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03 与えられた密命

 こんな時間に客人など訪れるはずもない。

 誰もがそう思ったが、草を踏みしめる足音は確かに近づいてくる。


 座長が静かに振り返る。道化師も焚き火を挟んでゆっくりと立ち上がった。物盗りの類かもしれないと、腰に差した木杖に手をかける。

 やがて闇と炎の揺らめきの向こうから現れたのは――意外にも身なりの良い女だった。


「お待たせしてしまいましたね」

「いえ、遠いところを……こちらこそ申し訳ない。続きはあちらで」


 どうやら座長の知り合いらしい。彼は女の姿を認めるやすぐに立ち上がった。


「……義父さん、知り合い?」

「昔馴染みだ。……少し話をしてくるから、待っていてくれ」


 短くそう告げると、座長は女を伴い馬車の中へと消えた。

 残された一座は手持ち無沙汰に顔を見合わせるしかなかった。


 しばらくして、沈黙を破るように座長が戻ってくる。

 彼の表情は硬く、何かを呑み込んだように強張っていた。


「……順番に来てくれ。話がある」


 淡々とそう告げると、最初に呼ばれたのは曲芸師だった。

 訝しげな顔で馬車へと向かった彼は、長い時間をかけた後に沈んだ表情で戻ってくる。


「……次は兄貴だってよ」


 無駄口ひとつ叩かずに地べたに座る曲芸師の様子に、誰もがただならぬ気配を察した。

 促されるまま、今度は道化師が馬車に向かう。

 中には先ほどの女が座していた。へたれた座布団の上で、まるで主であるかのように静かに微笑んでいた。


「あなたには、しばらく宮廷道化師として女王陛下にお仕えいただきます」


 挨拶も前置きもなく、いきなり本題だった。

 命令のような口ぶりで女は淡々と続ける。


「陛下の心を癒し、慰める。それがあなたの役目です」


 思わず眉をひそめる。

 宮廷道化師――それは王族に仕える、名誉ある役職だ。流浪の身である道化師にとって破格の待遇といってよかった。……だが。


「なんで、俺が?」


 当然の疑問だった。この国の空気も、王城の雰囲気も、決して一座を歓迎しているようには見えなかったからだ。

 訳が分からない、というのが率直な感想だ。座長に説明を求めるよう視線を送るも、彼はただ無言で「従え」と目で告げるだけだった。


「……ならばせめて、なぜわたくしが選ばれたのか、教えていただけませんか?」


 胸に手を当て大仰に頭を下げて尋ねると、年齢不詳の女はわずかに口元を緩めた。


「女王陛下はあなたのことを大層お気に召されたようです。光栄に思いなさい」

「それは大変ありがたいお言葉ですが……ご覧の通り、わたくしはただの愚者に過ぎません。果たしてお役に立てますかどうか……。それに、首の皮一枚くらいは保証していただけるんでしょうか?」

「ほほ……そればかりは、あなた次第でしょう。なにせ宮中は毒塗れ。ひと月にひとりは誰かが命を落とします。――もっとも、毒であれば首の皮くらいは繋がったままですよ」


 ほほ、と女は声音だけは柔らかく笑う。しかし、その独特な響きには冗談めいた軽さなど微塵もなく、道化師は軽い眩暈を覚えた。


「……一応、わたくしも座の一員。他の者と相談をさせては頂けませんか?」

「それは許しません。この中での話は他言無用……もし漏らせばどうなるか、お分かりでしょう?」

「生憎とわたくし、()()()()()というものには疎いものでして……漏らせばどうなるか、後学のためにもぜひ詳しくお聞かせいただけませんか?」


 おどけた口調で肩を竦めて見せると、女は品定めするように目を細める。「この馬鹿がっ……」という座長の苦々しげな呻きが聞こえた。


「そうですね……本来であればご家族によくよく相談させていただくところですが、あなたにとってはここの者たちが家族同然なのでしょう?」

「……なるほど、ようく分かりました。女王陛下は実に思慮深い御方のようだ。同じだけの優しさも頂けると有難いんですけれどねぇ」

「ご安心なさい。あの御方は大変慈悲深くいらっしゃいますから。……さあ、理解したなら下がりなさい。明日の昼には登城を。衛兵には伝えておきますから、城門より入るとよいでしょう」

「いや、俺は――」


 承知したなどと言っていない。抗議しかけた口を、座長の「いいから!」という鋭い一言が封じた。その声には抗う余地を与えない強い圧が込められていた。

 ……そもそも、すでに一座を人質に取られたも同然であり、拒否権など最初から用意されていなかった。この興行自体も、密命を与えるために一座を呼び寄せた口実だったに違いない。


 渋々焚火の元へ戻った道化師だったが、おそらくは先に話を聞かされた曲芸師と同じ顔をしていたのだろう。

 眉をひそめる吟遊詩人に「次はお前だと」と告げると、彼はぶつぶつと不満をこぼしながら立ち上がった。


 曲芸師もまた、己に課された役目を他言無用とされているのだろう。どこか落ち着かない様子だった。

 歌姫はその剣呑な空気を敏感に察知したように、そわそわと自分の番を待っていた。

 

「……あたしが最後みたいね」


 今にも消えそうな焚火が、か細く音を立てる。

 歌姫はその灯りを見つめるようにして、ぽつりと呟いた。

 

 ――女王にそっくりだ。

 そんな曲芸師の言葉が、不意に蘇る。

 

 確かに面影はよく似ていた。

 だが溌剌とした彼女の瞳と、生気を失った女王の瞳とではまるで別物だ。感情というものが抜け落ちていたあの顔とも程遠い。 

 もっとも、それは歌姫のことをよく知る者にしか分からない違いと言えるだろう。

 

 何となく彼女に課せられる役割を察しながら横目で見ていると、歌姫自身もそれを感じ取ったのか、ふっと顔を曇らせた。


「なんだか怖いわ。本当に影武者でもやらされるんじゃないかしら」

「そうなったら断ればいいさ。稼ぎ頭だからな。それに娘のこととなれば座長だって黙っちゃいないだろう」

「……そうだといいんだけど。あの様子じゃ、相当な額を掴まされていそうだもの」


 その言葉に道化師も苦笑する。

 確かに、座長は金次第で興行先を選ぶ男だ。

 法外な謝礼と聞けば、戦争真っ只中の最前線にすら躊躇なく訪れる。それが、座長という男だった。

 

 それに――女の後ろに控えていた座長は、いつもとどこか様子が違っていた。

 何かを見定めるような、滅多に見せぬ真剣な顔つき。

 第一、こんな理不尽な要求を呑むような男ではなかったはずだ。

 

 ――もしかしたら、王家と個人的な繋がりでもあるのだろうか?

 

 考えても答えは出ないまま、ついに吟遊詩人と入れ替わりに歌姫も呼び出される。焚火の脇でそれを見送ると、いつの間にか夜空には月が高く昇っていた。

 

 三人は向かい合いながらも無言のまま。時間が過ぎるのを長く感じていると再び座長が戻ってきたが、そこに歌姫の姿はなかった。


「……親父さん。あいつは?」


 問うた曲芸師に、座長は淡々と答える。

 

「朝一で移動することになった。今はそのまま馬車で休んでもらっている。なに、俺も同行するから心配はいらん」

「それって……彼女の仕事先はこの国の中じゃないってことですか?」

「詮索は禁じられていたはずだ。……いいか、お前たち。互いの仕事については、口を慎め。半年も経てば元の生活に戻れる。それまでの辛抱だ」

 

 そう言い残すと、座長はそれ以上の説明を拒むように背を向けた。


 静寂だけが焚火の周囲に満ちていたが、誰からともなくそれぞれが寝床へと身を移す。

 紅一点の歌姫は馬車の荷台へ。

 残された男たちは、天幕の中で言葉少なに雑魚寝する。


「……何を企んでいるんだろうね」


 隣に身を横たえた吟遊詩人が、天幕に吊るされた灯りを見つめながらぽつりと呟いた。


 女の口から提示されたのは、目を疑うような法外な前金だった。

 さらに、すべてが終わった暁には一生遊んで暮らせるほどの報酬が支払われるという。

 だがそれは裏を返せば、口を滑らせた瞬間にどうなるか、容易に想像がつくことでもあった。


 流浪人という立場ゆえ、危険とは幾度も隣り合わせだった。

 貧民街の乱闘、戦場での慰問――命を落とす寸前の場にも立ち会ってきた。


 それでも、誰も一座を離れなかった。

 行き場のない彼らを拾い、共に旅を続けてきたのが座長だった。金には汚いが信じられる男だ。この一件も、きっと何らかの考えがあってのことだろう。

 

 ……それに。目を瞑った道化師の瞼には、あの女王の姿が焼きついていた。


 もとは、きっと――美しい人だったはずだ。

 なのに今は生気をすべて削り取られたような顔をしていた。感情を失った人形のような、泥の中に沈みきった瞳を。


 もし、その頑なな仮面をほんの少しでも剥がすことができたなら。

 ――その笑顔を、見てみたい。


 やるからには徹底して楽しむ。それが道化師の流儀である。


 改めてそう決めた瞬間、不思議と心が軽くなった。

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