ご挨拶-可愛い仲介人に助けられる- side 尚人
そんな自覚は全然なかったけど、やはり浮き足立っていたんだと思う。
結婚式場をいくつか見てまわって、いよいよ日取りをいつにするか決めようかという段になるまで、彼女のご両親に正式に挨拶をすませていないということを、すっかり失念していた。
諒子さんとの結婚話は、スタートから普通じゃない展開だった。
お見合いした当日に、気に入らなければあとでキャンセルするという前提で、一ヶ月後に結婚しないかという提案をされた。取りあえず付き合ってみないことにはその判断も付かないと、返事は保留するような形にはなったのだが……。驚く間もなくその日のうちに僕の実家に立ち寄り、母や息子の翔と顔合わせをすませてしまった彼女。やけに興味を引かれたのも事実だった。
その翌日、翔と親しくなりたいと言う彼女と近所の公園で会うだけだったはずなのに、なぜかその日の昼食にうちの母まで一緒にいきなり彼女の家に招かれ、普段着のまま彼女のご両親と顔を合わせることになった。
彼女のペースにみんなが巻き込まれた。
付き合い始めていきなり彼女の両親に対面したことで、結婚することにも何となく了解してもらえたような錯覚をしていたのだが、考えてみたら正式には何の挨拶もしていないことにようやく気付いた。
式場を押さえる前に気付いて良かった。大幅に常識を外れた段取りだと言うことが分かりすぎるほど分かっているので、せめて挨拶くらいはきちんとしておかないと、いくら諒子さんのご両親でも気分を害されるだろう。
翌日の日曜日に約束を取り付けて貰ってから彼女を家まで送って、その足で実家に帰った。
「母さん、明日諒子さんの家に挨拶に行くから……」
いきなりのことにぽかんとした様子の母。
「あら、……あら、そうだったわね。まだご挨拶してなかったのよね」
どうやら母ももう挨拶をすませた気分でいたようだった。式場探しまで始めてしまってるんだから、そう思われてても不思議じゃないよな。
「ちょっと考えたんだけど、明日母さんも行くかい?」
「わたしまで?」
「ああ、諒子さんが早く結婚したいって言ってるの、前にもちょっと話しただろ? 来月には会社も退社することに決まって、そのあとすぐにでもって思ってるみたいなんだ。ちょっと話したら婚約指輪もいらないって言うくらいだから、もしかしたら結納もしないつもりでいるのかも。式も披露宴なしでいいって言ってたし。ただ、いくら諒子さんがそう言ったっていっても、彼女のことを軽んじてるように取られても困るからさ」
そうよねぇと呟くように言って少し考え込んだ。
「本当に披露宴とかやらないの? 諒子さんはそう言ってるとしても、あちらのお父さんとお母さんはそれで納得されるのかしら……」
「彼女はもう話してあるって言ってたけどね」
彼女はお兄さんの結婚式を引き合いに出していたが、僕の最初の結婚式も似たようなものだった。
有名ホテルでの挙式は別れた妻が望んだもので準備期間は八ヶ月。演出の限りを尽くしたとは言わないが、それなりに盛大だった。そんな結婚も二年もしないうちに破局を迎えたんだから、諒子さんのように無駄と言い切るような考え方はいっそ小気味良いというか、逆に好感をもった。
だけど、いざ、可愛い娘を嫁に出すご両親の気持ちを考えると、合理的だとか、経済的だとかばかりも言ってられない。
「今のところ、彼女の希望でそういう形の結婚式にしようと思っているけど、あちらのお父さんとお母さんが納得されないんだったら、一般的な挙式披露宴をやればいいと思うんだ。でも、まずは誠意を示しておかないとね。家が遠方にある訳じゃないし、一緒に挨拶に行かないか?」
「ええ、そういうことなら。いい年をした息子の結婚のご挨拶に付いてくことになるとは思わなかったわ」
そう言いつつ、なに着ていったらいいかしらと既に気持ちは明日のことに向いているようだった。
「やっぱり、着物着た方が良かったかしら」
「そこまでは良いよ。向こうのお母さんだって僕が挨拶に行くって言ってあるだけだし、着物まで着てる訳じゃないだろう? かえって気まずい思いをさせるよ」
そうかしら、そうよねなんて言って納得したようだった。僕も普通のスーツ姿だし、母だけが浮いても困る。
約束の時間に間に合うように三人で家を出た。
「法村です」
インターホン越しにお待ちくださいと言われて、ドアが開くのを多少緊張しながら待った。
ドアを開けたのは彼女だった。母の姿にちょっと驚いた様子だったが、すぐに笑顔でいらっしゃいませと言ってくれた。
「おはようございます。お母さんもいらしてくださったんですか?」
「親がこんな日に出しゃばってお恥ずかしいけど、きちんとご挨拶させていただきたいと思って来てしまったの。ご迷惑じゃないといいんですけど……」
「どうぞお上がりください。翔君もこんにちは」
愛想良く「わー」と言ってまた彼女を喜ばせた。
案内されて三人で奥に入っていくと、やはり母と翔がいることに少し驚かれた。
「今日は突然にすみません」
「いえいえ、どうぞお座りください」
と応接セットに進められた。
お茶を出されてみんなが座るのを待ってから切り出した。
「お父さん、お母さん。今日は諒子さんと結婚させていただきたいと思ってご挨拶に伺いました。結婚をお許しいただけるでしょうか?」
もちろん結婚の挨拶に来たことは百も承知だったろうけど、すぐには答えが返ってこなかった。
「法村さんも諒子も、そんなに早く決めちゃって良いのかね。いや、別に反対する訳じゃあないんだよ。ただ、一生の大事だからね……」
お父さんの言葉を苦い思いで聞いた。
僕は一般的な手順を踏んだ前の結婚には失敗した。今ここでその話を持ち出すのも、適切ではないだろうと黙っていたのだが……。
「お父さん、この前も言ったけど、結局いくら長いこと付き合っても、結婚してみないと分からないことってあるんじゃないかと思うのよ。尚人さんのことを何から何まで分かるはずもないけど、お母さんや翔君に対する態度とか、わたしに見せてくれる思いやりとかそういうものを信じたいと思ったのよ」
黙っているお父さんにやはり告げておこうと口を開いた。
「ご存じのように僕は離婚を経験しました。それなりの交際期間を経た上での結婚だったのに、結局彼女のことが何にも分かってなかったんだなと思い知らされました。諒子さんはいろんなことを隠さずに伝えようとしてくれる。あまりの忌憚のなさにびっくりするくらいです。でもだからこそ嘘のない、信頼していける人なんじゃないかと思いました。諒子さんじゃなかったら、こんなに早く結婚しようとは思いませんでした。ただ、お父さん達の心配される気持ちも分かります」
これ以上なんと言って話したらいいのか……。
お父さんは考え込むように黙ったままだった。
沈黙を破ったのは翔だった。
それまで部屋の隅で、持って来たおもちゃで遊ばせていたが、こちらの方にやってきたと思ったら、お父さんの袖を引っ張って「だーん、だーん」と騒ぎ出した。
なんのことかと思ったら、この前遊んで貰っただるま落としを出せと言ってるようだった。お父さんがすぐに気付いて飾り棚から出してくれて、翔に渡したが、それをお父さんに押し返す。どうやらこの前遊んで貰ったのを覚えていて、お父さんに積み上げろということらしい。
「翔、おばあちゃんにやってもらいな」
まだ話の途中だったのでそう声を掛けたが、お父さんが構わないよとソファから床に腰を下ろして、翔の相手をし始めた。
中断してしまった話に、今日のところは返事をいただけないのかと諦めかけた頃、お父さんが口を開いた。
「翔君は人懐っこくて、本当に可愛いね」
「……ありがとうございます」
返したものの、何で今そう言われるのか分からなかった。
「この短い期間に結婚を決めてしまって、ダメだったら離婚すればいいとかいう、安易な気持ちじゃないだろうな?」
「式を挙げるまでは、ぎりぎりまで相手をよく知る期間と思って、もしもの時にはキャンセルもあるかもしれないっていうのはこの前も言ったとおりだけど、結婚したらちょっとやそっとのことじゃ別れるつもりなんてないわよ」
あらかじめそのことを聞いていた彼女の両親と違い、うちの母はそのことを初めて聞いたので目を丸くした。慌てて付け加えた。
「僕は諒子さんのことを信頼してるし、彼女もそう思ってくれてると思います。だからこそ式場探しも始めたんです」
「……そこまで言うならもう何も言わないが、結婚したあとでダメになれば、物心つくようになった翔君が一番傷つくぞ」
「分かってる。ねぇ、お父さん。翔君が孫になるってだけで、この結婚に賛成したくなるでしょ?」
お父さんの了解が得られたと感触を感じたのか、彼女は早速お父さんに軽口を叩きだした。親子仲が良いからこそだろうけど、こっちははらはらする。
「そうだな」
お父さんの返事にほっとしながら確認する。
「お許しいただけたと思っていいんでしょうか?」
「まあ、二人で決めたことだから……。うるさいことを言うようだけど、さっきのことだけ肝に銘じておいてください」
「はい、翔のことまで気にかけていただいてありがとうございます」
僕の言葉にわれにかえったように母も言葉を繋いだ。
「どうぞこれからよろしくお願いいたします」
「ああ、尚人さんのお母さんは、キャンセルとかいう話はご存じなかったのよ」
本当にもう……、と諒子さんのお母さんが割って入った。
「突拍子もないことばっかり言い出す娘ですみません。お母さんまで驚かせてしまって」
話し始めたお母さんを遮るように諒子さんが言った。
「お腹すきましたね。お母さん何か取ろうよ。それで、お昼食べたら、みんなで式場見に行きません?」
あっけらかんとした彼女の口調に、またもや彼女のペースになったかと思いながら、気付けばさっきまでの少し重かった空気は既になくなっていた。