38:女子会
それから、更に数日が過ぎた。
精霊の涙に関する調査は、あまり進んでいない。サイラスが出した2通の手紙の返事を待つ時間は、ひどく長く感じられた。
レティシアはいつも通り、できること――クレアと屋敷内の家事を担当していた。
玄関ホールで黙々と箒を動かしていると、前触れなく突然玄関が開いた。振り向くと、そこには一人の女性が立っていた。両手にたくさんの書類を抱えている。
(この方は――)
レティシアは息を呑む。
花祭りの前日、サイラスと話をしていたあの女性だった。鮮やかな赤い髪と、青い瞳のコントラストが印象的で、どことなくサイラスに似ている。
彼女は値踏みするような眼差しをレティシアに向けた。どうしていいかわからず、その場に硬直してしまう。
レティシアを上から下まで眺めた後、彼女は身に付けているピンブローチを見て、一瞬目を丸くしていた。
「フレデリカ様!?」
ホールの端にいたクレアが走ってきて、彼女にばっと頭を下げる。
「おはよう、クレア。こちらの子は初めて見る顔だね。ピンブローチを着けているってことは、お兄様の新しい『拾いもの』なのかな?」
フレデリカと呼ばれた女性は、硬直しているレティシアに視線を向けて、優しく微笑んだ。
「すまない。失礼な言い方に聞こえてしまったかな。お兄様は見所のある人間をすぐに自分の領域に引きずり込む困った人だから、そんな言い方をしてしまった」
彼女の見た目と言葉から、フレデリカはサイラスの妹なのだろうと推測できた。
「あの……その認識で間違いないです。レティシアと申します」
スカートの裾を摘まんで淑女の礼をする。お仕着せの裾が揺れた。フレデリカの青い瞳が、好奇心で輝く。
「なるほど、オルコット家の噂の姫君か。こんなに可愛らしい方を手放すなんて、メルヴィン王子は愚かなことをしたね」
フレデリカの手が伸び、レティシアの肩を励ますように優しく叩いた。騎士服姿の凛々しい女性なのに、ふわりと花のような優しい香りがして、レティシアは訳もなくどぎまぎする。
「私はフレデリカ。サイラスの妹で、近衛魔法騎士を勤めさせて頂いているよ」
(近衛魔法騎士……!)
レティシアは息を呑んだ。その肩書きを持つフレデリカは、剣も魔法も非常に優秀な人なのだと、すぐにわかった。
「今日は愚兄に頼まれたものを持ってきたんだけど……」
フレデリカがちらっとクレアに目配せする。普段はお喋りなメイドは何も言わず、ただ首を横に振った。
フレデリカは形の良い眉をひそめる。
「あの人は相変わらず朝から寝ているのか……困ったものだ」
フレデリカの発言に、クレアが目を剥いた。
「あーっ! だ、だめですよフレデリカ様! レティシア様には秘密なんです! 魔法に関すること以外では素敵な人だって思っていて欲しいんですよ!」
クレアが慌てているので、思わずレティシアは笑ってしまった。
「クレアさん、大丈夫です。知っていますから」
「えっ!?」
クレアが絶句した。
「そもそも、あの人には残念なところが多すぎて隠しきれないんじゃないかな」
フレデリカが楽しげに追撃する。クレアの顔が青ざめた。
「そんな……っ! レティシア様を逃したら、サイラス様はますます女性と縁遠くなってしまいます!」
「!?」
今度はレティシアが絶句する番だった。勝手にサイラスのことを思い浮かべてしまって、レティシアは慌てて妄想を振り払う。
「ま、それは十分にありえるね。魔法と結婚するつもりなのかな」
「それ、冗談に聞こえないですよ……」
クレアががっくりと項垂れる。
「それにしても、兄が起きるまで時間を潰さなければいけないな……レティシア様、良ければお茶に付き合ってもらえないだろうか」
極上の笑顔でそう言われて、レティシアはこくこくと頷くことしかできなかった。
応接室で、レティシアとフレデリカは向かい合って座っていた。クレアがお茶とお菓子を持ってきてくれて、お茶会が始まる。
「こうして貴女とお話できて嬉しいよ」
フレデリカが優雅な所作でお茶を口にする。彼女はレティシアとは違う、本物の御令嬢。その一挙一動がどれも美しく、目が吸い寄せられる。
そもそもレティシアは他の令嬢との交流がなかったから、お茶会の作法がよくわからない。椅子の上でぴんと背を伸ばして、ガチガチに固まっていた。
「気軽に話してくれていいよ。堅苦しいのは苦手だ」
フレデリカがそう言ってくれたから、ようやくレティシアは肩の力を抜くことができた。
「フレデリカ様は、私のことをご存じなんですね」
クレアが壁際で控えてくれているのと、サイラスの妹という肩書きのおかげか、初対面の人とでもちゃんと話ができていた。
レティシアは琥珀色の液体が満ちたカップを持ち上げる。美味しいのに、心に穴が空いたような気持ちになった。
味が安定しない魔法のお茶がとても好きだったのに、花祭り以降、彼の研究室を訪れていない……。
「引きこもりの兄と違って、それなりに社交界に出ている身だからね。貴女の情報を兄に教えたのも私だよ。絶対に飛び付くと思ったから」
フレデリカはその時の様子を思い出しているのか、くすくすと口許を隠しながら笑った。
「そうでしたか……ありがとうございます」
レティシアはぺこりと頭を下げた。
「その様子だと、ここでの暮らしを楽しめているのかな」
「……はい、とても」
胸に手を当てる。ここ数ヵ月の思い出が色々と甦ってきて、いつの間にかレティシアは微笑んでいた。
フレデリカは、その表情をじっと観察している。
「伯爵令嬢にお仕着せを着せて、下働きをさせるようなところだよ?」
そう言う彼女の声色はあくまでも優しい。少しだけ意地悪なところも、サイラスとよく似ている。
「これは、私が望んでしていることですから。むしろ、サイラス様に色々して頂いたのに、これしか返せなくて申し訳ないと思っています」
「なるほど。……とても興味深いね」
青い瞳が、探るようにこちらを伺う。その言い方も、仕草も、やはり彼女の兄とよく似ていると思った。
理知的な瞳に、心の奥底――例えば、サイラスへの秘めた気持ちのような、そんなものまで見透かされそうで、レティシアは視線を逸らした。
「兄も君のことをかなり気にしているようだし、我ながら良い仕事だったと思うよ」
「気にしているなんて、そんなことはないと思います……」
サイラスは誰にでも優しく、基本的には人当たりもいい男性だ。レティシアだけが特別な訳じゃない。
「そうかな。この前、ここで兄と話していた時、君が通りかかって、すぐ行ってしまったことがあったよね」
「花祭りの前の日……ですね」
あの日、サイラスとフレデリカが楽しそうに喋っていたのを見かけたレティシアは、何とも言えないモヤモヤを抱えたのだ。
今なら、その気持ちの理由が苦しいほど説明できる。
「そう。あの時の兄の顔、君にも見せてあげたかったよ。あの子のことを気にしてるんだって、一目でわかった」
フレデリカが思い出し笑いをしている。
(そ、その言い方だと、なんだか……)
まるでサイラスがレティシアを『特別に想っている』みたいに聞こえてしまう。フレデリカにちらりと視線を送ったら、楽しそうに見つめ返された。
「君になら、愚兄を頼めそうだ。どうか、これからも彼を支えてあげてくれないだろうか」
フレデリカは、真剣な眼差しでそう言った。
(支える……私、が?)
彼女の言葉に、レティシアの胸が、どうしてかちくりと痛んだ。




