5:不思議な人
そうしているうちに、日の出の時間を迎えた。朝焼けで鮮やかな色合いを見せる空の下、木々の一番高いところがまぶしい朝陽に照らされ、透けるように輝いている。
あの家にいたころは、こんな風にじっと庭を眺めることなんてなかった。そんな時間は、レティシアには与えられていなかったから。
美しい景色に、心が和む。
「朝の庭も良いものでしょう? 植物には癒しの効果もありますから、貴女に必要かなと思いました」
「……そう、ですか。すみません、気を遣わせてしまいましたか」
恥じ入るように目を伏せると、隣でくすりと笑う気配がした。嘲りではない――柔らかな雰囲気だった。
「俺がしたくてやったことですから、お気になさらず」
サイラスに笑みを向けられたことが何となく気恥ずかしくて、もう彼の顔が見られない。
「昨日のメイドはどうでしたか? 貴女専属の侍女にどうかなと思っているのですが」
「それは……」
どう答えていいかわからず、そこで詰まってしまう。言葉を探すレティシアを、サイラスはじっと待っていてくれた。急かす様子も、困った顔もない。
その姿勢に、体の力が僅かに抜けていく。
(上手く言えなくても、いいのかもしれない……)
レティシアを見るサイラスの雰囲気は、元婚約者や従妹とはまるで違う。沈黙していても、怖くない。
だから、レティシアは落ち着いて自分の考えをまとめることができた。
「……あの、自分のことはなるべく自分でやりたいです。今までもそうしてきたので」
「なるほど。では、クレアには貴女の侍女と、メイドとしての業務を兼任して貰いましょうか」
隣を歩くサイラスがふと、足を止める。いつの間にか庭園をぐるりと一周して、屋敷の前に戻ってきていた。
庭にかかっていた朝霧はすっかり晴れている。煌めく朝陽の中、屋敷の前に小柄な人影が立っているのが見えた。
彼女は立ち止まったレティシアたちに気付き、大きく手を振ってくれる。
「おはようございますー! って、何してるんですかっ!!」
話題に出ていたメイド――クレアが小走りに近付いてきた。最初は表情が見えなかったけれど、次第にこちらを睨み付けていることがわかり、レティシアは反射的に身構えてしまう。
けれどクレアがつかつかと詰め寄ったのは、レティシアではなくサイラスだった。腰に手を当てて、長身のサイラスを覗き込むように見上げる。
「レティシア様をこんな格好で外に出すなんて!! 風邪を引いたらどう責任を取るんですか!?」
「ごめんなさい。着替えを持っていなかったので……」
咄嗟にレティシアが謝ったら、クレアはこっちをくるりと振り向いた。
「レティシア様は何にも悪くありません。朝早くから薄着で淑女をつれ回す悪い男に言っているんです!」
「敷地内だし、ガウンがあるから構わないだろう?」
「レティシア様は寒そうにしてるじゃないですか!」
指摘され、思わず襟元を寄せていた手を放す。クレアが空になった手を取って、屋敷の方へとレティシアを導いた。
「さ、レティシア様、お着替えをしましょう」
クレアがずんずん進んでいくので、レティシアは後ろ髪を引かれる思いで振り向いた。
サイラスは立ち止まったまま、気にした様子もなく柔らかく微笑んでいる。
「オルコット嬢。お嫌でなければ、またお誘いさせて下さい」
彼の言葉と、体調を思いやってくれるクレアの手のあたたかさに、胸にじんわりと熱が生まれる。
「……はい」
心のままに、そう言葉が漏れていた。
クレアと二人で部屋に戻り、身支度を整えてから朝食のためにダイニングへ向かう。
1階にあるダイニングは、窓が大きめで明るく開放的な雰囲気だった。
朝食でも、レティシアはオルコット家との違いに目を瞪ることになる。
席に着いたレティシアの前に並べられたのは焼きたてのパンに果物のジャム、たくさんのサラダ、スクランブルエッグ。
オルコット家では、残り物を食べるのが当たり前だった。まともな食事なんて本当に久々すぎて、見ているだけでお腹いっぱいになりそうだった。
「レティシア様、大丈夫ですか?」
紅茶を注いでいたクレアが、動かないレティシアを心配そうに覗き込んでくる。
「……大丈夫、です」
恐る恐る、カトラリーを手にして食事を始めた。どれもとても美味しくて、温かい。昔――両親が生きていた頃を、ほんの少しだけ思い出させる味がした。
「私、ずっとお姫様の身の回りをすることに憧れていたんです。でも、ここのお屋敷ってサイラス様しかいなかったから、なかなか機会がなかったんですよねー」
食後のお茶を頂いていると、クレアがそんなことをお話してくれた。
「……お世話になって、いいのでしょうか」
ぽつりと言葉が漏れる。
先程着付けてくれたドレスや髪飾り、それに朝食。そのどれもが、役立たずなレティシアには分相応なもののように感じられる。
そういう意味で問いかけたのに、クレアはこてんと首を傾げた。
「どうして、そう思われるのですか?」
「私は魔力ゼロで何もできないのに。何もお返しすることができません……」
「ああ、それは大丈夫ですよ。だってサイラス様が連れてきた方ですから」
クレアはやっぱり、そう返してきた。サイラスが連れてきたことと、彼の妹のものだというドレスや髪飾りを貸してもらったことは、因果関係がまるでないと思うのだけれど。
「それにドレスも髪飾りも、サイラス様の妹姫のものなんです。もう誰も着ないですし、ばーんと使っちゃってください!」
「……わかりました」
そういうことなら、ありがたくお借りしようと思った。
レティシアがお茶を飲み終わっても、サイラスは姿を現さなかった。彼はレティシアと同じく、とっくに起床していたはずなのに。
そもそも、テーブルの準備も一人分だけだった。
「サイラス様はもう食事を摂られたのですか?」
聞いてみたら、食器を下げるクレアの手がびくっと震えた。
「え? えっとーそのー……」
言葉の歯切れが悪く、彼女の目線はあさっての方向を向いている。
「……クレアさん?」
なんだろう。とてもクレアを困らせている気がする。
「サイラス様はいつも……その、食べないんですよ」
長い逡巡の後に出てきたその言葉も、「我ながら名案!」と言いたげにクレアがドヤ顔しているのもあって、何となく引っ掛かる言い方だった。
「そうですか……」
レティシアが納得したように見せると、クレアはあからさまにほっとした顔をして、食器を乗せたカートを押して出ていった。
魔力ゼロの役立たずを連れて帰ってきたり、朝早くから植物園で観察をしていたり。朝食を食べないのはまあ、そういう人もいるかもしれないけど、クレアの口ぶりからすると何か裏がありそうだ。
先程のやり取りを思い出す。優しく、人に気を遣える、良い人なのだと思う。だけどきっと、それだけじゃない。
窓から差し込む朝陽が、ダイニングを明るく照らしている。
(……不思議な人)
レティシアを研究対象と称した人のことを、もう少し知ってみたい――そう思った。




