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国士侠剣  作者: 赤月
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居直説客

 時は古代中国、春秋時代。当時各国の長として君臨していた中華三つ目の王室“周”には既にその権威はなく、それぞれの国の公は勝手に王を名乗り、群雄割拠の時代と化していた。

 そのうちの一国“晋”では、春秋末期には既に主君である姫氏に力はなく、六人の大夫(今の大臣)が国を動かすようになっていた。


「まったく、お前は長続きしない奴だ」

 飛燕(ひえん)(あざな)督孫(とくそん)は、知勇兼備を自負する我が友を眺めながら深く溜息をつく。友の名は豫譲(よじょう)といい、その自負に恥ずことのない有能な男である。年は二十を少し超えた程度という若さだが、実際に才気溢れる男だ。

「仕方ないだろう。范氏も中行氏も、玉を石としか見えない様な愚人の集まりだ。あれならばそこらへんの童でも捕まえて兵法のなんたるかを説くほうがまだやりがいがある」

 ピシリと背を伸ばして居直り、静かに盃に口を傾ける豫譲は実に不思議な男だった。というよりも、不思議な魅力を持って生まれたというべきか。やっと背丈が大人の半分に達するかというほど子供の頃から、大人に混じって議論を交わし、そして必ず打ち負かすほどの達者な弁論術を持ち、十五の頃には自分の二周りは大きいような相手に喧嘩を撃って、これもまた打ち負かした。友と交わり、書を読み、そして、とても義理がたかった。

 彼は十七の時、当時親交のあった友に頼まれ、仇討ちを手伝ったことがある。それも、その時の豫譲は斉の中大夫、その友というのは官位もない市井の者であった。それなのに豫譲は、その地位を惜しげもなく投げ捨てて仇討ちを手伝い、晋に流れたのだ。豫譲には何故か、どれだけの地位にいようが頼り易い空気と、それでいて何者にも我を曲げさせまいという太く強い芯があった。

「君が言うと負け惜しみや虚勢に聞こえないのが不思議だな」

 晋の六大夫の内、豫譲は既に范氏、中行氏の二つに使え、そして辞している。そのどちらもが、豫譲の才を知ることなく、ただの凡人として扱ったためだ。

「ならば、その調子で進めたい君主がいるんだ。一度くらいならば口利きしてやれそうだが?」

 豫譲は、口にやりかけた盃を置き、飛燕を見る。

「范、中行以外となれば趙氏か、韓氏か?」

 趙、韓は共に六大夫の一角だ。晋国内の権力争いは現状、范、中行が滅びたものの勢力図自体に、突出した大夫はいない。

「いや、智氏だ」

 飛燕が言うや否や、豫譲は盃に手を掛けて静かに酒を口に含む。が、流石に無言は失礼だと思い、酒を飲み盃を置くと静かに語りだした。

「あれは駄目だ? こんな時勢だ。蛮行が目立つのも、素行が粗野だというのも、戦を好む気質も、そんなことは問題だとは思わないが」

 智氏の当主、智伯は野心家として有名だ。晋公・哀公を傀儡として擁立して晋を思いのままにし、いずれは晋にとって代わるつもりであると。為政者の実情ほど市井には正しく伝わりにくいとはいうものの、世間にはまったくいい噂は流れてこない。

「だが、あれは簡単に自分の臣を殺すというではないか。今の時代を勝ち抜く君主に必須なものはまず目だ。慧眼が。匹夫の勇ですべてを跪かせ、我儘なボンボンのようにすべて自分の自由だと思っている奴は、上に立つ者の器ではないだろう」

 実際、智伯に関する噂には、諫言するものはすべからく打ち首というものまで在るほどだ。豫譲ほどの自信過剰が使えるにはまったく向かないだろう。

「市井に流れる噂などをうのみにするなど愚かなことだ。賢い君らしくもない。一度会うだけあってみろ。慧眼という意味ならば、智伯様は両刃の剣のようなお方だ」

 豫譲は、静かに頷くとまた酒に口を傾ける。この態度の変化は、智伯への興味というよりは飛燕への信頼と義理だてだ。

 人というのは実に不便なもので、つまるところ、その人物に会わなければその人物を真に知ることは出来ないのだ。

 その日、豫譲は笑った。そしてその向いの席では、智伯も。智伯は最初から豫譲を上座に座らせ、不躾にも「汝我が国をいかにして強くせんとして此処に至るか」などと訊ねた。遠慮深いのか横柄なのか分からない態度だが、その態度の差が逆に豫譲には接しやすく感じた。自分を過剰なまでに売り込むための弁舌は、相手が横柄で上からものをいう人間であればあるほどやりやすいと豫譲は考えている。有能な者に対して礼を尽くすということは、ただ待遇さえ伴っていればいいとも。つまり、態度を惜しまぬ者よりも実を惜しまぬ者、ということだ。

 そういう意味で、智伯ほど豫譲のその理想にはまる人物はいなかった。二人の対話が終わると、豫譲は完全に智伯という男の器の大きさに酔いしれ、市井の噂ごときに左右されていた自分の器量の狭さを恥じた。智伯は上機嫌で酒を飲み、まるで友に話しかけるように豫譲に向かい、何度も手を打って「国士なり、国士なり」と呟くのだ。

 智伯の噂は半分だけあっている。彼は確かに臣を殺すこともあるが、賢者は消して殺さない。彼は賢のみ重く見るべし。愚なる臣は無用という極端な考えを持ち、愚者と見ると容赦ない仕打ちをする。そして、豫譲に対しては、此の者賢者なりと見た。

 それからは、市井の噂の智伯のみを知る者なら耳を疑う厚遇ぶりだった。智伯はまず豫譲に高価な着物と、柄に玉石を散りばめた宝剣、天蓋付きの豪勢な車、大きな屋敷を与え、自分の車に常に参乗することを許可した。さらには、智伯の領土の中でも美人の誉れ高い女を妻としてめとらせた。

 これには流石に自信過剰の豫譲も目を点にして驚き、くどいほどに何度も何度も聞き直したほどである。そして智伯も、また一々それに付き合って同じことを、君臣の壁を越えた、孫を誉める人のよい翁のように繰り返すのだ。

「大層な気に入られ方だな、豫譲」

 あまり感情を表に出さず、それが当然と言わんばかりに平然と自信を垂れ流す豫譲にしては珍しく、近頃は実に痛快そうに酒を飲む。見ている飛燕まで気持ちよくやってくるほどに、だ。

「督孫よ、俺は今、まさに無情の君と出会ったぞ」

 酔う度に豫譲が口にする台詞を、飛燕はたった数日で聞き飽きた。

 智伯は決して名君とは言えない。性格は残忍、戦乱を好み、我が法なりと言わんばかりに激情に任せて人を殺す。

 だからどうした。それが、豫譲が智伯の悪評を聞くと常々思うことだ。そのためにこそ豫譲が智伯に使える意味なのだ。残忍で不器用で、だが誰よりも賢を愛する暴君の善となり智となることこそが豫譲の勤めなのだ。

「だが、今夜はこれくらいにしておくよ。明日は朝早いのでな」

「また大任を授かったのか。いいことだ」

 豫譲の次の任務というのは、韓氏と魏氏の説得だ。智伯は今また、六大夫の二人韓氏と魏氏に兵を出させて共に趙を討とうとしている。が、智伯は臣である豫譲すら認めるように、決して誉められるような人柄はしていない。たとえ合同して趙襄子を討ったところで、その次は自分たちだということくらい百も承知だろう。当の智伯もそれを承知している。ただ使者を送ろうが、武力を背景に脅しをかけようが無意味だと。何故なら、既に智伯は韓氏と魏氏を恫喝してそれぞれの領土の一部を割譲させたのだから、これ以上圧力を掛け過ぎると返って、三大夫同盟などということになりかねない。

 だからこそ、豫譲にこの任を託すのだ。

 少しでも間違えば即座に殺される任務だ。が、豫譲は笑う。危険な任務を与えられる人間というのは、ただの捨石か、その人間に信を置いているかの二つだが、この場合どちらかなどとはもはや言うまでもない。

 魏氏の前に呼ばれたが、そこはただ机を挟んで魏氏と豫譲のみだ。魏氏の侍従も近くにいるといえばいるが、今仮に豫譲が懐に短刀を忍ばせていれば侍従に妨げられる前に殺せる距離だ。もっとも、身体検査はされているし、そもそもそんなことをするつもりもないのだが。

「で、何用だ? 智伯の犬が」

 この場には、既に暗く重い空気が立ち込めている。何用だ、と訊きつつも魏氏にも大体の察しはついている。ようは一時的な(・・・・)同盟の申し込みだろう、と。たしかにこのご時世ならば、同盟など一時的なものでしかない。だが、智伯相手ならばその一時的な関係を構築することすら危ういのだと、魏氏は知っている。

「これより我が君は趙襄子をお攻めになる。よって、魏氏にも兵を出していただきたい」

 趙襄子か、と魏氏は呟く。今の晋の勢力図としてはやはり智伯が頭ひとつ抜けているとはいうものの、二度目以降の恫喝にも反抗しないとなるとそれはもう一国の主として失格だ。

「この後には韓氏にも回らなければならないので、快諾していただけた方がありがたいのですが」

 背筋をシャンと伸ばし、魏氏に対しても堂々として発言する、当の豫譲には怯えも畏れもない。あるのは、その双肩にある智伯からの期待を裏切らぬための意地、それだけだ。

「断る。相手があの智伯ならば、趙襄子の領土を半分は貰わねば割に合わぬ」

 魏氏の対応は即断だった。

「あの智伯のことだ。どうせ趙襄子を滅ぼせば、次は我らか韓氏であろう」

 智伯は油断ならない。それは、六大夫には周知の事実だ。そして、豫譲も。

「勿論。その程度は言わずともそちらで察していただかねば」

 ならば隠す必要はない。説客(ぜいかく)には、黒を白に見せるように言霊を操る者もいる。が、豫譲の遊説スタイルはそのようなものではない。白昼堂々、自分は強盗だと名乗って呼び鈴をならし、土足で押し入り、住人に同意を得て金品を奪っていくような強盗だ。つまり、

「その点に関してはどちらも同じ。今は一国内部に四もの大夫が乱立していようとも、それは所詮一時的な流れの分岐に過ぎません。()とは者とは違い、たとえ一時的に分かれるときはあれど、必ずまた一つの存在に帰すというのが天の定め。つまり、適当なところで和睦などということはあり得ないのですよ」

 豫譲は、眉一つ動かさずに言う。豫譲はここが敵国であることも、少しでも魏氏の気を損ねればその前には豫譲の命など、長江の一滴よりも軽いとも理解している。だが、決して物怖じしない。豫譲の自負心も働いているが、少しでも物怖じしているなと魏氏に思われた時点で、この論法は子供の説法以下の細説となる。

 とどのつまりは開き直りだ。豫譲の時代より二百年ほど後の故事である“馬鹿”――鹿を権力で馬と言わせたことから、黒を白にするの意――とは違い、黒を黒として黒を是とさせる。それが豫譲だ。

「順序の問題です。我が君と一対一で闘って滅ぼされぬ自信が御有りなら我が首を刎ねて傍観なさればよい。韓氏や趙襄子を頼るならそれも結構。ただ、貴方への誘いも韓氏への誘いも、保険(・・)でしかないとは伝えしておきましょう」

 勿論、これはハッタリだ。

「聖人君子が徳で国を治めるなどという、孔子が説いた周公の頃の政治はとうに時代遅れです。野蛮な強者か礼節の凡人。何が国の為に最良かを選べねば貴方は泓水の宋襄と大差ありません」

 宋襄とは、宋の襄公の事である。泓水の戦いにおける宋の襄公は、「君子は人を阨に困しめず(君子たるもの他人を困窮させることをしない)」と言って、当時大国であった敵国・楚が渡河を終える前、陣形を整える前に攻めるべしという進言を跳ねのけ、正面から戦を挑み圧倒的な兵力差で惨敗したという。これを宋襄の仁という。

 礼より実。それが戦の世の常である。無論、趙襄子が弱い訳ではない。そして正直、どちらが強いかという話になれば結局は戦うまで分からない程度の差である。故に豫譲のやっていることは、ただ智伯が趙襄子よりも強いと思いこませる、催眠のようなものだ。

 だが不思議と豫譲はそれを容易に成し遂げる。それは、豫譲の天賦の才か。

 あるとき飛燕は豫譲にこう言ったことがある。「お前は物売りでもやったほうが、よっぽど確実に儲けることが出来る」と。それほどに彼は、自身の意見を相手に納得させて押し通すことが出来る。

「さて、いかがなさいますか?」

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