9:研究とお茶会
「魔法を無効化する、ですか?」
そう言われても、ぴんと来ない。
「はい。普段、魔法に接する機会はあまりないでしょうから、気付きにくいことかもしれませんね」
サイラスは自分のティーカップを持ち上げて、中身を飲み干した。
「今、オルコット嬢には私が何をしているように見えましたか?」
「……紅茶を飲まれたと思います」
当たり前すぎる返答に、サイラスは頷いた。
「先ほど魔法でお茶を淹れた時、俺はもう一つ魔法をかけていたんです。どんな魔法か、わかりますか?」
彼がゆっくりと、ティーカップをソーサーに置く。もちろん、茶器たちが勝手に動き出すことはなく、今は何の変哲もないように見える。レティシアは首を横に振った。
サイラスは指先でティーカップに触れる。
「このティーセットが、俺以外からは見えなくなる魔法です」
「……え?」
レティシアは改めて目の前のティーセットを眺めた。
それは確かに、そこに存在している。ふたり分の空になったカップの底に、ほんの僅かに琥珀色の液体が残っていることまで、はっきり見とれた。
「クレアを呼んで、見てもらえばわかりやすいでしょうか」
サイラスがまた魔道書に触れる。少しして、コンコンと小さく扉がノックされた。
「サイラス様、お呼びですかー?」
「はい。ティーセットを片付けて頂いていいですか?」
サイラスが言うと、失礼します、とクレアが研究室に入ってきた。レティシアたちが座っている応接スペースを見て、クレアはきょとんと首を傾げた。
「……どこにティーセットがあるんですか?」
テーブルの上だけでなく、クレアは執務机の上など、部屋中に視線を走らせている。
「クレアさん、本当に見えていないのですか?」
レティシアは問いかけながら、カップを指差してクレアに示す。けれど彼女の目線は、てんで見当違いのところを凝視していた。
「クレア、カップを渡すから手を出してみて」
サイラスに言われるがまま、クレアが右手を差し出す。
レティシアには彼がカップをクレアの手に置いたように見えた。カップが触れた瞬間、彼女の目が見開かれた。
「ええ!? ……嘘、ちゃんとカップがあります!」
クレアはカップを握りしめ、左手で輪郭を確かめるように触れる。取っ手の部分に触れて、ようやくそれがティーカップだと確信したらしい。
「魔法を解除しますね」
レティシアはじっとクレアの手の中のカップに注視していたけれど、特に変化は感じられなかった。クレアにとっては衝撃的な体験だったらしく、手の中のカップとテーブルのティーセットに、せわしなく視線を移動させ続けている。
「これでわかりましたか? オルコット嬢には、魔法が効かないようです」
クレアの様子を見れば、信じざるを得ないだろう。
魔法が効かないなんて、そんなこと、今まで思ったこともなかった――
「……ん? そういえば私、お茶の用意はしていないですけど」
クレアが声を上げ、可愛らしい目をつり上げてサイラスを見た。
「サイラス様、まさかレティシア様に魔法のお茶を出したりしていませんよね? 欠陥魔法だから練習してからにして下さいって、あれだけ言ったのに!」
クレアがずいっと進み出た。彼女の剣幕に圧されるように、サイラスがソファの上で小さくなっている。
「す、すまない。彼女を歓迎しようと思って、つい……」
「つい、じゃありません! レティシア様、少し待っていて下さいね。お茶を淹れ直しますからー!」
クレアがティーセットを持って出ていく。主相手にあんな風に怒る彼女ははじめてで、レティシアは呆気に取られてしまった。
「すみませんでした」
クレアに怒られ、サイラスはしゅんとしている。
「いえ、私は大丈夫です」
「……そう言って頂けると、助かります。練習しますので、また披露させて下さいね」
彼はふわりと笑顔を見せてくれた。
サイラスは席を立ち、デスクから手帳と筆記用具を持ってくると、また向かいのソファに座る。
さらさらとメモを取る手つきは迷いなく、その青い瞳は真剣なのに、どこか輝いているようにも見えた。
「魔法が効かないというのは、非常に興味深いですね。オルコット嬢に来て頂けて、本当に良かった。研究のしがいがありそうです」
文字を書き付けながら、さらっと言われたその言葉に、らしくなくレティシアの心がざわついた。
片手間に言われたからこそ、その言葉が偽りなく本物だとわかる――
「……私などでお役に立てるのなら、良かったです」
この感情をどうしていいかわからなくて、レティシアは小さく呟いた。
メモを続けていたサイラスが、ふと顔を上げて羽ペンを置いた。
「他に、今までに生活してきて困ったことや、気になったことはありますか? どんなことでも構いません」
「困ったことは、たくさんあります。魔石を扱えないので、魔道装置を動かすことができないのです」
レティシアは、テーブルの端に乗っている小さな魔法灯に目を向けた。
ここ、アルヴェイン王国では、魔石を使った魔道装置が生活に欠かせない便利なものとして使われている。
レティシアは手を伸ばし、魔法灯のベース部分に埋め込まれている魔石に触れた。案の定、何も起こらない。
魔力を流して使うそれを、この国でたった一人、レティシアだけは使うことができないのだ。今度はサイラスが手を伸ばし、魔石に触れた。レティシアの時とは打って変わって、ランプは素直に光を放ち始める。
「なるほど。それは確かにお困りかもしれませんね。……何とかできないか、少し考えてみます」
「できるのですか?」
「やる前から諦めていては、何もできませんから」
サイラスがにこりと微笑んだ。
その強さが、少し羨ましいと思う。向けられた笑顔が気恥ずかしくて、レティシアはまた魔法灯を見つめることにした。
(そういえば……)
光っている魔法灯を見ていて、ひとつ思い出したことがある。
レティシアは再び魔法灯に手を伸ばして、魔石に触れる。今度はレティシアが意図した通りに、魔力を失い明かりが消えた。ほんの僅かに、眩暈を覚える。
「おや、切ることはできるのですね」
魔力ゼロのレティシアは魔道装置を動かすことができないけれど、逆に与えた魔力を奪い、装置を止めることはできる。
「はい。公爵は魔法が効かないと仰いました。それは、魔道装置を切ることはできるのと関係がありますか?」
レティシアの質問に、サイラスは腕を組んで考え込んだ後、躊躇いがちに頷いた。
「憶測になりますが、オルコット嬢は魔法を無効化するというよりは、魔法を還元することができるのではないかと思います」
「還元?」
サイラスの言葉が、うまく飲み込めない。
その時、ノックの音が響く。
扉が開き、クレアが新しいお茶を持って戻ってきた。テーブルに並べられたカップから、紅茶の香りがふわりと漂う。
……そういえば、先ほどサイラスが淹れてくれたものは香りがしなかったなと、今さら思い出す。
「もう少し、私の方で考えてみてもいいですか。結論が出たら、必ず貴女にお伝えしますから。今日はお茶を飲んでゆっくりしましょう」
「……わかりました」
言いながら、サイラスはまた砂糖を紅茶に投入している。
ふと、シュガーポットの横に、先ほどはなかったクッキーの小鉢が並べられているのが目に入った。
「私が焼いたんですよ! 食べてくださいね~」
「……わざわざすみません」
クレアに一言断ってから、クッキーを口に入れる。甘さとバターの風味が混ざりあって、とても美味しい。
サイラスも、柔らかな表情でクッキーを摘まんだ。
「甘いものはいいですね」
言いながら、彼が2個目に手を伸ばした。その手を、クレアがぺしんと軽く叩く。
「食べ過ぎです。紅茶にもお砂糖を入れてましたし、そんなに食べたら病気になっちゃいます!」
「考え事をするには糖分が必要なんだよ」
「なら、後一個だけですよ」
「……わかった」
サイラスはしぶしぶといった様子で頷いていた。このふたりからは主従というより、姉と弟みたいな雰囲気を感じる。年齢的には兄と妹のはずだけれど。
クレアと話していたサイラスの顔が、ふいにこちらに向いた。
「俺は甘いものが好きなんです。オルコット嬢は、何かお好きなお菓子はありますか?」
彼に問われ、レティシアは考え込んでしまった。
両親が亡くなる前――子供の頃は、何が好きだっただろう。記憶の彼方にある思い出を、ゆっくりと辿る。
サイラスも、クレアも、口を挟まずに待っていてくれた。
「……アップルパイ、でしょうか」
掠れた声で答えると、当時の記憶がすっと甦った。
「8歳の誕生日に、母が焼いてくれたんです」
普段母は料理をしなかったから、味はあんまり美味しくなかった覚えがある。けれど、林檎をたくさん使って作ってくれたことが何よりも嬉しくて――
「素敵な思い出ですね」
サイラスの穏やかな声が響いた。どうしてか心が揺さぶられて、レティシアは小さく頷く。
サイラスとクレアは、無言で目配せをする。
(私は研究対象のはず、なのに……)
どうしてか、この時間を良いと感じ始めている自分がいる。そんな甘い考えを、咄嗟に振り払った。
ここに居てもいい『お客様』ではない。そう、自分に言い聞かせる。
カーテンの隙間からこぼれた午後の日差しが、静かな研究室の中をやわらかく照らしていた。




