表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/9

3.終わりのはじまり



昔話をいたしましょう。


私の秘密に関わる、過去のお話を。



*****


ネベチア王国の王都ルチアより北方に馬車で3日。壮大な森と綺麗な泉を有する領地。そこが国より伯爵の位を(うけたまわ)ったセドラーシュ家の領地である。

鬱々と広がる森しかない田舎と(あなど)る事なかれ。綺麗な水と深い森により草木は生い茂り、たくさんの貴重な植物の宝庫となっている。特に薬草や魔術に使用する調合液の原材料などが採れる国有数の要所でもあった。



壮大な森と隣接するように佇む荘厳な館。

そこに住まう伯爵夫妻の仲は良好で、娘と息子もいつも笑顔で、屋敷からは家族の笑い声がいつも聞こえる家庭があった。

まさに幸せに溢れていた家庭だったとも言えよう。


ある出来事が起こるまでは…



ある日、セドラーシュ伯爵夫妻に3人目となる新たな子供の命が宿る。

伯爵の妻はそのことをとても喜んでいたが、最初こそ喜んでいた夫の伯爵は次第に複雑な思いを抱いていくようになる。なぜなら、妻は妊娠の週を追う事に体調を崩していく。妻を深く愛する伯爵は、今までの妊娠と違う様子に徐々に不安を覚えていった。

妻によく似た娘と息子も何かを感じとったのだろう、不安そうな表情で妻の傍らから離れようとしなくなっていた。みるみる顔色が悪くなり寝台から起き上がれなくなっていく妻、それに比例するように成長していくお腹の子。伯爵は心の中で思う。まるで、お腹の子が妻から命を吸い取っているようだと。



そして、ついにその日はやってきた。


厳しい冬もなんとか越し、芽吹きの季節が始まろうとしていた時。

夜の(とばり)が辺りを包み、深い霧が館全体を覆った頃小さな産声があがった。

そして時を同じくして、小さな赤子の産声のすぐ隣で、悲しみを帯びたたくさんの泣き声が大きく館中に響きわたった。幾重にも、幾重にも…。




ここまで説明すれば勘の良い方はもうおわかりだろう。



(そう、私はお母様の命と引き換えに生まれてきた子だったのです)



セドラーシュ家から笑い声は消えた。

お母様をとても愛していたお父様は深い悲しみにくれて。

お姉様も、お兄様もお母様の死に深く傷ついた。



どうして愛する妻が…、

どうして大切なお母様が…



そして、皆の目は生まれたばかりの私に向けられた。




愛する妻を、大切なお母様を奪った原因はこの子だと。





エミリアが悟ったのは4歳の時。


物心ついた頃から私の周りには誰もいなかった。



いや、この言い方だと誤解を生むかもしれない。

正確には使用人達がいて、私はその者達によって育てられた。しかし彼らとは必要最低限の接触しか許されなかった。私の相手する時はいつも無表情。淡々とした返事に、粛々とこなされる世話。後から思えば、伯爵家の当主やその愛する子供達から嫌われる存在である子供など何の価値もない。反対に優しくして、当主達の怒りを買うわけにもいかないと考えるのも当然の事だったのだろう。

でも、私は幼いながらも言葉を話せるようになり理解するようになると、寂しさを覚え、人が恋しく感じるようになっていく。

家族という単語を知った。

家族の肖像画を見て私にも家族がいるんだと知った。

肖像画の中で家族は互いに微笑み合っていて、家族とは一緒に微笑みあえる幸せな存在だと知った。



人恋しく感じたエミリアはある日、自分の部屋から勇気を出して飛び出した。


肖像画で見た私の家族に会おうと思って。


5歳上のお姉様、3歳上のお兄様、そしてお父様に会うために。


一緒に微笑みあえる家族に会うために。


4歳児の短い足を必死になって動かして、長い長い廊下を歩いていく。館の中でも自分の部屋から遠い遠い場所。まさに正反対な場所に位置する所まで歩みを進めたその先で、綺麗なお洋服を着た亜麻色の髪と琥珀色の瞳を持つ少女と少年がいるのを見つけた。


私の濃い灰色の髪、紫の瞳とはまったく異なる彩色を持つ人達。

それでも、すぐに分かった。

あれが私のお姉様とお兄様なんだと。

肖像画でみたお母様と同じ亜麻色の髪に、琥珀色の瞳。そして、お母様とそっくりなその顔貌。



頬がほころんだのが自分でも分かった。

やっと会えたと、はやる気持ちを抑えて声をかようと口を開いた、まさにその時、自分のものではない(かん)高い叫び声が廊下中に響きわたった。



「なんでお前がここにいるの!」

「お前なんかあっちへ行け!」

「「この人殺しっ!!」」



大きな怒声とその軽蔑のこもった目。


視線の先は……私。



エミリアは声をかけようと開けた口をすぐに閉じた。何が起こったか理解出来なかった。けれどお姉様とお兄様の2人から向けられる鋭い視線に、ただただ恐ろしいという感情で心が支配される。足はまるで凍ったかのようにその場から動けなくなった。


廊下中に響き渡った子供達の騒ぎを聞きつけたのか、辺りからバタバタと足音が聞こえる。メイドや侍従達使用人がかけつけてくるのが視界に入った。


そこに低音の壮年の声が私の頭の上から響き渡る。



「なにをしている」



驚いて、私は思いっきり振り返える。そしてその声の主を見るため自分より高い高い身長のその人物を見上げた。そこにいたのは家族の肖像画の中心にいた人物と同じだとすぐに気づいた。そしてその人が自分にとって誰であるかも。



「おとうさまっ…!」



初めて会うお父様。

今までの恐怖から逃れるように、自分の小さな手をおもいっきり伸ばす。瞳には溢れそうな程の涙を浮かべて。


お父様は私にゆっくりと視線を向けた。幼いゆえの小さな身長と差もあって、見下ろされるのを見つめながら、お父様の言葉が紡がれる口元に視線がゆく。



「これをさっさとどこかにやれ」



背筋が凍るような、冷徹な口調だった。

パシリと乾いた音が耳に響き、お父様に伸ばしていた私の手は叩き下ろされた。じわじわと痛んでくる手に私はやっと自分の手が振り払われたのだと実感し、呆然としていた私はもう一度お父様を見上げた。


そこには強い憎しみのこもった目で私を見下ろすお父様。


その瞳を見た瞬間、血の気が引いていくのが自分でも分かった。小さい体は、凍ってしまったように動けなくなる。


頭の中で疑問ばかりが浮かんでは消えていく。



(なんで…?)


(どうして、おとうさま、おねえさま、おにいさまは、わたしをそんな目でみるの…?)





その翌日から、お姉様やお兄様は私を見かけると怖い表情をしながら大声で怒鳴りつけるようになった。ある時は、水をかけられたり、インクをかけられたり。私が何か失敗すると、そんな事もできないのかと笑われた。私の部屋がぐちゃぐちゃになっていた事もある。私が造った花冠を目の前で踏みつぶされたり、好きな花が咲いていた花壇もめちゃくちゃになっていた事もある。


「あっちへ行け」

「いらない子」

「お前ごときが」

「このドブネズミ」

「愚図」

「お前さえいなければ」



「お母様を殺したくせに」



私は震える小さな手で、必死になって耳をふさいだ――



家族の部屋から最も遠い場所に位置する私の部屋の窓から、お姉様とお兄様そしてお父様が笑い会って出かけて行くのを何度も何度も1人で見届けた。


お父様は、私をいつも冷たい目でみるのにお姉様やお兄様にはとても優しく微笑んでいて…。

お姉様やお兄様も私には見せない嬉しそうな笑顔をお父様に向けていて…。



私は小さい瞳をぎゅっと瞑り、必死になって目を背けた――



当時の小さな私は現実を受け入れたくなくて。


いつかきっと、ちゃんと家族は私に笑いかけてくれると信じて。


幼いなりに考えて、考えて。


頑張らなくちゃ、良い子でなくちゃ家族は自分を好いてはくれないと考えて。


幸いな事に伯爵家の令嬢としての教育は受けさせてもらえていたため、貴族の子女としての教育であるマナーや勉学に一生懸命取り組んだ。まだ年齢的には基本的な内容であったが、私にとってそれは難しいものだった。苦手な事はたくさんあったけれど、できるようになるまで必死になって頑張った。



そして月日がたち、私は5歳の誕生日にある人物と出会う事になる。



その日も部屋で静かに読書していた私は、いきなり侍女に滅多に着ないような質の良い臙脂色のドレスを着せられ、ウェーブかかったチャコールグレーの髪は丁寧に整えられ部屋を追い出させれた。部屋の前には執事が立っており、訳も分からず彼の後ろを歩いて応接室の前に案内された。執事は荘厳な扉をゆっくりと開ける。

突然の事に動揺する私は、扉の先から私を見つめる人影に気づき目を見張った。髪はきっちりと後ろで撫でつけ、仕立ての良い落ち着いた色のスーツを身につけた壮年の男性。厳しい表情をしながら、スラリとした姿勢で佇んでいた。


おとうさま…私は心の中で呟いた。



「客人が来る。みっともない態度はするな」



ただ一言。その言葉の冷たさと、向けられたその鋭い視線に私はただただ竦み(すくみ)あがり、誰にも聞こえないような小さな声で「はい」と返事するのが精一杯だった。





そして、そこで引き合わされた人物が彼でした。




「はじめまして、エミリアさま。ぼくはアロイス・ウォーレン。」



ウェーブかかった亜麻色の髪に、琥珀のように澄んだ橙色の瞳。

それはお母様のような髪色と瞳の色に似ていて――


窓から差し込む柔らかい光がきらきらと目の前の少年を包んでいた。


私は息を呑む。



(えほんにでてくる、おうじさまみたいだわ)



そして少年は私へ手を差し伸べて、優しく微笑んだ。


自分の頬がじんわり赤くなるのを感じる。




「これからよろしくね。みらいのぼくのおよめさん」



その言葉を聞いた瞬間、えっ?と私の頭の中で混乱が生じた。



(ちがう、あなたは、わたしをえらんではくれないの…)



なんでいきなりそんな事が思い浮かんだのか分からない。

でも頭の中で色々な言葉が思い浮かんでく。



(こんやくしゃ、あくやくれいじょう、おとめげーむ、7つのつみ、しきよく、こんやくはき、死)


(死っ!)


ぐるぐる巡っていていた言葉が1つ1つの情報となって、次々と連なって綺麗に構築されていく。

すべてがカチリと当て嵌まった時、私は頭の中でひどく衝撃を受けた。




思い出してしまったから。


この世界の物語を。




気づいてしまった後の私の行動は良く覚えていない。

婚約者となった彼との顔合わせの場はたぶん無事に終わらせられたのだろう。青ざめた表情になってただろう私を、大人達は婚約者の存在に緊張しているだけだと判断し、私自身も思い出した衝撃で倒れたりもせず大きく礼を欠く事はなくその場をやり過ごしたみたいだった。顔合わせ自体も相手方の時間の都合もあり、すぐに終わったのが幸いだった。


応接間からもう用済みだと追い出された私は長く続く廊下をひとり歩いて行く。

最初は令嬢らしくゆっくりと歩を進めていた足は次第に早くなり、だんだんと駆け足となり、最後は走り出していた。いつもはじっくり眺める絵画や彫刻を尻目に、次々と景色は変わっていく。

廊下から階段へ、そして扉を押して玄関を駆け出て、綺麗な花々が咲く庭園を見向きもせず抜けて、庭から屋敷に隣接する森へと足を踏み入れた。ドレスの足元に絡んでくる草なんて気にもならず、ただただ森の奥へ、奥へと足を進めていく。


途中から景色なんて目に溜まる何かでぼやけて見えてない。


足を止めてたのは、幼い小さな体が力尽きた時。人気のいない、屋敷からも離れた森の奥。


誰にも気にしなくてもいいその場所で、私は立ち竦んだ。


瞳から涙が一滴溢れ落ちる。


それが皮切りとなって、ぼたりぼたりと頬を伝って雫が落ちていく。そして堪えていた嗚咽が漏れると、我慢ができなくなって、次第に大きな声で泣き叫んだ。



この世界は、乙女ゲーム『7つの罪と癒やしの恋』。

剣と魔法の世界。モチーフは7つの大罪。

傲慢、憤怒、嫉妬、怠惰、強欲、暴食、色欲。

それぞれの特性を持つ7人の見目麗しい男性が登場する。

穏やか第一王子

冷徹宰相補佐

兄貴系騎士隊長

天然宮廷魔術師

俺様第二王子

生意気魔法少年

女好き伯爵令息


攻略対象者。それが彼ら。


では、私は?


(わたしは、あくやくれいじょう!)



エミリア・セドラーシュ。

セドラーシュ伯爵家の第三子。

家族から嫌われた、孤独で、陰鬱な令嬢。

何も秀でた能力のない、無能。

恋に狂る、馬鹿で愚かな子。



では、彼は?


アロイス・ウォーレン。

ウォーレン伯爵家の長男。

色欲に溺れる、女好きな伯爵令息。



(そのかたが、わたしのこんやくしゃ)


私は先程会った彼を思い出す。

ウェーブかかった亜麻色の髪に、琥珀のように澄んだ橙色の瞳。

窓から差し込む柔らかい光が温かく彼を包んでいた。

彼は私へ手を差し伸べて、優しく微笑む。


見惚れてしまった。


家族から嫌われ、厭われ、温かい表情を私に向けてくれる人は今までいなかったから。


心がじんわりと温かくなる感じがした。


親しみを覚え、それは遠くない未来に恋に変わっていたであろう。



何も知らなければ――





でも、私は思い出してしまった。


前世の記憶を。


この世界の物語を。



記憶といっても、前の人生を全てではない。家族構成や年齢はぼんやりではっきりしないし、どうして死んだかも覚えていない。でも、乙女ゲームというもので遊んでいたのは記憶にある。それも複数も。

そんな複数ある乙女ゲームの中で、なぜこの世界が『7つの罪と癒やしの恋』であると確信できているのかは、今世の私が関係者である事にもひとえに要因があると思う。


なぜなら知識として思い出したこの世界の情報が、特に婚約者であるアロイス・ウォーレンの事がほとんどだからだ。他の攻略対象者の事は、キャッチコピーのみで名前すら思い出せない。

私が婚約者との顔合わせの場で思い出したのは、この世界の概要とストーリーのおおまかな流れ。エミリア・セドラーシュ、そして婚約者アロイス・ウォーレンの情報のみ。



それでも私が得られた事は少なくなかった。


それが良いか悪いかは別として。



わたしは気づいてしまった。


先程優しく微笑んで手をのばしてくれた彼の瞳の先に、蔑み嘲笑っていた感情が見え隠れしていた事を。


(きづきたくなかった)


(でも、きづけてよかった)


2つの感情がせめぎ合う。


気づかなければ私は初めて他人からの優しさを感じる事ができたのだろう。

例え相手が私を貶んでいたとしても。

気づかない私は愚かにも幸せを感じる事ができたのだろう。

でも、気づかない私が見せかけの幸せの先〈恋〉の結末はとても悲惨なものだ。

恋に落ちた私にもたらされるのは婚約者の裏切り。

恋に狂り、嫉妬が憎悪に変わり、押さえきれなくなった狂気は爆発する。


そして婚約者によって、狂った私は止められる。



(わたしは、しんじゃう!)



時に胸を剣で刺されて。

時に体を炎に包まれて。

時に首を縄で絞められて。

時に腹を獣で噛まれて。

すべては私が婚約者が好きになった女性を襲って、それを助ける婚約者によって返り討ちとなる形で。

幾通りにもある死の足音。


確実に死ぬルート。

それがエミリア・セドラーシュの人生。



家族から嫌われ、婚約者から裏切られ。



(わたしは、いらないそんざいなの?)



最後は私の死という悲しい結末。



(しぬために、うまれてきたの?)



そんな最悪な結末が私の未来。



(わたしは、いきてはいけないの?)



悲しくて、哀しくて、未来に絶望する。



(それは、うんめいなの?)



信じたくない。私の人生が乙女ゲームになんて。




(うんめいは、かえられないの?)





私は泣いて泣いて、泣き続けた。大声でみっともなく、叫ぶように。悲しみと混乱、そして絶望の中で胸の苦しみを出し続けた。どのくらいの時間がたったのか分からない程、泣き続けた。

しかし永遠に続くだろうと思った涙も次第に枯れていく。泣き叫んでいた声はに小さくなっていく。ぼたぼたと瞳から落ちていた涙も、頬を小さく伝い、最後には涙の跡を残すだけ。ぼやけていた視界も、しだいに開けていく。みるみる鮮明に、はっきりと自分のいる周りを見渡せるようになった私は大きく驚いた。


誰にも会いたくなくて、泣くのを知られたくなくて、無意識にだいぶ森の奥に来たであろうが、私を中心とした森の様子に私は目を大きく見開いた。


森の奥だから、緑が茂っているのは当然だ。だが、私を中心とするように足元にはたくさんの花、花、花。それも見事に満開に咲き誇ってる。そして少し目を外せばたくさんの木々が枝葉を重なりあうように、色艶よく大きく、そして立派に生い茂っている。



(わ、わたしがきたとき、こうだった?)



答えは否。

私の周りを囲む草木は異様な状態となっていた。無意識に森の奥に踏み込んだとしても所詮幼子の足だ。草木がみっしりと絡み合う、踏み入れるのにも難しい場所に私は立っていた。木々は大きく、太く、しっかりと大地に根を張り、鮮やかな青葉が瑞々しく優しく風に揺れている。満開に咲く花々も、私を見つめるように咲き誇り、優しい香りをほのかに漂わせている。




この不可思議な現象の中心は……私。


異常で異様。

奇妙で奇怪。


これは、何?奇跡?


この世界ではこのような現象を何という?


思い出して…ここは剣と魔法の国ネベチア王国。


魔法が存在する世界。


私は木々を見つめていた視線を今度は、ゆっくりと自分の両手にうつす。じっと見つめた自身の小さな手は微かに震えている。見た目では分からない、違和感を感じる。不思議な感覚が体に纏わり付いている気がした。




私はある事実と、ある可能性に気づいてしまった。


エミリア・セドラーシュ。

何も秀でた能力のない、無能な令嬢。

それが乙女ゲームにおける私の設定。


でも、それに相違がみられたら?


私が前世の記憶を持っている事、そして本来は無能なはずなのに、王国でも稀少といえる能力を有していたら―?



(みらいをかえれるかもしれない)



私は震えていた両手を、それを振り払うようにぎゅっと握りしめた。


今、私は私の意思で考えているし、私の意思で動いている。


乙女ゲームの世界における、小さな綻び(ほころ)

どうなるかは分からない。でも賭けてみよう…。

私は運命に少しだけ、少しだけでもあらがってみよう。



(みらいを、しんじたいから…)




*****


あの幼き頃より、数年後。

エミリアは顔立ちも身長も成長し、16歳となった。貴族の子息子女のステータスとなっている、王立ネベルチア学園特進科に入学して3年。良い子でなければ家族からも婚約者から身捨てられると思い頑張ってきた。貴族の淑女としてマナーや立ち振る舞い、ダンスや楽器、もちろん学業も結果はどうあれ真面目に取り組んできた。大きな問題を起こすことなく静かにひっそりと過ごしてきた学園生活。


運命は予定調和であるかのように、エミリアの前に立ちはだかった。

ステラ・バラークの入学。

幼い頃から変わらず瞳の奥で嘲笑い続ける婚約者。

次第に仲良くなる、ステラと私の婚約者。


そして、婚約者からの婚約破棄宣言。


それを、愛に狂う事なく、受け入れた私。



運命の時を得て、私が手に入れられたのは何だったのだろう―――




「この恥さらしがっ!」



苛立ちと怒りに震えた大声が耳に直接響く。そして、パァンと乾いた音が聞こえると同時に痛み出す頬にエミリアは冷たくなった手を添えた。

目の前には憤怒に満ちている壮年の男性。先程振り上げられた手は未だに怒りで震えている。エミリアはじくじくと痛む頬に手を当てたまま身を固め、そっと自分の父親を見上げた。


アロイスから婚約破棄を受けた翌日。

王都ルチアにあるセドラーシュ家の町屋敷(タウンハウス)

エミリアは学園の制服ではなく、落ち着いた色のドレスに身をつつみ貴族の淑女らしい装いでこの町屋敷(タウンハウス)に足を運んだ。普段領地の本邸で暮らしているお父様がこの町屋敷(タウンハウス)にいるのは今回の婚約破棄のせいであろう事はすぐに分かった。そしてお父様の後ろには、私のお姉様とお兄様が控えていたがそのどちらも冷たい眼差しで私を睨み付けていた。




氷のような表情で私に視線を向ける、これが私の家族。





エミリアは父によって叩かれた頬を手で押さえたまま、怒りを顕わにした父の怒鳴り声に萎縮する。


「聞いているのか!この恥さらしがっ!」

「はい…、聞いて、おります」

「今回の婚約破棄、我が伯爵家の名に泥を塗りおって!」

「…申し訳ありません」

「お前は家の駒にすらなる事もできぬのか!」

「…申し訳、ありません」

「役立たずがっ!」


烈火のごとく罵倒する言葉を一身に浴びながら、エミリアはただ謝る事しかできなかった。本来、家同士で結ばれた婚約という契約は余程の事がない限り破棄されない。破棄されたという事は、醜聞となる何かがあったか、婚家に入るには著しく能力が足りなかったか。どちらにしても伯爵家の娘にとって汚点でしかない。


「出て行け!この家から!」


お姉様も「そうよ!今すぐ居なくなりさいっ!」とすぐに大きく賛同をあげ、罵倒する言葉を連ねていく。続くだろうと思ったお兄様からの言葉がすぐに聞こえず、エミリアは彼に視線を向ける。冷たい視線をじっと私に向け、そしてお父様へと視線をずらした。


「父上」

「なんだ」

「冷静に考えてください」

「冷静にだと?私に逆らうつもりかっ」

「今すぐといっても、あれはもうすぐ卒業です。あと数日だというのに、中途半端に退学させた方が外聞が悪いでしょう。伯爵家の娘がいきなり退学など、醜聞があったのではないかと邪推を生むだけです。伯爵家の名に傷がつきかねません」


お父様はお兄様の言葉に一瞬黙り込む。お姉様は依然として、私を今すぐ追い出すように訴えかけていたが、すぐにお父様の声によって遮られる。エミリアは固唾をのんでその瞬間を待った。私の処遇は次で決まる。



「猶予を与えてやる。」


「卒業後お前の存在はセドラーシュ伯爵家から抹消する。学園を卒業したら、どこかへ消えろ。我が家の敷居を跨ぐ事は許さない。家名を名乗る事もだ。もし今後、我が伯爵家に泥を塗るような事をしてみろ、その命ないものと思え」


怒りを抑えきれない口調で吐きすてられた。もうエミリアの顔も見たくないといった表情で、くるりと背を向けて室内の扉に歩きだす。その姿を見たエミリアは、これが家族を見る最後の機会となる事だと思うと思わず口を開いた。


「……もし、」



「もし私が何か秀でた能力を持っていたら、私を見てくれましたか?」



お父様の瞳をじっと見つめる。

そこに見えたのは嫌悪。憎悪。

お父様の後ろに控えていた、お姉様、お兄様に視線を向けるがその瞳に見えたのはお父様と同じ感情。



言葉の返事がなくても十分に分かった。

分かっていたが、胸が締め付けられるように苦しくなる。



(私の存在自体が嫌なのですね…)


私は伯爵家に属する、ただの生きた駒。

駒はどこまでいっても、駒でしかない。

例え、能力があっても家族の輪には入れない…



エミリアには秘密がある。

幼い頃に思い出した前世の記憶。

そして、同時に得た稀少な力。


大陸でも稀少と呼ばれる力を有する者は、畏怖されると同時に権力と財産を得る可能性が大きい。特に貴族にとっては喉から手が出るほど欲しい力だと分かっていても、エミリアはそれを父や姉兄には話す事はせずに隠し続けた。もちろん婚約者にも。



力に囚われずに、私自身を見てほしかったから。



いや、それは言い訳かもしれない。力も持ってると知った父がやはりエミリアを駒としかみないと判断するのが、幼い私には耐えられなかった。現実を知るのが恐かったから。


それでも、貴族の令嬢としてマナーや学業は一生懸命学んできた。年齢を重ねる事に内容は難しく複雑になっていく。苦手な事もたくさんあったが、できる限り頑張ってきた。良い子であろうとした。お父様の要求も従順に従ってきた。5歳で婚約し、7歳になると領地の本邸から王都の町屋敷(タウンハウス)に1人追い出された時も。普通であれば社交期以外はそれぞれの領地にある本邸で家族と過ごす事が常であるのに。エミリアは町屋敷(タウンハウス)で数人の使用人だけで、孤独に過ごしてきた。



良い子であれば、いつかきっと……



(頑張ったつもりだったけど、もう、無理なのですね…)



心が少しずつ、少しずつ、冷たくなっていく――



エミリアは家族から名前で呼ばれた事がない。

いつも「お前」「おい」「あれ」、エミリアのチャコールグレーの髪を揶揄して「ドブネズミ」と呼ばれる事もあった。


いつか、家族から優しく『エミリア』と呼ばれる事はもう……


いつかきっと、ちゃんと家族は私に笑いかけてくれると信じた未来は、こなかった――



エミリアはドレスの裾に手を伸ばし、背筋を伸ばしたまま静かに腰を下ろす。

淑女としての礼を丁寧に深く行う。お父様、お姉様、お兄様に向けて。



「今までありがとうございました」



お父様、お姉様、お兄様に辛く当たられる日々は苦しかったが、彼らを憎んではいない。仕方がない事だったのだ。私はお母様の命を引き換えに、彼らから大事な人を奪ってしまったのだから。

むしろ、彼らは私をこの歳まで例え駒であっても伯爵家の一員でいる事を許していてくれたのだ。嫌悪の対象である私を。それだけでも感謝している。



どうか、彼らには幸せになって欲しい。


その中に私はいないけれど、家族には幸せになってもらいたいから。




「皆様の未来が幸せなものとなりますように」




私は静かに微笑んだ。


哀しい気持ちを押し隠して。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ