29:声が聞きたい
ひとしきりレティシアの様子を見守った後。
サイラスはひとり、屋敷を抜け出して正門前に佇んでいた。その表情こそ平静を装っているが、立ち姿からは隠しきれない切迫した気配が漂っている。
空っぽの手を、軽く振るう。屋敷を取り囲む柵がぼんやりと淡く光り始めた。ぴたりと閉じられた正門には、幾何学的な紋様が浮かび上がっている。
サイラスの防衛魔法だ。許可のない者が正門を突破したり、敷地内に侵入すれば即座に捕縛する強力なもの。それが、敷地を囲む塀に沿ってぐるりと張り巡らされている。
サイラスは魔道書を取り出した。自分の防衛魔法に向かって魔法を放ち、更に効果を書き足していく。指先の震えは、意思の力で誤魔化した。
(さすがにドリスに、この屋敷の防衛を突破できるとは思えないが……)
ネックレスを奪われた瞬間、崩れ落ちるレティシアの姿が頭の中に焼き付いたように離れなかった。
もう少しサイラスの判断が遅かったら、レティシアを失っていたかもしれない。その事実に、ぞくりと体が震えた。
もう二度と、レティシアを危険な目に遭わせない。そのために、念には念を入れて魔法をかけ直す。
大規模な魔法を使ったというのに、サイラスは呼吸ひとつ乱さないままだった。
研究室に戻ってきて、いつもレティシアと座るローテーブル近くのソファではなく、執務机の前の椅子に腰を下ろした。
他の手も、打たなくてはならない。
サイラスは魔法でロードリックを呼び出す。執事はすぐに研究室にやって来た。
「お呼びですか?」
「ああ。人をやって、ドリスの……いや、オルコットの屋敷の動向を探って欲しい。一応、メルヴィン殿下からも目を離さないように」
レティシアを守るための手段は、すべて抜かりなく行うべきだ。鋭い眼差しでサイラスが告げると、ロードリックは恭しくお辞儀をした。
「承りました。……ところで、オルコット嬢のこと、ずいぶんと真剣なんですね」
いつもと雰囲気が違う。執事も、この場では真剣そのものだった。
サイラスは少し、黙った。ロードリックも何も言わず、真っ直ぐにサイラスと向き合い続ける。
「……当然だ」
様々な感情が混じりあったサイラスの返答に、ロードリックはもう一度お辞儀をして、研究室から出ていった。
サイラスは机の上に視線を落とす。広い執務机の上に、いくつものメモが乱雑に置かれている。すべて、レティシアの体質に関するものだ。
『生まれつき魔力がない』と書かれた紙片に×印を付け、新しい紙に『魔力をすべてネックレスに吸われている』と書き込んだ。
(ネックレスを失うと、彼女の命が危うい、か)
続きを書き付けながら、思考を整理する。レティシアとネックレス。因果関係があることは明白なのに、その理由は少しも見えてこない。
歯がゆい思いをしながら、仕損じたメモを破ろうとして、ふと手を止める。上の部分だけが中途半端に破れたメモを、じっと見つめた。
(一枚のメモは、破れればその形を失う)
×印が書かれた紙を、サイラスは思いきって破った。ぱつんと、裂ける音が悲鳴のように研究室に響く。
真ん中からふたつに分かれ、いびつな形になったそれが、倒れたレティシアと重なった。
レティシアとネックレスの繋がりは、魔力的な結び付きだけではなくて……例えば、彼女の命そのものと、深く結び付いているのだとしたら?
「命の片割れとも呼べるものを奪われれば、倒れるのも無理はない、か」
憶測だ。けれど、大きく外れてはいないだろうという予感がある。
サイラスは右手に視線を落とした。ネックレスを取り返した時の奇妙な感覚を思い出す。
ネックレスそれ自体が、レティシアを求めるように手を伸ばしていた。あの気配に、サイラスは間違いなく『生命』と『感情』を感じた――
魔石に宿る生命。それに、サイラスは心当たりがあった。以前読んだ文献に、その記述があったことを思い出す。あの時は荒唐無稽な話だと考えたが……。
机の上に放置されていた古い本を手に取り、ぱらぱらと内容を確認する。目的の段落を発見し、隅から隅まで内容を確認した。
(やはり、あのネックレスは……)
確信と共に、本を閉じる。
レティシアは、『あの魔石に宿っているものと命が繋がっている』という特異体質を持っている。それが、サイラスの出した結論だった。
肝心の魔石に宿っているのが何者なのか、そしてあの魔石が何なのかを、これから探っていく必要がありそうだ。
(……貴女は、一体どれだけのものを背負っているんだ)
眠り続けるレティシアの顔が浮かんで、胸が掴まれたように痛んだ。サイラスは立ち上がり、静かに部屋を出る。
行き先は、レティシアの部屋。一応ノックをしたが、まだ目覚めていないのか返答がない。
サイラスが静かに扉を開けると、先ほどと寸分違わずにレティシアがベッドで眠っていた。その呼吸も表情も穏やかで、張り続けていた緊張がふわりと緩むのを感じる。
レティシアのベッドのすぐそばに座ると、彼女の穏やかな寝顔がよく見える。掛布から僅かにはみ出している彼女の右手を、包み込むように優しく握った。
サイラスは目を閉じる。
「……当然、です」
誰にともなく、呟く。部屋に静けさが満ちる。
ほんの僅かに、レティシアの指がサイラスの手を握り返したように感じた。
(――貴女の、声が聞きたい)
手の中の小さな温もりを確かめるように、サイラスはそっと頭を垂れた。




