外伝03 対策会議と初デートからの……
「そいつは俺が殺る」
メテオは静かに言い放った。
ここはサニーの執務室。サニーは離宮を離れて今では居を王城に移しているので、泥鼠の仕事部屋も全て城の中に引っ越してきた。しかし、機密を重んじて、入室には魔力認証が必要な隠し部屋となっている。
「この数日、お前仕事しすぎじゃね?」
アレスは呆れたように呟くと、少しやつれ気味のメテオに目をやった。それでなくても細身のこの男。ここのところ、食も細くなっているようで、何も言わなくとも『何かありました』と周囲に宣言しているような状態にある。
「サニーは新婚だし、これからは表舞台で活躍するんだ。つまり、俺がこれまで以上に裏仕事に打ち込むのは道理だろ?」
至極真っ当なことを言っていると思っているのはメテオ一人だけだ。
「ルーナルーナは泥鼠の仕事も必要悪だと理解しているし、たまには俺も出なきゃ腕が鈍る」
「誰か殺りたいだけだろ? 殺人鬼」
「メテオ!」
アレスは自分も泥鼠に関わり始めて正解だったと思った。これまでにサニーがやっていた組織内の采配の一部を担う。サニーが表舞台に出始めると、どうしても裏仕事は手薄になりやすい。泥鼠の面々の中には荒事が好きだという者もいるが、公爵家長男のアレスであれば火急の事態でも力をもって彼らの暴走を押さえ込むこともできる。そして何より、メテオの良い首輪となれる人物……であるはず。
「アレスは黙ってろ。裏仕事では新人なんだから、大人しくしとけばいいってのに」
「でも、新人の俺のほうが報告書の書き方は上手いぞ」
「泥鼠は力が全てだ。そんな、なよなよした小技は要らない」
「メテオ、言い過ぎだ」
ついにサニーが怒ってしまった。その整いすぎた面差しがキツくなると、凡人よりも鋭さが増してしまう。そして、彼がルーナルーナに関することと、自分自身以外のことで怒るということはほとんど無い。メテオは我に返ったように目を丸くして口をつぐんだ。
「どうしてもこいつの始末を担当したいんだったら……」
サニーは、天井からぶら下がるペンダントライトの光の真下にある指名手配書を指で叩いた。
「洗いざらい吐いてもらうからな?」
「……何を?」
メテオは微妙な間を置いてとぼけようとしたが、サニーの眼光は鋭さよりも面白いものを見つけた子供のようなギラつきに変わっていく。
「コメットさんはの抱き心地はどうだった?」
アレスがプッと噴き出す。このような真面目な仕事の打ち合わせという場ではもちろん、サニーはどこであってもこういうことを言うタイプではない。真面目で禁欲的なイメージが強い王子による奇襲とでも言おうか。メテオは、一気に崩れた表情をすぐに繕うことはできないでいる。
アレスは、レアから聞いている情報を反芻しつつ、肩肘をついてメテオの豹変ぶりを眺めていた。
(やっぱり、そういうことか。突然舞い降りた天使と体が結ばれたと思ったら、翌日から避けられるとなると、さすがのコイツもショックが大きいのかもな。にしても、いつもは下ネタから下世話な話まで普通にこなす奴が、童貞捨てたばっかのガキみたいな反応するとか面白すぎる。ま、それだけ本気ってことかもしれないけど)
そして打ち合わせは、議題を『メテオのコメット攻略対策』と名を変えて数時間続行することになるのだった。
翌朝、サニーが目覚めると、隣にいるはずのルーナルーナの姿が見当たらなかった。寝台から体を起こすと、白い素肌からシーツがするりとずり落ちて、鍛え上げた体がほんのりと夕闇の光に照らされて光る。彼の妻が寝ていた布団には、まだ少し温もりが残っているので、いなくなって間もないのだろう。
(先に起きるなんて、珍しいな)
サニーが夫婦の寝室を見渡すと、テーブルの上に一枚の何かが置かれていた。シャンデル王国風の繊細かつ優美な柄が施された白い封筒だった。ダンクネス王国では、一般的に手紙というものは書状と呼ばれていて、薄くて横に長い一枚の紙に縦書きでしたためるのが習慣。しかしシャンデル王国では、使っている文字や言葉はダンクネスと同じなのに、便箋と呼ばれる罫線の入った数枚の紙に横書きで書くことになっている。というのも、最近サニーが知ったことの一つだ。
そのため、封筒を見ただけで差し出し主がルーナルーナであることが分かってしまう。サニーは、毎日顔を合わせているのにわざわざ手紙にする理由が思い当たらないものの、顔が自然とニヤけるのを実感していた。
(やっぱりルーナルーナだ!)
サニーは愛おしげに封筒の表面を指で撫でた。
『私の愛する夫 サニウェル様へ』
そう書かれた封筒から出てきた手紙には、さらにサニーを喜ばせることが書いてあった。
(デートがしたい、と。なるほどな。そう言えば我が国に来てからは、どこへも行っていないな)
サニーは内容に納得しつつも、若干のしてやられた感に悔しそうにしている。普通に考えて、自国の街を案内しようと誘うべきはサニー。なのに、日頃は大人しく控えめなイメージが強いルーナルーナがこんなサプライズをするなんて、嬉しい反面、サニーにとっては立つ瀬が無い。
(何か、良いお返しを考えなくてはな)
サニーが反撃の一手を考え込んでいた頃、ルーナルーナは早速ダンクネス王国での初デートに向けて準備に勤しんでいた。
「お待たせしました」
夜中近く。城の裏口に現れたのは、白と紅色のキモノに見を包んだルーナルーナだ。手には大きな荷物を持っている。先に待っていたサニーは、さりげなくそれを受け取ると、ルーナルーナを馬車へと促した。
「ダンクネス王国にも馬車があって良かったです」
これから向かうのは、王都の端にある小高い丘。夜景が美しく見える場所で、王家所有の別荘があるのだ。
「これはシャンデルからの商人に売ってもらったものだよ。巷ではまだ見ることはないと思う」
「もしかして、ヒート様の……?」
サニーは、唇の前で人差し指を立てた。途端に、周囲へ防音の結界が張り巡らされる。馬車が動き出した。
「もしかしてヒート様は……」
「ヒートは死んだことになっている」
その微妙な言い回しだけで、ルーナルーナはほっと安心したようにため息をついた。それを見たサニーは、ヒートを殺さずにおいて良かったと心底胸を撫で下ろす。
「人材って大切だからね」
硬い話はここまで。サニーはこれから向かう別荘についてルーナルーナに語って聞かせ始めた。その後は、コメットとメテオのことも話題にあがった。二人とも大人とは言え、サニーとルーナルーナにとっては共通の大切な友達。どこまでのお節介ならば許されるのかを悩みながらも、最終的なさじ加減はレアに任せることで落ち着くのだった。
「綺麗……」
別荘の二階。外へ張り出した窓の縁に捕まったルーナルーナは、それしか言葉にならなかった。
目の前に広がるのは生まれて初めて見る夜景。闇に広がるのは、数え切れない程の銀や金、時々赤の煌き。ダンクネス王国の富と繁栄の象徴でもあるその絶景は、いつまでも見ていられそうな程に美しく、思わず吸い込まれそうになる。
けれどサニーは、そんな光を放つ錦よりも、うっとりとしたルーナルーナの笑顔の方がずっと眩しく感じられていた。
「ここは素敵な場所だから、一度言ってみると良いってお父様から伺っていたの」
ルーナルーナはこう説明するが、サニーはそれが少し面白くない。とは言え、親からの横槍が入る前に自分で連れて来たかったと思いつつも、喜ぶ妻の顔を見れば些細な苛立ちもたちまち消えてしまうのだ。
ルーナルーナは朝から仕込んできた弁当を広げていた。二人でそれに箸をつける。ルーナルーナの箸使いも随分と上手くなった。料理はどちらかといえばシャンデル王国由来のものが多い。それはサニーの口にもよく合う優しい味ばかり。サニーは、キッシュが特に気に入っていた。
「どれも美味しい。ルーナルーナは料理も上手かったんだね。こんなにたくさん作るの大変だったでしょ?」
「コメットにも少し手伝ってもらったから大丈夫よ」
弁当の中身は少しずつ減っていく。半分以上が空になった時、ルーナルーナはそっとサニーのキモノの端を掴んだ。
「ねぇ、サニー。前に私とある約束をしたこと、覚えてる?」
「どれのことかな。……え、ルーナルーナが嫌がっても、絶対一生一緒にいるよ?!」
急に慌てふためく夫に、ルーナルーナの方こそ驚いてしまった。
「そういうのじゃなくて……あのね、もうすぐサニーの誕生日でしょ?」
「そうなんだ?」
「あ、本人なのに知らなかったんだ?」
ルーナルーナはプッと笑い、その瞬間緊張が全て解れてしまった。
「ついこの間、お父様に教えていただいたの」
「またか」
「サニー、妬かないで? 私はサニーのことしか見てないわ」
心なしかサニーの機嫌が良くなったところで、ルーナルーナは本題へと移る。
「私、サニーの誕生日を祝いたいの。でも、普通に夜会を開くのではありきたりでしょう? だから何かをプレゼントしたいのだけれど、良いのが思いつかなくて……だから、不躾になってしまうのだけれど、本人に何が欲しいか聞いてみようかなって。って、あれ?」
サニーは、ルーナルーナの左手を捕まえた。さらに、顔を近づけて、しっかりと目を合わせる。ルーナルーナは捕食者の目だと思った。自分がサニーの中の何かのスイッチを押して、逃げられなくなってしまったということを直感的に悟る。
「ルーナルーナ、何でもいい?」
「うん。私に準備できるものなら」
サニーは、別荘の使用人が予め用意していた酒を手酌でおちょこに注ぐと、そのままぐいっと一気飲み。ふっと熱い息を吐くと、ルーナルーナの方を向き直った。
(確かサニー、お酒飲めなかったはずじゃ……)
ルーナルーナの記憶は正しい。サニーは酒に弱い。しかし飲まない理由はそれだけではない。
「ルーナルーナとの、子どもが欲しい」
酔って上気したサニーの色気は、それだけで兵器と言っても過言では無い程の破壊力を持っていた。それをまともに食らったルーナルーナは、サニーの瞳に釘付けになって、なぜか体の奥底がきゅんっと疼く。その場へ縫い止められたかのように動けなくなったルーナルーナは、サニーになされるがままに奥の座敷へと運ばれていった。
直後、衣擦れの音が続いたかと思うと、その後は薄暗がりの部屋の中に粘着質な水音が響き始めた。ちなみにダンクネス王国では、未だ真っ昼間の時間帯である。





