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ねじり鉢巻き腕まくり



「ただいま帰りました。遅くなってすみません」

 尚人さんとともにリビングダイニングに入ると、翔君はテレビの前で踊るように歌に合わせて膝をぴょんぴょんさせていた。キッチンからはお帰りなさいとお義母さんの声。

「翔、ただいま」

「翔君、ただいま」

 声を掛けたけど見向きもされなかった。どうやらテレビに夢中で返事する暇はないらしい。いや、そもそも声が耳に届いてないのかもね。

「しょうがないやつだなぁ」

 そう言って、部屋の隅に荷物を置いた彼は、翔君の後ろの方に腰を下ろした。

「お母さんの方手伝ってくるね」

「うん、頼む」


 今日は最初から、こちらでお夕飯を一緒にいただく予定だった。予定外のできごとがなければもう少し早くこっちに来て手伝うつもりだったのに……。キッチンに入ると、既にお皿に盛りつけてある煮物や、ガス台にはできあがって火を止めてあるお鍋。

「お義母さん、ごめんなさい。支度みんなやって貰っちゃって」

「いいのよ、いいのよ」

「あ、おいしそう。他にすることないですか?」

 見る限りもう食器を運んだり、よそったりがせいぜいで、これじゃあ子どものお手伝いと変わらない。

「気にしないでいいのよ。それ、もうあっちに持っていってくれる?」

 はい、と言われるまま、お義母さんの手料理を食卓に運んだ。

 うちの母なら嫌みのひとつも出てるところだ。


 お皿をテーブルに並べ終わった頃、翔君を抱き上げて、きゃっきゃ言わせながら彼がダイニングテーブルの方へやってきた。どうやら録画した物だったらしく、いいタイミングで切り上げてきたようだった。

「翔くーん、ただいまー」

「まー」

「翔、お帰りだよ」

「りー」

 翔君はどうもお帰りとただいまはセットで覚えているけど、どっちがどっちかまだ区別が付かないらしく、いつも今のようなやりとりになる。それも可愛いらしくて笑みがこぼれた。

 彼が子供用の椅子に座らせて、みんなで『いただきます』をして食事を始めた。


「母さん、ごめんな、遅くなって」

「いいわよ、どうせ、お式の話で時間が掛かったんでしょ?」

 そう言われるとさらに申し訳ない気持ちになる。

 予定外のことに時間を取られたのは確かだけど、そうでない部分もかなりあった……。ちょっとバツが悪い。

「うーん。そのことだけど、ちょっと予定変更して披露宴もやろうかと思ってね。日取りはそのままだから、かなり慌ただしくなるけど……」

「まあ……、あら……、よかったわ」

 彼の言葉に、お義母さんはびっくりしてすぐには言葉が見つからない様子だった。いつものことながら驚かせてすみませんと胸の内で呟く。

 今回もわたしの勝手(まあ、半分くらいは彼?)のせいで慌ただしく準備しなければならないことになった。



 今日、突然彼が結婚式をキャンセルすると言いだした。まあ、式自体をやめる訳じゃないって後で付け加えたんだけど、それだけ聞いたときはすごく動揺した。

 当初の約束にも関わらず、思いっきりやだと言ってしまった。その言葉を受けて、キャンセルすることがなくなったなら、披露宴を準備してもいいだろうと彼はのたまった。


 確かにわたしは最初、式を中止することになれば、キャンセル料がもったいないから、簡単に式だけ挙げればいいと言ったんだけど、それを逆手に取られるとは思ってもいなかった。

 でも、この間からしきりに披露宴のことを言ってたから、彼はよっぽど気になっていたのね。

 それならばと素直に披露宴も行うことに同意したんだけど、日取りを延期する必要があるのかってことに途中で気付いた。ナイス、わたし。


 だって、わたしたちが予約を入れたところは、最短二週間で挙式披露宴が出来ますってのが売りの式場よ。

 まだ三週間もあって、式関係の打ち合わせはほぼ終わり、衣装も決まった。披露宴だってやるにしてもそんなに派手にはしないつもりなんだから、場所さえ押さえられれば何とでも出来るんじゃないかと思って、さっき早速式場に問い合わせてみた。三十人まで対応できる部屋なら何とかなりそうだというので、それで押さえて貰った。

 ということでその準備に取りかかることになった。


 明日、早速打ち合わせを入れたので、それまでに大まかにでも希望するところをすりあわせておくことにした。式場に打ち合わせに行ってから、持ち帰ってまた話し合いをして、また式場にそれを伝えに行くって言うのが準備に時間が掛かる原因だと思うのよね。凝った演出はいらないから、そんなまどろっこしいことはいいのよ。

 近いからホントはそんな必要もないんだけど、遅くなってもいいようにこちらに泊まらせていただくことになった。



 食事の片付けをすませ、尚人さんが翔君をお風呂に入れている間に、家に連絡を入れた。

「もしもしお母さん。えーっと、やっぱり披露宴っていうか、食事会らしきことをすることにした」

 あれだけきっぱり披露宴をしないと言い切っていたので、やっぱり言いにくかった。

『は? 今頃何言ってるの? 間に合うの?』

 やっぱりうちの母は、彼のお母さんみたいに、あっさりあら、そう、なんて言わないわよね。必ずなんか一言いうんだから。

「うん、会場はさっき押さえたから」

『まったくあんたも人騒がせな子ね。最初から素直に披露宴するって決めてれば……』

 延々と続きそうなので途中で遮った。

「分かった、分かった。お騒がせしてすみません。それで、うちの親戚だけど、声掛けるとしたら、おじいちゃんおばあちゃんと、伯父さん伯母さん辺りでいいのよね?」

『そうねぇ、そんなもんねぇ』

 まだ何か言い足りなそうだったけど、取りあえず返事は帰ってきた。

「分かった。あと、いろいろ打ち合わせることあるから、今晩尚人さんのうちに泊まらせて貰うことになったから、よろしく」

『よろしくって、そちらにご迷惑じゃない。近いんだから帰ってくればいいでしょ』

「わたしもそう言ったんだけど、遅くなるし、送ってく方が面倒だからって言われて……」

『……そうなの?』

「明日、午前中のうちにそっちにも寄るから」

『分かったわ。じゃあね』

「うん、おやすみ」


「お母様?」

 翔君の着替えを用意しにいっていたお義母さんが、ちょうど電話を切ったところに戻ってきて言った。

「ええ、泊めていただくのご迷惑じゃないかって……。ホントにいいんですか?」

「どうぞどうぞ。遠慮しないで」

 ドアの向こうから「あがるよー」の声。

 お風呂に向かう前、彼から翔君が上がるとき迎えに来てと言われた。

 お義母さんの前でさらっとそんなことを言われてどんな顔をしたらいいのと、思わず顔が赤くなった。

 彼の裸は既に見たことがあるわけだけど、お義母さんの前でそれをあからさまにするようで恥ずかしかった。お義母さんは気にした様子もなく、じゃあ着替え用意しとくわねなんて流してくれたけど、そりゃあ、何か気付くでしょう?

 それで今も少々赤くなりながらお風呂場に翔君を迎えに来た。


 バスタオルを手にお風呂場のドアをこんこんと叩くと、湯気をまとった翔君がリンゴほっぺで上がってきた。お風呂が大好きみたいでご機嫌な様子。

 しゃがんで身体を拭くと、くすぐったいのか笑いながら身体をひねる。頭を拭いていると、タオルの端をつまんで顔に持っていったので、自分で顔を拭くのかと思ったら、顔を押さえたタオルをさっと外して「ばぁー」と顔を見せてケタケタ笑い転げた。

 もうっ、可愛いんだから。

 身体が冷えるのでそのままタオルにくるんで抱き上げて、リビングに戻った。

 はしゃぐ翔君にお義母さんと二人がかりでおむつを着けパジャマを着せた。


「翔は今日はずいぶんはしゃいじゃってるのね」

「そうなんですか?」

「いつもは家に帰ってからパパと二人でお風呂か、尚人が遅くなるときは、うちでわたしと二人で入るかだから、よっぽど嬉しいのかしらね」

 そう話してる間も、あっちへとことこ、こっちへとことこと、動き回っては何かお喋りするように声を上げている。

 ぐるぐる動き回っていたと思ったら、座っているわたしに勢いよくぶつかるように膝に飛び乗ってきた。

「ああー、びっくりした」

 その反応がお気に召したのか数回繰り返す。まだ身体が小さいから、倒れるほどじゃないけれど、お義母さんぐらいの年齢になれば確かにこれはきついかも。尚人さんがよく心配してたのはこういうのなんだなと思った。

 小さい子どもの遊びは身体を使った、繰り返しが多い。たまにならいいけど、毎日これが続くとなると、同居して気軽にお願いなんて出来ないわよね。抱っこして持ち上げるという動作だって、わたしたちよりよっぽど身体に負担を感じるだろうしね。彼はお母さんがあまり丈夫でないことも気にしていたし、それでこれまでかなり無理して、預ける時間が最小限ですむようにしていたんだなと思った。

 

 翔君ははしゃいで疲れたのか、いつの間にかわたしの膝の上にのったまま、顔をすり寄せるように静かになっていた。

 そこへ尚人さんが戻ってきたけど、翔君の様子を見てすぐ部屋を出て行ってしまった。

 身体を静かに揺らすようにしていると、寝息が聞こえてきた。今走り回ってたところなのに……。子どもって不思議。


「布団敷いてきたから寝かせてくる」

 部屋に戻ってきた尚人さんが小さな声でそう言って、わたしの腕から翔君を静かに抱き上げた。翔君はちょっともぞもぞしたけど、そのまま目を覚ますことなく彼に連れられて行った。今まで翔君で暖かかった胸がなんだかすーすーした。



 お母さんはお風呂に行き、わたしは一人で今日式場で貰ってきた宿題を処理しつつ、披露宴に招待する人の名前だけ簡単に書き連ねていたら尚人さんが戻ってきた。

「一人にしておいて平気?」

「うん、寝入って三時間ぐらいはまず目を覚まさないな。それも最近もっと長くなってきてるし、大丈夫」

「じゃあ、そろそろ始めますか」

 気持ちの上でねじり鉢巻きに腕まくりをした。






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