行き着いた先
式場の手配をすることで、お互いに合意したけど、まだキャンセルもないわけではないので、会社に退職願を出したものかどうか少し悩んた。
この話が白紙に戻ってしまえば、まだ独身生活を続けながら、相手を探すことになるし、いつ結婚できるかも分からないのに、働かないで家でぶらぶら過ごすわけにも行かないだろうし……。
でも、ぎりぎりまで待って、いきなりやめると言われては会社も困るだろう。
自分の仕事の方は、ちょうど関わっていたプロジェクトが一区切り付いたところで、今申し出ておけば次のプロジェクトからは外されるだろうし、途中で抜けることにもならず一番迷惑が掛からないのではないかと思っている。ただ、その場合、ダメになった時にはまたいろいろ言われるのかなと、憂鬱ではあった。
週明け、さんざん悩んだ結果、やはり退職する意思のあることを上司に告げておくことにした。
尚人さんとの話がもしダメになったとしても、またお見合いなり何なりで相手を探して、早々に結婚したいことに違いはないので、その結果、会社は遅かれ早かれやめることになるんなら、せめて同僚に迷惑の掛からないようにしようと思った。
いったん大きな仕事に関わり始めると、休みが取れないどころか連日深夜まで、時には徹夜で働くことになってしまう。そんな中、チームのメンバーが一人でも欠けるというのは本当に痛いのだ。体調不良のような、本人にはどうしようもない理由で数日休暇を取らざるを得ない時でさえ、言ってもしょうがない恨み言を言う人だっている。
うん、決めた。この結婚の話がもし白紙になったとしても、地元でパートかアルバイトでも探して、婚活に専念しよう。
そうと決まればとフロアにいるはずの上司を目で探した。隣の隣の課長と話し中だ。のんびりした顔つきは業務関連じゃなく単なる雑談? しばらくすれば席に戻るだろうと踏んで手元の仕事に注意を戻した。
区切りのいいところまで仕事を片付けて顔をあげると、課長が席に戻っていた。ざっと机の上をしまって、窓を背にする課長のところへ向かった。
その週の半ば。
「失礼しました」
人事部長と課長との面談を終え、小会議室を出た。
月曜日に課長に相談してすぐにこの面談の予定が決まった。退職の意思があることを伝えると、いつ頃まで勤務できるか等の確認があった。わたしの方は業務に差し支えない範囲で、出来るだけ早く退社したい旨を伝えると、翌月の末日付けで辞めることとなった。
よそはどうか知らないけど、うちの会社では毎年5月頃の人事面接で、女子社員には結婚や退職の予定がないか確認される。性差別だと文句を言う女性の同僚もいたけど、実際に男性が結婚して会社を辞めることはないのに較べて、女性は一般で入社した人はかなり辞めていく。そんな実態がある以上、採用計画だってあるし、仕方ないじゃないかとわたしは割り切っていた。
総合職で入社した人はほぼ二通りに別れていて、独身のままばりばり仕事を続ける人と、きっぱり退社してしまう人。間はないという感じだ。わたしも、あの忙しさでは、家庭を持った女性には勤め続けることは難しいと思っていた。
わたし自身は、人事面接で聞かれるたびに、結婚したら退社するという程度のことは話してあった。和真と結婚前提で付き合っていたのは周知のことだったので、はっきりとした予定というわけではなかったけど、一,二年内には、とも告げてあった。
次年度の人員補充にも間に合うそうでタイミングが良かったせいもあったけど、部長からは残った年休も適当に消化しなさいとまで言われた。
もともと和真にそろそろ結婚しないかと尋ねたのも、今の時期が一番辞めるのに問題がなさそうだと思っていたのもあった。ただ、そのときには、辞めてからじっくり結婚準備をするつもりだったんだけど……。
どうやらさしたる問題もなく退社できそうと目途が付いて、いくぶんすっきりとした気持ちで仕事に戻ったのだった。
その翌日。
「島野さん、会社辞めるんですってね」
またか……。
自販機コーナーで振り返ると原田さん。最近割とよくあるシチュエーション。
この前の宣言通り、原田さんは和真に猛アプローチをかけているらしい。ところがそれがあまりうまくいってないみたいで、何かというとわたしに突っかかってくる。
「結婚退社って聞きました。澤口さんとはもう別れたって言ったじゃないですか」
え? なんだそういうことか。どうやらわたしの結婚退社という話から、和真とよりを戻したと勘違いしているらしい。結婚のことは昨日部長に話したばっかりだというのに情報が早い。
「原田さん、何か誤解してるみたい。結婚相手は澤口さんじゃないわよ」
「……そうなんですか?」
気の抜けた顔で返事をして、さっきの勢いはどこへやら、もごもごと何か呟いて去っていった。
退職願も既に出したし、秘密でも何でもないことは確かだけど、誰よぺらぺらと……と呆れる思いでフロアに戻ったのだった。
和真……、澤口さんからは、あのあと話をしたいと蒸し返されることが一,二度あったが、最近では声を掛けられることもなかったので、彼もようやく納得してくれたのかとほっとしていたのだったが……。
金曜日、前の週に体調を崩していた尚人さんのお母さんが、結婚を決めたわたしたちに、たまには二人でデートでもしてらっしゃいと、翔君を預かると言ってくれたらしい。仕事帰りにわたしの会社の前まで彼が迎えに来てくれるというので、帰り支度をして社内で少し時間をつぶしていたら、彼からメールが入った。返信してちょうどそろそろ下に降りようかと腰を上げたところだった。
「諒子!」
「……澤口さん」
名字で呼んだわたしにむっとした顔を見せた。
「ちょっと話したい」
「……約束があるんですけど」
そう言ったわたしに構わず、人の残っているフロアでそのまま話し出そうとするのを見て、取りあえずロビーに下りましょうと言ってエレベーターに向かった。
出入りの激しいエントランス付近を避けて、ロビーの片隅で話すことにした。
「結婚するって本当か?」
原田さん辺りから聞いたのだろう。
「本当よ。あれからお見合いして結婚することにした」
「待てよ、俺はまだ納得してない。もう少し諒子の気持ちが落ち着いてから話をしようと思ってたのに」
納得してもらえたというのは、どうやらわたしの都合のいい考えだったみたい……。
ひとつ息をついてから静かに話し出した。
「もう少しわたしの気持ちが落ち着くって? わたしが何人も子どもを持ちたいって気持ちに変わりはないし、あなたが子どもを面倒で本当はいらないって思ってる気持ちも変えようがないでしょう?」
憤りを感じながら話した前の時とは違い、今度は冷静な気持ちで話すことが出来た。どちらが悪かった訳でもない、ただ考え方が合わなかっただけ。それを彼にも分かって欲しかった。
「お互いに歩み寄れたかもしれないじゃないか」
「こんな大事なことを最初から我慢して結婚しても、長続きしないんじゃない? 家庭内に不満があれば、よそで解消したくなったりするものじゃないの? わたし子どもには安心して過ごせる家庭を与えてやりたい。それにはあなたとじゃあ無理だと思ったの……。本当にごめんなさい」
軽く頭を下げた。
時計を確かめると約束の時間はもう過ぎている。
「ごめんなさい。先約があるから」
そう言ってその場を立ち去ろうとするわたしの後を彼も追ってきた。
エントランスを出たところで腕をつかんで引き留められた。
「諒子!」
わたしたちの横を、同僚がちらちらとこちらを見ながら通り過ぎていく。こんなこと会社を辞めていくわたしよりも、彼にとってあまりいいことじゃないのにと思ったら胸が痛んで、目元がじんわりしてきた。
「かなり注目を浴びてますよ。彼女を見世物にする気ですか?」
「尚人さん」
彼は和真の腕を軽く押さえてわたしから手を外させ、間に割り込んだ。あまり見たことのない厳しい表情だった。
「関係ないやつは引っ込んでろよ」
「彼が……?」
尚人さんがわたしに尋ねた。頷いたわたしを見ると、彼は和真に言った。
「婚約者の法村尚人です。関係は大ありです。というか、今はあなたの方が関係ないんじゃないかな」
彼からは聞いたこともないような辛辣な言葉だった。
「今日は僕が先約です。話をするにしても、もうちょっと彼女のことを考えてあげたらどうなんですか?」
尚人さんが周りを見やる様子に、ようやく和真も状況を察したように気まずげな様子を見せた。
「諒子さん、行こう」
肩に添えられた手に軽く促され、歩き出しながら振り返った。
「和真、本当にゴメンね」
今度はぎゅっと肩を抱かれて、二人でその場を立ち去った。
歩きながら、さっきまでは目元が潤んでいただけだったのに、本格的に涙がこぼれだした。
「……大丈夫?」
うん、と頷くものの涙は止まらない。優しくされればされるほど、涙がこぼれてくる。
こんなわたしの扱いにさぞ困ったんだろう。しばらく歩き回ったあと、行き着いた先はラブホテルだった。