7:こんな日々が、ずっと
どうしたいですか。
問われた言葉が、ぐるぐるとレティシアの中で渦を巻いていた。
サイラスはじっとレティシアに視線を向けている。その瞳は楽しげに細められていた。
クレアも何も言わず、縫い止められたように立ち尽くしている。
この場の全員が、レティシアの意見を待っていた。その圧力に、押し潰されそうになる。
(私は……)
胸元に手をやり、ネックレスに触れた。
選びたいものは、心の中にある。だけどそれを口にする勇気が出なかった。
決めるということは、選ばなかった誰かの機嫌を損ねること。オルコット家で意見を言えば、それは必ず、罰という形でレティシアに返ってきた。
なら、選ばなければ、何も起こらない。
そんな考えで、ずっと生きてきてしまった。
(だけど、ここは違う)
ネックレスの冷たい感触が、レティシアを過去から今へと引き戻す。
思いきって、顔を上げる。
サイラスは穏やかな瞳でレティシアを待っていた。クレアもまた、こちらを見守ってくれている。どちらにも、レティシアを責める色はない。
(大丈夫――ここでは、選んでもいい)
そう思わせてくれる雰囲気が、ふたりにはあった。
レティシアは覚悟を決める。サイラスの方に顔を向け、一歩を踏み出した。
「……申し訳ありません。今日はクレアと掃除をしてもいいでしょうか。先に約束をしていたのです」
その言葉に、慌てたのはクレアだった。
「レティシア様! 私のことなど――」
「わかりました」
クレアの言葉を割ったのはサイラスだ。微笑みながら、レティシアを見つめている。
「意地悪な質問に聞こえたかもしれませんね。申し訳ありませんでした」
断られたというのに、彼は優しく、紳士的な態度を崩さなかった。
「こちらこそ……研究のためにここにいるのに、我が儘を言ってすみません」
「構いませんよ。貴女の選択を尊重します。研究は逃げませんし、いつでもできますから。それに……」
サイラスは一度、言葉を切る。ゆっくりと言葉を選んでいるのか、少しの沈黙が流れた。
「貴女が誠実な人だとわかって、嬉しく思います。研究についてはまたお誘いしますね」
その声はいつもより柔らかく、凪いだ湖のように静かだった。対して、レティシアの中には波紋が生まれ、ゆっくりと広がっていく。
誠実な人と言われた瞬間――心の奥底でずっと沈めてきたものが、柔らかく揺り動かされた。
初めて、誰かに『選んでもいい』と、そう言われた気がして。
サイラスはレティシアの様子には気付かず、来たときと同じ、研究エリアの方へと去っていく。その背中が見えなくなるまで、レティシアは視線を外さなかった。
――誠実な人。
かけられた言葉が、まだ胸の奥でほのかに灯っている。
「レティシア様っ!」
クレアが階段を駆け下りて、レティシアの方へとやってきた。
「大丈夫ですか?」
「はい。持ってきてくれてありがとうございます」
クレアがお仕着せを渡してくれたのを、レティシアは花束と交換して丁寧に受け取った。
「でも、いいんですか?」
クレアがちらちらとサイラスが去っていった方を気にしている。
「約束は守りなさいと、両親に言われていましたから」
レティシアは胸元のネックレスに目を落とす。亡き両親との思い出は、どんな些細なものでもレティシアの心を支えてくれる宝物だった。
クレアの手伝いでドレスを脱ぎ、お揃いのお仕着せに着替えた。お仕着せの方が動きやすく、馴染む感じがしてレティシアは好きだった。
「ほんとはお客様にこんなとこ、見せちゃいけないとはわかってるんですけど……」
そう言いながらクレアが開けた扉は、レティシアが使っている部屋とは違う客室に繋がっていた。中の造りは同じだけど、長く誰も入っていなかったのか、うっすら埃が積もっている。
「このお屋敷、万年人手不足だからお掃除の手が足りてないんです……」
「一緒にやりましょう」
申し訳なさそうにもじもじするクレアにそう声をかけたら、彼女はぱっと顔を明るくしてくれた。
「はいっ!」
ふたりで埃を巻き上げながら部屋に入り、窓を開け、家具の上に降り積もった埃を払う。
「人手が足りなくても、公爵はメイドを増やそうとは思わないのですね」
「そうなんですよ。かといって一人一人の分担を増やすこともしなくて、手が回らないところはやらなくていいって仰るんです」
クレアの話に、思わず箒を動かす手を止めた。
(……不思議な方)
サイラスのことを、もう何度そう思ったかわからない。
普通の貴族であれば、邸宅の惨状を良しとしたり、招いた令嬢に掃除をする許可を出したりしない。公爵である主人よりメイドのクレアを選んだことだって、決して許しはしないだろう。
「世間はサイラス様を変わり者って言いますけど、私たちはみんなここが大好きなんです」
えへへ、とはにかんだように笑うクレア。開け放した窓からあたたかな春風が入ってきて、お仕着せの裾を優しく揺らした。
思えば、ここで働く人はみんな、笑顔と明るさに溢れていた。それがサイラスの人柄によるものなのだとしたら――きっと彼は、悪い人ではないのだと思う。
「公爵は、どんな方なのですか?」
クレアはうーん、と顎に手を当てる。その拍子に、ポニーテールが小さく跳ねた。
「優しくて、偉ぶったところがなくて、魔法と拾い物が得意なんです」
「……拾い物?」
「はい! なんて言ったらいいのでしょう。必要なものを見つけ出す観察力が高いというか……それを手元に置くための努力を惜しまないというか……?」
クレアも適切な言葉が見つからなかったようで、拭き掃除をしながら考え込んでいる。
「ここにいるうちに、レティシア様にもわかると思います!」
クレアの笑顔に、肩の力が抜ける。張りつめていた心が緩み、レティシアの表情も僅かに柔らかくなっていた。
「教えてくれてありがとうございます。……クレアさんがいてくれて、良かったです」
「えっ! そ、それほどでも!」
クレアが顔を赤くしている。
「これからも、よろしくお願いします」
そう言って頭を下げたけれど、この日々はいつまで続くのだろうかとふと考えてしまう。
ずっと、ずっと続けばいいのに――そんな祈りを抱いてしまった自分が怖くて、箒の柄を軽く握りしめた。




