い光を放つ懐中時計が握られていた。
「久我……竜胆……」
忌々しそうに音寧がその男の名前を口にした。それを聞いて、飛鳥たちもその顔に見覚えがあることに気がつく。
その男は藤ノ宮の分家、久我家の現当主だ。一族の集まりで、数えるほどだが顔を合わせたことがある。若くして藤ノ宮を支える中心人物であり、一族の屋台骨の一人。次期藤ノ宮当主との呼び声も高い男だ。
だが、同じ分家とはいえ、飛鳥たちとは全く立場が違う竜胆がなぜここにいるのか?
それは、彼が両手に持っているものから容易に読み取れた。
「あなたたち、早く逃げなさい」
音寧は律の壁を維持したまま、飛鳥たちに言った。しかし、当然だがそんな言葉に従えるはずがない。右脚は血まみれで、起き上がることすら出来ない人を置いていけるわけがない。
「馬鹿言わないでよ、音姉」
飛鳥は音寧から手を離し、一歩前に出た。律の壁を隔てているが、竜胆と正面から向き合う。
幹久の拳もそうだったが、竜胆はもっと直接的な凶器を手にしている。そこから発せられる殺意は、尋常ではなかった。だからこそ、相手にされるがままになってはいけない。何もしなければ、もしかしたら本当に、ここでみんな死ぬことになるかもしれないのだ。
考えたくはない。だが、考えなければいけない。恐怖で身体は震えるし、頭も痺れる。それでも、今出来ることをしなければ。
まずは一言。しかし、それが一番難しい。たった一言で、全てが終わってしまうこともある。会話の基本は挨拶からだが、さすがに今はそんな場合じゃない。だったら、会話の本質を突くべきだ。それこそは、お互いのことを知る、ということに他ならない。
「なあ……あんた、目的は何なんだ?」
飛鳥は何とか声を絞り出した。声が震えてしまう。
しかし、それほどの覚悟で質問を出したのに、竜胆の方は完全に無反応だった。身動き一つ、瞬き一つ見せない。だが、これも一つの返答である。
つまり、竜胆には飛鳥たちと交渉をする気がない、ということだ。ならば、そこから竜胆の目的を推察するしかない。
音寧の脚を刺した時点で、飛鳥たちへの敵意があることは間違いない。しかし、今は音寧の壁が邪魔で手出しが出来ない。だが、律によって作られた壁は、いつまでも存在できるものではない。それは音寧の意思や力量に左右されるもので、いまの音寧は脚を怪我している。
当然、早く治療をしなければならない。となれば、そんなに長くこの壁は維持できない。だからこそ、竜胆はそれまで待てばいいだけなのだ。音寧が壁を維持できなくなった後、飛鳥たちに攻撃を仕掛ければいい。
では次に、竜胆の殺意とはどれほどあるのだろうか?
竜胆が飛鳥たちを皆殺しにするつもりなら、最初の一撃は音寧の脚ではなく、その命を絶ったはずだ。音寧さえいなければ、他の三人を殺すことはたやすい。そう考えれば、最初に誰も殺さなかった時点で、無意味な殺害は目的ではないと考えていいはずだ。ここまでが間違っていなければ、交渉の余地は残っている。
十二支の中での権力争いは、長い歴史の中で何度もあったらしい。しかし、久我竜胆は次期藤ノ宮当主という話さえ聞く。ならば、ここで権力欲しさに飛鳥たちを襲うとは考えられない。つまり、これは竜胆にとってもっと個人的な目的だということだ。
飛鳥たちと竜胆の間には、ほとんど関係性がない。恨みをかうようなことは、起きようもない。
これらを総合して考えてみると、十二支の関わりの中で、権力とは関係ない個人的な問題で、他者を傷つけてでも達成したいこと。飛鳥の中で、それに当てはまるものがあるとすれば__。
「忌人__」
飛鳥は精一杯考えて、その言葉にたどり着いた。しかし、それでも竜胆は変わらず無反応だった。だから、飛鳥は一度固唾を飲み込んで、言葉を続けた。
「__の器……か?」
「話せ」
瞬間、竜胆の殺意が膨れ上がった。
「貴様が知っていること全てだ」
律の光が全身を駆け巡る。そして、竜胆は腰を落として刀を構えた。それはまさに、音寧の壁を切り裂かんとするようだった。
かつてないほどの律の力。それを前にして感じる、圧倒的な無力感。しかし、それをわかっていながら、飛鳥だけは絶望していなかった。
「音姉、もう律を解いて大丈夫だよ」
「何を言ってるのよ!?」
飛鳥の意図が読めずに混乱する音寧に向けて、飛鳥は微笑みながら言った。
「これで、あいつに俺たちは殺せない」
ここから先は戦ってはいけない。戦っては勝てないのだ。こちらに戦う意思がないことを示さなければいけない。
音寧はまだ上手く状況を理解できていなかった。だからこそ、この状況で笑顔を見せた飛鳥の言葉に素直に従った。
音寧の律の壁が消える。そして、飛鳥はまっすぐ竜胆へ歩み寄った。
「全て話せ。殺すぞ」
「殺されたら話せない」
「だったら他の人間を殺す」
「お前が誰かを殺せば、俺は自殺する」
もちろん、飛鳥にそんなつもりはない。だが、いま会話の主導権を握られてはいけない。どんな無茶なことでも、押し通すことが重要だ。
「ならば、お前が話したくなるまで、お前を痛め付けよう」
「それは構わない。しかし、一つだけ気をつけろよ」
ここだ。ここで間違えてはいけない。強固な意思の中で、僅かにのぞかせた隙間。そこに差し込む為には、偽ってはならない。嘘は通じない。だから、真実で狂わせる。
「俺の美しい顔に傷をつけたら、あんた殺すぜ」
「…………」
ため息が聞こえた。それは憐みのような、諦めのような、どちらにしろ身体の力が抜けていく音だった。
それと同時に、竜胆は左手にあった懐中時計の蓋を閉じた。すると律の紋様とまとっていた光が消える。そしてそれを内ポケットへとしまった。
久我竜胆という人物を、鷹司飛鳥はよく知らない。だからこそ、その判断、ひとつひとつを刻みつける。久我竜胆は意にそぐわないことに対して__
「構わない。やってみろ」
少しだけ、口元を緩ませた。
竜胆は右手に持っていた刀を左手に持ち替え、思いっきり飛鳥の顔面に拳を叩き込んて来た。そして、飛鳥の身体と意識が宙に舞った。
「トリちゃん!」
真白が、地面へ大の字に寝転がる飛鳥の元へと駆け寄る。そして、その手を取って、心配そうに顔を覗き込んでいた。
そんな光景を見ながら、身動きひとつ取れないほど久我竜胆は戸惑っていた。
いくら敵対する相手に挑発されたからといって、後先考えずに感情のまま行動するなど、そんな熱意が自分の中に残っていることに驚いていた。
「……はあ」
ため息を一つ。面倒臭いことになってしまったことに、気がついてしまった。ここから先に状況を進める手が見つからない。
もちろん、選択肢はある。まずは、自分が殴り飛ばしたことで、そこに大の字に寝転がっている男を叩き起こすこと。そして、さっきの続きを始めればいい。自分から口を割りたくなるほど痛めつける。簡単なことだ。大きな血管が流れていない先端から、徐々に切り裂いていけばいい。
幾つかの手段は思いつくが、どれも時間が掛かってしまう。
竜胆は内ポケットへしまった懐中時計を取り出し、時間を確認した。そうして、もう一度。今度は深いため息を付いた。
「つまらんことに時間をかけすぎた。まあいい。今日のところは負けておいてやる」
竜胆が刀を収める。強者が一歩引くということは、争いは一旦終わりということだ。
その場に安堵の空気が流れる。とにかく、これで一度仕切り直しだ。誰が何をするにしても、一度冷静に状況を判断する必要がある。
「殺してやる」
なのに何故。まだ状況は悪化していくのか。
これ以上は誰も望んでいない。それにも関わらず、飛鳥は立ち上がっていた。
白目を向きながら、意識もはっきりとしない。膝が揺れて今にも倒れそう。真白に支えられなければ、まともに立つこともできそうにない。だが、それでも飛鳥はそれを口にする。
「殺してやる」
殺意が膨れ上がっていく。自身が美しいと、傷つけてはならないと言った顔から、口から、鼻から、目から、血が流れている。そして、それがドス黒い光を放っていた。
__深く、深く。光が堕ちる。
「こいつ……」
竜胆の口から、知らずに言葉が溢れた。
それは、竜胆がこういう人間を知っているから。殺意のみに支配された人間を、知っているから。
驚きによる戸惑い。その思考停止。
その間が、竜胆が再戦の一歩を踏み出すよりも早く、状況を変えてくれた。
大袈裟な風切り音。そして、思わず目を覆うほどの光が空から突然降ってきた。
「え?……ヘリ?」
恭一が間の抜けた声を漏らす。だがそれは当然だ。誰も空からいきなりヘリが降りてくるなど、予想していなかった。
その場にいる全員が、まぶしい光と激しい風に煽られていた。そんな中、まだ上空にいるヘリのドアが開き、人影がひとつ現れた。
それは迷うことなく上空から飛び降り、ちょうど竜胆と飛鳥の間に着地する。
普通の人間が飛び降りて平気な高度ではない。だから、その人物が律の光をまとっていることに不思議はなかった。ただその人物は巫女服を身にまとい、素顔を仮面で隠していた。
その仮面は狐というほど面長でななく、長い髭を蓄えていた。
「子か……」
竜胆が忌々しそうに吐き捨てる。
子の仮面を被った人物は、敵意をむき出しにしている竜胆を気にもかけず、意識のはっきりしていない飛鳥へと歩み寄った。
「鷹司様、二条様、一条様、平松様、お迎えに参りました」
その声からは幼さが感じられ、巫女服であることも考えれば、この人物は真白よりも年下の女の子だろうか。
彼女は飛鳥の背中に両手を回して、抱きとめるようにその身体を受けとめた。そのまま真白から自分の方へと飛鳥の支えを移し、その身体をゆっくりと横たえた。
そうすると、飛鳥は再び意識を失い、それと同時に律の光も消えていった。
そうしている間に、上空にあったヘリが徐々に地面へと近づいていくる。
「俺は見逃して構わないのか?」
竜胆が子の女の子へ問いかける。ヘリから降りてきてから、彼女は竜胆のことは全く意識せず、ずっと背中を向けたままだった。
「はい。今日はそのような命を受けていませんので」
彼女は淀みなくそう答えた。
「本家の人形が」
竜胆はそう吐き捨て、その場で踵を返した。そして、現れた時と同じように忽然と姿を消したのだった。
こうして、事態は突然の終幕を告げ、音寧、恭一、真白の三人は、ただ呆然とするばかりだった。
「まずは皆さんの傷の手当てからですね」
子の女の子は、状況を見回してからそう言った。
飛鳥は意識を失ったままだし、音寧は足を刀で刺されている。当然、どちらも放っておけない。
しかし、彼女はそれを全く気にした様子も見ぜず、それどころか瑣末なことであるかのように言葉を続けた。
「それが終わり次第、皆様には本堂へお集まりいただきます。そこで、御当主様がお待ちです」
そして、ヘリが校庭に着陸した。
プロペラの激しい風音が、それ以上誰の発言も許すことはなかった。