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5.終わらない物語の結末


 


「約束を果たそうぜ、朧月(おぼろつき)



男は自身の剣を一降りし、剣についた魔獣の血を振り払う。それと同時に揺れる彼の黒髪と、黒曜石のような瞳に目を奪われる。耳触りの良い低い声で、愉快そうに言い切った男をエミリアは大きく目を見開いた。



どうして、彼がここにいるのか。



そもそも、彼が呼んだ月の名前――私のもう1つの名前を呼ばれた事に驚きを隠せない。




「朧月・・・ ?」



誰かが、疑問のように呟く。それに答えたのは呼ばれた本人であるエミリアではなく、目の前の男だった。



「人違いとは言わせねぇぞ、ネベチア王国上級魔術師…朧月殿?」



月の名前を冠する者。


それは【魔術師】の中でも数多の魔術と安定した術式展開を行え、なおかつ特出した能力を持つ【上級魔術師】の称号を得た者達の事である。ネベチア王国宮廷魔術師達の最高位である魔術師長に次ぐ(くらい)にあたいする上級魔術師は、現在十数名のみ。自身の魔力を使った研究を好む者もいれば、失われた古代魔法の復元を試みる者、魔術を戦闘に役立てる者とそれぞれ志向は異なるがその誰もが優秀な魔術の使い手である。

彼らは魔術師達の総本部である【月宮殿】の奥に個別の部屋を与えられ、多岐多様な研究や自身の能力向上に日々努めている。上級魔術師はその他にもいくつかの特権を有しており、一般の魔術師達にとって誰しもが羨む地位であった。


そんな上級魔術師は他の魔術師達から尊敬と敬意をはらわれて名誉呼称で呼ばれる事が多い。

それが、『月』の名である。魔術師達の間では、魔術に影響すると言われる『月』から名を戴く事は(ほま)れ高い事と認識されている。騎士や宮仕(みやづか)えの者達にとっては首を傾げる魔術師の伝統といえばそれまでなのだが、魔術師にとっては本名で呼ばれる事よりも『月』の名の方が()えある事であった。



そして私が数ある月の中より(うけたまわ)った名前は、《朧月(おぼろつき)


霧や(もや)に包まれた、ぼんやりと霞んだ月――


それが、私のもう1つの名前。



エミリアは家族にも元婚約者にも自身が魔力持ちである事を告げなかった。

それでも自分が死ぬという運命に逆らうため、少しでも足掻きたくてひっそりと力を蓄えてきた。乙女ゲームにおけるエミリア・セドラーシュの設定で相違がみられた『魔力持ち』。その小さな綻びは、現世のエミリアにとって大きな力となると幼い私は考えた。



将来、学園に転入してきた主人公がゲーム通り行動するのか、それとも違う行動するのか。


主人公が良い人であればいい、でも、もし違ったら?


主人公となる人物ももしかしたらエミリアと同じ記憶持ちの可能性もある。


エミリアが望まない、ゲーム通りの展開を求める人だったら?




運命の時、何が起きても自分の身くらいは守れるようになりたい。


死ぬために生まれてきたなんて、思いたくない――



命の保証が欲しかった私は幼い身なれど、こっそりと魔術の勉強を始めた。エミリアの生家であるセドラーシュ家は薬草や魔術に使用するための植物を扱う家である。魔術とは切り離せない関係性を持つため、屋敷の図書室には魔術に関する書籍がいくつも置いてあった。エミリア自身も、家族や使用人にはほとんど放置されて過ごしていたため、家庭教師の訪れる時間以外は屋敷内にいれば不審に思われる事なく、エミリアはひっそりと魔術の知識と技術を身につけていった。


エミリアが7歳になると領地の本邸から王都の町屋敷(タウンハウス)へと住まいを移すのだが、そこでエミリアが【魔術師】になる発端となる人物―老魔術師―と出会う。魔力持ちは通常10歳頃から能力が開花するのだが、それよりも早い年齢で(つたな)いながらも魔術を扱うエミリアにひどく驚きながら、()の方はしわくちゃな手でエミリアを導いた。


老魔術師に教えを請い、ひっそりと、そして着実に正しい魔術を習得していく。



老魔術師はエミリアに言った。


《おぬしに()したい事や譲れないものがあるならば、力と地位を手にいれなされ》


《それはおぬしを守る盾となり、剣となるじゃろう》



その言葉通りに、エミリアは魔術師の称号を得て、そして努力を重ね上級魔術師を拝命した。

乙女ゲームにおける主人公と呼ばれるであろう少女の動向を知るために。

もし何かあった時に、対応できるだけの自由を許される立場にいられるように。



力にはリスクが伴う事も理解していたが、欲せずにはいられなかった。ここでいうリスクとは、伯爵令嬢エミリア・セドラーシュが魔力持ちであるという秘密がばれてしまう可能性だった。

そこでエミリアは《名》と《顔》を隠した。本当の名前を隠し、上級魔術師となってからは月の名『朧月』がエミリアの呼び名となった。


魔術師として仕事をする際はできる限りひっそりと行動した。魔術師達の特性というべきか分からないが、魔術師は他人からの干渉を嫌う性質がある。それを逆手にとって、エミリアは魔術師としてあまり人前に出る事はせず過ごした。魔術師のローブに常に外套(がいとう)を深く羽織り、《顔》を隠した。顔が見えぬように。顔を知られぬように。顔を覚えられぬように。

一方で、私的な場―伯爵令嬢として過ごす本来の私の時は、家や学園では決して魔術を使わず、魔力持ちである事を隠し続けた。


しかし常に顔を隠して魔術師として過ごしていても、例外はできてしまう。例えば、王宮で行われる正式な式典。魔術師として正装で参列しなければならない時。王族の御前で外套を被り続けるのはさすがに不敬である。師匠である老魔術師に融通してもらい極力そのような場は辞退していたが、どうしても避けられない事もあった。その時は貴族令嬢として培った化粧技術と、眼鏡という武装を施して乗り切った。

他には、好奇心でひょいっと外套を外した兄弟子達だったり、おいそれと入れぬはずの上級魔術師専用の個別研究室に突然入ってきた同僚など。不意を突かれた時に、偶々《朧月》の顔を知る者もいる。しかし、その誰もが《朧月》の顔を知っていても《朧月》の本当の名は知らない。



上級魔術師《朧月》が本名をエミリア・セドラーシュという事を知っているのは唯一師匠(せんせい)である老魔術師のみ。





*****



薔薇庭園の中央で、魔獣からエミリアを庇ってくれた男をエミリアはじっと見つめた。



常に顔を隠していた上級魔術師《朧月》の顔を知る者は少ない。


彼はその数少ない人物の中にいた。


たった一度だけ会った事がある人物。


その出逢いは偶然だった。


少しだけお話して…でも、その時は名前も聞かずお互い別れた。


名前は知らない、いや、知ろうとは思わなかった。



(だって、彼は――)


(彼は、たぶん――)



漆黒に染まる黒髪と、黒曜石のような瞳。

切れ長で冷ややかな印象を受ける目元に、意地悪そうに口角をあげる口元。

精悍な顔立ちに、明らかに鍛えているだろうと分かる長躯。

たまたま出逢った時に彼は騎士団服を着崩していて、身分を表す物は身につけていなかった。

出逢った場所はある程度の階級がないと入れない所であったため不審者として警戒したが、すぐに危険な人物ではないと判断した。


そして、彼と過ごした紅茶一杯を飲み干す程度のたった一時(ひととき)


その最中(さなか)にエミリアは頭の中である予感がよぎってしまった。



(もしかして、この方は――)


ヒヤリとしたものが背筋を駆け抜けたのを覚えている。






そして、もう会うこともないだろうと思っていた彼は再びエミリアの前に現れた。


幾つもの薔薇に囲まれた薔薇庭園の真ん中で、終わらない物語の舞台の最中に。




今、エミリアの目の前で不敵に笑っている男の胸には、王国騎士団を表す紅い記章と、その隣には部隊長を表す胸章がその男の身分を示していた。



ネベチア王国騎士団第1部隊、隊長――



王国騎士団の並みいる猛者達の中からさらに精鋭を集めた戦闘能力随一の部隊、第1部隊。その最強の男達を纏め上げる、実力者。25歳と若いながらも、高い戦闘力と並みいる猛者達を率いる事のできる統率力を圧倒的に見せつけ、ネベチア王国の国防を担う中心的人物。

剣を振る姿はまるで鬼神の如く。剛胆で豪腕な彼の刃は敵に容赦のない無慈悲さを見せつけ、味方にはその圧倒的強さと懐の深さで多くの部下達に慕われている。



彼が剣を捧げ忠誠を誓うは王太子殿下――次代の国を背負う者。


将来有望で、国の重要な人物。

顔貌からも分かる勇ましく凛々しい優れた顔立ち。



これらから導き出される答えを理解出来ぬほど、エミリアは無能ではなかった。




名も知らぬ彼は、エミリアの悪い予感を裏切らなかった――





「なんで!?なんで、黒狼様がいるの!?」



声高く叫び声を上げたのは、元婚約者達に囲まれたままの偽りのお姫様。


黒狼様――彼の髪や瞳、そして騎士団服。彼が身につける全ての色は闇夜を溶かしたような漆黒。その彩色にどこか懐かしさ覚えながらも、エミリアは彼の呼び名に妙に納得した。彼の研ぎ澄まされた殺気や堂々とした威厳、凛々しくも雄々しいその姿はまるで勇猛な狼のようだ。



そんなエミリアを余所に、ステラはふるふると体を震わせながら声を荒げた。




「黒狼様と会うのはもっと先なのにっ!」


「だって、彼は王宮編のキャラのはずっ!」


「学園編には出てこないのに、なんで?!」


「なんでっ!なんでゲームと違うのよ!」



疑問の言葉を繰り返すステラの言葉は最後は悲鳴に近い。ヒステリックの様に叫ぶ彼女と視線が合うと、彼女はエミリアを激しく睨み付けた。そんなステラの視線を遮るように、大きな背中がエミリアの前にすっと入る。

黒い騎士団服を(ひるがえ)しながら、長躯の人物は「チッ」と舌打ちした。「まずは、そっちの罪人の女の方を片付けるのが先か…」と苛立つように呟いたのが聞こえた。



「黒狼様っ!なぜそんな女を庇っているの!私を助けてよ!」

「なぜそんな事しなきゃならねぇんだ」

「黒狼様は私の味方よね!ねぇそうでしょ!」

「はっ?」

「黒狼様っ!」

「そもそも、その呼び名はやめろ。小っ恥ずかしい」

「黒狼様は私の事好きよね??」

「お前とは初対面だろう」

「でも好きでしょうっ?!だから助けてよっ!」

「意味が分からねぇな。俺がお前を好き?そんな事あるわけねぇだろ」

「どうしてっ!だって私はヒロインなのよっ!」

「俺にとってお前は、ただの 罪人 だ」



好意など微塵も感じさせない鋭い瞳に、冷徹で突き放ような口調。拒絶の言葉しか帰ってこず、ステラは愛らしいと言われていた顔貌をひどく歪め、絶望した様な表情をする。ステラの取り乱した様子を、彼女を囲んでいた元婚約者達もひどく驚いた様子で見つめている。

元婚約者達の前では愛らしい子でいたステラ。エミリアを嵌めようとして行った違和感のある行動と矛盾だらけの証言。騎士団の登場に、王太子殿下の勅命。半狂乱になって要領の得ない言葉を重ねる姿は、今や庇護欲をそそるなどという可愛いものではない。




「なんでっ!だって私はヒロインなのに!なんでゲーム通りに進まないの!こんなはずじゃないのに!」




ステラのその瞳に映るのは、エミリア。エミリアに向けられるのは、狂気と殺気。背筋がぞっとする。




どこまでも彼女は囚われている。エミリアは死なねばならないと。そうしないと、彼女の望む物語が進まないと信じて疑わない。




ステラの視線はエミリアを映し、そしてそっとステラ自身の足元に視線をずらした。彼女の足元には、ギラリと鈍くひかる1つのナイフ――ステラが自作自演のために準備し、エミリアを嵌めようとした物が彼女の傍らに今だに落ちたままであった。



ステラはその綺麗な白い手でナイフに手を伸ばす――



次の瞬間、エミリアの視界を人影が動いた。


エミリアが次ぎに目にしたのは、鋭くきらめく剣の刃を首に突きつけられたステラの姿だった。



「動くな。その首堕ちるぞ」



薄皮1枚の距離で突きつけられた剣は、その鋭利さから今にもステラの首を意図も簡単に切りつけられよう。男の実力からもそれは可能であるはずだ。若いながらも、伊達に数々の修羅場を潜り抜けていない。卓越した戦闘スキルは言葉通りの所行ができるはずだ。



ステラは最早(もはや)動く事もままならない。少しでも動けば、剣は血に染まる。



ステラは、呻き声を上げた。

それは怒りなのか、悔しさからなのか、それとも後悔なのかは分からない。いや、後悔であって欲しいと願うのは私の願望だ。


彼女は、自らの欲望を満たす為に手段を選ばなかった。


確実なルート展開にしたかったのだろう。その為に前世の記憶を使って悪事に手を染めてしまった。実際は彼女の父親が首謀者であるが、彼女はそれを黙認して…いや自ら進んで知識を現実の物として――魔獣を完成させてしまった。そして、それを父親に提供してしまった。



結果、多くの者達が巻き込まれてしまった。



薔薇園に現れた魔獣。あの場には数名の生徒達がいた。幸運にもあの生徒達は逃げおおせたが、一歩間違えれば解き放たれた魔獣は薔薇園の、いや学園内全ての生徒の命を脅かしていた。



それだけではない。彼女は知っているのだろうか?



彼女の知識で造られた魔獣が闇取引で悪人の手に渡り、いくつかの街で暴れ回り、たくさんの人達を傷つけていた事を。安寧な生活をおくっていた街の人達に突然起こった悲劇。壊された建物に、奪われてしまった命がいくつもあった事を。命は奪われなくても、魔獣の鋭い牙や爪を受けた傷でまだ多くの者達が苦しんでいる事を。



人の命を脅かすモノを造りだしてしまった脅威と惨劇を彼女は知らなければならない。



エミリアはステラを見つめる。彼女は突きつけられた剣で動く事はもはやできない。それを合図に彼女の周りには第1部隊の騎士達が駆け寄り、彼女の両腕に鉄の鎖を絡めていく。


その拍子にステラの腕に嵌められた3つの腕輪がぶつかりあり音を立てて外れ、地面に転がり落ちた。


それを見たステラの近くにいた元婚約者達がハッと気づくよう動きだす。騎士達を止めようと一歩踏み出そうとした瞬間、ある声に止められる。



「小僧ども、お前達もその首と未来を失いたくなければ動くなよ」



第1部隊の隊長からの殺気を込められた言葉に、彼らは為す(すべ)無い。いや、彼らは選択してしまったのだ。恋した少女と、自分達の将来。学園でも優秀さを認められていた彼ら。卒業後はさぞ輝かしい未来が待っている事なのだろう。彼らは心の中で両者を天秤を掲げて、そして選んだのだ。

彼らはステラに駆け寄る事せず、ただただ黙し、彼女が捕縛される様子を見つめていた。その中に、自分の元婚約者がいるという事実にエミリアはやるせない気持ちになる。


幼い頃からの婚約者。

彼が私を選ばなかったと同じように、私も彼に対して愛という感情は芽生えず、育たなかった。

しかし、それでも少なからず情はある。それだけ短くはない間婚約者として過ごしていたのだ。


決して、彼が不幸であれと願ったわけではではない。


彼が唯一の愛を求める理由も、前世の記憶を思い出したときに知ってしまっていたから。

彼のお父様は優秀な外交官でいつも国内外を回っておりほとんど家にはいなかった。彼のお母様は主人の不在を幸いとして、数多の恋に溺れたくさんの男性と関係を持っていた。それも幼い彼の目の前で。貴族社会の政略結婚同士にはよくある事であるが、そんな事情幼い彼には分かるはずもない。目の前で繰り広げられる色事(いろごと)に彼は驚愕した。そして、信じられなくなってしまったのだ。女性というものを。


私と彼が婚約者として出会った幼き日。上辺では優しく微笑んでいた瞳の先に、初対面ながらも(さげず)みの感情を伴っていたのも、幼くても女の部類に入る私を彼が軽蔑していたからであったのだと思う。くしくも、その(さげす)みの感情は年月を経て、私達が成長しても変わることはなかった。


一方で彼は女性に対して猜疑心を持ってはいたが、同時に彼は信じてもいた。唯一の愛というものを。


彼は唯一の愛を探し続けた。

私という婚約者を隠れ蓑に、唯一の愛を求めて色々な方達に愛を囁き続けた。それは愚かにも彼の嫌悪するお母様と同じ行動であったが、彼はその事に気づかなかった。



そして彼は見つけてしまった。唯一の相手として、ステラ・バラークを。


もし、彼女じゃなかったら…


もし、彼女もただ1人と相手として彼を選んでいたら…


もし、彼女が罪に手を染めていなかったら…



考えたら途方の無いことを何度も考える。



もし、彼が愛したのが彼女じゃなかったら…



そう考えて、エミリアは心の中で首をふった。人の想いはとめられない。それが、愛であるならば尚更だ。彼の想いは、彼だけの物なのだ。



(ねぇ、アロイス様。あなたは幸せでしたか―?)



女性好きの様に見えて、本当は女性不信であった彼が見つけた唯一の愛。短くもステラと過ごした日々に彼が幸せを感じる事ができていたらいい。その愛の結末が悲しい結果となっても――彼が自身の将来と彼女を天秤にかけて保身を選んでしまった後悔に(さいな)まれようとも、それは愛故に彼自身が背負わなければならない事なのだろう。





エミリアは偽りのお姫様が複数の騎士に連行されていく様子をじっと見送った。辺りには彼女が連行に対して抵抗する罵声を含んだ叫び声が響いていたが、彼女の歩を止める者は誰もいなかった――。



ステラ・バラークの姿が見えなくなると、エミリアはゆっくりと一息吐き、瞑想するよう瞳を閉じた。




これにて、終幕――




攻略対象者アロイス・ウォーレンのルート『婚約者への婚約破棄』。

愛に狂わなかったエミリアの、終わらなかった物語はやっと終わりを遂げた。

ステラ・バラークの逮捕という、主人公強制退場という結末で。

それは、図らずも全攻略ルートを巻き込む形となった事は、いうまでもない。



彼女の犯した罪は重い。


彼女は罪を償わなればならない。


この地より遠い、冷たい場所で。


彼女はもう舞台には上がれない。


舞台に上がれなければ、物語は紡げない。



ステラの望む未来はもうこない





これで、やっと――






「おい、朧月(おぼろつき)!」



エミリアは沈んでいた意識を取り戻し、ハッと自分を呼ぶ声のする方に視線を向けた。そこには、不機嫌そうな表情をした第1部隊の隊長その人が佇んでいた。ステラ・バラーク捕縛の功労者である彼は、そういえば彼女を連行する騎士達には入っていなかった。この場に残った彼は、再びエミリアの前までズンズン歩いて近づいてくる。



「朧月、ようやく会えたな」

「……えぇ、お、お久しぶりでございます」

「さてと…前に会った時にした約束(やくそく)を果たそうじゃないか」



約束――


エミリアは躊躇(ちゅうちょ)した。


それは本当に小さな約束だが、エミリアにとっては恐れをなす事であったから――



エミリアが躊躇(ためら)っていると、丁度良いタイミングで「隊長!」と目の前の男を呼ぶ声がかかる。

ステラが連行された後も薔薇庭園に残って事後処理を行う騎士の一人の声だった。ステラが去っても、この薔薇庭園には血で染まった魔獣の体と首がいまだに転がっている。元婚約者達もこれから騎士達に事情聴取をされるであろう。魔獣出現に気づいて運良く逃げていってくれた生徒達にも話を聞かねばならない。学園内の安全確認や、王宮への連絡も必要である。問題はまだたくさん残っている。

捜査を担当する第1部隊の隊長は、それらの指示を出すのに必要不可欠である。それを彼自身も分かっているのか、眉をひそめながら舌打ちをした。



「お前はここで待っていろよ」

「えっ?」

「必ず戻る。まだ約束が果たされてないだろ」

「…」

「返事は!」

「は、はい」

「ちょっと行ってくるから、待ってろよ」



再び「隊長!」と部下に呼ばれてしまった彼は、「どいつもこいつも邪魔しやがって…」と呟きながらエミリアに背を向けて、部下の騎士の方へ歩き出していった。エミリアはその背中を見ながら、ホッとするように息をつく。


約束――彼が言う約束は、本当にたわいのないもの。

普通であれば躊躇するような事ではない。



でも、それは、エミリアにとって守る気のない小さな約束だった――



彼が部下の元に辿りつき、あちこちを指さしながら騎士達に忙しそうに指示を出す姿を見定める。

エミリアは決意を込めるように手をぎゅっと握った。そして、制服のスカートを揺らすとくるりと身を(ひるがえ)した。




彼らに背を向け、忙しそうに慌ただしく動く騎士達を尻目にエミリアはゆっくりと歩き出す。





「ごめんなさい…」




私は静かに微笑んだ。



約束を破ってしまう後悔を(にじ)ませながら、



彼への謝罪の言葉を呟いた――




そして、美しく咲き誇る薔薇に身を隠し、静かに薔薇庭園から姿を消した。



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