気を遣わずなんでも言い合える遠慮のない関係?願い下げですわ
私はリュシエンヌ・ダンジュ。男爵令嬢だ。
そんな私が、婚約することになった。
「リュシエンヌが嫁入りすると考えただけで泣けてくる」と、私の婚約者探しを先送りにし続けてきたお父様が、「私と同じくらいリュシエンヌのことを大切にしてくれる男だと判断した」と紹介してくれたのが、伯爵家の息子で騎士のダニエル・ロアン様だった。
「はじめまして、ロアン卿」
「どうかダニエルと」
「ええ、ダニエル様。私のことはどうかリュシエンヌと」
「ええ、リュシエンヌ嬢」
彼はなんだかもじもじしている。
「…?」
「実はリュシエンヌ嬢、私たちは初めましてではないのです。半年前の建国祭で王宮の警備をしていたとき、夜会に出られたリュシエンヌ嬢とお話をしたことがありまして」
「あら、失礼いたしました。それは、ええと…」
全く覚えていないので、言葉を続けられない。
「あなたは泥酔した他のご令嬢を介抱しておられました。それで、私に休憩室の場所を尋ねられたのです」
そんなこともあったような、なかったような。
「あまりに親身なご様子だったので、ご家族かお知り合いかと思ったのですが、あとから聞くと初対面のご令嬢だったそうで。見ず知らずの相手にあれほど親切にできるあなたのことが、忘れられなくて」
「そうだったのですね。よく覚えておらず申し訳ありません」
「ああ、善行を施しながらも自慢するどころか覚えてもいないとは、ますます心の美しい人だ」
「ええと…」
ただ物事にあまり頓着しなくて忘れっぽいだけなのに、褒められると困ってしまう。
「とにかく私はそれからあなたのことが忘れられなくて。父とあなたの父上に何度もお願いして、ようやく婚約のお話ができるところまで来ました」
何はともあれ、彼は私のことをずっと好きでいてくれて、仕事熱心で誠実。
貴族の結婚で、相手から人間性も含めて望まれるというのも、幸運なことだし。
「光栄ですわ」
そうやって、私たちは始まったのだった。
婚約者として交流を深めていっても、彼は裏表がなく、少し愛情表現が暑苦しいけれど、いい人のままだった。
「ダニエル、誕生日のプレゼントが多すぎるわ」
「どれもリュシエンヌに似合いそうで絞れなくて」
「それにしても買い過ぎよ。いったいどれだけ散財したの」
「ああリュシエンヌ…!堅実なところも素敵だ」
「もう、なんでも褒めるんだから…っ!」
「リュシエンヌ、こっ…この…このハンカチを私に!?」
「ええ。あなたが手作りの小物を欲しがっているようだと、ロアン邸の執事から聞いたの。刺繍が下手だから渡そうかどうか迷ったのだけれど…」
「ありがとう…!一生大切にする…!なんて神々しい不死鳥だ!」
「…熊よ?ロアン家の家紋の…」
「すっ…すまない!どうか気分を害さないでくれ」
「気分を害してなどいないわ。あまりにあなたが率直で、笑っているのよ」
そうやって私たちはお互いのことを知り、穏やかな愛情や二人で叶えたい未来像を、順調に育んでいった。
◆
そんなある日、とあるお茶会で私の前に現れたのが、辺境伯家の令嬢であり女性騎士でもあるカリーヌ様だった。
「お茶会のメニューって、全部が全部小さいのね。『女性のことしか考えていない』という感じだわ。でも私はもっと食べ応えがあるほうが好きなの。ほら、私っていつも身体を動かしているし一緒に食事をするのも大男ばかりだから、小さい食べ物に慣れていないのよね」
主催者の顔色が変わるのも気にせず、堂々とお茶やお菓子にケチをつけている。
「そもそもお茶を飲んで他人の悪口を言っているだけの女とは気が合わないわ。私ってそういうネチネチした雰囲気は嫌いで、騎士みたいながさつな男どもと騒いでいるほうが、さっぱりして性に合っているのよ」
「だったら女性だけのお茶会になんて来なければいいのに」と誰もが思ったとき、カリーヌ様がすっと私の前に立った。
「あなたがダンジュ男爵令嬢ね。私はサンシモン辺境伯の娘で騎士のカリーヌよ」
「お会いできて光栄です」
私が礼をすると、彼女は鼻で笑った。
「可愛らしいドレスね。それに髪型も可愛いわ」
今日の私はリボンとフリルがもりもりの可愛らしいドレスに、水色髪ツインテール。
「お褒めいただき恐縮で…」
「可愛いけれど、男受けを狙う魂胆は見え見えね」
お礼の言葉は、早口な彼女に遮られた。
彼女がお茶会に参加した目的が私であることは明らかで、他の参加者たちは「助けたほうがいいのかしら」「でもどうやって」という目で、心配そうに私を見つめる。
けれど私は顔を引きつらせることもなく、にっこりと笑える。
だってこのドレスは私の趣味ではなく、ダニエルの好みだから。なぜだか私は他の令嬢のようにドレスにあまり興味が湧かず、彼の好みに合わせているだけなのだ。
「このドレスを贈ってくれたのは婚約者なのです。確かに彼からはとても褒められましたわ。その意味では『男受けがいい』と言えるのでしょう。他の殿方がこの過剰なリボンとフリルをどう思うかは、わかりかねますが」
「そ、そう…」
彼女は少し唇を噛んで、もっと強い技を繰り出すように、口を開いた。
「婚約者と言えばあなた、ダニエルを美術館や演奏会に連れ回しているらしいじゃない」
ダニエル。
彼女が彼をそう呼んだ瞬間に、悟る。彼女はダニエルのことが好きなのだろう。だからダニエルと婚約した私が気にくわなくて、私を貶すために、普段は参加しないお茶会に出てきたのだ。
と、「あら、いやだ」とカリーヌ様がわざとらしく口を覆った。
「普段からダニエルって呼んでるの。もちろん彼も私のことをカリーヌって呼ぶし。だからつい癖で呼び捨てにしちゃってごめんなさい」
「うっかりは誰にでもありますわ」
本当はうっかりではないのだろうけれど、こんなことで私の心を乱そうとしてくるのがお可愛らしいから、私はまた笑みを浮かべる。
「ご質問は何でしたかしら。あ、ええ。二人で美術館や演奏会によく行きますわ」
「それってあなたの趣味でしょ?彼は拳闘場とかが好きなタイプだもの。美術館や演奏会で、彼が本気で楽しんでいると思う?」
「ええ、彼からはそう聞いておりますわ」
《ねえダニエル、出かける場所はいつも私の好みに合わせてばかりじゃない?あなたは退屈ではないの?》
《退屈なものか。目を輝かせているリュシエンヌを見ると、心が満たされる。それに君が好きなものを知るのは、とても楽しいよ》
カリーヌ様は「ふん」と笑った。
「気を遣ってそう言ったんじゃないの?」
「確かにそうかもしれませんわね」
「私への扱いとは正反対ね。私ったら、いつも彼から『お前には気を遣う必要がない』なんて言われるの」
「ええと…?」
私は困惑してしまう。
彼女はにやりと笑って自慢しているような態度なのだけれど、何がどう自慢になるのか、よくわからないからだ。
「ダニエルに気を遣われないことが、そんなに嬉しいのですか?」
「嬉しいというか、私にとっては普通のことというか」と、彼女はさらに得意げに顎を上げる。
「ただ気を遣わずなんでも言い合える遠慮のない関係って、私に気を許してくれているという証明にはなるわよね。あなたとダニエルとの関係とは違って。あらごめんなさい、別に私のほうが婚約者であるあなたよりダニエルと親密だと言いたかったわけではないのよ。でもほら、男って結局は気を遣わずにいられる相手を選んだりするじゃない?だからあなたも気をつけないと、いつかは…ねえ?」
私は「ふふっ」と笑った。
どうでもいいことを、くどくどと。本当にお可愛らしくて、滑稽なこと。
「それならそれで構いませんわ」
「…え?何を強がって…」
「強がってはおりません。私はダニエルのことが好きで、ダニエルが常に私に気を遣ってくれることをありがたく感じております。けれど彼が『私に気を遣うのが疲れるから、楽なカリーヌ様を選ぶ』というのなら、構いません」
「ど、どうして…」
「私に気を遣ってくださらない殿方など、願い下げでございますから」
「過保護にしろ」とは言わないし、「私を第一優先にしろ」とも言わない。
けれどこれからの人生でもっとも近しい女性となるはずの婚約者に対してすら、まったく気を遣わない男性など、私の前からいなくなってくれたほうがいい。
「愛されている」「大切にされている」と、微塵も感じられないのだから。
「お互いが理想とする関係が違うのなら、離れたほうがお互い幸せでしょう」
◆
カリーヌ様が言い返す言葉を失ったとき、「そんなことはあり得ない!」と太い声がした。
「ダニエル!?」
「君に気を遣うのが疲れるなんてありえないぞ、リュシエンヌ!君と離れるのも絶対に嫌だ」
「ええ、もちろんあなたがそう言ってくれるであろうことはわかったうえでの発言だけれど、そもそもあなたはどうしてここに…」
「君に贈る新しいドレスができたから、一刻も早く着て欲しくて、迎えに来た。こんなに大きなリボンが胸についていて、絶対に君に似合うと思うんだ」
「ええと…というか、今日はここでお茶会だとお伝えしていました…?」
「ああ。私は、君が言っていたことはどんな些細なことでも覚えているよ。君が忘れていることでもね」
ダニエルが私のほうに歩いて来ようとしたところで、カリーヌ様がぎりっと歯を噛んでから「ダニエル!」と叫ぶ。
「ちょうどよかったわ。聞きたいの。私とリュシエンヌ嬢、どちらといるときがより楽?」
ダニエルは「楽なのはもちろんカリーヌだ」と即答して、場の雰囲気を凍らせる。
「そうよね。気楽だから私の前では素を出して『俺』って言うし、きっとリュシエンヌ嬢の前ではできない話もするのでしょう」
「そうだな」
「ひどいですわ、ロアン卿!」と参加者が彼に詰め寄り、カリーヌ様は私の顔色を窺いながら、満足げに「ほらね」とにやにやし始める。
「やっぱりね。だったら『気を遣ってくれなきゃ別れる』なんて言う彼女より、気を遣わなくていい私と結婚したらいいじゃない」
「なんてことを言うの!」と参加者が騒ぎ、私に「さすがにこれはひどいですわ。抗議いたしましょう」とアドバイスをくれる。
――だけど私は、彼の暑苦しさを信じている。
思った通り、ダニエルは「笑えもしない冗談はよしてくれ」と眉をひそめた。
「カリーヌには嫌われても構わないから、気を遣わずにいられる。だけどリュシエンヌに嫌われたら死にたくなるから、気を遣わざるを得ない」
「あら」と参加者たちが目を丸くした。
もちろんカリーヌ様も。
「愛している女性に気を遣うのは当然だ。どう気を遣ったらいいのか悩ましいときもあるけれど、その苦しさすら愛せるくらいに、俺はリュシエンヌを愛してる。愛とはそういうものだろ?」
「でっ…でもそれじゃ、言いたいことも言えないじゃない!ダニエルはそんな関係でいいの!?」
「気を遣いながらでも、言いたいことは言えるぞ?伝え方に気を遣えばな」
動揺するカリーヌ様に、ダニエルはその率直さでとどめをさした。
「お前も好きな相手くらいには気を遣えよ?『正直』『さっぱり』という言葉で無神経さを言い訳して、言いたいことをそのまま言っていたら、愛する人に愛想を尽かされるぞ。ほら、お前がいつも話してる『私のことを好きっぽいくせに、私から迫っても気づかない鈍感な奴』に」
カリーヌ様はぶるぶると震え、周囲の参加者もぷるぷると震えだす。
カリーヌ様は怒りと恥ずかしさで、参加者は「鈍感な奴」が本当に鈍感であることに笑いを堪えて。
「ダニエルなんて大っ嫌い!」と絶叫して、カリーヌ様はお茶会の会場から走り去った。
私に見せつけるために着てきたはずの上質なドレスが、庭の茂みに引っかかって破けるのが見えた。
◆
「さあさ、仕切り直しましょう」と主催者が満面の笑みを浮かべ、ダニエルに「ロアン卿は本物のヒーローですわ。ぜひお茶を飲んでいってくださいな」と席をすすめる。
歓迎されたダニエルは、出されたお茶を飲みながら首をひねった。
「私も彼女に遠慮なくズケズケ言われて、傷ついたことは多いんだ。なのにどうして自分が言われたときだけ、被害者面するのだろう」
「彼女はあなたのことが好きなのよ。だからわざわざ私に絡みにきたのだし」と言おうかどうか迷って、私はお茶とともに言葉を飲み込んだ。
カリーヌ様がもし騎士団で勤務を続けるのなら、カリーヌ様とダニエルの間がこれ以上気まずくなるようなことは、言わないほうがいいだろうから。
「これが私なりの気遣いです。それとも遠慮なくすべてダニエルに伝えたほうがよかったでしょうか」と言ったら、カリーヌ様はどんな顔をするかしら。
2026年10月18日 [日間]総合 - すべて のランキングで1位をいただきました!
勢いで書いた作品(しかももともとは他の作品の一部にしようと思っていたエピソード)なので、思わぬ結果にびっくりしております。
読んでくださった皆様、ブクマ、評価、リアクション、コメントいただいた皆様のおかげです。ありがとうございます。




