運命が交差する時:前編
お前の姿を探している
あの日、あの時から――
*****
ネベチア王国、王都ルチア。その中央に、堅牢壮美な連なる宮殿が存在する。
その宮殿の1つで、剣と剣が交わる甲高い音と複数の男達の声が鳴り響く。ピリピリとした緊張感を纏いながら激しくぶつかり戦い合う男達は、一様に額に汗を浮かべ、真剣な表情で剣を握りしめていた。
「やめっ!」
1人の男の声が広場に響き渡る。耳に残る低いテノールの声は威圧感をはらんでいる。そのかけ声によって、剣をぶつけ合っていた男達は一斉に動きを止め、剣を下ろした。
「訓練終了だ。明日も定刻に集合しろ、今日は解散!」
張り上げた声に、「はっ!」と複数の了承の声と敬礼を受けた男。
黒曜石のような瞳に、精悍な顔立ち。髪色は漆黒に染まり、さらりと揺れる。明らかに鍛えている事が分かる長躯に身に着けられた黒い騎士団服。腰には長剣が携えられている。胸に飾るは、王国騎士団を表す紅い記章と、部隊長の証が輝いている。
王国騎士団の本部【陽宮殿】。そこは武力をもって国に安全と秩序をもたらす騎士達が集う場所。
そして、この広場は【陽宮殿】の訓練場の1つ。多くの騎士達が日々鍛錬を積み、自身の能力向上務める場所である。
その部隊を束ねる隊長である男は、訓練終了のかけ声を上げるとすぐに部下である騎士達に背を向けた。常であれば訓練が終わってもなお喜々としてその場に留まり続け、体を酷使するように鍛錬を続けるのだが、今日は足早に訓練場を後にする。その姿に男の部下達が天変地異の前触れかと囁きあっていたが、今はそいつらに構ってやる暇はない。
男が歩を進めた先は、別の宮殿。王宮を挟んだ場所に位置する宮殿である。男が属する武を象徴する騎士団と同様に、国の堅守を担う重要な機関。国の安全と文明技術発展のために尽力する、魔力を有する稀少な者達――魔術師達の総本部【月宮殿】である。
男は探す。
自らその宮殿に何度も赴き、探し求める。
あの女は、そこにいるはずだと。
妙に心に残る、あの女を。
あの表情を見た瞬間から、探している――。
*****
始まりは、冬の寒さが時折ぶり返す早春の頃。
宵闇に月が浮かぶ、夜の事だった――
王都、南の外の町ベリル。
本来、静寂と闇が支配する時の刻にも関わらずその地は喧噪に包まれ、変わり果てた状態となっていた。恐怖に満ちた叫び声と怒鳴り声が辺りに響わたり、人々の足音と悲鳴が耳に劈く。人の声に混じって獣のような咆哮が忌々しく轟いた。
嗅ぎ慣れた者にはすぐ分かる鉄の匂い――血の香りが鼻につく。この町に起きている惨劇に、その地に足を踏み入れたばかりの男は表情をひどく歪めた。
「隊長!」
背後から聞こえた自分を呼ぶ声。男は闇と同じ色である黒い騎士服を翻して後ろを振り返る。そこにいたのは自分の副官である青年と、彼に肩をかしてもらいながら歩くもう1人の青年がいた。その青年は同じ騎士団の隊服を身に纏っているが、所々破れて血が滲み、泥で汚れている。足を引きずるようにして歩く様子からも、怪我を負っているいる事は明らかだった。
「どういう状況だ」
「すみません…、俺たちの手には負えず…」
「謝罪など今はいらん。状況を報告しろ」
「…はい。本日夕刻、日が落ちるとともに町に盗賊が現れ略奪行為を始めました。我々第8部隊が捕縛にあたっておりましたが、その途中であれが現れたのです!あの魔獣がっ!」
その報告に男は忌々しそうに目を細めた。
【魔獣】。黒い瘴気を纏う獣。強靱な身体能力と異常なまでの攻撃性。人や家畜を見るやいなや、無差別に襲いかかり、血肉を撒き散らす。あまりの獰猛性ゆえに、騎士団の討伐対象となる醜悪な害獣だ。
魔獣は森林や渓谷、主に地方に出現する事が多いが、今回、人里の、しかも、外れとはいえ王都に現れたことに疑問を抱きながらも男は静かに報告を聞く。
「なんとか応戦していましたが、なかなか仕留める事ができず…。そればかかりか、その騒動の間に一度捕縛していた盗賊達も何人か逃がしてしまい…」
満身創痍な状態である騎士は、悔しそうに唇を噛みしめた。盗賊退治に対応していた所に魔獣の出現だ。本来魔獣討伐には人員も装備も十分な用意が必要であり、同時に盗賊も相手にしなければならないとなると、人員が足りなり、部隊が深手を負うのも必然な状態である。だからこそ、応援要請により自分達の部隊が派遣されたのだ。ネベチア王国騎士団最強を誇る、我らの部隊が。
「隊員だけでなく、逃げ遅れた町の住民にも怪我人や死者が…最悪な状況です」
「状況は分かった。それで、魔獣は今どこにいる?」
「現在は町の中心部にある教会前、中央広場付近をうろついています」
「町の真ん中なんて、どの方向にも逃げていける場所だな。面倒くせぇな…。盗賊どもの方はどうなっている?」
「盗賊達は魔獣のいる所より奥にいます」
「奥?どういことだ」
「それが、妙なのです…。部隊を魔獣を対処する者と盗賊を相手する者と二手に分かれ対応していたのですが、盗賊を追おうとすると魔獣が妙な事に我々の行く手を阻むかのように動くのです。偶然、かもしれませんが…」
男は切れ長の黒い瞳をさらに不愉快そうに細めた。
魔獣は本来、縦横無尽に行動するものである。騎士達から盗賊捕縛を邪魔する様に、魔獣が盗賊どもを守るように行動するなどありえない。それはただの偶然か、それとも――。
「まず、分かった」
「それと今回我々だけでは対応できず応援要請致しましたが、事態は緊急であると判断され皆様の部隊とは別にもう1人応援が来て下さるそうです」
「応援だと?」
「はい。月宮殿より、魔術師の方が派遣されるようです」
「魔術師だと?」
【魔術師】とは、大陸でも稀少と言われる魔力を有し、魔術式と詠唱により不可思議な現象を引き起こすことのできる者達である。世界を構成する4元素 「風」「地」「水」「火」や、人によってはその他にも特殊な能力を扱う事もできるらしい。
魔術師達の多くは、魔術の研究・開発を主としている。しかし一部の者には、魔術能力の高さと身体能力の高さを併せ持つ者――戦闘に対応できる魔術師も存在する。(余談ではあるが、騎士団ではそういうやつらを戦闘職と、研究を主とする魔術師を研究職と勝手に区別して呼んでいる)。
時折、戦闘職の魔術師と騎士団と協力して戦闘や魔獣討伐に当たるのだが、魔術師によって得意能力もばらつきがある。ついでに言えば、性格に難がある変人奇人も多いため、組む相手によって戦闘方法を考える必要があるため、男は第8部隊の騎士に聞き返した。
「誰が派遣される予定だ?《孤月》か?それとも《残月》か?」
「それが、いつも応援要請に来てくださる戦闘向きの上級魔術師の方々は現在月宮殿に不在らしく…」
「上級魔術師の戦闘職がこれねぇのか」
「は、はい…別の方が来て下さるらしいのですが」
「まさかの研究職か?それとも、上級魔術師じゃねぇか…」
「分かりません。ですが、未熟な魔術師が派遣されないと願いたいです」
「まぁ、誰が来ようとも関係ねぇがな」
男はそう切り捨てるように言葉を放った。
現場対応していた第8部隊の者から最低限の情報収集はできた。これ以上、この場所に留まっている暇はない。事態は可及的速やかに、処理するに限る。自身が誇る、剣の腕をもって。
「お前は休んでいろ」
「いえ、まだ自分は戦えますっ!」
「その体で何言ってる。戯れ言もほどほどにしろ」
痛めた足を引きずりながらもまだ戦えると主張する第8部隊の騎士に、男はその鋭い目で騎士の行動を止めた。騎士としての心意気には感心する。だが、その騎士の限界が近いのは明らかだった。
「なに、心配はいらねぇよ」
男は自身の腰に携えていた剣をゆっくりと引き抜いた。
鋭い光を帯びた刃が、月光に反射してキラリと輝く。
「敵はすべて血まみれにして、殲滅してやるよ」
漆黒に染まる黒髪に、黒曜石のような鋭い瞳。
黒い騎士団服をはためかせ、凛々しくも勇ましい整った顔立ちをしたその男は冷笑を浮かべた。
憤怒に満ちた、残虐さを滲ませて。
男の名は、グレン・ラングフォード。
ネベチア王国騎士団の精鋭を集めた戦闘能力随一の部隊、第1部隊を率いる隊長である。
* * *
「チっ、こっちか」
石畳を蹴り、走り着いた先でグレンは歩を止めた。
町の中心部。教会の前には広場があり、そこには小さな噴水がある。本来であれば民の憩いの場であるだろうそこは、今は見るも無惨な状態である。盗賊の奇襲。そして魔獣の出現。人々が逃げ惑った跡と、盗賊や魔獣が荒らした惨劇がありありと分かる。この場所に来るまでに何人かの盗賊を斬りつけ倒しながら町の様子を確認してきたが、予想以上に町の被害は甚大である。
そして、今。広場には黒い瘴気を纏う獣がいる。広場に到着ばかりのグレンと魔獣は今だ距離は遠いが、あの禍々しさは一気に目を引く。
人の喉笛をいとも簡単に掻っ切る様な鋭い牙と爪が鈍く光った。狂気と殺気に孕むその目は人を獲物としか映していない。魔獣の視線の先は、騎士達。第8部隊の騎士達と応援に駆けつけた自分の部下も一部混じっている。騎士達は満身創痍ながら、剣を構えた状態で一歩も引く様子もなく膠着状態を保っていた。意地でも魔獣を逃がさぬように牽制しあう姿にグレンは口角を上げた。
それでこそ、騎士である。我らの守るべき者――民を守るその姿勢は騎士の誇りである。
だが、牽制だけでは何も始まらない。状況を打破できる次の一手が必要である。その一手を自分が実現できるだけの自信も武力も持ち合わせているグレンは、自分の相棒である剣を握りしめ、一降りした。広場に来るまでに鉢合わせた盗賊達の血がついた刀身から、血しぶきを振り払う。
さぁ、狙いは凶暴な魔獣だ。
グレンがまだ距離のある魔獣に向けてさらに歩を進めようとした時、それは聞こえた。
戦闘の為に研ぎ澄まされている五感。風の音も、羽音も逃さぬように鋭敏になった耳に、微かに綺麗な声が聞こえた。
(…歌、か…?)
場違いな歌声にグレンは眉をひそめた。
(こんな状況で歌だと?)
喧噪続くこの場所で、暢気に歌など歌っている者がいようとは。場違いな、それでいて、盗賊や魔獣に見つかってしまえば次の標的になりやすいであろう愚か者に対して、グレンは大きく舌打ちした。声の主を見つけるため視線を巡らせる。ぐるりと見回し、感覚を鋭敏にさせて見つけた声の先は、小さな教会であった。鐘楼部――教会の鐘が釣られるその場所に人影が見えた。
その人物は外套を深く羽織っており、顔を見ることは叶わない。
しかし、声色から女であろう事は予想できた。
町の中央部を見渡せるであろうその場所にいる人物は、ひどく怪しい出で立ちで佇む。
町の住民か――それとも敵か。グレンが悩んだのも一瞬であった。
顔貌を一切見せず外套を羽織るその人物はゆっくりと手を胸の前に掲げた。
空気に溶け込むような柔らかく、そして切ない綺麗な歌声が響き渡る。それに同調するが如く、何もなかった空間に淡い光が瞬きを始め、特殊な円図式――魔法陣が浮かび上がった。
詠唱と魔力の構成。そして魔術の展開。それができるのは――魔術師のみ。
グレンが目を細めた先に見えたのは、外套から覗くネベチア王国魔術師の証である魔術師のローブ。この人物が、今回第1部隊と同様に月宮殿から応援要請を受けて派遣された魔術師であるとグレンは確信した。
(空気が変わったな)
魔術師を目視したと同時に、広場の辺り木々がざわつきをみせる。肌で感じる奇妙な感覚は、魔術の前触れだった。
カサリと音を最初に立てたのは広場の大樹で、枝が大きく揺れ、何枚もの葉が落ちた。異変の先は木ではなく、木々に絡みついていた蔦。蔦はぐんぐんと異常な成長を遂げ、まるで意志を持っているのかの様に素早く動き出した。
真っ直ぐ狙いをさだめた蔦の行き先は――魔獣。
空を劈くような雄叫びが響きわたった。
蔦は魔獣に勢いよく絡みつき、その動きの一切を止めるようにきつくきつく締め上げる。魔獣の怒号と、もがくたびに飛び散る涎が広場を汚す。鋭い爪を持つ両足で必死に地を蹴り上げているが、一歩も前に進むことは叶わない。
魔獣の動きが封じられた――。
その一瞬を逃す愚か者は、この広場にいない。魔獣と対峙していた複数の騎士達が、剣を握る手に力を入れる。そして、自分もその内の1人である事を自覚しているグレンは石畳を強く蹴り上げ、靴音を響かせ、声を張り上げた。
「お前ら、仕留めるぞっ!!」
「「「はっっ!」」」
目の前の強敵に慈悲も、容赦もいらない。
求めるは、その死のみ。
騎士達の力強い答えを耳に刻みながら、グレンは殺気を隠す事なく、鬼気迫る表情で自身の手に握る剣を魔獣に力強く突き立てた。
* * *
目の前に血まみれの魔獣の死体が転がっている。その横には複数の盗賊達が身動きのとれないように縛り上げられいる。魔獣さえ邪魔しなければ、不良崩れの悪党など王国騎士団の精鋭である第1部隊にかかれば造作もない。一部はもう息も絶えている者もいるが関係はない。全員生かして捕らえる必要はないのだから。罪の自白と盗賊団の内部情報についてしゃべれる人員が数名いれば良い。
グレンをはじめとする第1部隊の騎士達は、捕縛した盗賊達を前に集まり、まだ町に散っている仲間の到着を待っていた。残党がいないかどうかの最終確認さえ終えれば、この事件も終息となる。
スッと隣に肩を並べるように立ち並んだ人影にグレンは横目で確認すると、再度視線を盗賊達に移した。自分の副官であれば、隊長の自分と肩を並べても何ら不思議ではない。
「隊長、先程のは魔術師でしょうか」
「だろうな」
「凄い腕ですね」
「あぁ、悔しいことにな」
「どなたなのでしょうか…」
「俺が知るか。こっちこそ聞きてぇよ。俺の獲物を捕りやがって」
「またそんな言い方をして…本当は感謝しているくせに。ずいぶんと我々が動きやすいように援助してくれていましたね。御礼を申し上げたいくらいなのですが、姿が見えないのが残念です」
応援に来ているはず魔術師は今だに騎士団と合流していない。人前に姿を表さないその魔術師は、魔獣を束縛する術をかけた後も騎士達の動きに合わせて魔術でフォローしてくれていたのを、グレンをはじめ騎士達も感じていた。
住民を人質に取ろうとする盗賊に対して突風で壁をつくり、炎の舞う建物や瓦礫に数多の水球を降らせる。打ち合わせもなく、魔術師自身の判断で行われていたその数々の魔術は最悪な現場を駆け抜ける騎士達にとって、自分達の邪魔する事ない最良な形での補助であった。それを実現してのけた魔術師は、細かい配慮のでき、何度も連続して魔術を施行できる実力を持つ人物なのであろう。
だが不審なのは、今だ姿を現さない事だ。
名前も、姿も分からない。もしかしたらこのまま姿を見せる事のないまま現場から離れるつもりなのかもしれないと考えたグレンは、隣にいる自分の副官に「ちょっとここを任せる。すぐ戻る」と声をかけた。「ちょ、ちょっと!」と引き留める声が聞こえたが、無視をして颯爽と歩を進めた。
(魔術師の居場所を把握できていたのはどうやら俺だけか…)
微かに聞こえた歌声。歌声といっても魔術師自身は囁くように詠唱していたに過ぎないであろう。だが、グレンには聞こえた。人よりも異常に優れている聴覚によって。
しかしその声もグレンでもやっと聴きとれたくらいだ。いくら精鋭の第1部隊であっても、町の人々の悲鳴と魔獣の咆哮、盗賊と騎士達の喧噪で歌声はかき消え、魔術師の居場所までは気づけなかったらしい。
グレンは目的の場所――教会の前で歩を止め、スッと上を見上げた。目線の先は、鐘楼部。
そこには今だ黒い人影が見えた。
グレンは自身の黒い瞳を凝らした。
よく見ると、その人物の肩には先程は居なかった小さなフクロウが止まっている。しかし違いはそれだけで、外套を深く羽織った姿は変わらない。外套は体格まですっぽり覆い、どんな体型かも分からない。もちろん、顔も見ることもできず人相もわからない。
(分かってるのは、声から女だと判断できたことか)
分からない事づくしで苛ついて、チッと舌打ちする。これはもう、わざわざ教会の上まで足を運んで、魔術師の尊顔を拝見してやろうじゃないかと意気込んだ時だった。
ふわりと頬を撫でるように、風が舞った。
鐘楼部にいる魔術師の外套も風により揺らめきをみせる。
はらりと、顔を隠すように深く被られていたフードが風のいたずらにより外れる。
若い、女だった――。
波打つ長い髪が風に遊ばれたように、柔らかにゆれる。
宵闇の中であるため、はっきりとした髪色までは分からない。だが、闇に溶けあうように見える事から、おそらく暗い色合い。瞳の色も明確には分からない。
月明かりで照らされて見えたのは、涼しげな目元に、すらりと高い鼻に、そして、小さな口元。その1つ1つが、お互いに引き立てあう綺麗な顔貌。
女の肩に止まっていた小さなフクロウが、風に乗るように飛び立つ――。
闇夜に羽ばたき飛んでいくかと思ったそのフクロウは、飛び立つと同時にハラリハラリと淡い光の粒子を伴いながら姿が崩れていく。
映える月に、一人の女。その周りを淡い光が幾重にも瞬く。
その幻想的な光景にグレンは目を奪われる。
何より印象に残るのは――女の表情。
悲しそうな、寂しそうな、何かを諦めているいるような、
なんと言ったらいいのか分からないが、心に何かがひっかかる、そんな表情。
(なぜ)
(なぜ、そんな表情をすんだよ)
見ている自分が問いただしたくなるような表情するその女は、今にも消えてしまいそうな儚い雰囲気で静かに佇んでいる。グレンは心が締め付けられるような感覚に陥り、目が離すことができず真っ直ぐ見つめ続けた。
「隊長!」
背後からする副官の声に、グレンは夢から覚めるようにやっと現実に引き戻される。呼び声に反応するように、後ろを振り向くと、不機嫌そうな表情をする副官がいた。
「隊長、探しましたよ」
「おぅ、すまねぇな」
「謝るくらいなら、急にいなくならないでください」
「あんまりガミガミ言うなよ。お前は俺の母親か」
「大雑把で戦闘狂な隊長をおもりする、可哀想な部下ですよ」
「お前は、まったく…あぁ言えば、こう言う」
「だったら、そう言われないように頑張ってください」
「……。で、残党はもういなかったか」
「話をずらしましたね…。まぁ、いいです。残党はもういないようです」
「そうか。被害状況はどうだ」
「まだ暗いので詳しくは分かりませんが、住人に死傷者と第8部隊の騎士は重軽傷者複数、うちの部隊は軽傷者だけです」
「王宮から医療班が派遣される手筈だったが、もう来ているか?」
「はい。派遣されて医療班も続々と町に入ってきています」
「分かった。第8の重傷者以外は陽宮殿で傷の手当てをさせるように騎士達を撤収させろ。入れ替わりで別の部隊を派遣させるように手配し、朝になったら再度町の被害状況を詳しく調査するようにしとけ」
「了解です」
副官を無視する訳にもいかず、グレンは隊長らしく副官に指示を飛ばした。やっと一息ついたとき、またあの女を見ようと鐘楼部に視線を向けた時には、すでにそこには誰の姿もなくなっていた――。
*****
グレンは自身の気配を消し、月宮殿の中を歩き回る。紺色のローブを羽織る魔術師達が敷地内で歩いている姿を、ひとり、またひとりとじっくり観察する。書類を抱えた者、魔導書らしき本を読みながら歩く者、よく分からぬ植物や試験管を運ぶ者、目の下を隈で飾りふらつきながら歩く者、たくさんの人物を見つめるが、その者達の中に自分が探す人物は見つけられない。
(今日も空振りか…)
日はもう傾いている。時間切れである。まだ隊長として雑務の仕事があるため、今日はもう諦めるしかない。また見つけられなかったと苛つく感情を押さえつけながら月宮殿を後にする。
その足で向かうのは、自分のテリトリーである陽宮殿である。騎士達の訓練は終えても、隊長という管理職は書類整理という名の強敵とも戦わなければならない。ジッと座って頭を使うこの作業ははっきり言って地獄である。これからその作業をしなければならないと思うと憂鬱さと苛立たしさを感じながら、グレンは王国騎士団第1部隊 隊長執務室の扉を乱暴に引っ張った。
「やぁ、グレン」
「グレン、遅いぞ」
「……お前ら、ここで何してる」
グレンは思わず、顔を不愉快そうに歪めた。ここは隊長執務室。自分の部屋であったはずだ。重厚な執務机に、来客用の椅子、壁には実用性を兼ねた装飾剣が飾られている。本来無人であるはずだった執務室には現在、部屋の主よりも悠々した様子で椅子で寛ぐ2人の男の姿があった。
1人は優しい風貌で、柔らかな微笑みを浮かべる金髪碧眼の青年。どこから持ってきたのか紅茶が入ったカップを優雅に持ち、品良い動作で口をつける。容姿も行動からも王子っぽいその男は、名をエドワード・ウェル・ネベチア。まさにネベチア王国第1王子であり、王位継承権第1位に位置する王太子その人である。もう1人は、冷ややかな顔貌に眼鏡をかけ、冷静で聡明そうな青年。ダニエル・カーライル、現在は宰相補佐を務める頭脳派である。どちらの男達も、自分にとっては顔なじみ。幼い頃からの幼なじみであり、悪友である。
「で、お前らはどうしたんだ」
「それを聞きたいのはこちらだ」
「そうだよ、君の奇行について気になってね」
「奇行だと?」
グレンは友人達の言いぐさに顔をしかめた。
「君が最近おかしいって噂があってね」
「おかしいだと?」
「そう。三度の飯より、剣が好き。剣が無ければ、拳で語りあえ。武術を極めるように喜々として肉体酷使する戦闘狂の君がおかしいって」
「…三度の飯も好きだぞ」
「はいはい。それで、武術大好き人間の君が、最近訓練が終わるとすぐに姿を消すって。いつもだったら物足りないって、剣を振り続ける君がそれをせずいなくなるって」
「俺だって、用事がある」
「ふぅ~ん。ここ最近毎日らしいけど」
「…毎日、用事があるんだ」
「へぇ…、月宮殿にかい?」
「…なんで知ってる」
「ひ・み・つ。君は隠してたみたいだけど」
ふふっと、王太子であるエドワードは穏やかに笑った。その向かえでは、冷たい表情で眼鏡をくいっと直したダニエルが目に入る。宰相補佐でもあるこの男、将来王となるエドワードを政治面で補佐する役割も持つ。この男が秘密裏に張り巡らせた情報網から、グレンの情報を手に入れたのだろう。誰にも行き先を告げず、人目に触れぬように月宮殿を探索をしていたはずだったが、ダニエルの子飼いの間諜にでも目撃されたのだろう。
「で、どうしたんだい?]
にっこり笑うエドワードに、グレンは口を閉じた。
なんとなく、言いたくない。
なぜかは分からないが、自分の胸にしまっておきたいというか何というか。煮え切らない感情がある。だが、目の前で穏やかな表情を浮かべるエドワードも引く気がまったくないだろう。グレンから答えを聞くまで、梃子でもこの場から動かないだろう。穏やかな風貌を持つ王太子であるが、その本質は頑固者で腹黒さをも持っている事を長い付き合いで分かっている。もし仮にグレンが言わないとしたら脅してくるに違いない。昔の恥ずかしい失敗談を暴露するとか言って。
グレンは、「はぁ」と大きくため息をついた。自分が折れるしかない。
「探してんだよ」
「探してる?何をだい?」
「…」
「黙ったら分からないだろ」
「……女だよ」
「「女??」」
ぽかんとした表情をする自分の友人達に、なんとなく自分の表情を見られたくない気がして彼らから視線を外す。
「ある女を捜している」
「えっ?何?月宮殿で?罪人でもいるの?」
「違げぇよ」
「じゃぁ、密偵か何かかい?」
「そんなんじゃない」
「じゃぁ、何?どういう事?」
「魔術師の女を捜してるんだよ」
「えっ?だから、何で?」
「……気になったから探しているだけだ」
「「気になるっ!?」」
ハモるように同じ言葉を口にしたエドワードとダニエルの表情は驚愕といった様子で、グレンを見つめている。
「えっ、それはどういう意味だいっ?」
「グレン、お前どうしたんだ?」
「お前ら、なぜそんなに驚く」
「君から気になる女性がいるって初めて聞いたからじゃないか!」
「お前ら勘違いするな。そんな意味じゃない」
「じゃぁ、どんな意味なの?」
「……なんとなくだ」
自分でもはっきりと言葉にする事ができない。
なぜか気になるから、会ってみたいと思ってしまったから、行動したまでの事。
「どっちにしろ、お前が気になる女がいると言えば驚かないわけないだろ。戦闘以外興味を示さないお前が。例え女が寄ってきても、来る者拒まず、去る者追わずのお前が」
「そうそう。《黒狼》の君の口からその言葉を聞くなんて驚きだよ」
「おい、その名で呼ぶな」
「いいじゃないか。君に似合っているじゃないか」
「笑いながら言われても、説得力がないぞ。そもそも誰だ、そんな小っ恥ずかしい名をつけたやつは」
「そんなの世の中のご婦人方に決まってるじゃないか。黒き狼!素敵じゃないか!」
「どこがだ!」
「君のその黒い髪に黒い瞳、鋭い眼差しに隙の無い所作。剣を握れば敵なしの勇ましく凛々しい騎士様。辺境伯家の三男で、王国騎士団の栄えある第1部隊の隊長。その顔貌も整っているとくれば、ご婦人方の話題にのぼるのも仕方が無い事じゃないのかな。ただ君の場合、騎士特有の威圧感が強すぎて近寄れないから、遠くから眺める観賞用だけどね」
「おい、観賞用って俺は置物扱いか!」
「剣ばっかり握ってたから、上流階級特有の上品さが苦手で社交界にもあまり出席せず、出席してもダンスも社交もせず黙りを決め込む君はある意味置物でしょ」
「それでも戦闘になれば積極的に豪快に敵をなぎ払うのだから良いじゃないか、エドワード」
「そうだねぇ、ダニエル」
「まぁ実際は戦闘となると楽しくて仕方がないという、戦闘狂いの脳筋野郎だがな。大雑把な性格も、野性的直感で動く行動力も、良く言えば男らしいしな」
「おい、お前ら、悪口しか言ってねぇぞ。ちょっと表へ出ろ」
自分でも青筋がピキリといきり立つのが分かった。右手でクイッと扉の向こうを指さすと、それに気づいたエドワードが、「ごめん。ごめん。それほど、驚きだったってことだよ」と軽く笑った。その隣ではダニエルが同意するように頷き、「お前をおちょくるのが楽しくてな」と平然としていう様に、グレンは大きくため息をついた。この友人達は、悪ノリしすぎる。
「で、話は戻るけど、どんな女性なんだい?」
「魔術師だ」
「へぇ、名前はなんと言うの?」
「知らん」
「えっ?!じゃぁ、髪色は?」
「よく分からん。たぶん暗い色だ。あと、髪は長かった」
「ちょっと!うちの国では女性は皆髪が長いだろう!じゃぁ、瞳の色は!?」
「分からん」
「ねぇ!答える気あるのかい!」
「分からねぇんだよ。本当にな。名前も。髪色も瞳の色も。分かるのは魔術師だって事と、一瞬見えた表情だけだ。だから、探してんだよ」
あの女を見た時、夜の闇で辺りは暗く、容姿についてはっきりと証言できない。人物捜しに重要な容姿が不確かであると、あと頼れるのは自分の記憶のみである。だから、毎日時間が空く度に月宮殿に通い、人行く様子を確認していたのだ。しかしその努力は今だ実らず、探し人は見つからない。話している内に見つからない腹立たしさを思いだし、グレンは顔を歪めた。
不機嫌になったグレンに、ダニエルは冷静な表情で問いかける。
「どこで会ったんだ、その女と」
「先週のベリルの町の事件だ」
「あぁ、あの盗賊と魔獣が同時に発生した件か」
「そこに応援で派遣された魔術師だ」
「だったら、報告書に名前が載っているのではないか」
「それならとっくに調べた。だが、魔術師1名派遣としか記入されてなかった。名前はおろか、魔術師の階級も分からん」
「だったら、魔術師のことだものフィルに聞いたかい?」とエドワードが話しに割ってくる。
グレンは隊長室にいない、もう1人の友人の顔を思い浮かべた。くしゃっとした柔らかい髪に、ぼやんとした表情をした綺麗な顔貌を持つ男。フィル・ローランズ。現在の彼が身に纏うは紺地に銀色の刺繍が施されたローブ。胸に飾られるのは魔術師を示す蒼い宝玉。魔術師として最高の腕を持ち、ネベチア王国上級魔術師《新月》の名をもつ男である。グレンが王立ネベルチア学園の学生だった頃に出会った友人である。
探し人は魔術師。フィルも魔術師。同じ魔術師であれば知っているかもしれないと言う助言であるが、この男案外役に立たない。魔術師としての能力は異常に高い。それこそ、国一番の使い手であると思う。性格も温和である。だがしかし、その男結構残念な人物なのである。先程この男の容姿をぼんやりとした表情と言ったが、基本思考もぼんやり。それゆえか、他人や周りの状況というに無頓着であるのだ。
案の定、ダメ元で先の事件に派遣された魔術師について聞いてみたが「ん~、誰だろうね?僕には分かんないかな~。ていうか、僕、同じ魔術師でも顔と名前覚えている人ってあんまりいないんだよね」とのんびりとした口調で返された。お前の場合魔術師だけじゃなく人間全般だろう、この脳天気者めと、若干苛ついたのは言うまでもない。
「フィルにはとっくに聞いた。ダメ元で、一応な。予想通り、知らんと言われたがな」
「…ごめん。フィルに人探しについて聞くこと自体間違いだったね」
エドワードもフィルのあのぼんやり具合を思い出し、薦める人選を間違えた事を素直に謝罪する。王太子の威厳さが若干減り、しゅんっとしていた。探し人を見つける解決策がなかなか浮かばない。糸口すら見つけられず歯がゆい思いをする中、ダニエルがゆっくりと口を開いた。
「その女、どんな魔術を使っていたんだ?」
「あぁ、植物を成長させて動かしたり、風を壁にしたり、水を操ってたな」
「ずいぶんと魔術を連発できたのだな。魔力の量が多いのか、魔力の調節がうまいのか…。魔術の技量はどうだった?」
「器用に魔術を操ってたな、腕は確かだった。特に、植物系は見事だった。魔獣を仕留める隙をつくれるだけの能力があったな。あぁ、そういえば…」
「なんだ?」
「あの魔獣というか、あの事件きな臭いぜ」
「どういう事だ」
「魔獣が、盗賊を守るように動いていた様に見えた。本来ならありえん話だ。縦横無尽に動く魔獣がだ。詳しく調べた方がいい。俺達第1部隊が動いた方がいいだろう」
「お前達が動くほどの案件なのか?」
「…おそらくだが、禁術だ」
「「禁術!!」」とダニエルと、エドワードが大きく驚きの表情をする。それもそのはずだ、本来であれば黙されている存在――禁忌の術は国の最高機密である。しかし、将来国の頂点に立つ王太子であるエドワード、その側近である宰相補佐のダニエル、もちろんグレンも国の中枢を担う立場の者としてその存在を聞いている。
もし、これが本当であるなならば事態は大きく変化する。可及的速やかに調査しなければならない。
「グレン、秘密裏に調査してくれる?」と王太子としての表情で言うエドワードに、「了解」と返事をする。そして、グレンは急にあることを思い出して大声を出した。それに対して、ダニエルが露骨に表情を歪めた。まるでうるさいという様に。
「あぁ、魔術で思い出したぜ!」
「なんだ」
「フクロウだ!あの女の傍に、フクロウがいた!あれは魔術だ」
「フクロウ?ただの本物じゃないか?」
「たぶんあれは、伝達魔法じゃねぇかと思う」
「もしそれが本当なら、その女、もしかしたら……上級魔術師じゃないか?」
「上級魔術師…」
「あの事件、外れとはいえ王都での出来事だ。盗賊だけでなく、魔獣の発現もあり緊急性は高かった。だから、騎士団の中でも精鋭のお前の部隊が応援派遣されたのだし、月宮殿からも魔術師が派遣された。そんな状況で、下級の魔術師が派遣されるのも考えにくい。いつもの戦闘要員の魔術師がいなかったとしても、能力の高い魔術師――上級魔術師が派遣されるだろう…」
「確かに、魔術師としての腕は凄かった」
グレンの話す情報を聞いたダニエルは一瞬沈黙して考え込む。そして、考えがまとまったのか、ゆっくりと口を開いた。
「それで、ここからは俺の予想だが、たぶんそいつ……《朧月》じゃないか?」
「朧月……」
グレンは聞き慣れないその名前を自分の頭に入れるように、その名を繰り返し呟いた。
「ほとんど姿をみせない上級魔術師だ。人前にはほとんど出ない。それに、いつも外套を着ていて容姿も不明らしい。まぁ、魔術師達は奇人変人が多いから、魔術師の間ではそんな事であんまり目立つ事はないがな。あと、《朧月》は植物を扱う『地』の能力が群を抜いている」
「ダニエル、なぜお前がそんなこと知ってるんだ」
「個人的な事で、人を介してだが少しだけそいつの能力に世話になったことがある。俺が世話になったって事は当の本人も知らないだろう話だがな」
冷静な表情で告げるダニエルに、グレンは霧が晴れるような感覚になる。探しても探しても見つからないこの1週間の苛立ちが、すぅと消えてくる。
《朧月》
月の名前を冠する、上級魔術師。
もしかしたら、そいつかもしれない。
あの月夜に見た、あの女は――。
やっと、見つけた手がかり。
これで、お前を探せる――。
これで、お前を見つけてみせる――。
「エドワード、ダニエル、感謝するぜ」
グレンは意欲みなぎる瞳をぎらつかせ、ニヤリと口角をあげ笑った。
高鳴る鼓動を、高まる興奮を、隠しきれないように。