28:救いたい人
サイラスはメルヴィンたちと対峙しながら、内心焦っていた。
ネックレスを奪われ、倒れたレティシア。笑い続けるドリス。困惑しているらしいメルヴィン。
ロードリックが無言でメルヴィンの前へと進み出て、牽制する。
意識が混濁し、呼吸すらままならない様子のレティシアの姿に、嫌な予感が際限なく膨れ上がっていく。もしかしたら、このまま彼女は二度と目を覚まさずに――
(いや。落ち着け。焦りは判断を鈍らせる)
今すべきことは、ただひとつ――レティシアを、救う。そのためにできることを、最速で行う。
声には出さずに、自分に言い聞かせる。
サイラスは魔道書に触れ、魔法を発動させた。魔法を放つ手は震えているのに、風の軌道は、寸分たりとも狂わない。
広場に突風が吹き込み、ドリスに一直線に襲いかかった。彼女の軽い体が煽られ、バランスが崩れる。
「きゃっ」
ドリスがよろける。その拍子に、手からネックレスが離れた。魔法の風が再度吹く。ネックレスがふわりと舞い上がる。魔石の裏側に、短い文章が彫り込まれているのがちらりと見えた。
風に乗って運ばれてきたそれを、サイラスは片手で正確に受け止める。
その瞬間、サイラスはネックレスから奇妙な感覚を味わった。
(これは……)
悲痛な叫びのような、魔力の波動。まるで、ネックレスそのものがレティシアを求めて『手を伸ばす』ように、力の気配が揺らめいた。
ドリスはそのまま放置して、サイラスは倒れた急いでレティシアに向き直る。
「オルコット嬢! しっかりして下さい」
名前を呼ぶサイラスの声は、揺れている。
レティシアは完全に意識を失っていた。名前を呼んでもまぶたが薄く震えるだけで、反応が返ってこない。あえぐような不規則な呼吸は、今にも途絶えてしまいそうだ。
サイラスは背筋が凍るような感覚に襲われ、震える手でレティシアの肩に触れる。
大丈夫、まだ彼女は生きている。
取り戻したネックレスを、魔法で修復してからレティシアの首にかけた。
「……戻ってきてくれ」
掠れた囁き声が、零れる。
ネックレスが淡い翠の光を放つ。それに癒されるように、レティシアの苦しげな呼吸が和らぎ、規則的になり、頬にもほんのりと赤みが戻ってきた。
レティシアに、急速に生の気配が戻っていく。
ひとまず、不安定な状態は過ぎ去ったと思って良いだろう。ひとつ、息を吐き出す。
「返しなさい! それは私の――」
ドリスが喚きながら近付いてくる。サイラスは短く息を吐いた。
「それ以上、近寄らないで下さい」
低い声で、警告する。未だ意識を取り戻さないレティシアを背に庇い、ドリスを冷たく見据えた。
その気迫に、彼女は一歩後ずさる。
「サイラス様……どうして、今日もこの前も、レティシアのことばっかり庇うの! どうして!」
甲高い声に眉をひそめた。
「去りなさい」
小石をひとつ、魔法で飛ばす。当てることはしない。ドリスは顔のすぐ横を通り抜けた『警告』に、さっと顔色を変えた。唇を噛み、レティシアを睨み付けている。
その視線には、恐怖よりも強く、自尊心を傷つけられた怒りが滲んでいる。
「二度は言いませんよ」
サイラスの発言に、ドリスは今度こそ黙って背を向け、歩き去る。彼女が完全に消えるまで、その背を監視し続けた。
メルヴィンはドリスを追いかけることもなく、その後ろ姿とレティシアに交互に視線を向ける。
「……レティシアは? 大丈夫なのか?」
メルヴィンが恐る恐る、といった様子でサイラスに質問してきた。
「無事なように見えますか?」
苛立ちは極力抑えて、冷たく言い放つ。メルヴィンは口をつぐみ、けれど何か言いたげにレティシアを見つめた。
しばらくそうしていた後、彼もドリスの後を追いかけてこの場を離れていった。
彼の姿が見えなくなり、ようやく場の空気が少しだけ軽くなる。
「すみません、油断していました」
ロードリックがレティシアを見ながら、悔しそうに握り拳を震わせている。
「それは俺もだよ。……とにかく、オルコット嬢を連れて帰ろう」
一時よりは落ち着いているとはいえ、レティシアはまだ目覚めていない。危険な状態なのは間違いない。
サイラスはレティシアの体を抱き上げた。
彼女の体はひどく軽い。全く力が入っていないため、なんの抵抗もなくサイラスに身を預けてくれる。普段の彼女ならばありえないことだ。そんな様が、不安な気持ちを助長させる。
ロードリックの先導で人気のない道を選び、どうにか馬車まで戻って来た。彼女を抱いたまま座席についても、まだ目覚めない。うなされることもなく、ただこんこんと眠り続けている。
サイラスの指先は、レティシアの胸元へと無意識に伸びていた。そこに戻った魔石から、もう光は消えている。
(あのふたりは共謀していた。主犯はドリスだろう)
ドリスは終始落ち着き払っていた。レティシアからネックレスを奪うとどうなるか、知っていたとしか思えない。逆にメルヴィンはひどく動揺していた、詳しく説明もされず、彼女に体よく利用されているのだろう。
馬車が動き出す。ゆっくりとしたペースでしか走れない乗り物を、ひどくもどかしく感じた。
「オルコット嬢は、目覚めるでしょうか」
ロードリックが悲痛な目でレティシアを見つめた。
彼女は少しも動かない。かすかに上下する胸と寄り添うぬくもりだけが、彼女がまだここにいると物語っている。
「目覚める。必ず」
他でもない、自分のために呟いた。
「原因となったネックレスは魔石だ。魔法に関するものだから、必ず俺が解き明かしてみせる」
ティンバー公爵家は代々、国王直属の魔法参謀を勤める家系だ。その当主である以上、サイラスには魔法に関する様々な事柄を精査、研究する義務がある。
だから――
(この手でオルコット嬢を救ってみせる)
そう、改めて決意した。
*
ティンバー別邸で出迎えてくれたクレアに事情を話すと、彼女は顔を強張らせながらも、取り乱すことなくレティシアを看る準備を整えてくれた。
レティシアの支度をお願いしている間に、サイラスは温室から生命力に回復に役立つという薬草をいくつか摘んできていた。
魔法で乾燥させた薬草を香炉で焚くと、レティシアの客室にふわりと良い香りが漂う。魔法が使えない以上、サイラスには他にどうすることもできなかった。
「レティシア様は、いつもネックレスを外そうとしませんでした。理由までは聞いていないのですが……」
クレアがぽつりと呟く。しっかり聞いておけば良かった、そんな声にならない悔恨が、彼女の暗い表情から読み取れる。
「もしかしたら、オルコット嬢本人は、倒れた理由に心当たりがあるかもしれない」
思い返してみれば、レティシアはこのネックレスをとても大切にしていた。
オルコット家から連れ出した頃のレティシアが、ネックレスをドリスから守ろうとする素振りがあったことを思い出す。
何より、ネックレスの裏に刻まれた『愛しい娘レティシアへ』の文字。
このネックレスがレティシアの両親から贈られた、彼女の命を守るもの――そう推測できた。
サイラスはレティシアの上で沈黙しているネックレスに視線をやった。手を伸ばして触れてみても、あの時の感覚は今は綺麗さっぱり消え去っている。
(もう、貴女に危険な目に遭って欲しくない……)
そのためには、このネックレスの秘密を探るのが最も近道だろう。
決意し、サイラスはクレアに向き直る。
「クレア、君の目にはこのネックレスが『どう』映るか、聞いてもいいだろうか」
告げた言葉に、クレアは息を呑んだ。元々色白な彼女の顔から、更に色が抜け落ちていく。震える手で、襟元のピンブローチを掴んだ。
「わかり、ました」
「負担をかけて、すまない」
「いいえ……それがレティシア様に必要なことなら、大丈夫です」
クレアはぎこちなく笑ってピンブローチを外すと、ゆっくりと机に置いた。
魔法は願いを叶える力――つまり、魔力は感情と密接に関わりがある。
魔力が『見える』体質を持つクレアは、ピンブローチなしでは自分に向けられる感情が読めてしまう。その力のせいで、ここに来るまでクレアが大変苦労してきたことをサイラスは知っている。
その彼女に力の行使をお願いしてでも、サイラスはレティシアを助けたかった。そのための手がかりが欲しかった。
「始めます」
レティシアを見つめたクレアの栗色の瞳が、大きく見開かれた。
「クレア?」
「これは……」
クレアがレティシアに近付く。至近距離でネックレスを見つめ、彼女は首を傾げる。
「どういうことでしょう。レティシア様とネックレスの間に、魔力的な繋がりが……ううん、レティシア様の魔力が、ネックレスに流れている……?」
その言葉に、サイラスは耳を疑った。
「オルコット嬢に魔力が? 本当に?」
「は、はい。間違いありません」
クレアが力強く断言する。サイラスに魔力を直接見る力はないが、レティシアのネックレスが強い魔力を秘めた特別なものであることは、感じとることができる。
「まさか、ネックレスに体内の魔力を常に、すべて、吸われている……のか?」
答えの出ない憶測だ。サイラスは顎に手をやり、考え込む。
レティシアは魔力が無い訳ではない。無いように見えているだけ。レティシアの魔力を吸い続けるネックレスは、彼女から引き離すと命が危うくなる。
単純な、生まれついての魔力無しとは大きく違う。
(オルコット嬢の体質は、かなり根が深い問題なのかもしれない)
詳細はまだ、これから探っていく必要があるだろう。サイラスは決意し、レティシアに視線を向けた。
「少なくとも、彼女とネックレスには何らかの繋がりがある。もう離さない方が良いだろう。クレアも、気をつけていてもらっていいだろうか」
クレアは黙って頷いた。
レティシアはまだ意識を取り戻さないけれど、その顔色はだいぶ良くなってきていた。
細い金の髪に、指を添わせる。
(無事に、目を覚ましてくれ……)
サイラスは柄にもなく、この国を守護するという精霊王に祈った。




