すっぴんもさらけ出す
鏡に映った自分の顔を見てため息が出た。
目は真っ赤に充血し、アイシャドウとマスカラが滲んで目の周りは黒い。鼻の頭も真っ赤で、こんな顔を彼に見られてしまったとゲンナリした。
「女優のようにとは言わないけど、もう少しきれいに泣けりゃあね……」
バスルームの前の洗面台の前で、言ってもしょうがないことを独り呟いた。
当然の事ながら、化粧品は簡単なメイク直しを出来るくらいのものしか持ち歩いていなかった。高級ホテルでもないし、アメニティーは置いてあるけど使ったことのないメーカー。しかも使い切りサイズじゃないので、いつ開けられたのかも分からない。どうしようと思ったが鏡の中のぐちゃぐちゃな顔をもう一度見て思い切った。お店に置いてあるお試しサンプルと思えばいいのよ。
ラベルを見ながらまずはクレンジングを探した。
会社の前で和真と別れたあと、ひとしきり泣いて尚人さんにいろいろぶちまけ、醜態をさらしてしまった。
自分をよく見せようとするのはやめようって、この前二人で話をしたけど、これは意味が違うでしょう……。さらに自己嫌悪だわ。
コットンにクレンジングを振りかけ、お化粧を落としていく。洗顔料が見当たらない。もう石けんでいいや。紙をはがして、掌で泡立てた。えいっと度胸を決めて顔を洗った。泡を流してタオルで拭き、化粧水と乳液を付けていく。
化粧下地もないので出来るのはここまで。休日に近所のコンビニに行くぐらいなら、すっぴんでもまったく気にしないわたしだけど、尚人さんには今までばっちりメイクしか見せたことがないので、ご披露するのは勇気がいった。
「メイクした顔だってそんなすごい美人って訳でもないんだし、ま、いいか」
家にいるときはほぼすっぴんのわたし。結婚するならこれにも慣れてもらわなくては……。美人は三日で飽きるけど、不細工は三日で慣れるだっけ? 真偽のほどは分からないけど、そう言うしね。
そう言えば和真にすっぴんの顔を見せたことはなかったな……。
部屋の方に戻ろうとして、ここがラブホテルであることを思い出した。ここに別の目的で来る人なんていやしないと思うと、急に恥ずかしくなった。
会社のそばの繁華街の外れにあるホテル。誰に見られるか分かったもんじゃないので利用したことは一度もなかった。
昨日の夜、今日は初めて二人きりのデートだし……と、いろいろ想像した。結婚の約束もした大人な二人なので、流れでそういうこともあるかもと下着にも気を遣ったりして……。
まさか、想像とは違う流れで会社から直行とは思わなかったけど……。
なんだか戻りにくい。
しばらくそうしていたけど、このままここに立てこもるわけにも行かず、恥ずかしさを押さえてバスルームを出た。
部屋に戻ると彼はベッドに寝転んでいた。
「お待たせしました」
勢いをつけて起き上がって近づいてきながら、相性は確かめといた方がいいよね……と言った彼は、さっきまでとがらっと雰囲気が変わっていた。
結婚する以上、これだって大事な問題よ……と赤くなりながら頷いたわたしだった。
わたしが彼に抱いていたイメージは割と静かな人。ジョークを解さない訳じゃないけど、自分の方からそれを披露することはなく、クールというのとは違うけどちょっと冷めた感じもするという印象だった。……今日までは。
抱きしめられてキスをされたとき、ぼんやりと、あ、これも初めてだったなんて思ったのは、ほんの一瞬のことで、貪られるようなキスに、すぐにあれこれ考える余裕をなくした。
シャワーも浴びてないことを思い出してちょっと抵抗した。
「あとで……。それともこれから一緒に浴びる?」
そう言われて、いえ、いいですと返さざるを得なかった。
隔てるものがなければ、これは子どもを作る行為。快楽を求める行為でもあるかもしれない。
でもそれだけじゃなくて、彼と抱き合っていると精神的に満たされたような、安心感を覚えたようなそんな気がしたと思ったのは、わたしの感傷的な錯覚だったんだろうか。
今日、彼が和真とわたしの間に割って入ったときに、その背中を見てほっとしてすがりつきたくなったときのことを思い出し、彼の背中に手を回してぎゅっと力を込めた。
ようやく荒い息が収まり身体が弛緩してきたときに、緩くわたしを抱き寄せるような体勢で彼が言った。
「人肌ってなんか心が慰められる気がしないか?」
「うん、なんかゆったりした気持ちになってくる」
実際、さっきまでの落ち込んでいた気持ちが、いつの間にかすっきりしていた。
彼のすーすーという寝息を聞いて、彼も安らいだ気持ちになったかしらと気になりながら、いつの間にかわたしまで眠り込んでしまった。
はっと目が覚めた。もうすぐ九時。どうりでお腹が空くわけだ。彼を起こす前にシャワーをすませてから、声を掛けた。慌てる様子もなくバスルームに向かう彼を見送ってから身支度を整えた。と言ってもやっぱりすっぴんなんだけど。
誰かとばったり鉢合わせしたりしないかとどきどきしながらホテルを出て、近くの小料理屋さんに入った。
会社の近くだったけれど初めて入るお店。明るい照明がすっぴんには痛い。庶民的な雰囲気で、一品料理もあるけど、既にできあがっているお総菜も大皿に盛りつけてあって、どれもおいしそう。日本酒もいろいろ種類があった。
取りあえず空腹をうったえるお腹を満たすためにあれこれ注文して、彼は有名な銘柄の吟醸酒も頼んだ。
お料理はおいしくお箸も進んだ。
人心地付いたところで、彼に尋ねた。
「今日は車じゃなかったんですね?」
「食事の時に飲むかと思って……。朝、翔を送っていって、そのまま実家において電車で会社に行った」
そんなことより……と話を続けた。
「いい加減敬語はやめない? 僕より元彼との方が親しげで、なんかむかつくんだけど」
むかつくって……。そんな言葉を尚人さんから聞くとは思ってなかった。ちょっと酔ってるのかしら?
「名前もお互い呼び捨てにしあってさ……」
「彼とは同期で歳も同じだったから……」
そんなことにこだわってる彼が可愛く感じた。
「尚人さんも遠慮なく呼び捨てにしてください」
だからその敬語をやめろって、とまた言った。この前言ってた、酔うとしつこいってこれかしら? この程度ならかわいいものよね。
家の前まで送ってくれた彼にまた明日というと、ああ、と返されてその場でキスをされた。お酒の味がした。道端でキスというタイプにも見えなかったので、これにも少し驚いた。
明日あさっては式場探しを兼ねたお出かけ。翔君も一緒だから、さっさと決めてどこかで遊びたいな。
そんなことを考えながら家に入ったのだった。
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