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思い描く未来 side 尚人


 厚顔無恥にも、浮気して別れた妻が僕の住むマンションのソファに腰掛けている。

 浮気相手とは別れた、やり直したいと言ったとき、この女は一体何を考えているのかと唖然とした。

 別れた夫が再婚すると聞いて、急に惜しくなったとでもいうのだろうか。



 マンションの前に姿を見つけたとき、最初は翔に会わせてくれとか言い出すのかと思った。これまで翔の様子なんて一度として尋ねてきたこともないくせにと、話を聞く前から憤った。

 ただ、いくら向こうの不倫が原因で離婚したとはいえ、会いたいと言われれば拒否し続けることが出来ないことも分かっていて、やっかいだなとも思った。

 ところが連絡もせずいきなり尋ねてきた理由がそんなことだったとは……。呆れてものも言えなかった。


 大きくなったお腹には別の男の子どもがいる。

 まだ二人が夫婦だった時に妊娠が判明したが、僕達の間には翔が生まれたあと行為自体がなかったため、疑う余地なんてなく浮気相手との間にできた子どもと分かった。

 彼女の方から好きな人が出来たと離婚を言いだし、翔を置いて出て行くと言ったときには憤りもしたが、このままこの女に育てられるよりよっぽどましかと清々した。

 


 それなのにどういう思考回路があればここに顔を出し、こんなことが言えるんだろう。翔をいらないと言ったその口で、翔のためにやり直したいとは、あまりにも僕たちをバカにしている。

 言葉を返そうと口を開きかけたそのとき、諒子さんが烈火のごとく怒り始めた。

 次から次へぽんぽんと繰り出す彼女の言葉に、自分が言うべき言葉を奪われて呆然と聞いていたが、しばらくすると、さすが諒子さん、とだんだん痛快な気分になってきた。そしてこんな場面にも関わらず、徐々に気持ちが温かくなってきたのだった。

 翔には彼を守ろうと戦ってくれる母親がいる。血は繋がってないが、生みの母親に勝るとも劣らない母親が……。



 怒りのあまりぶるぶる震えながら、言うことは言ったと思ったのか彼女は突然部屋を出て行った。

 バタンと音も高くドアが閉まった。しーんと妙に静まりかえった室内で、何故か笑いがこみ上げてきた。

 こんな時に僕に笑いを与えてくれるのは彼女だけだ。少し前から彼女に気持ちが傾きかけてるなという自覚があったが、もうダメだった。傾きかけているのではなく、完全に落ちた。




「……な、何よ。ずいぶん乱暴な口をきく人ね。あんな人が……」

「彼女は翔のために戦ってるんだよ。君みたいな身勝手な母親から守るためにな。強い口調にもなるさ」

 そして自分は彼女を守るために口を開く。お前なんかに彼女を非難させるもんか。

「……そんな……」

「一体何を期待してここに来たんだ? 喜んでやり直そうなんて僕が言うと思ってたのか? そこまでおめでたいやつだと思われてたのか、僕は……」

 彼女は唇を噛みしめた。


「あの時も今も、まったく君のことが理解できない。理解したいとも思わない。ただ、自分には関係のない人間だと思うだけだ」

 離婚の時にすら口にしなかった、辛らつな言葉を選んで口にする。

「僕の方は君に期待するものは何もない。翔の母親としても、女性としても、何の魅力も感じない。人間として信用のおけない相手とは、家庭を築くことなんて出来ないって、離婚したとき思い知ったからな……。それなのにどうしてまた君とやり直せるなんて思うんだ?」


 彼女は押し黙ったままだ。彼女の大きなお腹を見た。

「子どもの父親になってくれる人間を捜してるんなら、その子の父親とよりを戻した方がいい。離婚して六か月過ぎたんだから、もう籍も入れられるだろう。たとえ婚姻中に出来た子だとしても僕の子じゃないことは明らかだから、法的に争うことになるとしても、親子関係は認めないよ」

 たとえ浮気相手との子だろうと、今さら彼女に何の感情も持っている訳じゃないから、お腹の子には何の含みもないが、かすかにも期待を持たれたくないのではっきり言葉にしておく。

 肩を落として俯いたままの彼女に言った。

「翔を置き去りにしてまで選んだ男なんだろ……。今度は自分でも努力してみろよ。彼女が言ってただろ。その子のために戦えよ。いい加減に一時の感情ばっかりに振り回されないで、大人になれ」



 いくら僕が彼女のことをもう自分に関係のない人間だと言ったところで、翔の母親であるという事実は変わらない。どんなに心を砕いて育てても、翔も成長すればいつか生みの母親に会いたいと言い出すこともあるかもしれない。そのときまでにどうか一人の人間として成長していて欲しいと願う。翔のことを傷つけたりしないような思慮ある大人に。

 いや、傷ついたとしても、翔にはそれを癒してくれるであろう母親がいるから大丈夫か……。



 喋ろうともしないくせになかなか腰をあげない彼女に、もうそろそろ帰ってくれないかと言うと、立ち上がってからやっと口を開いた。

「翔はどうしているの?」

 三十分近くもたってようやく翔のことを尋ねるのをむなしい気持ちで聞いたが、それでも聞かれないよりましだ。

「元気だよ。毎日保育所に通ってる」

 まだ小さいので母が家でみてると思っていたのだろう。驚いたように顔を上げた。

「でも、それも僕らが結婚するまでだ。彼女が小さいうちは手元で育てたいって言ってるから。すぐに家をリフォームして母さんとも同居するし、うちは順調だよ」

「……翔のこと、よろしくお願いします」

 何を今更と思わないでもなかったが、黙ってその言葉を受け取っておいた。

 そのまま他人行儀な挨拶をお互い交わして、彼女は帰っていった。




 玄関からリビングに向かう途中の寝室のドアの前。物音ひとつしないが、玄関には靴もあったので彼女は多分この部屋にいるだろう。

 取っ手に手をかけ、開けようとしてちょっと考えた。

 手を離してそのままいったんリビングに戻り、食器を片付けながら頭の中を整理した。



 結婚してすぐにどうするか、具体的なことはまだ何一つはっきりと決めてなかった。どこに住むのか、リフォームを結局どうするか、翔は保育所通いを続けさせるのか。

 なのに彼女を中心に翔や僕そして母も、みんなで寄り添ってる姿だけは思い描けるというのはどういうことか。リフォームのすんだきれいなうちの実家で、大きなお腹を抱えて彼女が翔の面倒を一生懸命みている。

 近い将来にはきっとそうなっていると思った。

 自分は気付かないうちにここまで彼女に惹かれていたんだなと、遅ればせながら気付いた。



 両親のような繋がりは珍しいんだと諦めていた自分。だから前の結婚はどこか冷めた気持ちで決め、短い結婚生活を送り、そして終わらせた。

 だが、今何より彼女を手放したくないと思っている自分がいた。

 父がすごく母を大事にしていた姿に自分が重なった。

「やっぱり僕って父さんの息子だなぁ」

 一人声に出して呟く。

 母にでも聞かれればきっと

「当たり前じゃない。何バカなこと言ってるの」

 笑いながらそう答えただろう。


 さて、彼女と話をしなければ……、そう思って勢いよく椅子から立ち上がった。



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