夢見がちな母と現実的な彼女と僕 side 尚人
尚人視点です。
お見合いをして諒子さんを初めて家に連れてきた日の夜。
「母さん。彼女のことどう思った?」
翔を寝かしつけてリビングに戻り、ちょうど風呂から上がってきた母さんに尋ねた。
「そうねぇ、明るそうな人ね。わたしよりも尚人はどう思ったの?」
「確かに明るそうだったよな」
それ以上に面白い人だと思ったことは、まだ言わなかった。そう感じた理由が理由だったので、何となく母さんにいうのはまだ早いかなという気がしたからだった。
彼女の突拍子もない提案に、久しぶりに家族以外の他人の前で声を上げて笑った。
離婚後半年して持ち込まれた見合い話。
半年前に離婚してからは母に面倒を掛けっぱなしだった。
離婚した当時、まだ生後六ヶ月だった翔を実家の近くの保育所に預けることにした。
親子で実家に転がり込むことも考えたが、そうなれば母に頼り切りになることは目に見えていたので、取りあえず離婚前からすんでいたマンションにとどまった。
今のところシングルファーザーということで、子どもの小さいうちは残業を最小限にしてもらい、何かと周囲にカバーしてもらっている。その分早めに保育所に送っていき、早朝出勤している。こういう形でフレックスというのはうちの会社では制度として確立してないが、離婚した妻が同僚だったせいで、みんな事情を知っていて、今のところは僕に同情的で、何かと配慮してもらっている。
母に翔の面倒を見て貰うのは、正直申し訳なかった。
僕の母はもともと身体がそんなに丈夫じゃない。日中は保育所に預けているといっても、帰りは迎えが間に合わないので、母に頼んでいる。一歳の男の子の相手は疲れるだろうと思う。これから動きがもっと活発になればなおさらだ。不便きわまりないが、実家に戻ればますます母に負担がかかると思って、同居に踏み切れないのもそのせいだった。
再婚でもしようかなと母の前で何気なく呟いた時には、まだそれほど本気という訳でもなかったが、まるっきり考えないでもなかった。そんなときに持ち込まれた話に、自分の妻を探すというより、翔の母親となってくれる女性を探すつもりで何となく頷いたのだった。
ちょっとお嬢様育ちのうちの母は、僕の離婚で僕以上に傷ついたのかもしれない。
お嬢様といってもお金持ちの令嬢という意味ではない。祖父母にとっては、母は年をとってから出来た念願の一人娘で、幼い頃は今よりずっと病弱だったこともあって、すごく大切に育てられたらしい。
短大時代にそこで教えていた父と出会い、卒業後一度も会社勤めを経験することもなく結婚した。そのせいかどうか、世慣れていないというか、世間ずれしていない。
僕の両親はすごく夫婦仲が良かった。
父は母より十五歳も年上で、母のことをすごく大事にしていた。自分が思春期の頃には、そんな仲の良すぎる両親を疎ましく思う時期もあった。
自分が就職して間もなく父を病気で亡くしたが、そのときになってはじめて、僕がそれまで当たり前と思っていた自分の家庭が、すごく愛情に満ちた、恵まれたものだったんだということを実感した。
母はもちろん憔悴しきって体調も崩すほどだったが、自分も心の中に大きな穴が空いたように感じ、すでにその頃一人暮らしをしていたが、しばらく実家に戻って父のいなくなった寂しさを二人で乗り越えた。
自分が大人になり、女性と交際するようになってからは、両親のような関係はうらやましくもあったが、二人のような関係は特別で、どこにでもあるものじゃないと悟った。次第に自分の結婚に対しては、過度な期待は抱かないようになっていった。
三十近くなってそろそろ結婚を考えるというときに、職場で知り合った彼女と付き合うようになり、特に不満もなかったので、ごく自然の流れで結婚した。
両親の間には子どもは僕一人だったが、母は昔から娘が欲しかったと言って、結婚したときにはすごく喜んでいた。実の娘のように付き合いたいなんて、夢見がちなことも言っていた。
実際にはすぐに彼女が妊娠して、親しくするどころではなかった。つわりだなんだと言って自分の実家には顔を出すくせに、うちの実家には寄りつこうとしなかったのを母は気に病んでいた。
そして産前産後も実家でゆったり休養して、帰ってきたと思ったらすぐの不倫、妊娠騒ぎ。離婚の原因が原因だけに引き留める気にもならず、元妻が浮気した原因も結局聞く気にもならなかった。冷めた目で彼女を見切ってしまった僕よりも、母の方がよほどがっかりしていた。
元妻は翔のことは手放すつもりで、親権については争うつもりもなかったようだが、彼女の両親は産後ほとんど実家に入り浸っていたせいもあって、翔を自分たちの手元に置きたい様子だった。しかし、向こうの不倫が原因の離婚とあって、こちらで翔を育てることについては口を挟まなかった。
翔には自分の母親に見捨てられたようでかわいそうだったが、母には翔がいてくれたからこそ耐えられたのかなという気もする。
自分の離婚の経験から得た教訓は、やはり誰もが両親達のように一生愛情深く添い遂げられるものではないということだった。
元妻は問題外だったが、結婚相手には熱烈な恋愛感情を抱いてなくても、人間として信用できる人がいい。
結婚は約束事だ。自分はそれを守るし、相手にもそれを守って欲しい。愛情は……あるに超したことはないと思っているが、翔を大事にしてくれる人であれば、家族としての愛情を持つことは出来るようになるのではないか。
幸いというか、諒子さんは翔に対しては、僕に対するよりもよほど興味を持っているふうだったし、今日の態度や、結婚して早々に同居しようと自分から言い出すということは、別れた妻のように母を疎外する事もないだろう。
あまりにも正直な打ち明け話と、率直すぎる提案を聞いたときには、驚いて開いた口が塞がらなかった。でも、結婚にたいして冷めた見方しか出来なくなった自分には、結婚する前には愛だの恋だの騒いでおいて、その後すぐに冷めてしまった元妻のような人よりも、逆に諒子さんのように現実的な考え方をする人で良かったのかもしれないと思い始めていた。
「諒子さんって結構ものをはっきりいう人で、今日一日でかなりいろんな話をしたよ」
リビングのソファに座ったまま、カウンター越しに台所で何かごそごそやっている母さんに話しかけた。
「子どもが好きなんだって。自分も子どもを二,三人産みたいから早く結婚したいんだって。それで見合いすることにしたんだってさ。それと、母さんは同居に賛成してるのかって気にしてたよ。彼女の方は早く同居したいくらいだって言ってたな……」
あらそう、と少し嬉しそうな顔をして見せた。
「母さん、嫁さんと同居するのは構わないのか? 僕が勝手にそう思い込んでたから、聞いてみたことがなかったけど……。気ままに自分のペースで生活してきたのに、他人が家の中に入ってくるのを嫌がる人もいるって、そっちの方を心配してたよ」
母さんの様子を窺いながら尋ねた。
「そりゃあ、わがままなお嬢さんだったらわたしも気乗りしないけど、今日見た限りでは気遣いも出来そうだし、感じも良かったわよ」
両手に湯飲み茶碗を持って来て、隣のソファに座りながら一つを僕に差し出した。
「そうか。彼女の方は、マンションの家賃に金を掛けるより、節約してリフォームのローンを返したり子どもの教育費にまわしたいって言ってたよ。それに同居するなら最初からその生活に慣れていった方がいいみたいなことも言ってた」
いずれ早すぎる結婚の話を切り出すときに、あまり驚かせないようにと、多少布石を打っておくつもりであれこれ話しておく。
「尚人、あなたの結婚なんだから、お母さんの事なんて気にしないで、あなたが好きな人としなさい。翔と一緒に住めるならそれはそれで嬉しいけど、無理に同居しようなんて考えなくていいのよ」
それまでおとなしく話を聞いていた母が、やけにきっぱりと言い切った。
結婚に夢も希望も持っている母に、好きな人と……と言われるとなんだか後ろめたい。それをごまかすように続けた。
「しばらく付き合って、結婚するかもしれないな。取りあえず、明日は朝から公園で翔と遊ぶのに付き合ってくれるんだってさ」
母さんがなんと答えるかは聞かずに、部屋に行くわと立ち上がってリビングを出たのだった。