35:思うこと、思われること
数時間後――
レティシアはサイラス、セシルと共に馬車を降り、精霊遺跡の前に立っていた。
森に半ば飲み込まれるようにして、石造りの建物がいくつか並んでいる。草の丈が異様に長く、人の往来はほとんど無さそうだ。当然、レティシアも初めて来た場所のはず。
なのに、どうしてか心の奥が温かくなるような、不思議な懐かしさを覚えた。
「ここはティンバー家が所有する土地の中にあるんですよ」
サイラスの言葉で、レティシアは我に返った。
彼は慣れた様子で一際大きな建物の中に入っていく。レティシアは緊張しつつ、セシルは無言で、その後ろに続いた。
内部はとても広く、苔に覆われた何かの像のようなものが正面に鎮座している。
天井は崩壊が進んでいて、生い茂る緑が屋根代わりになっている場所がいくつもある。そこから僅かに差す光が、静謐な空気を生み出していた。
「神殿のような場所だったんでしょうか……」
「そうだと思います。精霊は自然を好みますから、王都の外れにある森に近いこの場所は、彼らに祈りを捧げるのに最適な場所だったでしょうね」
サイラスの目が輝いているし、いつもよりも饒舌な気がする。やはり彼は魔法に関する物事が好きなのだと、微笑ましい気持ちになった。
レティシアとサイラスが会話を弾ませているのに対し、セシルは無表情で後をついてきている。きゅっと唇を引き結び、俯きがちで。
普段の彼には似つかわしくない、焦点の定まらない眼差し。レティシアはそれが、どうしても気になっていた。
(セシルくん……)
彼は歩みを止めることを決してしない。レティシアのために、という彼の気持ちが伝わってきて、心から申し訳ないと思う。それと同時に、レティシアは胸がじんと熱くなるような喜びも感じていた。
「……ありがとうございます」
彼の方を振り向き、小声で呟く。うまく笑顔が作れなくて、泣き笑いみたいな顔になってしまった。
レティシアの醜態を見て、セシルは唇の端でほんの僅かに笑って見せる。
「変な顔」
ここに来て初めて、セシルは発言を返してくれた。言葉は刺々しいのに、声色は柔らかい。
空気を切り替えるように、彼は大げさにため息をつく。
「……年上なのに、世話が焼けるんだよね。ふたりとも」
セシルが優しく放った毒に、レティシアとサイラスは顔を見合わせて、それから笑った。
「ここで止まって」
セシルが合図をしたので、足を止める。最奥の苔むした像より随分手前だ。像に向かって、祭壇のように少しずつ段差になっている。
「これ、預かって」
セシルはピンブローチに手をかけ、一瞬ためらってからそれを外した。重荷を降ろしたように、彼の肩から力が抜ける。
それがサイラスに手渡され、セシルの元を離れた瞬間、目に見えない何かがざわめいた――そんな気がした。
セシルはちらりとレティシアを見る。
「あんたには言ってなかったけど……俺は、精霊と話ができる」
「そう、なんですか……」
ごく稀に精霊に愛され、意志疎通ができる人間がいると聞いたことはあったけど、まさかセシルがそうだったなんて。レティシアは驚き、それと同時に申し訳ない気持ちになった。
セシルがピンブローチをしているのはきっと、彼らの声を聞きたくないからだ。
「あんたのこと、何か知らないか聞いてみる、時間かかるから、しばらく適当に時間潰して」
「少し、離れましょうか」
サイラスがさっと手を取って、セシルから遠ざかるように歩き出す。
セシルを見守ることができて、かつ話し声は聞こえない入り口付近まで戻ってきた。足を止めても、サイラスはレティシアの手を放そうとしない。
セシルは祈るように目を閉じ、集中している。その周囲を、不思議な気配がくるくると旋回しているような、そんな錯覚を覚える。
「本当に、随分彼と仲良くなったんですね。貴女のために、彼がここまでするとは予想していませんでした」
サイラスの声色が、どこか寂しげに聞こえた。
「はい。私とセシルくんは……似ている気がするんです」
崩れかけた壇上に立つ彼の姿が、オルコット家にいた頃の自分と重なる。こちらに手を差し伸べてくれたサイラスのように、レティシアも誰かを支えられる存在になりたいと願った。
だからだろうか、レティシアはセシルを見ると、優しい気持ちになる。その感情の奥には、かつて自分に手を差し伸べてくれた人の姿がある。
あの婚約破棄が、こんな風に過ごす今に繋がっているなんて、想像すらしていなかった。
脳裏に夜会のサイラスの姿が浮かぶ。あの時は彼を信じていいかわからなくて、距離をとっていたレティシアは今、迷いなく彼の隣に立つことができている。
(公爵様は――)
レティシアは、隣のサイラスへと視線を移した。
ふと、胸の奥底で、小さな疑問が芽吹く。
(貴方は、私をどう思っていますか?)
直接聞けるはずもない問い。
繋いだままの指先に、意識が集中する。なにもしていないのに息が苦しい。触れあったところから伝わる熱に耐えられなくて、レティシアは口を開く。
「あの、公爵様、手を――」
放して下さい。そう続ける前に、サイラスが動いた。ふっと笑い、指を絡め直したのだ。伺うようにレティシアの顔を覗き込んでくる。
彼のいたずらっぽい仕草に、息が止まった。
「嫌ですか? 嫌ならすぐに放しますが」
「いやでは、ないんですけど……その……手が」
緊張のあまり、返答がしどろもどろになってしまう。
「名前で呼んでくれたら考えます」
「え……!」
予想外の一言に絶句した。彼はニコニコしてレティシアの言葉を待っている。
口を開いて、けれど声に出せなくてまた閉じる。たった4文字がひどく重い。
空いている方の手を胸に当てて、跳ね回る鼓動を落ち着かせる。ぎゅっと固く目を閉じて、息をめいっぱいに吸い込む。
「……さ、サイラス様……」
呟いたそれは、今までの人生で一番恥ずかしい響きをしていた。
「はい、レティシアさん」
彼は何でもないように、笑いながらレティシアの名前を口にする。クレアに呼ばれてもちっとも気にならないのに、彼に言われると心がそわそわとざわめいてしまう。
サイラスの顔が見られなくて、レティシアは彼に背を向ける。
「は、放して下さい……」
震える声でそう主張すると、彼は小さく笑って力を強めた。離すつもりはないと、そう言わんばかりに。
「もう少し、このままでも構いませんか?」
低い声が、レティシアの耳をくすぐった。




