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翔君のぬいぐるみを抱いて眠る


 今日は翔君にはおばあちゃんのお家でお留守番をしてもらった。

 お義母さんに面倒をみてもらってる間に、尚人さんの衣装決めの他、決められることは何でも決め、手配をすませてしまおうと、二人で式場の方へと打ち合わせに行ってきた。

 式への参列者は家族だけなので招待状などは省略。披露宴もしないので、一ヶ月の余裕しかない割には準備はまずまず間に合いそう。

 さらに短い期間で、披露宴というかミニパーティーをやってのける人もいることを思えば楽勝だ。

 それでも細々とした打ち合わせや準備は後から後からわいて出てきて、少々うんざり気味ではあった。



 今日のうちにやれることはどんどん片付けて、明日の日曜日は思いっきり翔君と遊ぼうと、尚人さんのマンションに式場で持たされた宿題(?)を持ち帰った。

「でも、そんなに派手にあれこれやる訳じゃないのに、やることっていくらでもあるもんですねぇ」

 車を降りて荷物を手にマンションの入り口に向かった。

「まだまだこんなもんじゃなかったよ。打ち合わせだけでも何回行ったことか。招待状なんて出して返ってくるだけで時間も掛かるし……、揃ったら揃ったで、席次だ、引き出物だ、誰に挨拶を頼んでって、それだけでマリッジブルーになるよ」

 ちょっと苦い顔をした彼に、マリッジブル-ですか……と笑みが漏れた。

 エントランスを抜け、エレベーターに乗ってボタンを押した。

「でも、食事会みたいのなら手間も今とそんなに変わらないパックがあったのに、ホントにそっちじゃなくていいの?」

「尚人さんったら、気にしすぎですってば」

 わたしが初婚だというのがよっぽど気に掛かってるらしく、これまでも何度も尋ねられて、何度も同じ言葉を返してるんだけど……、多分この後もまた尋ねられるんだろうなと苦笑した。




 話をしながらエレベーターを降りて部屋に向かうと、玄関の前に人影があった。お腹の大きな妊婦さん。

「宏美……」

 呼び捨てにしたことで、彼の前の奥さんだと分かった。

「何の用?」

 彼からは聞いたことのなかった、感情の抜け落ちた声。

 彼女はちらちらとわたしの方を見てる。

「尚人さん、わたし、今日は帰りましょうか?」

「いや、今日のうちに決めておきたいことがいっぱいあるから……。で、突然来て、何の用?」

「……ここでは……」

 はっきりしない様子。離婚した妻が別れた夫の元に尋ねてくる理由といえば、子どものことか、あとは……。

 言いたいことがあってきたんだろうに、彼から部屋に入るように勧められるのを待っている様子に、口を出す立場にないわたしも苛立った。ふん、どの面提げて今頃ここに来たのよ。

 ……っと、いかんいかん、思考がブラックになってきた。冷静になれ。



 話が進まない様子に珍しく彼がじれた様子を見せた。

「言うことがあるならはっきり言ってくれないか」

「……」

 嫌な女。

 翔君の事をあっさりと手放して、置いてった時点でわたしの彼女に対する評価は最悪だった。

 彼女のことをよく知りもしないで、事情も知らないくせに単純だと言われようとも、その事実がある限り彼女のことなんて理解したいとも思わない。

 とはいえ、ここはこれからもわたしたちがしばらく暮らしていくことになるかもしれない場所。

 このままマンションの通路でする話でもなさそうだった。

「尚人さん。中で話したら……」

 彼も埒があかないと思ったのか、鍵を開けて中へ入るように促した。




 元は彼の奥さんも住んでいたマンションで、多分彼女が選んだであろう茶器を使って、わたしが彼女にお茶を入れる。これって昼メロ的展開? なんかどろどろした感じ……。やだやだ。

 彼はわたしに気を遣ってか一緒に座るように言ってくれたけど、気まずいので一人離れてダイニングテーブルに着いた。彼女の方はわたしに部屋から出ていって欲しかったのかもしれないけど、そこまでお人好しじゃあない。

 それに来て早々から彼女には腹を立てていたせいもある。話がすんだら一言言いたいこともあった。



「で、何の用? さっさと話して帰ってくれよ。何の連絡もなしに急に来られても、こっちもいろいろ予定があるんだから迷惑だ」

 つっけんどんな言い方で彼女を促した。

「……花村さんからあなたが結婚するって聞いたから……」

 彼女がちらっとわたしの方を見る。

「だから何? 君に何か関係ある?」

「あの……、あの……、わたし彼とは別れたの」

 ばかばかしい。何か話の先も見えてきた。ひねりも何にもなさそうな話の先行きに鼻白む。

 あまりに予想通りと言えそうな展開に、彼も同じだったんだろう。冷めた目で彼女のことを見ていた。

「それで?」

「……翔のこともあるし、あなたとやり直したい」

「今さら……」




 切れた。

 よりにも寄ってこの女が……、翔君を置いていったこの女が、翔君の事を持ち出した時点でぷつんと切れてしまった。

 喋ろうとした彼の言葉を遮って大きな声で言った。


「何言ってるの、あんた。そんなことより先に言うことがあるんじゃないの!」

 あんた呼ばわりしてしまったが、構うものか!

 翔君に見向きもしないで、好きな人がいると言って家を出て行った女が、今さら、翔君を理由にして彼とやり直したいという。それまで呆れた思いで聞いていたが、あまりにも身勝手な言いぐさに、一気に怒りが沸点に達した。これは二人の問題だと思っていたにも関わらず、思わず二人の話に割って入ってしまった。


「自分が何したか分かってんの? 六ヶ月の子ども置いて出て行って、その間一度も様子を尋ねることすらしないで、浮気相手と別れることにしたから、何にもなかった顔で母親に戻るって言ってるの?」

 口を開けば開くほど、言葉を重ねれば重ねるほど、どんどん想いがあふれ出して、唇がぶるぶる震え出した。

「さっきここに来たときから、翔君がこの場にいないことに気付いたんでしょ? それなのに翔君の姿を探しもしなければ、尋ねもしないってどういうこと? 心配じゃないの? あの子の様子が気にならないの? どれだけ大きくなったのか、歩くようになったのか、喋るのか、どんなものが好きなのか、知りたくないの?」

 こめかみの辺りをどくどくいいながら血液が流れてるような気がする。

 もーっ、涙まで出てきた。

「何が気に入らなかったか知らないけど、今頃になって翔君のためとかいうなら、なんでそのとき我慢するとか、逆に戦うとか出来なかったのよ。あの子はそういう価値のある子なのよ!」

 



 言うだけ言い放って鼻息も荒くリビングを出て、目に付いたドアを開けてその部屋に飛び込んだ。

 初めて入る彼の寝室だった。怒りのままにドスンと音を立ててダブルベッドに転がった。腕で目を塞ぐ。

 うーっと涙を堪えて頭が冷えるのを待つ。あんなくだらない女に涙なんか見せて、自分にまで腹が立つ。少し落ち着いてくると余計なことまで気が付いた。

 胸くそ悪っ。このベッドも置き土産だよ……。

 起き上がろうとして肘をついた。



 そのときベッドの隅に、タオル地のぬいぐるみが置いてあるのに気が付いた。翔君のだ。引き寄せてみるとよだれのあとかな……、カピカピした部分を見つけた。

 見回すとこの部屋にベビーベッドは置いてなくて、このベッドは壁際にぴったりくっつけてあった。そう思えば心なしか布団からも翔君のにおいがするような気がした。

 そう、これは翔君と尚人さんのベッド。

 ちょっと怪しい人みたいに、ぬいぐるみを抱えて大きく息をすーはーしてると、だんだん気持ちが落ち着いてきた。



 恥ずかしいことに、怒ってアドレナリンが出過ぎたせいなのか(決してわたしにデリカシーというものが足りないせいだとは思いたくない)、翔君のぬいぐるみを抱きながら、そのままそこで眠り込んでしまったのだった。



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