39:貴方のためにできること
フレデリカの台詞を、心の中で反芻する。
一瞬だけ胸に過った未来――それは、今のレティシアにはとても遠いものだった。
その面影を、目を一度閉じて封じ込める。
「あの、サイラス様はとても凄い方です。私に彼を支えるなんて、そんなことができるとは思えないのですが……」
ここに来てから、レティシアはサイラスに一方的に助けられてばかり。せめてもの家事は担当しているけれど、受けた恩に対して十分な労働とは言い難いと思っている。
それに、最近のサイラスはどこか無理をしているようにも見えた。朝まで起きていて、レティシアの顔を見てから眠りに行くのもそのひとつ。
もっと、何かしたい。気持ちをお返ししたいのに。
お仕着せの裾をぎゅっと握った。テーブルの上に視線を落とす。
「そうかな? 私の目からは、貴女は十分兄の支えになっていると思うよ」
レティシアは顔を上げられない。上から、フレデリカの優しい笑い声が降ってくる。
「なるほど。弱気で大人しそうに見えるのに、自分で納得できないことには決して頷かないんだね」
何と返事をしたものか迷い、レティシアは無言を貫いた。フレデリカは気にした様子もなく、話を続ける。
「レティシア様は、兄の魔法好きを決して否定しないだろう? この前、兄から聞いたよ。いつも魔法の話を楽しそうに聞いてくれるって」
僅かに首を動かして頷いた。否定するはずがない。だって、レティシアが好きなのはそういうサイラスだから。
「そういうところを、兄なら『支えられている』と感じると思うよ」
「そうでしょうか……」
レティシアはただ、話を聞いているだけだ。そんな些細なことがサイラスの支えになるとは到底思えなくて、レティシアは目を伏せる。
「納得できない? なら、少し話を変えよう。君は、ここの屋敷の人たちをどう思う?」
問われて、レティシアは咄嗟にクレアを見た。壁際の彼女は目が合うと、軽く手を振ってくれる。親しげにしてくれることが嬉しくて、レティシアは小さく頷いた。
出会ったのはほんの数ヵ月前。けれど今となってはもう、この屋敷での暮らしを手放すなんて考えられない。
「魔力のない役立たずを受け入れてくれる、とても良い人たちだと思います」
「うん。君が兄にしているのは、屋敷の人が君にしているのと同じことだよ」
レティシアははっとした。
顔を上げると、目の前にいるフレデリカは微笑んでいる。壁際で、クレアも優しい顔でレティシアを見守ってくれていた。
それと、同じ。
(私、サイラス様の役に立てている?)
初めて得た気付きだった。
「欲をいえば、君には兄の不摂生の改善もお願いしたいところだけどね」
「……そういえば、サイラス様は食事をきちんと摂っていないかもしれません」
研究のために徹夜して朝から寝ているような人なのだ。いつかセシルが言っていたように、寝食の『食』も置き去りにしている可能性は非常に高い。
「そういうところも相変わらずか。あの人は」
フレデリカが肩をすくめてみせた。
「ええ、そうなんです。こればっかりはいくら言っても聞いて下さらなくて、軍用レーションばっかり召し上がるんです」
口を挟んだのはクレアだ。
(軍用レーション……)
話に聞いたことしかないけれど、携帯用の保存食だから簡単に食べられ、栄養もある反面、あまり美味しくはないらしい。生きていくのには困らないのかもしれないけど、あまりにも味気ないのではないか。
「本当に、困った人だね」
フレデリカがため息と共に、渋い顔で額に手を当てた。
(どうしたら、サイラス様は食事を摂って下さるだろう……)
サイラスが食事をちゃんと摂らないのは、研究する時間が欲しいからだろう。彼の研究への欲求を否定せず、レティシアにできることはないだろうか。
思考に沈むレティシアの前で、フレデリカが焼き菓子をつまみ、のんびりと口に運んでいる。クレアが空になったティーカップに、新しい紅茶を淹れた。
「あ!」
その瞬間、レティシアの脳裏に閃いたことがあった。勢い余って立ち上がってしまったレティシアを、フレデリカは穏やかな目で見つめている。
「何か思い付いた?」
「はい! あの、フレデリカ様……」
今思い付いたことを、早速これから起きてくるであろうサイラスに試したくなってしまった。そわそわするレティシアの様子を見て、フレデリカはクレアと顔を見合わせ、それから微笑む。
「お茶会はお開きにしようか。あのお兄様が食事をきちんと摂るかどうか、見守る方がずっと楽しそうだ」
「ありがとうございます。クレアさん、手を貸して頂けませんか?」
「もちろんですっ!」
善は急げとばかりに女性3人で手早く応接室を片付けて、厨房へ向かう。
レティシアが料理人のモーガンに事情を説明すると、快く厨房を使わせてくれた。彼も、サイラスの不摂生に思うところがあったらしい。
レティシアは、先程思い付いたことをふたりに伝える。自分では良い考えだと思っていたけれど、クレアは眉根を寄せてしまった。
「理屈はわかりますけど、素直に納得しにくいです……!」
一方で、フレデリカは満足そうに頷いていた。
「なるほど。確かにそれなら、あの兄も食べてくれるんじゃないかな。クレアはちょっと、真面目過ぎる」
「むう……食べて下さらないよりはずっと良いって、ちゃんとわかってますから。レティシア様、一緒に作りましょう!」
クレアが笑顔を見せてくれたので、レティシアはほっと胸を撫で下ろす。
「はい、お願いします」
こうして、レティシアは生まれて初めて、料理に挑戦し始めた。




