37:手を伸ばしても
遺跡に行った、翌日。
「ん……」
レティシアが目覚めた時、部屋の中はすっかり明るくなっていた。
あの訓練が成功した日以来、レティシアが早起きすることは少なくなっていた。
ここ数日は特に起きられず、目覚めてもまだ眠いような、そんな感覚が拭えない。眠りが浅くなっているのかもしれない。
(それに……)
何か、夢を見ていた気がする。その記憶の名残を手繰り寄せると、ふとサイラスの顔が思い浮かんだ。昨日遺跡で見せてくれたような笑顔じゃない。もっと真剣で、険しい顔――
レティシアはふるりと体を震わせた。ベッドを抜け出し、カーテンを開けがてら、窓辺に置かれた植木鉢を覗き込んだ。サイラスに貰った種は、少しずつその背丈を伸ばしている。
(サイラス様から貰った役目。ちゃんと、果たしたいな……)
そんな想いを込めて、植木鉢に触れる。
窓の外の風景は、すっかり夏らしい明るさに溢れていた。
「レティシアさん!」
部屋から出た瞬間にサイラスに声をかけられて、レティシアの心臓が飛び上がりそうになった。名前で呼ばれることは、まだ慣れない。
廊下の向こうからサイラスが走ってきた。間近で顔を覗き込まれ、至近距離で目が合う。
まるで、何かを確認するように、じっくりレティシアを観察する青い瞳。呼吸が止まりそうなくらい、その輝きに見とれてしまう。
「あ、あの……サイラス様?」
距離感に居たたまれなくなって、声をかける。
「! ああ、すみません。貴女のことが心配で、つい」
サイラスは笑って、一歩後ろに下がる。その笑顔はぎこちない。誤魔化されてしまったと、すぐにわかった。
(サイラス様……)
何を誤魔化したのか、聞きたいけれど聞けなかった。
隠し事をしているのはレティシアも一緒。なのに、どうしてずきりと胸が痛むのだろう。
好きなのに、硝子の壁がサイラスとレティシアを隔てている――だから手を伸ばしても触れられない。そんな気がした。
ふと、サイラスの後ろの廊下で、ロードリックが手を振っていることに気が付いた。彼は身振り手振りで何かを伝えようとしている。
彼の視線を追って、レティシアは自室の扉を振り返った。先程レティシアが出てきた扉は半分空いていて、そこからクレアが困った顔を覗かせている。
「クレアさん! すみません」
レティシアとサイラスが何とも言えない雰囲気になっていたから、出るに出られなかったようだ。レティシアは慌てて移動する。クレアは赤い顔で、よろよろと部屋から出てきた。
「あ、あのー、せっかくいい雰囲気だったのに、お邪魔をしてしまい申し訳ありません……」
「いえ! こちらこそすみません……」
クレアの方を向いて喋っていたレティシアは、サイラスがほんの僅かに寂しげに笑ったことに気付かなかった。
「オルコット嬢、そこはさりげなくサイラス様の手を取って、『あちらでもっとお話しませんか』と誘うところですよ。雰囲気も壊さず、クレアも救出できて、一石二鳥な解決方法です」
近寄ってきたロードリックが、そう教えてくれた。彼のこういう所が、場数を踏んだ大人という雰囲気を漂わせているのだろう。
「レティシアさんに妙なことを教えるのはやめなさい」
当のサイラスに叱られて、ロードリックは「はーい」と軽い調子で返していた。
「というかサイラス様。昨日の遺跡行きはどうだったんですか? 僕たち、結果を教えてもらっていませんが」
「あ! そうですよ! レティシア様に関わることなんだから、ちゃんと教えてください!」
クレアがサイラスに詰め寄った。こういう時のクレアは本当に強い。
「レティシアさんのネックレスに使われている魔石は、『巫女』たちが使っていたものらしい。何せ大昔のことだから、それくらいしかわかっていないよ」
サイラスが手帳を見ながら、昨日あったことを軽くクレアとロードリックに説明する。
「精霊の巫女……ですか」
サイラスの後ろで、執事が珍しく難しい顔をしていた。
「巫女なんて、初めて聞きましたよー」
クレアはあっけらかんとしている。
一方で、ロードリックは少し考え込むような素振りを見せた。
「祖国で、こちらの国には精霊の加護を受けた巫女がいたという、おとぎ話を聞いたことがあります」
ロードリックは淡々としている。きっと、彼はあまり触れたくないことなのだろう。レティシアは彼の過去をはっきりとは知らないけれど、推測できるものはある。
「なるほど。貿易商に、あとで連絡を取って確認してみよう」
ペンを取り出して手帳にメモしながら、サイラスが予定を呟く。
「クレア、申し訳ないけど、これを教会宛てに送るように手配してもらってもいいだろうか。ロードリックは君の祖国に関わる商人の名前と連絡先を調べてくれるかな」
「はーいっ!」
「わかりました」
クレアとロードリックはそれぞれ即答し、この場を後にする。
その背中を見送って、サイラスは微笑んだ。
「ふたりとも、レティシアさんをとても気にかけてくれていますね。……もちろん、俺も」
ふたりの気持ちと告げられた言葉で、頬が熱い。誰かが自分を想ってくれているというのは、とても落ち着かなくて、けれど……嬉しい。
このお屋敷の人はみんなそうだから、レティシアは貰った気持ちを返したいと、そう思えるのだ。
手帳をしまい、こちらを向いたサイラスの顔には、僅かに疲労が滲んでいるように見えた。
「……あの、サイラス様。この時間に起きているということは、寝ていないのでは?」
「おや、バレてしまいましたか」
サイラスは苦笑いを浮かべた。
「貴女の顔が見たかったもので。……これから少し寝ます。おやすみなさい」
言うが早いか、サイラスはくるりと振り向いて歩き去ってしまう。その場には、呆然としているレティシアだけが取り残された。
(そ、それはどういう意味なんですか……!)
去っていく背中が何を考えているのか、レティシアにはちっともわからなかった。




