22 影を焼き、舞台に立つ
空が藍色に染まる頃。
王城の中庭には各地より招かれた貴族たちが集まり、煌びやかな衣装と香の匂いが夜気と交じり合う。
建国を祝う祭の幕開けを告げる鐘が鳴り、正面の壇上にゆるりと女王が姿を現すと、ざわついていた会場は水を打ったように静まり返った。
闇の中に浮かぶ黒曜の衣が風にたなびき、銀の王冠が月光を弾いて亜麻色の髪を照らす。
ただそこに立つだけ。それだけで人々の目と息を奪っていた。
他国の老齢の王族が、背筋を伸ばして見惚れているのが分かる。
いつもは小馬鹿にしたような眼差しを向ける一部の貴族たちさえも、今ばかりは無言のまま見上げていた。
凜とした視線が遠くを見据えるその横顔には、滲み出る風格と、拭いきれぬ孤独の影が差している。
静かに、だが確かな足取りで歩み出る姿は――ただただ美しかった。
「――国を築くとは、守ること。繋ぐこと。育むことである。皆の労に感謝する。楽しんでいかれるといい」
短く要点だけを述べるその口調は、媚びず、飾らず、されど一国の君主としての威厳を纏っている。普段、厳しい表情ばかりが先に立つ女王であったが、祝いの日であろうともそれは変わらない。女王の声はしめやかに、けれど確かにこの場を支配した。
その言葉が終わってから、観客たちが揃って拍手を送るまでにわずかな間があった。
恐らく呆気に取られたからだ。演説と呼ぶにはあまりに短く、しかし不思議と胸に残る、そんな言葉だった。
やがて、拍手は波紋のように静かに広がっていった。張りつけた笑みばかりの貴族たちの中にも、ほんのわずかだが、心からの賛辞を贈る者もいた。
――もしかしたら、普段は表立っては女王派に回れぬ者がいるのではないだろうか。あるいは、この荘厳な光景に心を揺さぶられた者が。
夜風に揺れる衣の裾と共に、その拍手の音は城下にまで届くのではと思えるほどに力強いものだった。
「たった一人になろうとも、さすがは王族、か……」
「聖国との関係もより強固なものとなったらしい。後ろ盾としては申し分ないだろうが、はたして……」
各国の要人たちが囁き合う中、道化師はひとり、頬を綻ばせる。
貴族院という膿のような連中に囲まれながらも、女王はたったひとりで抗い続けてきた。
その気高さ、美しさたるや。容易な言葉で語れるものではなかった。
――すっかり飼い慣らされてしまったものだ、と道化師は自嘲気味に笑う。こんなはずではなかったのに、と。
だが、彼女のためならば、男妾という不名誉すら甘んじて受け入れてしまえる自分がいる。
静謐な空気が残るのも、女王がその席につくまでの話。
宴が始まれば誰もが澄ました仮面を被って舞いはじめる。
誰が誰と手を結ぶのか、どの家が次代を担うのか。笑顔の裏に渦巻くのは、打算と猜疑ばかりだ。
あちこちで囁かれる噂の中には女王の「後継」についても含まれていたが、彼女自身は、そんな声など耳に入っていないかのようだった。
「あの道化、今日も出るのかしら」
「かような者を迎え入れる寛容さこそ、国としての余裕が伺えますな」
数々の余興が繰り広げられる中、道化師の存在を知る者たちから出番を待ち望む声が漏れ出てくる。
「――さて。それじゃ、いっちょかましてやろうぜ、兄貴」
伸びをひとつしてから、曲芸師と目を合わせる。視線を交わし頷き合えば、彼は「お先に」とゆったりと壇上に上がっていった。
「本日はようこそお集まりいただきました! 宴もたけなわ、されど、愉しみはまだまだこれからでございますよ!」
扇子を一振りしながらの軽口に、仏頂面で杯を傾けていた貴族たちも思わず顔を上げる。子どもたちが笑い、令嬢たちは興味深そうに身を乗り出した。
続いて登場したのは、紅と白に彩られた化粧を施し、華やかな二股帽子を揺らす道化師。まるで花火のように舞い跳ねては、観客の視線をたちまち攫っていく。
「おやおや、これではまだ皆様、宴に酔いきってはおられぬようですね?」
とぼけた調子の口上に、先ほどまでの張りつめた空気が少しずつ解け、笑いの花がぽつぽつと咲き始める。
二人は軽妙な掛け合いを交えながら、道化芝居、綱渡り、鳩の手品と、次々に芸を披露していく。観客の表情も次第に和らぎ、拍手と笑声が混じり合いながら夜宴の温度を上げていった。
「さてさて、お愉しみいただけましたでしょうか?」
曲芸師が大仰に一礼すると、場内には拍手と歓声が沸き起こる。政を語っていた者たちもいつの間にか杯を置き、舞台に目を向けていた。
「……それでは皆様、本日最後の演目でございます。牢に囚われ、火に囲まれ、絶望の中に置かれた者が……果たして、生きて戻ることができるのか! 名付けて……『炎の牢からの大脱出』!」
芝居がかった甲高い声が観客席を震わせる。
言葉だけでは想像が及ばなかったのだろう。ざわめきはしばらく続いたが、道化師が「しぃ」と悪戯っぽく指を鼻先に当てると、やがて囁き声も静まっていった。
「さぁ、早速始めましょうか!」
その一声を合図に、会場を照らしていた篝火が一斉に落とされる。
夜半の闇に包まれた舞台には、仄かに揺れる紅い光だけが残された。
松明を振る動きに合わせて火の粉が宙に舞い、舞台中央に浮かび上がったのは――鉄格子を模した、演出用の牢屋。
道化師は自らその中へと足を踏み入れ、近衛の騎士が無言で手を伸ばす。
銀の枷が両手に、足には重たげな鎖がかけられていく。
本物の死刑囚さながらの出で立ちに、会場はどよめきに包まれた。
そして――牢屋の前に積まれた藁に、騎士が松明で火をつけた。
「さあ、時は短し。火が燃え広がる前に――わたくしは、この牢から脱してみせましょう!」
羽扇で口元を隠していた貴族たちも、ついとその手を下ろす。
緊張が走る中、舞台袖で控える騎士団の何人かは、息を呑むような眼差しでそれを見つめていた。
風が舞台に吹き込む。揺れる炎が藁を煽り、鉄格子の隙間から細い煙が立ち昇る。
それはやがて濃密な煙となり、牢を模した箱全体をみるみる包み込んでいった。
「あちっ! あちちっ!」
中から聞こえる悲鳴に、観客の視線が集中する。笑いが浮かびかけた空気にわずかな不安が混じり始めた。
ぱちぱちと弾ける火の粉は瞬く間に炎へと変わり、牢屋を囲う藁を容赦なく呑み込んでいく。火の勢いは留まるところを知らず、舞台上にまで広がった。
煙が舞台上に充満し、騎士団たちが延焼を防ごうと水桶を構えた、その時――。
「ご覧あれ!」
軽やかな声と共に、観客たちが一斉に振り返る。
舞台の反対側、一本の大木の枝の上。そこに道化師がひらりと姿を現したのだ。
歓声が上がり、指を差す者、拍手を送る者、口を押えて見上げる者――反応は様々だったが、誰もが同じ驚きに包まれていた。
すぐさま近衛たちが舞台に駆け寄り、炎の残る壇上に水を撒き、燃え残りを鎮めていく。
煙が晴れていく中、鉄格子の中にはひとつの人形――等身大の藁人形が、まるで焼け死んだかのようにぶら下がっていた。両の手には銀の枷、足には鎖が残されたまま。身代わりとなった人形は、水を滴らせている。
「……死から逃れるためには、影を置いていくことも、時には必要なのですよ」
戯けたような口調で語りながら、道化師は木の枝から軽やかに着地する。
そして観客席へ向き直り、華やかにウインクをひとつ――。
割れんばかりの歓声と拍手が会場を満たす中、夜宴の最後を飾るにふさわしい演目は、見事に幕を閉じたのだった。




