兄のお嫁さん 2
式場で希望通りに早い日取りを押さえることができ、当日までにやっておくことのリストやら何やらをもらって我が家に向かった。
お昼を食べたあとでの打ち合わせの間に、日当たりのいいサロンの窓際で翔君は眠ってしまった。ちょうどわたしが抱っこしていたときで、腕の中で徐々に力が抜けていく様子に、わたしに抱っこされてても安心してくれてるのかなとほんわかした気持ちを味わった。
家に帰る途中で、瑠璃ちゃんには手土産はいらないと言ったけど、翔君がちょっとおねだりするように、わたしの手から物を食べるのを見るのが大好きなので、ケーキを買って帰った。
家に着くと、ちょうど兄たちも来たところだったようだ。
中に入って一通りの挨拶をすませた頃、人の話声に翔君が起き出した。起き抜けでちょっとぐずり気味。
「翔君、ケーキ食べようか?」
じゃあお茶入れてくるわねと言って母が立ち上がった。最近では母も翔君に参ってる一人で、いそいそとお茶の支度をしに行った。
ふと見ると、座っていた瑠璃ちゃんは落ち着かない様子でキッチンの方を気にかけている。わたしには彼女が手伝おうかどうしようか迷ってるように見えた。
多分彼女は決して気の利かない子じゃない。むしろ手伝った方がいいのか、よそのうちの台所に勝手に入っていって嫌がられないのか、いろいろと気を回しすぎて、その辺が判断つかなくて困ってるように思えた。
自分のカンを信じて口出しすることに決めた。
「瑠璃ちゃん、ちょっと人数も多いから母を手伝ってやってくれる?」
翔君を抱っこしてたのをいいことにお願いすると、はいと気持ちのいい返事。
思えばこれまではいつも手が足りていたので、手伝いますと遠慮がちに言われても、母も兄もいつもいいから座っててとお客様扱いだった。それが余計に彼女を居心地悪くさせていたんじゃないかしら。
尚人さんの手前口には出さないけど、お前が手伝えよとばかりに、じっとりこっちを見る兄の目。でも今は気付かないふりをした。
案の定、母と共に戻ってきた瑠璃ちゃんはさっきよりずっとリラックスした様子で、にこにこしながらみんなにコーヒーを配り、ケーキも手早くお皿にのせ始めた。お皿もみんなに行き渡って、お喋りしながらケーキを食べた。
尚人さんとわたしの間を行ったり来たりしながら機嫌良くケーキを食べてた翔君が、今度は瑠璃ちゃんの方へ行ってじっと彼女の顔を見た。
「あげてもいいですか?」
尚人さんに一応尋ねた。そうよねぇ。翔君の『もらえる?』って期待するような瞳には逆らえないんだよね。
「イヤじゃなければ……」
当然彼女もいそいそと彼のお口にケーキを運んだ。
「おいしー」
いつものほっぺを押さえるポーズ。あー、やっぱかわいいー。瑠璃ちゃんも当然笑顔。
「あ、そうだ。小さいお子さんって聞いて、こんなの見つけてきたんですけど……」
小さな声でそう言って、自分たちの荷物の中から紙袋を手元に引き寄せ、中から可愛くラッピングされた包みを取りだした。
「翔君、はいどうぞ」
「あーとー」
どうもありがとうございますと尚人さん。
翔君には一抱えもある大きさのプレゼントをもらって、ぺこりぺこりと丁寧に何度もお辞儀をする。
パパのところに持って来て開けてと催促するように、あぐらをかいた膝の間に座って、はねるように待っている。
包みの中から出てきたのは肌触りの良さそうなぬいぐるみ。背中がファスナーになっていて物が入るようになっているらしい。つまんで開けると、個包装されたお菓子が入っていたみたいだ。
尚人さんが袋を開けてひとつ渡すと小さな口で少しずつ食べて、一口ごとにおいしーを連発する。
半分ほど食べるとテーブルの上に食べかけのお菓子を置いて、今度はみんなにお菓子を配り始めた。
「どーじょ」「ありがとう」のやりとりを繰り返しながら、尚人さん、わたし、母、瑠璃ちゃん、ちょっと迷って兄にも。
テーブルの周りをぐるっと一周してパパのお膝に戻った。テーブルに置いた食べかけのお菓子をまた一口食べると、今度は尚人さんの口をこじ開けようとする。開けないで手に持ったままのお菓子を食べろということらしい。
「分かった分かった、今食べるから。……おいしいね」
「おいしー」
周りの大人も慌てて食べ始めて、おいしーと言うのに吹きだしてしまった。もちろんわたしも食べて翔君みたいにほっぺを触っておいしーと唱えましたとも。
気前よくまた全員に配りだしそうな気配に尚人さんが慌てて言った。
「翔、だーん貸してもらおうか?」
母にいいですかと尋ねて、飾り棚からだるま落としを出した。
彼がそのまま翔君と和室の方に移ろうとしたら、片手にぬいぐるみを引きずって瑠璃ちゃんのそばに行き、彼女の袖を引っ張った。
「翔、お姉さんはまだ食べてるから……」
「構いませんよ」
さっきまでのか細い声じゃなく、はっきり意思が伝わるように言って、さっさと和室の方に行ってしまった。そうしてそのまま三人で遊び始めたのだった。
「わたしは振られちゃったよ……」
わずかでも年が近いのが分かるのかしら……。ちょっとがっかりしてると、不機嫌に兄が話しかけてきた。
「おまえなぁ、瑠璃に手伝わせないで自分がやれよ」
常識ねぇなと言わんばかり。
「単純だね、お兄ちゃん。手伝いたくなくて瑠璃ちゃんに頼んだ訳じゃないわよ。……瑠璃ちゃんお客様扱いされるより、手伝う方が気が楽なんだよ、きっと。……お母さんが台所に行ったとき、なんかすごく気にしてる感じでちらちら見てたもん。手伝いたいけど前には断わられたし……なんて思ってたんじゃない?」
お皿に残っているケーキをぱくつく。
「お嫁さんって何かと気を遣って複雑なのよ。いいって言われても、知らん顔で座ってたら、気が利かないって思われるんじゃないかとか、しなくていい心配してるもんなのよ」
「……まだ嫁に行ったこともないくせに」
ぶすっとした顔で呟いた。
「お嫁にはまだ行ってないけどさ、女は似たようなことを会社なんかでも経験するわけよ。こっちは社会人になって長いからね。瑠璃ちゃんはそういうところで揉まれる間もなく、お兄ちゃんと結婚したから、言葉通りに受け取ってもいいのかなって悩んじゃうんじゃない? かといって強引に出られるほど押しも強くないし」
「……そんなもんか」
「些細なことだけど、そんなんで居心地の悪い思いをしちゃうから、うちに来たがらないんじゃないの?」
別に来たがらないっていう訳じゃないよと言ったけど、その声は小さかった。
「ただ、うちに寄った帰りにフーッと息着かれるとさ、負担だったかななんて思ったりさ……」
なんだ、兄が先回りして彼女に気を遣わせないように、いつも自分一人で来るようにしてたってこと?
「甘やかされたお嬢さんなら、知らん顔で座ってても何とも思わなかったかもしれないけど、ちゃんと躾けられた子なら、余計にその場に居づらいって感じたんじゃないの?」
「そう言えば、いつも台所手伝うって言われても断わってたし、わたしが席に戻るとえらく恐縮してたわ。そういうことだったのかしら」
「今日は気を付けて見てたんだけど、お茶出してくれたときにこにこしてたもん。全部任せるって言われても困るだろうから、次からは雑談でもしながら二人で準備すればいいじゃん」
「うちにはあんたみたいに雑な娘しかいないから気が付かなかったわ」
ふん、その雑な娘が気付いたっていうのに自分は気付かないんだから、そっちこそ大雑把な母親でしょうが。まあ、似たもの親子と言えるかもしれないけど……
平和のためにそれは口には出さずにおいたけど。
「若いお嫁さんもらったんだから上手に育ててあげなさいよ。親と奥さんが仲悪いとずっと板挟みになっちゃうよ」
「仲悪いって失礼ねぇ。そんな意地悪な姑じゃないわよ」
もちろん兄やわたしにはそんなことは分かってる。あとは瑠璃ちゃんにも母の言葉に裏がないことを分かってもらえるように、兄がうまく機会を作っていけばいいだけのことだ。
「へぇ、そんな話してたんだ」
あれからそう長居もせずに、兄夫婦は帰り、わたしたちもいったん彼のマンションに戻った。
翔君の面倒をみながら、結婚式関連で片付けられそうな物から取りかかっていく。
一区切りついたところで、食事の支度を始めたんだけど、翔君お気に入りのテレビ番組が始まったようで、彼もキッチンにやってきた。思ってた通り、手際がいい。
「誰も悪気がないのに居心地悪くなっちゃうって、なんかもったいないですよね」
「そうだな」
「ちょっと考えちゃいましたよ。わたしはそういうところ図々しいからあんまりそんな心配はないでしょう?」
さすがにつられてうんと言ったりしないで、苦笑しながらそう? と言うにとどめてくれた。たとえ本当のことだったとしても、あんまり素直にうんと言われれば複雑だもんね。うちの兄は気遣いはするんだけど、こういう微妙なところが分かってないんだなぁ。
「ただ、同居してから心配があるとしたら、お母さんの方かなと思うんですよね。なんか全部わたしに合わせようとしてくれるんじゃないかと思って……。わたし、結婚式は自分たちのだから、ある程度わがままも言わせてもらいますけど、結婚後の同居生活でまで何でも自分の思い通りにしたいなんて思ってないですよ。でも、お母さんってあんまりそういうこと自分から口にしなさそうで、ストレス溜めちゃわないかしらって、今日瑠璃ちゃん見てて思っちゃいました」
「そう? 僕は諒子さんがそういうこと気にしてくれてる限り、あんまり心配ないような気がしてるんだよね」
「なんか買いかぶられてるような……」
信頼してくれるのはありがたいけど、母も今日言ったように、わたしが雑な性格をしているのは確かで、気が付かないで人を振り回しちゃうようなところがあるかもなぁと、最近特に思うのよね。
「気が付いたら、尚人さん遠慮せずに言ってくださいね」
今のうちから頼んでおいた。
人の振り見て我が振り直せってよく言うけど、瑠璃ちゃんがきっかけで、こういうことを考えておく機会があってよかったなと思ったのであった。