36:異変
それは、どういう意味なのだろう。
聞きたいのに、喉の奥に言葉が引っ掛かって出てこない。
「だってほら。セシルが呼んでいるみたいです。行きましょう」
先ほどと同じように、サイラスはレティシアの手を引いて、セシルのところへと向かう。祭壇の前についてから、レティシアの手はようやく解放された。
(も、もう少しって、そういうこと……?)
ほっとしているような、残念なような、何とも言えない気持ちになる。
「セシル、どうですか」
レティシアの戸惑いなど露ほども知らずき、サイラスはセシルに声をかけている。
「心当たりは聞けた。といっても、あいつらは気まぐれで子供っぽいから、信憑性はないかも」
「構わないよ。手がかりになる情報が少しでもあればいい」
セシルがぐるりと遺跡の中を見回す。
「結論から言うと、あんたの魔石は『精霊の涙』って名前で、この遺跡が現役の神殿だった頃に神事で使っていたそうだよ」
「精霊の涙……」
初めて聞く言葉なのに、すとんと胸に落ちる感覚があった。この魔石や精霊に関わると、既視感に近い感覚が湧き上がってくる。
「精霊の巫女がアクセサリーとして常に身に付けていたもの。精霊たちは外したところを見たことがないって言ってた」
「巫女、ですか?」
「精霊と意志疎通したり、使役して強力な魔法を使いこなしていた女性の聖職者だよ。心当たりは?」
レティシアはゆっくりと首を横に振る。少なくともレティシアには精霊とコミュニケーションを取ることはできない。
けれど、決して精霊の涙を外さないようにしていたというのなら、それはレティシアと同じだ。
「だろうね。あいつらと話せると、うるさいことこの上ないから」
セシルはうんざりした顔をしているのに、声色がとびきり優しい。普段は声が聞こえないようにしているとはいえ、きっと彼は精霊が嫌いな訳ではないのだろうと、そう思った。
「巫女、か。巫女となった女性は生涯未婚を強いられ、神殿から出る自由もなかったから、虐待だと意見が出て、数百年前に廃止されたはずだね」
「精霊もそう言ってた。だからこの人がなんで巫女の持ち物である精霊の涙を持っているのか、よくわかんないって」
セシルの言葉を聞いて、サイラスが遺跡内をゆっくり歩
く。
「レティシアさんが当代の巫女ということなのか? しかしレティシアさんは精霊の声を聞けず、魔法も使えない……巫女としては不適格なはず。そもそも巫女に特別な魔石を持たせる理由はなんだ?」
考えを呟きながら動き回るサイラスの表情は真剣そのもの。それに、思わずレティシアは見とれてしまう。
「やはり、精霊教会なら何か情報を握っているかもしれませんね」
「うん。帰ったらさっさと手紙出して。公爵の名前ならさすがに門前払いはされないでしょ」
「わかってるよ。さて、収穫もあったことだし帰りましょうか」
レティシアは頷きつつ、崩れた廃墟を眺めた。懐かしさと悲しみと……諦め。そんな不可思議な感情が、レティシアの心にぽつぽつと浮かんでくる。
公爵家所有の遺跡だから、過去にここを訪れたことはないはずなのに、ぎゅっと胸が締め付けられる。
「レティシアさん? どうかしましたか?」
肩を軽く叩かれて、レティシアははっと我に返った。
「サイラス様……すみません。少しぼーっとしてしまいました」
「は? なにその呼び方」
セシルがレティシアとサイラスを交互に見る。それからサイラスを鋭い目付きで睨んだ。
「いちゃつくなよ」
「ふふ、すみません」
「うわあ……びっくりするほどウザい」
サイラスは口では謝っているのに、ニコニコと笑顔を浮かべている。レティシアはといえば、あの時のことを思い出して、勝手に顔に熱が集まってしまった。
(ドキドキしてるのは私だけ……なのかな)
余裕ありげなサイラスを見て、レティシアはほんの少しだけ寂しく思った。
*
屋敷に戻り、解散した後――
サイラスは自室の隣にある隠し部屋で、公爵家の歴代当主たちが秘密裏に集めていた資料を確認していた。
魔法で保管された本は、数百年前の時を経ても損なわれることなく情報を伝えてくれた。ページを捲る微かな音だけが隠し部屋に響く。
ティンバー公爵家は、王家直属の魔道参謀を勤めている。主な仕事は、魔法に関する情報収集をすることだ。
「あった」
呟き、教会の機密情報――精霊の巫女に関する部分を読み解いていく。
曰く、巫女は本人の18歳の誕生日に、教皇から直々に任命されていたのだという。彼女たちは以後、亡くなるまで巫女としての勤めを続け――
(……妙だな)
サイラスは引っ掛かりを覚え、別の資料を手に取った。そこにもやはり、巫女は18歳の誕生日に任命され、亡くなるまでその役目を全うしたと記されている。
どれだけ記録を遡っても、出てくる情報はそれだけだった。
「彼女たちの出自は一切不明……か」
精霊と意志疎通ができる、希少な能力を持つ存在の過去が、誰も彼も一切わからないなんて、そんなことがあるのだろうか。
サイラスは資料の文字を睨む。
「それに、先代の巫女が亡くなってから次代が任命されるまで、20年近い空白がある……」
希少な能力を持つ女性が見つからなかったから、そういう可能性もある。けれどサイラスには、まるで『先代の死を待って次代を育てた』ように映った。
なんにせよ、今のレティシアに直接繋がる情報は見つからなかった。本を棚に戻し、隠し部屋を出る。魔法をかけると、隠し部屋へと繋がる扉が壁に溶けるように消えた。その上で本棚を移動させて、物理的に塞ぐ。
(後は、オルコット家についても調べてみよう)
そう思い、図書室に向かおうと部屋を出た。
時刻は真夜中。屋敷の中はしんと静まり返っている。
(レティシアさんは寝ているだろうか……)
ふと、昼間自分が意地悪をしてしまった女性のことを思い出す。彼女の感触が、まだ手に残っている気がした。
そんなことを考えつつ光魔法で明かりを灯したサイラスは、自分の目を疑った。
先程まで真っ暗だった廊下の真ん中に、誰かがこちらに背を向ける形で立っていた。一瞬、侵入者かと思い魔道書を構えかけたが、すぐに踏みとどまる。
長い金の髪に白いネグリジェ姿の、小柄な女性――立っているのがレティシアだとわかったからだ。
彼女ならば、サイラスが側にいなければ明かりをつけられないから、真っ暗な中を移動していてもおかしくはない。そう思うのに、直感的にいつもと違う『何か』を感じた。
魔道書をブックホルスターに戻さず手にしたまま、サイラスは女性に一歩、近付いた。
背中を、嫌な汗が滑り落ちていく。
「……レティシアさん?」
意を決して声をかけた。緩慢な動きで彼女が振り向く。翠の瞳がサイラスを真っ直ぐに捉え、ぱちぱちと瞬いた。
「いえ、違いますね」
自分の認識を示すように、あえて口にする。魔道書から、魔力の気配が立ち上った。いつでも、魔法を放つことができる。
レティシアはいつも誰かの迷惑にならないかを気にしている。廊下の真ん中で立ち止まったりしない。何より、サイラスが声をかければ必ず反応してくれる。視線が交わると恥ずかしそうに小さくなる。最近は、はにかんだような笑顔を浮かべてくれることもある。
サイラスが好ましいと思う彼女らしさが、目の前の女性からは一切感じられなかった。
その時、彼女の胸元で精霊の涙が淡く光を放っていることに気が付いた。彼女と共にある、もうひとつの生命――
(……っ、これは、まさか……)
サイラスが『その可能性』に思い至った瞬間、彼女は口を開いた。
「貴方は、どなたですか?」
紡がれたのは歌うような、誰もが聞き惚れるような、美しい声。いつものレティシアでは、ない。
「……俺は、貴女の正体に察しがついていますよ」
サイラスは努めて冷静に、そう言い返した。




