こぼれ話 瑠璃の独り言
恋愛ものの筈だったのにそれとはほど遠いです。
過度な期待は厳禁のこぼれ話。
注)このお話に諒子と尚人の熱々は登場しませんよ~。
とっさに動いてしまった。
抱き上げた翔君は身体を捻ってわたしの腕から必死に逃れようとする。
でもこのままここにいても結婚式の進行の妨げになりそうな気がして、落っことしたりしないように慎重に抱えながら、大声で泣く翔君をチャペルの外に連れ出した。
わたしの旦那様、基さんの妹の諒子さんと法村尚人さんの結婚式は、少人数で厳かに始まった。
尚人さんの一人息子翔君は、最初のうちこそ機嫌良くおばあちゃんの横に座っていたけど、式が始まるとパイプオルガンの響く音や雰囲気がいやだったのか、だんだんぐずり始めた。尚人さんのお母さんである翔君のおばあちゃんも困っているようだったし、諒子さんや尚人さんもちらちらと翔君を見やって、次第に式どころじゃなくなっている感じだった。
尚人さんのご親戚の方もいたけど、式の前にご挨拶したところによると、翔君とは初対面みたい。後は島野の家族ぐらいしか面倒をみられそうになかったけど、みんなは直近の家族なので式から席を外すのはまずいだろうと思うと、わたししかいないかなと考えた。
この前会った時は機嫌良く遊んでくれたけど大丈夫かな? 翔君を抱き上げて赤面しながら通路を出口の方に進んだ。
内気なわたしには、それってすごく勇気のいることだったのよ。
諒子さん達の結婚が決まって尚人さん達と顔合わせをしてから、まだほんの一か月も経っていない。
この結婚自体もお見合いをしてから急展開で決まったそうで、島野の実家の方に話を聞きに行った基さんは帰って来るなり、急にあちらと顔合わせをすることになったとわたしに告げた。
彼のご実家に伺うのは嫌ではないのだけれどいつも緊張する。
わたしだけじゃなく、新婚のお嫁さんなら誰でもそうなんだろうけど、まだ何度もお邪魔したというわけでもないし、伺ったとしてもそう長居をするわけでもないので、親しく打ち解ける暇もないという感じなのだ。子どもでもいれば会話も弾むのかもしれないけど、基さんは子どもに関しては慌てて作らなくてもいいというスタンス。
彼と結婚して四か月弱、結婚式前後の慌ただしい時期を過ぎてしまうと、会社を辞めるのも早すぎたかなと思うくらい、毎日暇を持て余している。結婚した友達はまだ居らず、みんな会社勤めだし、日中することもないので暇つぶしに実家に行っては、おばあちゃん達の相手をするといった日々を過ごしていた。
諒子さん達に会う当日。
いつものことながら緊張する。
玄関先で簡単にご挨拶してリビングに通されたとき、諒子さん達のただいまの声が聞こえ、中に入ってきた。
「瑠璃ちゃん、こんにちはー。いらっしゃい」
明るく挨拶しながら座りましょうよと、ものの一分もしないうちに諒子さんのペースになって、お相手の尚人さん達に紹介された。
実はわたしはちょっと彼女が苦手だったりする。もちろん何か意地悪をされたということなんてないんだけど……。
島野家の中ではもちろん彼女と歳が一番近いんだけど、基さんと彼女は年子で一つ違いだからわたしより四つか五つ上だったと思う。義理の妹になるわけだけど、会社に勤めていたときなら、五年も先輩は上司って感じで、既にお局様扱いされていた人もいた。
有名企業に勤め、総合職でばりばり仕事をしている諒子さんは、たまにこちらで顔を合わせても、休日出勤ですぐにお出かけということが多かった。ビジネススタイルで出勤するところに出くわしたりなんかすると、腰掛け仕事みたいに入社二年目ですぐ寿退社をしてしまったわたしは、さらに気後れしてしまうのだ。自分のコンプレックスからの苦手意識だと分かっているので、それでさらに自己嫌悪。
「じゃあお茶入れてくるわね」
お義母さんの言葉にはっとする。いつも手伝うと言っては断わられるんだけど、これが一番悩む。素直に座っていた方がいいのか、ずかずか台所に入っていって手伝った方がいいのか……。
うちの母はよそのお宅に伺ったらお手伝いくらい申し出なさいとわたしに言うくせに、自分の台所に他人が入るのはすごく嫌がる。片付いてないところを見られるのは恥ずかしいからと言うのだ。
主婦となって自分のキッチンを得た今、その気持ちはすごく分かる。きれいにしているつもりでも、他人の目で見られたら、掃除が行き届いてないと思われないか気に掛かるんだろう。何を隠そうわたしもそのタイプ。
でも、お義母さんが立ち働いているというのに、のんびりわたしが座っていてもいいものかしら。そう考えると落ち着かないことこの上ない。
どうしようと悩んでいたところに諒子さんが声を掛けてくれた。
「瑠璃ちゃん、ちょっと人数も多いから母を手伝ってやってくれる?」
諒子さんはぐずり気味の翔君を抱っこしていて手伝えないせいか、そう言った。
いつもみたいに基さんが口を挟まないうちに、その言葉に飛びつくように返事をして、キッチンに向かった。
キッチンに入るときはやっぱり断わられやしないかと、少し緊張した。
「お義母さん、お手伝いします」
「あら、座っててもいいのに」
「いえ、人数も多いですから、二人でやった方が早いですよね」
「そう? じゃあ、悪いけどお願いしようかしら」
意外にもあっさりと言われたので、お義母さんはわたしみたいにキッチンに他人が入るのを気にするタイプでもないらしい。嫌がられていないならと、安心してお手伝いする。
「翔君可愛いでしょ?」
コーヒーを入れながらお義母さんは話し出した。わたしはあらかじめ用意してあったソーサーをお盆に並べながらの会話。
「そうですね。いくつですか」
「一歳になったばっかりなんだって」
「いいですねぇ、可愛い盛りですね。うちはまだ周りに小さい子がいないから、まだかまだかって実家で言われるんですよ」
お義母さんはちょっとびっくりした顔をした。
「瑠璃ちゃんもそう思ってるの?」
「基さんはもう少し先でいいと思ってるみたいだけど、会社も辞めちゃったし、一人で家にいてもつまらないんですよね……」
「……瑠璃ちゃんがそう思ってるんなら基にそう言ったら? 若いお母さんもいいわよ。諒子も子どもが好きだから、さっさと退社することにしちゃって」
「辞めちゃうんですか?」
それは聞いてなかった。初めて聞く話に驚いた。
諒子さんなら何でもてきぱき出来そうだから、てっきり仕事も家庭も両立させますってタイプなのかと思っていた。
「もともと保母さんになりたいとか言ってたくらいだから、子どもは自分の手で育てるんだって。翔君もいるしね」
知らなかった。
今まで話したよりずっと立ち入った話が出来て、お義母さんともちょっと親しくなれたような気がしてうれしかった。ちょっと明るい気持ちで、コーヒーを乗せたお盆を手に、みんなのところに戻った。
その日の訪問は翔君がいたせいか、いつものように緊張することもなく、予想以上に楽しい時間を過ごすことが出来たのだった。
諒子さんの式を数日後に控えたある日、彼女から電話をもらった。わたしが家族の食事会のきっかけを作ったと言って、わざわざお礼の電話をくれたのだった。そこから何故かお昼に誘われた。
どうしようかちょっと迷ったけど、この前会って以来彼女に対しての苦手意識も少し薄らいできたし、この前翔君に懐かれたのが思いの外うれしかったので、つい行くと返事してしまった。
遊びに行くのは明日だし、手土産はどうしよう。
諒子さんには何も買ってくるなと念押しされたけど、初めてお宅に伺うのに手ぶらはどうかと思う。ちょっと考えて、パウンドケーキでも作って持っていこうと考えた。これなら材料すら買いに行く必要もなく家に今あるもので作れるし、今日のうちに作っておいても大丈夫。翔君はこの前ケーキを食べてたんだから、これだって食べられるだろう。
早速取りかかった。
ピンポーン。
チャイムを鳴らしてからなんと名乗ればいいの? と焦った。
結婚四か月でようやく慣れた島野姓。でも、諒子さんに島野と名乗るのはなんだか変な感じ。口ごもっていると、ちょっと待っててとインターホンは切れてすぐに玄関が開いた。
諒子さんと翔君に出迎えられて、どうぞと中へと促される。翔君にもしゃがんでご挨拶。覚えていてくれたのか、袖を引っ張って、付いてくるようにと促すよう。うれしく思いつつお邪魔した。
お昼のメニューはお鍋。翔君と気取らない雰囲気の食事のお陰で、緊張しいのわたしもようやく飾らずに諒子さんと話せるようになってきた。
テーブルからお鍋を片付けてパウンドケーキを食べているとき。
諒子さんのお式の話になって、シンプルでうらやましいというようなことを漏らしたら、びっくりした顔をされた。はぁ、みんなそう思うわよね。
「わたしたちの結婚式って、一昔前の結婚式みたいだったでしょう?」
「いや、そんな……」
はっきりものを言う諒子さんも正直に言うのは遠慮したらしく、言葉を濁した。
「いいんですよ。妹なんかははっきり悪趣味だって言いましたから」
わたしたちも最初に打ち合わせたときは、諒子さん達にはほど遠いけど、ごくありふれた一般的なスタイルの挙式披露宴だったのだ。
ところが長々と準備をする間に、うちのおばあちゃん達が口を出し始めて、ひとつ頷いたら次はあれ、今度はこれと、父方母方双方の祖父母が競うようにアイディアを出し合って、断り切れなくなってしまった。両親が止めようとすると哀れを誘って、わがまま放題の子どもみたいだった。
膨らんだ費用は祖父母達が負担するとは言ったけど、基さんが付き合ってくれるのも申し訳なく、断り切れない自分が不甲斐なかった。
「式が終わった後に、妹はあんな結婚式なら自分はやらないって、祖父母に宣言しましたから……」
「……そうだったの」
諒子さんもさぞ呆れたことだろう。
「……うふふ、大変だったね。でも瑠璃ちゃん、おばあさま達に愛されてるんだね」
そう……、そうなの。それが嫌だなぁと思いつつも、最後は断り切れなかった一番の理由。
「両方の祖父母の初孫で、小さいときからすごく可愛がってもらったんですよね。妹やいとこ達が嫉妬するくらい……。だから少しのわがままなら聞いてあげないと悪いかなって」
「優しいんだね、瑠璃ちゃん……。そんなとこにお兄ちゃんも惚れたか」
いや、そんなと赤くなる。
「……でも自分を抑えて、人を思い遣ってばっかりだと疲れちゃってストレスも溜まるよ。……お兄ちゃんには本音でいきなよ。子ども好きなんだって? お兄ちゃんがまだいいって言ったから、欲しいけど先送りにしてるみたいなことお母さんに聞いたよ? 口に出してみないと分からないことってあるもんだよ」
そのときは何気なくはいと頷いた言葉だったのだけど……。
チャペルの外に出る間も、翔君はまるで人さらいにあったかのように泣き叫んでいた。係の人が細くドアを開けて通らせてくれた。
何かお菓子とか気を引けるものでも持っていればよかったんだけど、小さなパーティーバッグにはハンカチくらいしか入っていない。それでもしばらく抱っこしながら身体を揺すっていたら、少しだけ落ち着いたみたい。わたしも少しだけ余裕が出来て辺りを見回した。小さなロビーから外へ出るドアの脇にはスタッフの女性が参列者に渡すフラワーシャワーの籠を準備していた。
あれは翔君の気をそらすのに使えるかな?
「翔君、見て。きれいだよ」
色とりどりの花びらが入った籠が彼にも見えるように覗き込む。
「すみません。先にひとつ頂いてもいいですか?」
どうぞと手渡されたそれを、まだまだご機嫌斜めの翔君に見せた。
「翔君花びらだよ」
「やー」
籠を叩いてよけようとする。とっさに手を引いた。危ない危ない。
もうしばらく抱っこして揺すりながら、翔君に話しかける。
「翔君、パパとママにお花ひらひらーってしようか」
「パーパ、まんまー」
まんまじゃご飯だよ。笑うと翔君はまんまーと繰り返した。
「まんまじゃなくてママ。パパとママにお花ひらひらーってするの」
一枚だけ花びらをつまんで、翔君の頭の上からひらひらーと声を掛けながら落とした。不規則に揺れながら翔君の目の前を花びらが落ちていく。
興味を惹かれたようであーあーと籠に手を伸ばす。わたしがしたように指で花びらを二,三枚つまんで落とした。
「ほら、ひらひらーってなってるよ。パパとママにひらひらーってしようね」
今から盛大に巻くわけにも行かないので、翔君を降ろして、さっき下に落とした花びらを拾って掌に載せて彼に差し出した。
「はい。パパとママにひらひらーってしてあげてね」
「パーパ、まんまー、ひあー」
わたしの手から花びらを摘んで何度も繰り返した。
チャペルのドアが開き参列者がざわざわと中から出てきた。
係の人から同じ籠を手渡され、順に表に出て行く。最後に基さんやお義母さん達が出てきた。
「瑠璃ちゃんありがとう」
お義母さんがそう言うと翔君のおばあちゃんもありがとうございますと言った。
「翔君、パパとママにひらひらーってしに行こうね」
翔君を抱き上げると横から基さんが手を差し出してきた。
「翔君がフラワーシャワーするのか? 俺が抱っこした方が高いところから投げられるよ」
男の人には慣れるのに時間が掛かるのか、最初イヤイヤをしていた翔君だったけど、彼が抱っこして両手を伸ばして高い高いを何度かすると、きゃっきゃっと笑い出して、さっきからのご機嫌斜めも吹き飛んだようだった。
「じゃあ、外に並ぼうか」
みんなで新郎新婦を迎えるため(送り出すため?)に表に出たのだった。
翔君がひとしきり高い位置から花嫁さんにお花を振りかけた後、新郎新婦が先へ進み出すと基さんは彼を下に降ろした。彼は先を歩くパパとママの後ろを追いかけて行って花びらを振りまいた。籠が空っぽになると今度は下に落ちていた花びらまで拾って……。その姿は招待客のほほえみを誘い、翔君の籠にまた花びらを分けてくれる人もいた。
基さんと並んでその様子を眺めた。
「可愛いなぁ……。わたしも早くあんな子が欲しいなぁ」
独り言のように呟いた。え? と言う顔をする彼。
「……子どもはもっと先でいいとか言わなかったっけ?」
「……基さんがでしょ?」
妙な間が空いた。そんなことを言った覚えは全然ない。
「付き合い始めた頃に……」
まだ、結婚までは考えていなかった頃のこと。記憶はあやふやでそんな話をしたかどうかも覚えてない。第一、その頃はまだ社会人になったばかりの新入社員時代で、こんなに早く結婚することになるとは思いもしなかった頃のことだった。
「もしかしたらわたしがそう思ってると思って、子どもはすぐじゃなくていいって言ったの?」
「そのつもりだったんだけど、……違ったのか?」
もう! 二人でなんだか勘違いしてたみたい。
この前諒子さんが言ってたじゃない。口に出してみないと分からないこともあるって。
だから彼にも伝えたのです。
「よその子でもあんなに可愛いんだから、基さんとの子どもなら、もっと可愛いと思うな……」
最終話を書いていたときに削った辺りを元に書いてみました。
別のお話に行き詰まっての副産物で、意外にお気に入りになってしまった瑠璃のお話でした。
諒子たちのお話を期待してたのに、楽しんでいただけ……るわけない?