6:サイラスからの問いかけ
朝食の後、クレアは邸宅の中を案内してくれた。
サイラスの『研究所』は貴族の別邸といってもかなり小規模で、部屋数も働いている人も少なかった。
「このお屋敷に勤めている人は、みんなサイラス様がご自分で選んだ人なんですよ。働きやすい職場ですけど、お陰様で万年人手不足なんですよねー。少数精鋭ってやつです」
クレアはそうぼやきつつも、どこか誇らしげな様子だった。
廊下で、クレア以外のメイドとすれ違った時、レティシアは視線を落として床を見た。身構えるレティシアを気に留めることもなく、彼女は優しい声と笑顔で「おはようございます」と挨拶をしてくれた。
働く人々はレティシアに当たり前みたいに声をかけてくれる。その声色は明るく、柔らかな雰囲気に満ちている。いつの間にか、体の強張りは緩んでいた。
「ここが応接室で、ここがサイラス様の寝室で、こっちがレティシア様が使っている以外の客室です」
そういう、普通のお屋敷にある部屋がある一方で、
「ここからこっち側は魔法の研究をしているエリアなので、ちょっと危ないかもしれません!」
クレアは玄関ホールから東に伸びる廊下を指差す。
「危ない……ですか」
「ええ、危ないです。何が起こるかわかりませんから」
彼女が神妙な面持ちで頷くものだから、レティシアはまじまじとそちらを見てしまった。東の廊下は陽光が差して明るいけれど、しんと静まり返っている。
「さ、あとは玄関の外です」
クレアがくるくると動くたびに、花の香りがふわりと漂う。それで自然に呼吸ができていることを、今更ながら気が付いた。
「ここにいらっしゃる時に見たと思いますけど、外にはお庭と温室があります。お庭は安全ですけど、温室はサイラス様が育てているよくわからない植物があるので、危ないです」
(よくわからない植物……)
レティシアの脳裏に、今朝温室で見かけたサイラスの姿が浮かぶ。何か記録していたようだったけど、あれも彼の研究の一貫なのだろうか。
「これで全部です。レティシア様、何か質問はありますか?」
「あの、掃除用具の場所と、洗濯部屋の場所を教えて頂けますか」
レティシアが言ったら、クレアがぎょっとしていた。
「な、なぜですか! レティシア様には関係ないですよ?」
「ただお世話になる訳にはいきません。私が来たせいで、クレアさんの元々の仕事が滞っているのではないですか?」
迷惑をかけている。だからその分、できることで役に立たなければ、いずれ――そんな考えが浮かび、レティシアはぎゅっと目を閉じた。
「クレアさん、お願いします。私にできることがあれば、精一杯努めたいんです」
お喋りなクレアが、眉間に皺を寄せて考え込むこと、数秒。
「………………わかりました」
最終的には折れてくれた。自分の負い目を盾にクレアに無理強いをしたようで少し心苦しいけれど、彼女はレティシアを見てにこっと微笑む。
「サイラス様から、なるべくレティシア様の意思を尊重するように言われていますから、それがお望みなら従います。少し待っていて下さい、お仕着せの予備をとってきます!」
「ありがとうございます、クレアさん。一緒にやりましょう」
2階へと軽い足取りで駆け上がっていったクレアを見守る。
(良かった、これで少しでも気持ちをお返しできる)
そう思わずにはいられなかった。
クレアが消えた廊下を眺め続けていたレティシアの視界に、赤いもの――薔薇の花束が映り込む。
「こんにちは、美しいオルコット嬢。お近づきの印にこれをどうぞ」
突然、横から声をかけられたことに驚いて、一歩後ろに下がってしまう。
そちらに視線を向けると、いつの間にかそこに異国風の容貌を持つ青年が立っていた。無造作に見えてちゃんと整えられた銀髪と、着崩したコートが、軽さを匂わせている。
コートの胸元に、青い石のピンブローチが輝いていた。クレアの物と同じデザインに見える。
(……お揃い?)
そんな疑問が胸に浮かぶ。
レティシアは目を瞬かせて彼を見た。彼は人の良さそうな笑みを浮かべ、花束を更にレティシアへと近付けた。赤い薔薇たちはいきいきと咲き誇っている。
「……ありがとうございます」
人の好意を無下にするのはよくない。そう思って、戸惑いつつも受け取ることにした。
レティシアの手の中に納まった花束から、薔薇の甘く華やかな香りが漂う。レティシアよりも、この花は男性自身に似合いそうだなと思った。
「こんな美人が来てくれるなんて、これから毎日楽しくなりそうですね。本音を言えば、可愛く笑ってくれれば完璧なんですけど……どうでしょう?」
(どうでしょうと言われても……)
レティシアは返事ができなかった。表情の作り方なんてもう忘れてしまったし、その上『可愛く』なんて無茶にも程がある。
この人は何を言っているんだろう――そんな目で彼を見てしまったのに、男性は少しもめげなかった。
「いやぁ、クールな貴女も素敵ですね。今日ばかりはサイラス様を崇め奉りたい気持ちですよ」
「なら、客人を口説くのはやめてくれるかな? ロードリック」
笑い混じりにかけられた言葉。ロードリックと呼ばれた男性は、ぎくりと体を震わせる。振り向くと、玄関ホールの向こう側、例の魔法エリアからサイラスが歩いてきたところだった。
「サイラス様、これは挨拶です。女性に愛を囁くのは、紳士の義務ですから!」
「はいはい。仕事に戻って。オルコット嬢は真面目な方だから、仕事熱心な男の方が素敵だと思ってもらえるんじゃないかな」
サイラスの一言に、ロードリックの目がきらりと輝いた。
「なるほど、すぐ仕事に戻ります! オルコット嬢、改めてよろしくお願いしますね」
ロードリックは立ち去りながら、何度もレティシアを振り返ってウインクしたり、手を振ったりしてきた。手を振り返した方がいいんだろうか……と悩んでいるうちに、その背中は部屋に入って見えなくなってしまう。
サイラスがふう、と息を吐いた。
「すみません。ロードリックがご迷惑をおかけしました」
「いえ。なんというか……とても生き生きとしたお方ですね」
「ある意味、そうかもしれません」
サイラスは笑っていた。彼を窘めるようなことを言いながらも、ちゃんとロードリックを『少数精鋭』の中に入れているのだろうと伝わってくる、優しげな笑顔だった。
「レティシア様ー! ――あ」
2階からクレアの声が降ってきて、途切れた。硬直しているその手には、新品のお仕着せと、掃除道具一式が握られている。
理知的な青の瞳でクレアを見たサイラスは、それだけで状況を理解したらしい。深く頷いてから、レティシアを見つめた。
「オルコット嬢。あれは、自分からお願いしたのですか?」
「……はい。お世話になっていますから、自分にできることがしたかったのです」
レティシアは答え、視線を落とした。ドレスの生地をぎゅっと握る。勝手なことをするなと言われてしまうだろうか。
自分が責められるのは慣れているし、いい。でもクレアはレティシアが無理にお願いしたから、叶えようとしてくれただけ。その彼女が叱責されるなんてことは、あってはならない。
「…………なるほど」
サイラスの声が、長い沈黙を終わらせる。
彼はクレアを見て、それからレティシアを見た。息を止めて、彼の言葉を待つ。
「俺は貴女に、今から研究へ協力してもらえないか頼もうと思い、ここに来ました。でも、クレアと掃除をする予定だったんですね」
その声色は、あくまでも優しい。けれど研究という言葉が、見えない壁のようにレティシアとサイラスを隔てている――そんな風に、感じられた。
「オルコット嬢に問いましょう。貴女はこの後、どうしたいですか?」




