12 吟遊詩人はうたう
今日は要人の来訪もなく、流石の貴族たちも時勢を弁えたのか、夜会を開く様子はない。
つまりは――暇、というわけだ。
時間を持て余した道化師は、化粧姿のまま城下町へと足を運ぶことにした。もちろん女王の許可は得ている。「勝手にしろ」という、いつもの素っ気ない一言を。
往来を歩けば最初こそ奇異の目を向けられたものの、旅芸人と分かれば、住人たちの態度はたちまち砕けた。
芸を見せろと絡んでくるのはどこの国でも変わらぬ光景だ。手品ひとつで満足してくれるのだから、気楽な相手とも言える。
「まだ旅芸人が残ってたのか。この辺じゃ吟遊詩人くらいしか見かけねぇと思ってたがな」
そんな声に、道化師は大袈裟に耳へ手を当て、芝居がかった仕草で応じる。
「わたくし、居眠りしている間に置いていかれてしまったのですよ! 仲間を探して幾年、ああ、どこへ行ってしまったのでしょう?」
「ハハッ、町外れの酒場にいたぜ。……今じゃ、すっかり過激派の巣窟だがな」
「過激派……でございますか?」
「王家が大嫌いな連中さ。あんなのばかりだと思われるのは癪だけどな。声だけは、やたらとデカいからよ」
吐き捨てるような声音から察するに、どうやらこの国のすべての民が王政を憎んでいるわけではなさそうだ。
だが、それでも声の大きな者たちに呑まれるのが人の常。
煽り、煽られ――気がつけば、まともだった者たちも過激派に取り込まれてしまうのかもしれない。
足元で、ちりん、と鈴が鳴る。
道化師は静かに思索を巡らせながら、教えられた酒場へと向かう。
互いの仕事を詮索しない。それは今回の興行において一座に課せられた鉄則だったが、接触そのものが禁じられているわけではない。
頭の中で屁理屈を捏ねつつ、彼は酒場の扉を押し開けた。
途端に、酒と人々の熱気がむわりと押し寄せる。
酒場の奥では吟遊詩人が、竪琴を奏でながら静かに歌を紡いでいた。
「巡る巡るは 因果応報の環――」
ポロロン、と弦が鳴る。
酒場に集う者たちは、酒を口に運ぶ手を止め、その旋律に耳を傾けている。
「金の玉座に咲く薔薇は 今や見る影も無く
地を蝕む鋭き棘は 流るる蒼河をわけ隔つ
銀の杯に映るのは 月影ではなく――血の色よ」
――あいつは、風刺など口にしないはずだったのに。
驚きを呑み込んで道化師は壁際へと身を寄せる。目立つ装いながらも、客の目は吟遊詩人へと注がれていた。
あまりに美しい旋律と、鋭く刺さる歌詞。その指先は、民の怒りと哀しみを巧みに弦へと乗せていた。
「我らが女王は高き塔の中
民の飢えも、怒りも、聞こえぬふり
糧も 家畜も 家すら齧られ
玉座の宴だけが 今日も盛り上がる」
場内は静まり返っていた。
誰もがその言葉に耳を傾け、神妙な顔で酒杯を握りしめている。
――これは、まぎれもない体制批判だ。
美しい旋律に包まれたそれは、過激派と呼ばれる者たちに相応しい毒を孕んでいた。
「おお、そこの賢き旦那衆よ 金貨は持っているかい?
早く懐に隠してしまわねば その金貨もお上の懐の中さ
我らが払う年貢は 貴族様の酒となり
我らが流す汗と涙は ただ城の石畳を冷やすだけ――」
歌は、熱を帯びていた。
吟遊詩人の口から紡がれる言葉は次第に激情をまとい、竪琴を奏でる指も勢いを増して煽るように音を重ねていく。
「ならば、この国を変えるのは誰だ?
高き塔に囚われぬ、俺たち――
地を踏みしめる民こそが、今こそ柱となるべきだろう!」
最後の一節が高らかに響き、余韻を残して音が消える。
吟遊詩人が頭を下げた瞬間、店内は爆ぜるような歓声に包まれた。
興奮に駆られた客たちは我先にと声を張り上げ、熱を帯びた言論を交わしはじめる。
――そうだ。国を変えねばならない。
僻地だからと村々を見捨て、なんの措置も講じぬ王など、本当に必要なのだろうか。
悪政の象徴たる堤防もしかり。あれが我々を母なる河から引き離したのなら、いっそ壊してしまえばいい――。
よほど鬱積していたのだろう。
まさに過激とも言える声が、あちらこちらで飛び交っていた。
その熱気の渦を横目に、吟遊詩人は静かに舞台袖へと姿を消す。道化師も仲間を迎えに行く素振りを装いながら、その背を追った。
裏口らしき扉を慎重に開けると、湿り気を帯びた生ぬるい風が肌を撫でた。
その先には、壁にもたれかかる吟遊詩人の姿がある。
疲れ切ったその横顔の向こうには、はぐれた飛蝗に食い荒らされた無惨な畑が広がっていた。
「……おい」
吟遊詩人はびくりと肩を震わせ、驚いた様子でこちらに振り返る。
「うわっ! ……なんだ、君か。驚かせないでよ。そんな格好でうろつくなんて、相変わらずイカれてるね」
「外に出る時は必ず化粧をするようにと、陛下のご命令なんだよ」
「なんだそれ……いや、ああ。そっちも訳の分からないことをやらされてるんだね。君も大変だ」
呆れたような口ぶりとは裏腹にどこか同情めいた視線を向けられ、道化師は苦笑を漏らしつつ吟遊詩人の肩を抱く。
「久しぶりにお前の歌を聴いたが、ずいぶんと方向転換したものだな。大好きな英雄譚もネタが尽きたか?」
「依頼主様のご意向だよ。……まあ、あまり多くは語れないけどね」
吟遊詩人も道化師同様にかなり固く口止めされているようだ。普段の彼なら、こうした場ではもっと饒舌に語っているはずだから。
ただ、その表情は雄弁に物語っている。――やりたくてやっているわけではない、と。
その本音を見抜き、道化師はわずかに胸を撫で下ろした。
「飯は食えているのか? 大飢饉って話だが」
王宮の贅沢な食卓を思えば、飢饉など別世界の出来事のようにも思える。
けれど、飛蝗の話は議会場だけではなく城内にも広く届いている。
雑草すら食い尽くされ、空腹を酒で誤魔化す――そんな民の姿が噂として流れ込んできていた。
「なんだ、知らないのか。聖国の支援もあってそこまで酷い状況でもないさ。ただ……民は納得していないようだけどね」
「……というと?」
問い返す道化師に、吟遊詩人は竪琴を爪弾きながら、皮肉めいた調子で続けた。
「散々納めてやったろう、返してもらって当然さ
信仰を見返りにした施しなんぞ、まっぴらだ
いやいや、これは女王の怠けの報い
座して何もせぬなら、いまこそ天誅を――」
軽やかな音色に似つかわしくない、ねじれた言葉たち。
苦笑する吟遊詩人の横顔は、どこか虚ろだった。
「……最初は僕も思ったさ。民の苦しみに目も向けないなんて、酷い王様だって」
「それは違う。陛下は、兆しが見えていた時から気にされていたんだ」
すかさず女王を庇う言葉が口をついて出て、吟遊詩人が驚いたように目を瞬かせた。
「そうなんだ。……でも、そんな話も民衆にはどうでもいいんだろうね。口に合わない米が送られたってご立腹さ」
「文句ばかりは一人前だな。あの堤防のことも、よほど気に喰わないようだ」
「景観が悪くなった、陽が遮られた、生活用水だというのに河に降りるのも不便になった――文句は山ほどあるらしいね。数百年に一度の水害に備えてって言われても、実感なんて湧くはずもないんだろうけど……」
蒼河と大地とを隔てるように築かれた堤防――それは先王の悲願であり、女王もまたその意志を継ぎ、民の反対を押し切って、ようやく完成へとこぎつけたと聞く。
だが、その崇高な志も今は忘れ去られ、貴族院の利権が複雑に絡み合った結果、王家の腐敗を象徴する存在とまで見なされているらしい。
「……そんなもの、実際に水害が起きればどうせ手のひらを返すに決まっている。それに聖国が支援してくれたのだって、日頃からあの方が尽くしていたからこそじゃないのか?」
皮肉交じりの言葉に、吟遊詩人はまじまじと道化師を眺め、ふっと笑った。
「おやおや。随分と女王寄りじゃないか。いい思いでもさせてもらってるのかな? あんまり女には関心を示さなかったくせに……さては、すっかり絆されたな?」
「そんなんじゃねぇよ。ただ……可哀想だと思っただけだ」
そう。あの女王は――可哀想な人なのだ。
こんな道化にまで憐れまれるほどに。
陰湿な貴族たちの嫌がらせにも屈せず、王の責務だと言ってなすべきことを果たそうとしている。
だがその努力すら届かず、罵声だけが彼女を貫いている。
なんとお可哀想なことか――。
こぼれた本音に、吟遊詩人は愉快そうに肩を揺らした。
「そうかそうか。そう思うなら慰めてやるのが、道化師の責務ってもんだね。……なにせ、陛下もずいぶん酷い目に遭ってきたらしいからさ」
「……その話、詳しく聞かせてもらおうか」
道化師が身を乗り出すと、噂話の好きな吟遊詩人は、すかさず目を輝かせた。




