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20:素直じゃない


 不思議なことに、サイラスに会う時間までがとても長く感じた。たった一度、朝会わなかっただけなのに。

 そんなことを思いながら、レティシアはひとりで図書室の扉を開けた。クレアはサイラスの部屋の掃除に行っていて、今はいない。


「セシルさん」


 呼び掛けても、返事はない。気配もない。

 レティシアは静かな図書室を歩き、いつもの席を覗き込んだ。そこにはセシルが座っていて、こちらをちらっと一度見てから、再び本に視線を落とす。


「こんにちは」


 返事はやはりないけれど、その頭が小さく動いて頷いたように見えた。


 彼は製本されている文献を、手元の書類に書き写しているようだ。時々手を止めて考え込み、脚注を欄外に書き加えてから次の文章を写し始める。


 レティシアは掃除をしつつ、時々真剣な様子を盗み見た。サイラスもセシルも魔法の研究に一生懸命という共通点があるけれど、その姿勢はまるで違う。サイラスは魔法を楽しんでいるのに対して、セシルは追い詰められているみたいに取り組んでいるように見える。


 それは、彼の胸元で光るピンブローチが原因なのだろうか。


「……気になる?」


 レティシアがちらちら向ける視線に気付いたのか、セシルが今日初めて声を出してくれた。


「はい。毎日熱心に勉強されていて、すごいと思います」


 クレア曰く、セシルは毎日図書室で過ごしているらしい。時々サイラスの研究を助手として手伝うようだけれど、レティシアはまだその場面に出くわしていない。


 年端もいかない少年なのに熱心に研究に打ち込む姿は、感心すると同時に、少し不安にもなる。

 それを指摘されることはセシルは望んでいないだろうから、レティシアからは何も言わなかった。


「このくらいしなきゃ、あの人に追い付けない」


 セシルは写していた本に目をやった。クールな彼にしては珍しく、感情の滲んだ視線だと思う。


 何気なく覗き込んで、記されている筆跡に見覚えがあることに気付く。大きめの丸文字は、サイラスがレティシアの研究をする時にメモしているものとよく似ている。


「それ、もしかして公爵様が書かれた本ですか?」


 レティシアが質問すると、彼のほとんど日焼けしていなさそうな頬が、ほんのりと赤くなった。


 セシルは口を開いては閉じる。言いにくそうにしながらも、ようやく小さく頷いてくれた。


「そう。何か文句ある?」


 視線は合わず、言い方もそっけない。けれどその声は柔らかくて熱がある。


「いいえ。公爵様はそんな本を出せるくらい研究しているんだなって思いました」


「……放っておくと寝食忘れて研究に没頭してるようなダメな大人だから。誰かが見張ってないと、本当に研究室から出てこないよ、あの人は」


 苦言を口にしながらも、セシルは本の表面をそっと撫でている。


(……素直じゃないのね)


 その言葉は、胸の中に留めておく。


「あんたも同じじゃないの」


 突然そう言われて、何のことかわからず首を傾げる。


「あの人のこと、同じように思ってるんでしょ」


 セシルから放たれた言葉に、息を呑んだ。

 

 セシルと同じように、サイラスを尊敬している?

 その自問に、すぐには答えが出せなかった。サイラスのことをどう思っているかなんて、改めて考えるのは久々だ。


 最初は、悪い人ではないと思っていた。そんな消極的な評価は、いつの間にかすっかり消え失せていた。


 サイラスのことを思うと、胸があたたかくなる。この気持ちの名前は――わからない。けれど、最初の頃に比べ、レティシアは明らかに変わり始めている。


 オルコット家にいた頃のレティシアだったら、こんな風にセシルと話すことなんてなかっただろうから。 


「……そうかもしれません」


「生活魔法を開発しようとして逆に迷惑をかけるような、ダメな大人なのにね」


 レティシアは目を丸くした。セシルの唇の端に、ほんのりと笑みが浮かんでいる。彼とは何度も会話を交わしているけれど、こんな表情を見るのは初めてだった。


「でも、相手とちゃんと向き合ってくれる人……です。だから私も、何か返したいって思います」


「わかる」


 生活魔法事件の時、セシルはサイラスに辛辣そうに見えた。けれどそれは、信頼の裏返し――素直じゃない彼なりの表現だったのかもしれない。


 セシルがぱたん、と本を閉じた。彼が何もしなくても、本は勝手に宙を飛び、本棚の空いたスペースにぴたりと収まる。


「あの人、あんたが来てからちょっと雰囲気変わったよ」


「……そう、なのですか?」


 レティシアは瞬きをした。


「ちょっとだけね」


 呟きながら、セシルが立ち上がった。今日はちゃんと書類をしっかり抱き抱えている。


「――鬱陶しくなった」


 軽く言って、彼は図書室を出ていった。

 

 扉が閉じる。それを最後に、レティシア一人が残された図書室は、しんと静まり返った。


 (鬱陶しい……)


 セシルの言葉の真意は、わからない。言葉の鋭さとは裏腹に、その声は彼にしては優しかった。


 ここに来て、レティシアはサイラスに与えられてばかりだと思っていた。居場所も、力の使い方も、優しさも――


 けれど。

 もし、レティシアから彼に何かを返せたのなら。


 (……どうしてかな)


 胸の奥が温かくて、表情が緩むのを抑えられない。誰も見ていないのに、箒の柄を抱き寄せて顔を隠す。


 クレアが来るのが、遅ければいいのに――そんな自分勝手なことを願いながら、レティシアはしばらくそうして立ち尽くしていた。

 


 

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