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SPIRO SPERO  作者: 天馬聖
1/14

第一話 ①

 

 

 20○○年 ○月 ○日。

 ○○市内にて、殺人事件が発生。

 犯人は○○市内在住のA(44)。

 ○日15時ごろに被害者宅に押しかけ、当時在宅中であった母(34)と、娘(10)を殺害した容疑で逮捕された。

 こんな事件があった。

 しかし、こんなものはありきたりだと言われても仕方がない。

 それはこれがただの情報に過ぎず、そこに感情と呼べるものが含まれていないからだろう。

 世の中で起きている事件なんてそんなものだ。自分に直接関係なければ、それはただの情報に過ぎない。

 ニュースを見る。

 「ああ、今日は午後から雨が降るのか」

 ニュースを見る。

 「ああ、昨日は○○市で殺人事件が起こったのか」

 そこには何の違いもない。それは確かにそうだ。情報としての違いはない。

 でも、本当に違いはない?天気予報と殺人事件に違いはない?

 

 殺人を起こしたA。

 彼は幼い頃から突出したものがなく、勉強面、運動面、芸術面、全てにおいて普通だった。しかし、そんなことは本当に普通であって、彼と同じような人種は、彼の周りに溢れかえっていた。

 当たり前だ。みんなそんなものだ。傑出した人物ほど珍しい。

 しかし、そんなものは理屈でしかありはしない。理解はできても、納得は出来ないものだ。

 人は特別を求める。

 人は強くなりたい。

 人は美しくなりたい。

 人は幸せになりたい。

 人は皆、足掻き、もがき、苦しむ。その中で、自分に見合った妥協点を見つけていく。ただその妥協点が、他人を犠牲にしてでも自分の欲求を満たしたいとなる人間は確かに存在する。それが例え、人の命を奪うことであっても。

 Aは、自分に他人より優れた点を見出せずにいた。それは年齢を重ねるごとに、自分自身に重くのしかかっていった。どんどん、自己評価と他人の評価が乖離していく。そこには、焦りと不安と恐怖が生まれていった。

 では、それらを無くすためにはどうすればいいだろうか?

 彼は考え、そして答えにいきついた。それは、「自分より劣ったものを、虐げればいい」という、とても単純なものだった。

 そして、Aは娘をレイプし、そして母も殺害して警察に捕まることになる。

 

 被害者になった母と娘。

 この親子は、これまでの人生を平穏無事に暮らしてきた。母は大学生時代に出会った夫と結婚した。それからすぐ、二人は娘を授かる。その後、二人の間には子宝が恵まれなかったが、夫婦関係はいたって良好なものだった。愛し愛された二人と、その間に育まれた一人。彼女たちの間には、幸せな10年間が流れる。

 女の子の10歳前後といえば、二次成長期のころであり、母としては多感な時期であった。自分の身体が少しずつ大人びていき、異性を意識し始めていた。クラスの男子や担任の男性教師との、くだらないやり取りに一喜一憂し、さすがに「将来の夢はお嫁さん」とは言わないまでも、明るい将来を夢見る普通の少女だった。

 そんな普通の家庭が、たった一瞬で崩壊した。

 ある日曜日。夫は、休日出勤のため会社にいた。そして、母は買い物のため家を空けていた。それは、僅か1時間にも満たない間であった。

 娘にとっては何気ない休日であり、両親のいない家でテレビを見て過ごしていた。これから数分後に、不審者が家に押し入り、自分に襲い掛かるなど、微塵も考えていなかった。娘は母が買い物から帰ってくるまでの一時間、ただ自分の眼前を前後する醜悪な男を見続けることになる。そこにあるものは、絶望、悲しみ、怒り、ありとあらゆる痛みだった。

 母は、帰宅してすぐに自宅の異変に気がついた。

 彼女は冷静に状況を判断することより早く、凶器を手にした。

 結果として、母が手にした包丁は、自分と自分の娘の胸と腹に何度も突き刺さることとなる。母が娘を守ろうとした行動は、Aにとっての逆鱗以外の何者でもなかった。

 単純な話である。母の願いの中には、人を殺す覚悟は含まれていなかった。それに対して、Aの願いの中では、人を殺すことさえ厭わなかったのだ。

 

 

 情報が多くなれば、天気予報と殺人事件とでは、他者への影響力が大きく変わる。

 人を殺してでも快楽を手にしようとした欲望と、人を守るために凶器を手にした愛情。

 人は前者を否定し、後者を肯定する。

 それはそうなるまで、情報が感情を刺激したから。

 しかし、更に情報が増えた場合にはどうなるだろう?

 実は娘の方からAに売春行為を持ちかけたことが引き金になり、Aが自分の欲望を抑えられなくなったとしたら?

 この情報を知った人は、一体誰に悪意を持つだろう?

 悪意はいくらでも存在し、すぐに人の心を支配する。

 

 ならば、正しいとか間違っているなどで、感情を判断することに意味はない。

 誰に理解されなくとも構わない。

 私はそう思う。

 

 

1

 

 2018年 12月 23日

 

 悪夢を見た日は、肌で感じられるような温もりが欲しい。

 

 朝の空気は冷たい。

 それはまるで城壁の隙間から、剣や槍を差し込まれていくかのように、痛みにも似た感覚を与えてくれる。このままでは、痛みと苦しみにより、現実世界に意識を引き戻されてしまう。

 出来うる限り、そんなものから身を守るため、心臓を守るよう毛布と布団を巻き込んでいく。

 それは生物として当然の行為だ。人類は何千年にも及ぶ歴史の末、気象などというものに対抗する術を身に着けたのだ。それは人類の知恵と英知がもたらした、永久の楽園に他ならない。

「物質文明の勝利だな」

 まだ薄暗い部屋の中。カーテンの隙間から光が差し込むには、もう少しだけ時間が掛かる。現在午前6;00。これが、平日の朝にとって早いのか遅いのか。それは個人によって見解が異なることだろう。誰もがある、目覚まし時計よりも早く起きてしまう経験。その要因など、それこそ千差万別。人それぞれだ。今の問題はそこではなく、この後に己がとる選択であろう。と言っても、「起きる」と「二度寝」の二択ではあるが。とりあえず、鷹司飛鳥にとって、この時間は起床にはまだ早いと即断するものだった。

 飛鳥の生活サイクルは規則正しく、決まった時間に眠りに就けば、目覚ましが鳴るまで起きることはほとんどない。そんな彼が、今日のように時折目覚ましよりも早く目を覚ましてしまうことがある。それには決まった原因があり、もちろん今日も同じだった。

「トリちゃ~ん、モフモフして~」

「はいはい」

 飛鳥は布団と一緒に、自分の寝床に潜り込む不届きな少女を引き寄せた。一条真白はフワッフワな毛並みの小型犬みたいで、小さな身体を引き寄せると、飛鳥の腕の中にスッポリと納まってしまう。

「わ~い。トリちゃんあったかい」

「やっぱり真白のモフモフは癒されるな」

 二人はそのままダラダラと、目覚ましが鳴りだすまでの30分間をまどろんだ。眠りに落ちていくわけではなく、かと言って目を覚ますわけでもない。ゆっくりと時間を掛けて、意識を浮上させていく感覚が心地良い。だが、確実にタイムリミットは存在し、とうとう目覚ましがその機能を発揮する時刻が訪れた。

 午前6:30。朝の時間は貴重だ。いくらか余裕がある時間設定にしておかないと、自分自身が困ることになってしまう。

 限られた時間を有効に使うべく、飛鳥は布団から身体を起こし、目覚ましを止めるのだった。だが、そんな彼の思いを全く理解しない存在がここに。

「おい真白。起きるぞ」

「えーやだよー。私もうちょっと寝たい」

 真白は飛鳥の腰にガッシリと手を回し、更なる眠りに引きずり込まんとしていた。

「じゃあお前は寝てていいから、この手を放せ」

「嫌だよ。寒いからもっと」

 真白は頼み込むように、頭をグリグリと飛鳥に押し付ける。その姿は、犬が身体をこすり付けて甘えてくるのにそっくりだ。まるで愛玩動物が哀願しているかのようである。まさに哀願動物。非情にあざとい。

 真白の言うことを聞いていては、時間がいくらあっても足りない。飛鳥はさっさと起き上がることにした。

 たしかに、冬の朝は寒さが身にしみる。これはさっさと暖房の効いた部屋に移動するのが正解だろう。この時間なら、誰かしら朝の準備を始めているはずだ。

 飛鳥は布団から出て、畳に足をつける。ひんやりとはしているが、フローリングほど冷たくならないのが、和室の良いところだ。

「やだ~。トリちゃん寒い~」

 飛鳥が立ち上がっても、真白はその腰にしがみ付いたままだった。もうこうなったら、起き上がったほうが楽なのは真白にも理解できたようだが、理解することと納得することは別である。という訳で、真白は飛鳥に布団から出るための条件を出してきた。

「トリちゃん。だっこして」

「はいはい……っと」

 飛鳥にしても慣れたもので、特に文句も言わずに真白の言うとおりにする。こうするのが一番面倒臭くないと知っているのだ。右手で真白の肩を抱き、左手を膝の裏に滑り込ませる。そして一気に真白を自分の胸まで持ち上げた。そのままカーテンを開けるべく、窓際へ向かう。

「トリちゃん。ギューってしていい?」

「はいはい」

 真白が嬉しそうな顔で、飛鳥の首に両手をまわしてきた。飛鳥はもうされるがままにして、薄暗い部屋の中を進む。

「トリちゃんトリちゃん。頭ナデナデしていい?」

「はいはい」

 足元のテーブル、クッション、雑誌等。多少見えづらくても、自分の部屋のものは感覚で避けられる。髪の毛に触れてくる感覚には、もうそういうものだと諦める。これくらいならいつもの事。別に構わない。そう、これくらいの事なら。しかし、真白がこれ以上なのはいつもの事なのだ。

「トリちゃんトリちゃんトリちゃん。チュってしていい?」

「それは駄目だ」

 飛鳥は真白の首根っこをひっ捕まえ、ベリッと身体から引き剥がした。真白は突然空中に放り投げられるが、動物のようなしなやかさで綺麗に着地する。

「トリちゃん。ガード固すぎるよ」

「真白、いつも言っているだろ?人間には、やって良いことと悪いことがあるって」

 真白が捨てられた子犬のような目で見てくるのを横目に、飛鳥は窓辺まで歩み寄りサッとカーテンを開いた。

 冬の朝日は美しい。夜の冷たい空気が光に包まれ、まるで魔法みたいにキラキラと溶けて輝いていく。自然が生み出す、照明演出。薄暗い部屋に差し込まれた冬の朝日は、スポットライトのように一人の少年を浮かび上がらせる。

「この俺の美しい顔に触れるなど、神にすら許されることではないんだよ」

 少年は妖艶に微笑む。僅かに残る幼さが、彼をマルスともヴィーナスとも思わせる。その中性的な顔立ちは、17歳というこの時期にしか持ち得ないものだろう。だが、それはそれで構わないのだ。やがて消え行く儚さが、それを神聖なものだと教えてくれる。

 瞬き一つで消える夢。そう、そこには――天使がいた。

 

 鷹司飛鳥。16歳。

 身長165cm、体重58kg

 多少小柄ではあるけれども、飛鳥の身体はどこまでも男性的なのである。肩幅は広く、体幹はまるで大樹が大地に根を張るように、大きく広がっている。決して華奢ではなく、その様子は節くれだった指先にまで見て取れる。飛鳥の手は大きく広く、どんなものでも掴めるのではと思ってしまう。たとえどんな困難な道であっても、その手が導くのなら、安心してついていけるような、そんな力強さを感じるのだ。

 では、彼のどんなところに女性的な印象を覚えるのか。一番分かりやすいのは、肌質や髪質だろう。きめ細かく美しい、一切の不純物を含まないそれらは、まるで大理石の彫刻のような輝きさえ放つ。艶やかな黒髪は、風に舞うくらいの長さに揃えられていて、すれ違う人たちの意識をさらう。赤というよりも、紅をさしたかのような鮮やかな唇。スラリと伸びた鼻筋は、顔の中心に美しく聳え立つ。男性の土台に、女性のパーツが付けられている。言葉だけではアンバランスなイメージがあるが、それが奇跡的なバランスで成り立っているのだ。

 しかし、ある一点がそのバランスを著しく壊している。それは、彼の目だ。二重まぶたである彼の目の周りには、深い影が縁取っており、そこに優しさや近寄りやすさは感じない。彼の視線は常に遠くを見つめ、そこに至るための覚悟や厳しさを放つ。それが他人の興味を引きつつも、他人に一歩を踏み込ませない、彼の神秘性を強めている。鷹司飛鳥とは、そういう男だ。

 

 飛鳥と真白は、朝食をとったり身支度を整えたりと、朝の準備を行っていた。二人が住んでいるところは、とてつもなく広い日本屋敷で、「藤ノ宮」という日本最大財閥の本家だった。

 藤ノ宮とは、皇族に次ぐとまで言われるほどの古い家柄である。史実として、お互いの娘を嫁がせたりと、親戚関係を結んでいたという資料も残っている。現在ではそれほど深い交流があるわけではないが、千年以上もの間、権力者を支え続けた結果として、今尚藤ノ宮の繁栄をもたらしている。「藤」という文字から、その藤ノ宮のあり方は、皇族という大樹に絡みつく藤の木のようだと揶揄する歴史学者もいる。しかし、それはいかなる時代の流れがあっても、常に皇族を守り支えてきたということに他ならない。藤ノ宮は時代のどんなときでも他に流されること無く、独自の文化を持ち続けてきたのだ。

 それは、その異常なまでの広さを持つ、藤ノ宮本家を見ても分かる。本邸、離れ、蔵、庭園などに加え、藤ノ宮の先祖を祭る社まで構えてしまっている。その社は、屋敷の裏にある霊山の中腹にあり、藤ノ宮家の屋敷は、その霊山まで含めて、ぐるりと塀に囲まれている。その大きさは、東京ドームとほぼ同じとされている。

 藤ノ宮家には十二の分家が存在し、その全てを合わせて藤ノ宮財閥と呼ばれている。

 子――近衛。

 丑――日野。

 寅――花山院。

 卯――九条。

 辰――久我。

 巳――観修寺。

 午――二条。

 未――西園寺。

 申――平松。

 酉――鷹司。

 戌――一条。

 亥――京極。

 鷹司飛鳥と一条真白は、藤ノ宮の分家に当たるという訳だ。二人とも幼いころに両親を亡くし、藤ノ宮本家に引き取られ、まるで兄妹のように育ってきた。昔から真白は飛鳥以外にはあまり馴染まず、子ども同士で遊ぶときも、飛鳥を通してしか他人と関われなかった。それは、今もたいして変わっていない。

 

「トリちゃん。今日もお願いね」

「真白……。毎日言ってることだが、少しは自分でやってみろ」

「だって、トリちゃんのほうが上手だもん」

 誰にとってもそうだと思うが、朝の時間は貴重だ。それこそ、5分と言わず1分でも惜しい。にも関わらず、毎朝真白は飛鳥の部屋を訪れる。自分の髪を飛鳥に結ってもらうためだ。

「いいか、真白。何度も言うが、『かわいい』は作るものなんだ。今は良くても、そのための努力をしていないと、将来悲惨なことになるぞ」

「でも、私よりトリちゃんのほうが上手なんだよ?」

 飛鳥は文句を言いながらも、いつものように真白を部屋へと招き入れた。ちゃんと中学の制服に着替えた真白が、飛鳥のもとへと近寄ってくる。

 飛鳥にとって、ここは自分の部屋。真白にとっても、毎日訪れている場所。なので、二人にとってこの部屋はあまりに自然な光景。しかし、もし初めてこの部屋に足を踏み入れた人がいれば、必ず誰もが自分の目を疑うようなものがそこにはあった。

 真白を迎える飛鳥は、部屋の中で異様な存在感を放つ巨大な鏡台の前に座っていた。男の部屋に鏡台というだけで珍しいのに、更にそれは観音開きの5枚鏡。そこに並ぶコスメの数も相まって、それは一種の要塞であった。

 飛鳥の朝の時間は、大半がこの鏡台の前で消費される。まずはムクミが無いかクマがないかなど、その日のコンディションをチェックする。そして顔の筋肉を引き締めるようにマッサージ。その後、スキンケアからヘアケアからセットなどなど。1時間以上は時間を掛け、丁寧に自分を磨く。まさにアイドル顔負けなのだ。

 飛鳥曰く、顔は心を映す鏡である。

 かわいいもカッコいいも、自分自身で作れるのだ。顔も体型も、自分の努力しだいで変えていける。もちろん個人差はあるが、努力をした人の顔には自信が溢れている。自分で作り上げたものに、誇りを持っている。それこそが、美しいのだ。と――

「じゃあトリちゃん、よろしくね」

「……」

 これは自分の信念でもあるのだが、どうにも真白には通用しない。いつものように飛鳥の膝の上に座り、髪をセットしてもらうのが楽しみでしょうがない、と言ったふうにニコニコしている。この笑顔には連戦連敗なのである。

 ため息ひとつ。飛鳥はいつものように、真白の髪に櫛を通すのだった。

 

 

 よく晴れた朝の通学路。二つ結びの髪の毛が、フワフワと風に揺れる。年末のこの時期など、そろそろ冬が本気を出してくるころだ。女の子たちは、自分のこだわりを貫いて短いスカートを履き続ける派VS全てを投げ捨てクソダサ学校指定コートを着る派に分かれる頃合いだった。そんな中、特にこだわりがあるわけでもないのに、スカートをひらひらさせている女の子が一条真白である。理由は「私、寒いの大丈夫だから」とのこと。

「痛って!唇切れた!」

「マジで?リップくらいしとけよ」

 飛鳥と真白が通学路を歩いていると、そんな会話をしている女の子たちとすれ違う。ちなみに、真白の唇はリップクリームもしてないのにぷるぷるで、乾燥して困るなどという話は聞いたことが無い。

「寒い……。今日はマジで寒い……」

「分かるけど。顔がこわばってオッサンみたいになってんよ?」

 次にすれ違う女の子たちは、そんな会話をしていた。と、その時冷たい風が吹きぬけ、足元から脳天に向けて震えが突き抜ける。

「「ガタガタガタガタ……」」

 先ほどの女の子二人は奥歯を震わせているにも関わらず、真白はたった一言「きゃっ、寒いね」ですませてしまうのだった。両手を胸元で組んで、一応寒そうなそぶりを見せるのだが、まったく実感がこもっていない。その原因は真白の身体的特徴にも起因しているように思える。

「おっぱいは脂肪である」

「故におっぱい=暖房器具である」

 聞いたことも無い学説にも関わらず、こうも説得力があるのはどういうことであろうか。やはり、おっぱいという崇高な存在においては、幾多の認識が混在するのは当然とも言えることなのだろうか。その中でも『巨乳派』と呼ばれる男性たちは、自分たちが最大派閥であるかのように語り振舞う。世の中には『貧乳派』『桃尻派』『美脚派』など、多種多様の修派が入り乱れていると言うのにだ。美とは人それぞれ、千差万別のものではないのか。多数が正しいのか、51対49でも前者が正しいのか。そんなことはありえない。……ありえない、はずなのだ。しかし、理論と現実は違うものなのだと、我々は今こそ真実に眼を向けるときが来たのではないだろうか。

 そう、理論と現実は違うのだ。目の前にある、その圧倒的な存在を目にすれば、それは誰しもが理解することなのである。多種多様の修派がありながら、誰が数字を取ったわけでもなく、巨乳派が『圧倒的に多数派』といわれる事実が、真実を語っているに違いないのだ。

 

 一条真白は巨乳である。

 

 さらにその中で詳細に分類するならば、ロリ巨乳に属するものである。ロリ巨乳とは言わずもがな。ロリータと巨乳という、本来相反する二つの属性を併せ持つという、稀有な存在である。ロリとは保護と庇護の対象であり、この世の中のありとあらゆる悪意から守られなければならないものだ。逆に巨乳とは、この世のありとあらゆる悪意から男性を保護し庇護する、いわば癒しの象徴である。この二つが同居するなど、それはもはや最強の矛と最強の盾を合わせ持つようなものだ。人々は彼女を見たときに知る。『矛盾』とは、成立するものなのだと。

 一言で言ってしまえば、一条真白は男好きのするような女の子だ。そして、もう一言付け加えるならば、一条真白は女の子に嫌われるような女の子だ。屈託の無い笑顔と、明るい声。彼女の動作に合わせて、二つ結びの髪の毛がよく揺れる。それと同時に、胸についている二つのふくらみもよく揺れる。男にしてみたら、守ってあげたくなる庇護欲と、支配したくなる征服欲が同時に押し寄せるようなものだ。他の女の子からすれば、目障り以外の何者でもない。

 出る杭は打たれる。という言葉があるように、他人よりも突出したものは足を引っ張られるのが常だ。時にそれは、いじめという形で現れたりもする。特に学校という狭い空間だけで生きていると、敵味方の判断が極端になってしまいがちである。そんな中で、男の子の注目を集める真白は、女の子たちにとって排除の対象となってもおかしくなかった。だが、実際の学校生活のなかで、真白がいじめにあっているということは一切なかった。

 もちろん理由として一番大きなものは、『藤ノ宮』である。分家とは言え、藤ノ宮本家に住む一条家の人間を敵に回そうなど、普通の人間は考えない。たかだか「ちょっとかわいいからって、調子にのってる」程度の理由で、自分の家族や将来を棒に振るなど誰が望むものか。

 そして、もう一つ大きな理由があり、こちらのほうが女の子たちにとっては分かりやすい。それは、真白が自分たちの敵にならないと気が付いたからだ。

 顔良し、スタイル良し、家柄良し。そんな女の子を男たちが放って置くはずがない。真白の周りには、つねに下心丸出しのケダモノたちが群がっていた。しかし、それはほんの僅かな間だけだった。

 真白は誰に対しても、同じような態度で接していた。にこやかに笑い、かわいらしい声で、その大きな胸を揺らしながら。それらは飛鳥と一緒のときと変わらない。ただ唯一違ったのは、その瞳だった。

 そこには喜びもなく、ゴミやムシケラを見るときの嫌悪感もない。何一つとして、感情らしきものが無かった。あえて言うなら、ただぼ~っと空を見上げているような感じ。もし幽霊と話せる人がいるのなら、こんな瞳をしているのではないだろうか。

 思春期の男子に、それでも踏ん張って女の子を口説く気概などあるはずもなく、真白の周りからは波が引くように人がいなくなった。結局、真白が本当の意味で笑っているのは、飛鳥の隣にいるときだけだった。その事実に気が付いたとき、女の子たちは『触らぬ神に祟りなし』という意思に統一された。

 

 ちなみに、鷹司飛鳥はモテない。

 

 多少身長が低いという点はあるが、顔も家柄も文句のつけようがない。こちらも普通なら女の子が群がってきそうだが、あまりにも性格が『アレ』なため、女の子の間では「鷹司飛鳥は観賞用」という結論に落ち着いている。一部狂信的なファンがいるが、飛鳥に惚れる時点で、心が捩くれた性格破綻者なのは間違いない。間違いなく少数派である。彼女たちも自分たちの立場を理解しているため、公に真白を攻撃するこは出来ない。彼女たちの日々の務めは、飛鳥を崇める言葉と真白に対する呪詛を、ただただ唱え続けるという簡単なお仕事である。特に実害があるわけでは無いので、誰も干渉する気はない。今でも、曲がり角や電柱の影から歯軋りの音が聞こえてくるが、これがいつも通りの通学風景なのだ。

 飛鳥と真白、そしてここにもう一人加わって、3人での登校が日課だった。

 駅前にあるコンビニの店先で、二人はその顔を見つけた。いつもと同じ待ち合わせ場所。そこで彼は道行く学生、その殆どといっていい人間と挨拶を交わしていた。それだけでも彼の交友関係の広さが伺える。飛鳥や真白とは比べるまでもなく、それは彼の人柄を物語っていた。

「よう、恭一」

「キョーちゃん、おはよー」

 いつも通りの挨拶。いつも通りの光景。飛鳥と真白。そして、二人から挨拶を向けられていた彼、平松恭一。飛鳥の一つ年上で、今は同じ高校の先輩に当たる。藤ノ宮の分家という同じ境遇で、幼いときから一緒に育ってきた。二人にとって良い友人であり、その関係は十年以上変わることなく続いていた。

「おう、おはよう……って。おい、今日は何だか怨霊集団の数が多くないか?」

「そうか?こんなもんだろ」

「ライブ、明日だからじゃないかな」

 真白に言われて、飛鳥は単純なことに気がついた。飛鳥にとってはすでに特別なことではなくなっているのだが、周りの人たちにとってはそうではないらしい。明日は飛鳥が所属しているバンド「DUM SPIRO SPEROドゥムスピロスペロ」のライブ当日であった。

 12月24日、クリスマス・イヴ。クリスマスから正月にかけての連続イベントは、もはや日本に住む人間にとって逃れようがない。街中のどこを見てもお祭り騒ぎだ。どちらも本来は神事なのだろうが、大半の人間にとってそんなことは関係ない。ただ楽しく過ごせれば言いという人間。そして、ただ多く稼げればいいという人間。その二つが重なり合うのが、年末年始というものだ。ライブハウス『メフィラス』においても、それは例外ではない。

 音楽というものは、常に一定の需要があるとはいえ、その形式は時代によって様々に変化していく。特にインターネットの普及に伴い、『生』で音楽を体感することに必要を感じない人が増えていくばかりだった。それでも、バンドブームと呼ばれるものは一定周期で訪れ、それがなんとかライブハウスを維持していく糧となる。しかしそれにも限りがあり、その糧を上手く得られない場所はどんどん潰れていった。都市部と呼ばれる地域でも、もはや指で数えられるほどしか残っていない。

 そんな事情を抱えているからこそ、クリスマスという一大イベントは見逃せない。他とどう差別化をはかり、集客率を伸ばすのか。非情に難しい問題である。

「しっかし、井田さんもすごい人引っ張ってきたよな」

「ああ、何か昔の知り合いらしい」

 いわゆる地方と呼ばれるこの地域では、芸能で生計を立てている人なんて多くない。その中でも、雑誌やTVで取り上げられる人たちなど数えるほどだ。その中で、地元の人間にとって憧れとも言えるバンドがいた。

 ――PSYCHOPATHサイコパス

 結成当時から地元では絶大な人気を得て、インディーズからメジャーへ一気に駆け上がっていったバンドだった。しかし、メジャーといっても、それは決して大多数の人間に受け入れられる音楽ではなかった。いわゆる、売れ線、メロディアスといわれるものではなく、激しく、重く、聞く人によっては痛みすら伴うような表現を好んでいた。その結果は珍しくもない。最初こそメディアに持ち上げられていたものだが、その奇抜さが売り上げに繋がらないと分かった瞬間に露出は激減した。その後は、まるで大衆に媚びるような音楽に走ったが、大した時間も掛からずに解散することになった。理由はよくある、音楽性の違いである。

 PSYCHOPATHが解散した後、メンバーはそれぞれの道を歩んでいった。新しいバンドを組んだものもいれば、音楽から足を洗ったものもいた。そんな中で、今でも情報誌に取り上げられるのが、ギタリストのユダヤという男だった。

 ユダヤは積極的に、様々なアーティストのサポートメンバーとしてレコーディングやツアーに参加した。結果として、PSYCHOPATHのメンバーとして以上に、個人の評価を高めていった。今では、「PSYCHOPATHの元ギタリスト、ユダヤ」ではなく、「ユダヤが元いたバンドが、PSYCHOPATH」と言ったほうが一般的である。

 そのユダヤが今、この地元に帰ってきており、明日メフィラスで行われるクリスマスライブに参加することが発表されている。名目は、旧知の間柄であるマスターの井田に呼ばれての友情出演とされているが、実際にはそれとは全く異なる噂がささやかれていた。それは、ユダヤが自らインディーズレーベルを立ち上げるというものであった。そして、今回のライブ出演は、そのレーベルへのスカウトも兼ねているという。あくまで、噂は噂であるが、実際にユダヤの出演は決まっていることだ。そこに様々な思惑が交錯するのは、仕方がないことだった。地元で活動する多くのバンドが、どうにかしてユダヤとの繋がりを持とうと、このライブのオーディションを受けた。そんな中で、飛鳥の率いるバンド「DUM SPIRO SPERO」がトップを努めることになっていた。当然、高校生バンドはそれ一つだけである。

「何、いくら有名だからって言っても、もう過去の人間だろ?気にしたってしょうがない」

「さすがトリちゃん、!トリちゃんの前では、すべての歴史が過去になっちゃうね!」

「また、すぐにでかい口を叩く」

「まずは武道館。次にドームだな」

「すぐにさらにでかい口を叩く……だと」

「さすがトリちゃん!トリちゃんの前では、ツッコミすらネタ振りなんだね!」

 飛鳥が大口を叩き、真白がそれを全力で持ち上げる。そして、それに恭一がツッコむ。これがいつも通りの日常風景であり、周囲の人たちはテンプレの漫才のように思っている。しかし、飛鳥が口にしていることはすべて本気のことだと、真白と恭一だけは理解していた。

 本当に飛鳥は過去の人間に興味がない。そして、彼が言うのならば、本気で武道館やドームのステージに立つ気でいるのだ。彼の目指している場所は、遥か遠くにある。だから、足元なんて見ていられないし、見る気すらない。明日のライブだって、当たり前に踏み出す一歩でしかない。

「いつもより観客が多いっていうなら、望むところだ。全員、踏み潰してやる」

 飛鳥にとっては、それがすべて、それが当たり前なのだ。

 常に前に進み続けること。それはもう、強迫観念という言葉すら生ぬるくなるほど、絶対だった。

 

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