兄のお嫁さん 1
「ただいま-」
退職することも正式に決まったので、残業するような業務もなく、近頃はほぼ定時に退社するようになったわたし。
今日は会社帰りに、ぶらぶらとウィンドウショッピングをしてから家に帰り着いた。家に上がるとき、玄関のたたきに父のではない革靴があるのに気付いた。リビングダイニングを覗くと、そこにはやはり兄の姿があった。仕事帰りのスーツ姿。上着は脱いでソファの背もたれに掛けてあった。
「いらっしゃい。久しぶりだねー」
ダイニングテーブルで食事を取ってる兄の隣に座った。
「おかーさーん、わたしにもご飯ちょーだーい」
ちょうどキッチンに母がいたので甘えてみたが、あんた何様よと言われ、やっぱりダメかとキッチンに自分の分の食事を用意しに行った。
「もうすぐお嫁にいこうかって人が、たまには早く帰って、家事に疲れた母の代わりに、晩ご飯の支度してやろうって気はないの?」
味噌汁を温め直しながらお小言を頂戴した。
「いやいや、お嫁に行く前にお母さんのおいしい手料理を味わっとかないと……」
言ってみたけど、めんどくさいだけでしょと一蹴された。さすが母上、娘の性格はよく分かってらっしゃる。
でも確かにこれから毎日食事の支度をするようになるんだから、甘えてばっかりいられないのも本当よね。
お料理はこれまで仕事の忙しさのせいにして、いつも母のお手伝い程度だった。何か単品で用意しろと言われればまあ作れるけど、毎日献立を立てて、手際よく何品も同時進行で作れるかというと、自信は情けないほどない。もしかしたら、翔君のパパ業をしながら働いている尚人さんの方が、よっぽど上手かもしれない。
少しは本腰入れて、母の味を盗まねば。なにしろこれから新米とは言え、翔君のお母さんになるんだもんね。うん、心を入れ替えよう。
お盆に温めた食事をのせてダイニングに戻った。
「今日は瑠璃ちゃんは?」
一つ上の兄のお嫁さんは、わたしより五歳年下。兄は去年結婚した少し歳の離れたこのお嫁さんが可愛くて仕方ないらしい。まあ、仲がよくて何よりなんだけどさ……。
「こっちに顔出すって言ったら、友達と飯食いに行くってさ……」
「ふーん……」
どうせなら週末に来れば、瑠璃ちゃんだって一緒に来れるのに。気が利かないんだか、敢えて連れてこなくてもいいように仕事帰りに寄ったのか……。顔を見るととぼけた表情。邪推はよくないけど、後者のような気がした。
「たまには顔見たいな。連れてきてあげてよ」
それとも、週末はあっちの実家に行く予定で一杯だってか? ちょっと穿った意地悪な見方かもしれないけど、ついそんなことを考えてしまう。
兄たちが結婚したと同時に会社を辞めたので、彼女は現在専業主婦。まだ子どももいないんだから、ちょっと実家に顔を出す時間なんて充分にあると思うんだけどな……。
そう遠いところに住んでいるわけでもないのに、兄夫婦は揃って顔を出すってことがほとんどない。これでわたしが遠くにお嫁に行くことにでもなっていれば、両親はかなり寂しく過ごすことになってたんじゃないだろうか。
「そんなことより、お前結婚するんだって?」
早く話題を変えたかったのか、いきなりそう聞いてきた。まあ、もともとその話をしに来たんだろうけど。
「うん」
「前から付き合ってたやつじゃなくって、見合いで決めたって聞いたけど?」
あらかた食事は終えて、ぽりぽりと漬け物をつまみながら言った。
「そうだよ。お母さんの知り合いの紹介で、法村さんっていって、実家がすぐ近くにあるの。そこに同居するつもり」
「バツイチの子持ちって聞いてたけど、親と同居までするのか?」
びっくりした表情。
「子どもが一歳で、これがまた可愛い男の子なのよ」
「……何でまた見合いでそんな難しそうな相手選ばなきゃいけないんだよ。前に付き合ってた同じ会社のやつじゃダメだったのかよ」
短絡的な兄ではあるが、一応わたしのことを心配してくれているらしい。
「前の彼は子どもが欲しくなかったんだってさ。わたしは子どもがいる家庭しか思い描いてなかったから、それでダメになった。もういい年だしと思ってお見合いしたんだけど、たまたま一人目でいい人に会えてよかったわ」
まさかお母さんも細かいことまでは話してないだろう。
「ふーん……。で、いつ頃結婚すんの?」
物欲しそうに人のお皿を眺めてるので、少し兄の方へお皿をずらすと、サンキューと遠慮もなくお箸でつまんでいった。背は高いけど細身のくせに、昔からよく食べる。
「まだ日取りを決めるのはこれからだけど、来月末……もう今月か……、で退職するから、それからなるべく早くに決めたいと思ってるんだけど」
「はぁ? なんでそんなに急いでんの? ……妊娠か?」
「んなわけないでしょ。会ってまだそんなに経ってないのに……。ただ、子どもは早く欲しいけどね。瑠璃ちゃんと違ってこっちは歳だしね。そういや、お兄ちゃんとこは予定ないの?」
「んー、まだだな」
「そっか、まあ、まだ彼女も若いもんね。そうだ、小姑がいなくなるんだから安心して休日に顔出しなよ」
またもや気まずげな顔。
「ちらっと顔だけ見せてすぐ帰るんでも良いのよ。ずっと顔合わせないでいると、どんどん敷居が高くなっちゃうじゃない。瑠璃ちゃんってちょっと人見知りするでしょ? こんなもん慣れよ、慣れ」
兄たちが結婚する前もしたあとも、自分が仕事やプライベートに忙しくて、瑠璃ちゃんとはそう長時間顔を合わせたこともなかった。でも、兄があそこまで惚れ込んで結婚したんだから、性格はいい子なんだと思う。
多分彼女はまだ若いから、旦那さんの実家に来るのに緊張しすぎるんだろう。たまたま家に来たときに居合わせると、彼女はいつもよそ行きスタイルで、手土産もどこかのデパートでお遣い物にでも用意するような高級感あふれるもの。気を張っているのが丸わかりだった。
そんな気取るような家でもないんだからもっと気楽に来ればいいのにと思いながら、彼女の持って来たという高級菓子をつまんでいたことを思い出した。
言葉も挨拶以外にそう交わした記憶もない。つんつんしてたってイメージも全くないので、やっぱり気後れしてただけだと思うんだけど……。
そんなことで足が遠のくうちに、このままじゃ本当に来にくくなっちゃうよ。そういう気持ちを込めて言ったんだけど、兄には通じただろうか?
あんまり言うのもくどいから今日はこのくらいにしておこう。
「基、あんたこれも食べるでしょ」
なかなかキッチンから出てこないと思ったら、元から用意していた夕飯のメニュー以外にも、兄の好物を追加で作っていたらしい。見なさいよ、母のこの嬉しそうな顔。
「昔っからお兄ちゃんがいるとおかずが増えるんだから……。拗ねるわよ」
「バカなこと言ってないで、あんたもつまめばいいでしょ」
そんなことを言っていると、玄関からただいまーと父の声。母が立ち上がろうとする。
「いいよ、座ってお喋りでもしてて。わたしがやるから」
空いたお皿を集めてキッチンへ向かう。
「おっ、珍しいな、来てたのか」
これもやっぱり嬉しそうな声。ホント、いくつになっても親ってありがたいわね。顔を見せるだけでこんなに喜んでくれるんだから……。そんなことを思いながら父の食事を温めた。
父の食事に付き合って、ちょびちょびつまみ食いをしながら、兄はビール、母とわたしはお茶を飲んでいた時。
「あっ、そうだ、お兄ちゃんも一回くらい彼と会っておいてよ。可愛い妹をよろしくお願いしますってね。式で初めて会うってあんまりでしょ?」
誰が可愛い妹だよとぼやく兄。ついでにいいこと思い付いた。
「今度の土曜日予定あり?」
「いや、特にないけど……」
「式場に行った帰りにこっち寄るからさ、そのときにでも軽く顔を合わせとかない? わたしたちも差し迫ると週末もなかなか時間も取れなくなるかもしれないし、今のうちに。瑠璃ちゃんも一緒に午後にでもちょっと顔出してよ」
「うーん。……わかった」
気乗りしなさそうではあったけど、義理の家族になろうというのに、式まで顔をあわさないわけにもいかないと思ったんだろう。兄の了解を取り付けた。
「そうそう、小さい子どもがいるから、きれいな格好なんてしてこないでって瑠璃ちゃんに伝えといて。普段着でいいからね。手土産なんかも気を遣わないでいいんだからね」
「お父さんはその日はゴルフだなぁ」
なんだか残念そうな父の様子にちょっと笑った。
「尚人さんとお兄ちゃん達の顔合わせなんだから別にいいわよ」
父には悪いけど、今回はいないでくれた方が瑠璃ちゃんには気楽で好都合かも……。うまくいけば今後兄たちが実家に立ち寄る機会も増えるかもしれないしね。
尚人さんにもあとで連絡しておかないとな……と思いながら、しばし家族団欒は続いたのだった。




