24:花祭りと近付く距離 -前編-
花祭り当日。
サイラスは相変わらず午前中は動けないらしく、出発は昼食の後になった。レティシアとサイラス、それから護衛役としてロードリックが馬車に乗り込む。今日はクレアはお留守番だ。
軽い衝撃と共に、馬車が出発する。
サイラスの研究所は、王都の東の外れ、静かな森林地帯にあった。
貴族の別荘地として人気のエリアだけど、閑静過ぎて街と呼べるところにたどり着くまでには馬や馬車での移動が必須になる。
レティシアは窓の外をじっと眺めていた。流れていく街並みは引きこもって暮らしていたレティシアにはどれも新鮮で、目が離せない。
向かい側に座るサイラスを盗み見る。彼がいてくれるから、外に出かけることを楽しみだと思える気がした。
一方で、ロードリックは体を揺すったり、伸びをしたりとどうにも落ち着かない様子だった。
「一瞬でぱっと街に移動できるような魔法とか、あればいいんですけどね」
などとロードリックがぼやく。彼はいつもの執事服のまま、腰に剣を帯びていた。彼が剣を振るうところを見たことがないのに、不思議と様になっている。
「ロードリックさんは、剣も使えるのですか」
レティシアはそんな質問をロードリックにぶつける。彼の右手をよく観察すると、剣だこの盛り上がりがいくつも発見できた。
メイン業務は執事のはずなのに、庭師と護衛も兼任なんて大変だな……という気持ちで言ったのだけれど、サイラスとロードリックは顔を見合わせていた。
「逆ですね」
「逆?」
サイラスの言葉の意味が飲み込めない。
「ロードリックは元々、俺のところに来る前は騎士だったんですよ」
「えっ!」
全然知らなかった。
確かに、言動はともかく立ち居振舞いは紳士で、騎士と言われても納得がいく。
「昔の話ですけどね」
ロードリックは僅かに苦々しそうな表情をしていた。きっと、魅了体質のせいで色々とあったのだろうと思った。
*
レティシアは王都生まれの王都育ち。といっても、オルコットの屋敷からほとんど出ずに過ごしていた。
騒ぎを起こさないように外に出るなと強く言われていたし、レティシア自身も出たいとは思わなかった。外に出たところで、魔力ゼロが白い目で見られる存在なのは変わらないから。
だから王都の街中を歩くのは、これが初めてになる。
「……素敵」
唇から、思わず言葉が漏れる。
目を輝かせるレティシアを見て、サイラスとロードリックが微笑む。
王都の通りは、スタンドブーケや鉢植えで華やかに彩られていた。緑豊かで生命力に溢れる景色の中を、大勢の人々が楽しげに行き交う。その様はまるで、王都そのものが生きているかのようだった。
通りは人でごった返し、迷子になったらもう再会できないのではないかと思うほどだ。研究所の場所もわからないし、ひとりでは帰ることもできない。
急に不安になって、隣にいるサイラスを見上げた。
「あの、はぐれたらどうしましょう」
勇気を出して聞いてみたら、サイラスはさっと手を差し出した。
「一緒に行きましょう。それでも万が一、はぐれてしまったら、その場で動かずに待っていて下さい。迎えに行きますから」
レティシアは手を伸ばしかけ、触れる直前に一瞬、躊躇ってしまった。こんな風に、気軽に触れていいのだろうか。レティシアの迷いを受け止めるように、彼の手はじっと待っていてくれる。
思いきって、レティシアはサイラスの手に自分の手を重ねた。男の人らしい、大きくて固い手だった。
彼に何度かエスコートはされているけど、今日は何となく繋がっているところに意識が集中してしまって、落ち着かない気持ちになる。
「ロードリックさんは?」
レティシアは今度はロードリックを見た。はぐれてしまっては大変だという心配からだったけど、彼は首を竦め、曖昧に笑った。
「オルコット嬢は優しいですね! 貴女のエスコートをする栄誉はぜひとも頂きたいのですが、僕は護衛なのでね」
ロードリックは手を握ったり開いたりしている。いざというときのために空けておきたいのだと、その仕草でわかった。
「しっかり後ろをついていきますから、大丈夫ですよ」
彼はレティシアと違って人混みに慣れているだろうし、大丈夫なのかもしれない。そう思い至ったら、急にサイラスに迷惑をかけているのでは? という気持ちが湧き上がってきた。
「すみません、公爵様。ご迷惑をおかけします」
「構いませんよ。行きましょうか」
重ねられた手に、僅かに力が入った気がした。
サイラスに手を引かれて、レティシアは王都に一歩踏み出す。
人混みは、想像以上に歩きにくかった。ぼんやり歩いていると、ぶつかりそうになってしまう。
サイラスに身を寄せ、人が向かってきそうだったら更に彼に近寄る。それを会得するまでに、それなりに時間がかかってしまった。
「上手く歩けるようになりましたね」
サイラスはレティシアのささいな努力に、すぐに気付いてくれる。心がじわりと温かくなった。
「あ……」
ふと、店先に並んだガラスボールに目が止まった。色とりどりの小さな花がガラスの器の中で咲き誇っている。どれも華やかで可愛らしい。
なんとなく、クレアが喜びそうだなと思った。
「気になりますか?」
レティシアが店の前で足を止めたことに気付き、サイラスが声をかけてくれる。
「はい。クレアさんに贈りたいと思いましたが、お金が……」
首を横に振った。
一応令嬢育ちなので完全に失念していたのだけれど、レティシアはお金を全く所持していない。身に付けているものも、ネックレス以外はサイラスの家――というか彼の妹から借りているものなので、売ってお金にすることもできない。
そんな事実に今さら打ちのめされていると、隣のサイラスがくすっと笑った。
「そのくらい、お支払いしますよ。といっても、貴女は気にしてしまうのでしょうね」
「はい。これ以上、お世話になるわけにはいきません」
「……貴女は本当に、自分に厳しいのですね」
呟かれた声は、どこか寂しげに聞こえた。
「では、こうしましょう。オルコット嬢はいつも屋敷の家事をして、朝の散歩に付き合ってくれていますから、給料を出さなくてはいけません。そこから代金を引かせて頂きます」
サイラスは自信ありげにそう言うけれど、レティシアはまだ納得できない。
「だ、だめです。研究の見返りに置いてもらっているのだから、お給料はもらえません。家事は本当に少しだけしかお手伝いできていませんし」
――研究や家事の話ばかりしてしまっていることに、レティシア自身は気付いていなかった。
「なるほど。貴女の『仕事』の認識はそれですか。良いことを聞きました」
サイラスが笑みを深めたのを見て、レティシアはようやく、自分が何を言い落としていたのかに気付いた。
「……あ、散歩!」
背後でロードリックまで笑っている気配がする。
恥ずかしすぎて、今すぐ消え去りたい……。
「公爵様は意地悪です……」
「はい。そんな意地悪な俺からのお願いです。せめて掃除や洗濯の分は、給料をもらって下さいね?」
その笑顔から、一歩も引かないという圧を感じる。
「……わかり、ました」
レティシアはそれに屈して、頷くしかなかった。
「では、それをひとつ頂きましょう」
サイラスが店主に声をかけ、お財布担当でもあるらしいロードリックが銅貨を店主に支払った。
こうして、ひと悶着あった末にクレアへの贈り物は手に入ったのだけれど、ここで新たな問題が発生してしまった。ガラス製なので、手に持って歩くのは大変だった。
「一度馬車に置きに戻りましょう。サイラス様、お願いしていいですよね?」
そう言い出したのはロードリックだ。主を顎で使うような言動に、レティシアはびっくりしてしまう。
「わかった。じゃあ、一本隣の通りにある噴水広場で集合しようか」
レティシアが「自分が買ったものだから、自分で」と口を挟む前に、サイラスはひょいとガラスボールを取り上げると、元来た道を戻っていってしまった。
「い、いいのですか?」
「構いませんよ。多分、サイラス様もひとりになりたかったでしょうし」
ロードリックが飄々と言う。
「……えっと?」
「それより、これでサイラス様はいなくなりました。今がチャンスですよ」
ロードリックはニヤニヤと意味深な笑みを浮かべている。チャンスと言われても、全く心当たりがない。
立ち竦むレティシアに――
「贈り物をする相手の目の前では買えないでしょう? だから、今がチャンスです」
彼は含みのありすぎる言葉を囁いてくる。
レティシアの胸が、どきりと音を立てた。




