27:レティシアの『期限』
レティシアは息が止まるかと思った。
メルヴィンと顔を合わせるのは、あの日――レティシアがオルコット家を出た日以来だ。
お忍びで来ているのだろうか。フードで顔を隠すようにしている。
彼はつり上がった灰色の瞳でレティシアを見て、それからサイラスに目を向けた。
今まで散々言われてきた暴言の数々を思い出し、レティシアはぎゅっと心臓が握られたように苦しくなった。
「お前、まだあの変人公爵の玩具をやってるのか。嫌気がさしてるなら、助けてやってもいいぞ?」
彼の一言に、時間が止まったかのように、空気が凍りつく。
「……!」
言われた言葉を認識して、レティシアの中に熱いものが込み上げてきた。全身が震え、いてもたってもいられなくなる。
「そんな……そんなことっ、言わないで下さい!」
衝動のままに叫ぶ。元婚約者に反論したのは初めてだった。感情的になるのは良くないと思っても、心を突き動かすものは止まらない。
「公爵様は私に良くして下さいました。少なくとも私は、家にいた時よりずっと楽しく過ごさせて頂いています」
勢いのままに言葉を重ねる。
レティシアに反論されると思っていなかったのか、メルヴィンはぽかんとした顔をしていた。
自分が罵倒されるのは、辛いとはいえまだ仕方がないと思える。魔力がないのは事実だから。だけど、サイラスたちまであれこれ言われるのはどうしても我慢できなかった。
レティシアは肩で荒く息をする。
ここでようやくぶつけられた言葉を理解したらしいメルヴィンが、顔を真っ赤にした。厳しい目をして、レティシアを指差す。
「一人では何もできない無能が偉そうに意見するな!」
「殿下……っ!」
返す言葉が見つからない。それは、間違いなく真実だったから。
(悔しい……!)
レティシアは唇を噛む。ちゃんと言い返したいのに、こちらの発言を元婚約者は決して受け入れない――それがひどく気に障った。
メルヴィンを睨んだまま黙るしかできなかったレティシアの前に、サイラスとロードリックが立った。メルヴィンからレティシアを隠すように。
「彼女は努力ができる素敵な淑女ですよ。他人の努力を貶めるような言動は慎んだ方がよろしいのでは?」
サイラスは初めて会った時と同じように、余裕ありげにメルヴィンに対応している。
「はっ! その努力で魔力は身に付いたのか?」
「貴方は変わりませんね。オルコット嬢をちゃんと見ていれば、その芯の強さや気立ての良さに気付くことができるはずなんですが」
「……公爵様」
「本当のことですよ。貴女は役立たずなどではありませんから」
サイラスの言葉に、メルヴィンが握り拳を震わせて彼を睨み付けた。
その瞬間、場の全員の視線がメルヴィンに集中していた。
だから誰も気付いていなかった。
レティシアたちの背後――薄暗い裏通りから、フードを被った人影が飛び出してくる。まっすぐに、レティシアに向かって。
不意に目の前に『彼女』が現れ、レティシアは硬直する。
「ドリス――」
レティシアとどこか似た容貌をした、黄金の髪を持つ従妹の名を呟く。レティシアの胸元で輝くネックレスを間近で見て、ドリスは美しい眉をつりあげた。
「貴女には相応しくない! 返してもらうわ!」
ドリスの手がつかみかかるように胸元のネックレスに伸びた。思いきり引っ張られる。金具が肌に食い込み、痛みが走る。
「っ、やめ」
抵抗する間もなく、力任せに引っ張られたネックレスの金具がぷつりと壊れ、レティシアは解放された。ネックレスの魔石はドリスの手の中にある。
それを認識した瞬間、
(あ……)
ぐらりと、世界が歪んだ。
喪失感と脱力感。命そのものを無理やり引きちぎられたような感覚に、意識を保つことすら難しくなる。
倒れ込むより先に、サイラスが振り向いた。すぐに異変に気付いたのか、さっとレティシアの肩を支えてくれる。
「オルコット嬢!」
名前を呼ぶ声は、いつになく余裕がなさそうだ。
ずるりと姿勢を崩しそうになるレティシアを、彼は優しく抱き寄せ、噴水にもたれかかるようにして座らせてくれた。
「まずい、彼女の呼吸が弱っている。ネックレスを奪われたせい、なのか?」
彼が何か言っている。
言葉は聞こえているのに、その意味をレティシアの頭はうまく理解できない。指先ひとつ自分の意思では動かせず、呼吸が乱れ、視界が霞む。
「やっと! やっと取り返してやったわ!」
ドリスは倒れたレティシアを見下ろし、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「ロードリック! ドリスたちを逃がすな」
サイラスの鋭い声が飛び、ロードリックが素早く回り込んでドリスたちの逃げ場を奪う。丸腰の人間相手だ、剣こそ抜いていないが、油断なく構えてふたりを睨む。
「ドリス、これは……」
メルヴィンが怪訝な顔を浮かべていた。倒れたレティシアと笑顔のドリスを交互に見つめ、何か言いたげにしている。
「これは元々私のものなの。それを取り返してやったのよ! これで、お母様は私を、私だけを見てくれる!」
ドリスが見せつけるようにネックレスを天へと掲げる。それは陽を受けて、きらりと淡い光を放っているようにも見えた。
「それを、返して頂きます」
怒気を無理やり押さえつけているような声が響く。サイラスがさっとブックホルスターへと手を伸ばすのが、薄れゆく視界の中でもはっきりと見えた。
その背中に、もう上手く焦点が合わせられない。
(私……やっぱり……)
これは、予兆なのだと思った。
18歳になったら、死ぬ。
元婚約者の言葉は、きっと本当のこと。
急速に闇へと沈んでいく意識の中で、レティシアはそう直感していた。理屈ではない。元気に過ごしていたとしても、ある日突然今のように変調を来す日が、来る。
そんな確信の中で、レティシアの意識はふっと途切れた。
2章 完
お読み頂き、ありがとうございます。
活動報告に2章あとがきを書きましたので、そちらも見て頂けると嬉しいです。




