ほんの少しの脚色はまるっきりの嘘じゃない side 尚人
「母さん、今日、島野さんの家族に会ってどうだった?」
そう言えば、昨日も諒子さんについて同じように聞いたっけと思った。
諒子さんの家から抱っこして歩いて帰ってくる間に、翔はこくりこくりと腕の中で眠ってしまっていた。今はリビングの隅に敷いた昼寝用の布団の上で、おむつを着けたおしりを突き出すようにして夢の中だ。いまの時刻は二時半。一昨日、昨日と泊まっているので、今日はマンションの方へ帰らねばと思いながらも、だんだんとおっくうになってくる。
母に甘えすぎることのないようにと、実家に入り浸りにならないようにしてはいたが、母に迎えを頼むためにこの近所の保育所に預けているので、毎日のようにここに立ち寄る。この週末のように用事があって実家に来れば、結局一緒に住んでいるのと変わらないぐらいの時間をここで過ごし、母には世話を掛けることになる。
翔にとっても僕にとっても、あっちのマンションは寝に帰るだけの場所になりつつある。その上ファミリータイプの間取りであるため家賃も高い。
諒子さんならきっともったいないと言うんだろう。
諒子さんの提案したことを考える。
彼女は出来るだけ早く結婚して、専業主婦になって子育てしたいらしい。そのためには、先に式場を予約しておいて、お互いを知り合う期間に結婚準備を同時に進めて、ダメならキャンセルしてしまえばいいと言った。簡素な式にするのは、キャンセルすることになった場合のキャンセル料を抑えるためだという。
最初に聞いたときには、自分では到底思い付かない発想に、なんとも合理的だけど、実際にはそんなふうに結婚するのはあり得ないと思った。
ところが、わずか二日の間に、諒子さんの提案に乗りたくなっている自分がいた。
彼女に出会ってたったの二日。それで何が判るというのか。頭ではそう考えるのに、何故か彼女を信用する気になってきている。
あまりにも正直な打ち明け話に始まって、突拍子もない提案。見合い当日に突然母と翔に会いに来て、二人に対する彼女の態度を見た。そして、飾らずに自分の家族に引き合わせ、ありのままの自分を見せようとしてくれている姿勢に、彼女の誠実さを見たような気がしている。
わずか一年半ほどの結婚生活で離婚を経験した自分に、そんなものがあるのかは甚だ疑問だが、自分の直感が彼女は信用できる人間だと告げているような気がする。
色恋から始まった、熱しやすくて冷めやすいそんな関係じゃないから、逆にどっしりと安定した家庭を築く事が出来るんじゃないかと思い始めている自分がいた。
見合いしようかと最初に考えたときに、翔の母親になってくれる人をまず第一の条件として考えたが、彼女なら大丈夫そうな気がした。明るくて面白い人だが、彼女は大人な考えの持ち主のようだ。両方の親と偏ることなく付き合ってくれそうだ。まず母や翔に会いたいと家に来てくれたところを見て、今後見合いで相手を探すとしても、これ以上の人はそうやすやすと現われないのではないかと思われた。
僕は前の妻のことを、結婚する前に果たしてどれだけ理解していただろうか。
同じ職場に勤めていたときには、取り繕って彼女が僕には見せようとしなかった一面を、結婚してから初めて知った。子どもっぽく、人のことを思いやれない彼女に、年を重ねて成長すればいずれは母ともうまくやってくれるかとそれでも期待したが、そんな日はついにやってこなかった。
誰もが諒子さんのように飾らずに自分を見せてくれようとするわけではない。
ある程度の交際期間を経てから結婚したにも関わらず、元妻の人としての底の浅さを見抜けなかった。それは彼女が僕に対して自分のいい面しか見せようとしなかったから。それなら長く付き合っても、出会って数日で結婚を決めても一体何が変わるというんだろう。
自分の気持ちはすでに諒子さんとの結婚に大きく傾き始めていた。
彼女の家族をどう思うかという僕の問いかけに、母はそうねぇと少し考えてから答えた。
「今日お会いした限りは、お付き合いしやすそうなご家族だったわね。長いお付き合いになるなら気を張らない方達の方が気が楽ね」
「うん。今日、諒子さんのお父さんが翔の相手してくれるのを見て、翔が家族以外の人にもかわいがってもらえるのっていいなあと思ってさ」
うちには普段から付き合いのある親戚はほとんどない。父方、母方ともに祖父母はすでに亡く、母は高齢になってから授かった一人娘だったので、母方には伯父や伯母もいない。父方の方は父の兄である伯父は存命だがすでに高齢で遠方にすんでおり、祖父母が僕の小さいうちに亡くなった事もあり、もともとたいした行き来もなかった。父が十年前に亡くなってからは、はっきり疎遠になっていた。僕の結婚の時も声を掛けたが、高齢を理由に祝い金だけを送ってきて、式への参列はなかった。
子どもはやはり大勢の人の中で育つのが幸せだと思う。いろんな考え方の人に囲まれて育つ方が、懐の広い、柔軟な考えを身につけた人間に育つような気がするのだ。
今日、彼女のお父さんが翔に接してくれるところを見ていると、遠くの親戚より近くの他人という言葉が思い浮かんだ。しかも彼女と結婚することになれば、まったくの他人というわけでもなくなる。
諒子さんは早めの結婚式の計画をお母さんには話したと言っていたが、僕は母になんと言って話したものかと悩み始めていた。悩むこと自体、もうすでに彼女の提案を受け入れたも同然だった。
僕の最初の結婚が失敗に終わったというのに、本当に好きな人と結婚しなさいと、まだまだ甘い夢を見ている母。そんな母のために少しばかり脚色を加える。
「僕は諒子さんみたいなはっきりした人好きだなぁ」
人間として好きか嫌いかと聞かれれば、好きの部類に入るのだから、まるっきりの嘘じゃないさ。
「あんまり早くに結婚するって言うと、母さん、驚くかな……」
しっかりと母に聞こえるように呟いた。