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道化師は泣き、女王は笑う  作者: Mel


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18 交わらぬふたり

 道化師と歌姫は、再び月の間を訪れていた。日付も変わった深夜に侍女からの呼び出しがあったからだ。


 黒い薄布の帳の向こうには、頭まで長衣を被った女が長椅子に腰掛け、恰幅の良い男がその傍らに控えている。

 まるで自分たちと鏡合わせのようだ。そんなことを考えているうちに帳がすっと開かれ、薄明りの中に座長と女王の姿が現れた。


「陛下――」

「……まさか、飲んだのか」


 呼びかける道化の姿など見えていないかのように、女王は険しい眼差しで歌姫を見据える。顔色の悪さを隠すために施された化粧も、彼女の前では通用しなかったらしい。


 やがて歌姫が、重たげに頷く。座長が「なんで……!」と、かすれた叫びにも似た声を漏らし、慌てて彼女のもとへ駆け寄った。入れ替わるようにして、道化師は女王のもとへ歩み出る。


「陛下。……わたくしは、そんなに信用がないのでしょうか」

「何の話だ」

「何の説明もなく置いていかれて、少々寂しゅうございました。……陛下こそ、ご無事で?」

「ただ話をしてきただけだ。お前の出る幕などない。……それよりも、何があった。食事は取るなと命じたはずだ」


 女王の視線は再び歌姫に戻される。仕方なく道化師が一部始終を語り始めた。

 議長との応対も含め、細やかに報告を重ねるにつれ、女王の顔は徐々に強張っていく。

 説明を聞き終えた彼女が長椅子から音を立てて立ち上がると、その気迫に圧倒されたのか、座長に抱きしめられていた歌姫が小さく肩を震わせた。


「なんと愚かな……! あんな連中の戯言など、適当に聞き流せば良いものを!」

「で、でも……! あの人たちは、陛下のことを……!」


 興奮のあまり、「ゴホッ」と咳き込みながら歌姫が言葉を詰まらせると、女王は僅かに眉を寄せ、次いで入り口近くに控えていた侍女を睨みつける。


「……貴様の差し金か」

「ほほ……。貴女さまのご苦労を知りたいとずっと願っていたようでしたので。身をもって体験いただくのが、一番でしょう?」

「貴様は余計な真似ばかり……! 己の立場もわきまえられぬのであれば、二度と我が前に顔を出すな!」

「陛下。そうやって遠ざけてばかりでは、かえって逆効果でございますよ? それに――貴女さまの悲願のためにも、彼らは必要でございましょう?」


 侍女はどこか嘲るように口元を歪め、女王は舌打ちひとつとともに怒りを飲み込む。

 叱責された歌姫はすっかり気落ちした様子で俯いたまま押し黙り、座長も狼狽えながら彼女の背をさすっていた。


 ――歪だ。

 何らかの目的があって一座は城に招かれたはずなのに、皆が別の方向を向いている。

 立場も、覚悟も、思惑も……全てがバラバラだ。


「解毒は済ませているのか?」

「はい。薬を頂きました……」

「……ならばよい。だが、二、三日は養生しておけ。慣れぬ者が口にすればどうなるか、私にも分からぬ」


 突き放すようにそう言い残し、女王は踵を返して部屋を出ようとした。慌てて歌姫が立ち上がる。


「待って! ……ねえ、もういいじゃないですか! こんな国、捨てて……あたしたちと一緒に出ましょうよ!」

「……貴様は、私から王の立場までも奪うつもりか」

「ちがう、そんなことは言ってない! このままだと本当に殺されちゃうのに、命を懸けてまで、いったい何を守ろうとしてるの? どうして、そこまで……!」

「おい。その女を連れてさっさと帰れ。不愉快だ」


 女王が顎で座長に命じると、彼は追い縋ろうとする歌姫の腕をつかみ、ぐっと引き寄せる。耳元で何かを囁くと、彼女は嫌がるように首を振った。


「どうしてもここに残るというのなら、あたしにも背負わせてよ! だって、あたしは貴女の――妹なんでしょう?!」

「――図に乗るなよ。貴様ごときに、我が苦悩の何が分かるというのだ」

「陛下。こんな時間に騒ぎ立てれば、不審に思う者が出てまいります。……あんたも、さっさとそいつを連れて帰ってくれ。毒のせいか、判断が鈍っているようだ」


 道化師の言葉に座長は深く頷き、駄々をこねる子どもを引き摺るようにして部屋を出ていく。あとを追う侍女は、恐らく二人を密かに外へ出す手筈なのだろう。

 残された女王は肩で息を吐きながら、扉の閉まった方向を睨みつけていた。


「……どいつもこいつも、勝手ばかりする……!」

「落ち着いてくださいませ、陛下。……さあ、お部屋へ戻りましょう。きっとお疲れも溜まっておられましょう?」


 同調するでも、反論するでもなく。道化師はただ、何事もなかったように恭しく手を差し出すが、女王はその手を無視してさっさと歩き出した。「陛下ぁ」と情けない声を上げながらその後を追う。

 向かう先は、女王の居室。近衛兵が深々と頭を下げるあいだに、道化師が鍵を開けた。


 扉が閉まるや否や、女王は黙って衣を脱ぎ捨てる。その背に苦笑を漏らしつつ、視線を逸らして鳥籠へと目を向ける。

 そのあいだも、先ほどのやり取りが頭の中で何度も繰り返されていた。


 ――やはり、歌姫は女王の血縁だったのか。

 予想していたことではあったが、本人の口から語られればそれなりに衝撃を伴う事実であった。

 

 恐らくは、何らかの理由で市井に身を置いていたが、この国に来て、自らの出生の真実に触れた。そして、女王の立場を憂い助けたいと願うようになったのだろう。

 だが彼女の想いが空回りしているのは、女王がまだ彼女の存在を受け入れていないからか――。


 遠ざけようとする姉と、近づこうとする妹。

 そこに侍女と座長の思惑も絡まり、余計に厄介なことになっている。


 衣擦れの音が止んだのを合図に振り返ると、女王は無言で寝台に潜り込もうとしていた。

 よほど腹に据えかねているのだろう。道化師の存在すら無視することに決めたらしい。


「……陛下。お隣、失礼いたしますよ」


 ひと声かけてから、そっと彼女の隣に滑り込む。返事はなかったが、小さく身じろいだ彼女は――おもむろに道化師と向き合う体勢へと変わった。

 いつもは背を向けるか、仰向けになったままなのに。こんなふうに真正面から向き合ってくるのは初めてで、道化師のほうが内心で戸惑ってしまう。


「……あの娘、どうにかできないのか」

「それは……難しい注文でございますね。昔から一度言いだしたら聞かない女でしたので」

「……長い付き合いなのだな」

「そうですねぇ。わたくしが拾われてからですから……それなりに、長いですね」


 ――あの日。道化師は座長に拾われ、そのまま一座の家に迎え入れられた。

 そこで初めて出会ったのが、まだよちよち歩きだった小さな幼女。

 家族を持たなかった道化師にとって、彼女は仲間であり、家族のようでもあった。

 だからこそ、大切に思ってきたのだが――。


 彼女の面影を持つ女王を見ていると、別の感情が不思議と胸の奥に生まれはじめている。

 それは、歌姫に抱くものとはまったく違うもの。もっと得体の知れない、けれど確かな想いだった。


「お前は、孤児だったのか」

「左様でございます。とはいえ、珍しい話でもございませんでしょう?」

「……すまない。私は市井のことなど、あまり詳しくはないのだ。ただ、浮浪児が問題になっているとしか……」

「わたくしも乞食めいたことをしておりましたからね。国によっては取り締まりの対象となってもおかしくはないでしょう。……そういえば、この国ではあまり見かけませんね」


 城下を隅々まで歩き回った訳ではないが、それでも金や食糧をねだってくるような子どもの姿は見かけなかった。よその国では、路端でひっそりと息を引き取っている幼子もいるというのに――。


 そう考えると、重税を課されているのは確かなようだが、この国は民が言うほどには飢えていないのかもしれない。……もっとも、下を見てもしょうがないと言われてしまえばそれまでであるが。


「定期的な配給があるからであろうな。そこは騎士団の管轄であるから、貴族院も手が出しにくいのであろう」

「なるほど。……その騎士団なるものらは、陛下に忠義を尽くしているのですか?」

「いや……」


 女王は、そこで言葉を飲んだ。それ以上は語らず、ただ静かに目を伏せる。……きっと、疲れているのだろう。

 寝かせてやるべきだと、道化師は乱れた掛け物をそっと整える。


 灯りを落とすと、室内はたちまち闇に包まれた。明日の予定を思い浮かべながら、道化師も目を閉じる。


「……陛下」


 返事はない。既に眠ってしまったのかもしれない。

 だが、それでも構わずに道化師はそっと呟く。

 

「どこへ行こうと、あなたの自由です。……でも、もう二度と――俺を置いていかないでくださいね」


 帰ってこなくてもいいと思っていた。

 彼女がこの国から逃れられるのなら、それでいいと、そう思っていたはずだった。


 ――なのに、なんとも無様なものだ。

 この人の姿を再び目にしてしまったら……取り繕えなくなってしまったのだから。

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