拾肆
ふらりと傾いだアオイの体を、イツキは片手でやんわりと受け止めた。
部屋の中に、アオイの――カグヤとしての力が残り香のように漂っている。
その力を向けられていたのは自分ではなかったが、その残滓だけでも非常に心地よい。
イツキも、アオイの作った野菜を食べて能力が底上げされているが、その力がさらに活性化し外に溢れようとしているのがわかる。
ただ、そんなことをすれば、この辺一帯を凍りつかせてしまいかねないので、イツキは理性を総動員して抑え込んだ。
(やはり、カグヤの力は凄まじい……が、もしかしたらアオイのそれは歴代一かもしれませんね)
腕の中ですやすやと寝息を立てる愛らしい顔を、イツキは見下ろした。頬にかかった髪をそっと払う。
まさか、あんなにも全力で力を放出するとは思わず、少しだけ焦った。だが、ここまでは想定の範囲内だな、とも思う。
無意識に漏れているアオイの力をこのコクウの領地から遠ざけるために遠乗りに出てみたが、宿に届いた報告を聞く限りでもあまり意味はないようだった。
それであれば、あまりアオイを領内から離すのは得策ではないと思えた。
まあ、職人街で見せびらかすようにアオイを連れ回したのは、また別の話なのだが。
(アオイがかわいいのは覆らない事実ですし……)
あれだけ公衆の面前で熱い視線を交わし合っていれば、否が応にも噂は広まり耳に届くだろう。
反転、届けたくないところにも届くという、諸刃の剣でもあるが。
(うーん……やっぱり屋敷に閉じ込めておきたいなぁ)
アオイの背中と膝の裏に手を回し、イツキは華奢なその体を抱き上げた。以前よりは重くなったが、その軽さに眉をひそめる。
部屋の隅では、不法滞在していた男が両手を見つめながら目を白黒と彷徨わせている。
大方、体内の魔力が普段より多くなり、理解が追いついていないのだろう。
ベッドの上では、女が胸を押さえながら固まっていた。驚愕に見開かれた目が、眠るアオイに注がれている。その唇が、何かを形にする。声にならない言葉が、イツキの目に映る。
――カグヤさま
空気に溶けたその言の葉に、濃碧玉色の瞳が鋭く光った。
イツキは、体の陰になるようにアオイを抱き直した。
「アオイの最後の質問に答えてもらおうか」
横目で女を見据えながら問う。
パチリと緑の瞳がひとつ瞬いた。
胸を押さえる手が、クシャリと服を乱す。
「もう、苦しくありません……それに、なんだか体の奥が温かくて……」
呆然としながらも答える女に、イツキはそうか、と吐息とともに吐き出した。
「ならば、お前たちにはこちらの指示に従ってもらう。イサク、ユヅル……いるんだろう?」
なにも無い虚空にイツキが問いかけた瞬間、開いていた扉から、青混じりの長い髪を持った二人の男女が顔を覗かせた。
「はいはい、おりますよ。坊っちゃまのお命じでしたからね。部屋の準備はできておりますし、着替えもお持ちしました」
「坊っちゃまはやめろと、」
「連れて行く準備はできていますが、貴方はどうするんですか? イツキさま」
文句を言うイツキを遮り、イサクに続けてユヅルが尋ねる。
二人の水色の瞳が、イツキの腕に抱かれて眠るアオイを捉えた。
その瞳には、心配を通り越した過保護な色が宿って見える。
イツキの唇が僅かに下を向いた。
「一時的にお前たちの任を解く。そちらをどうにかしろ」
二人の任。それはアオイの使用人と護衛であるということだ。
見るなとばかりにアオイを抱え直すイツキに、イサクとユヅルは不満気な様子で肩を竦めて見せた。その仕草が似通っていて、逆にイツキの神経を逆撫でする。
――まるで仕方のない奴だと言われているようで。
イツキのまとう気配が冷気を帯びる。パキパキと凍っていく地面にこの家の男が小さく悲鳴を上げる。
怜悧な瞳に険を滲ませるが、長年付き合いのある二人には通じない。
イサクにはにこりと口元だけで笑われ、ユヅルから呆れた一瞥を貰い受けただけだ。
端正な眉に一筋の皺を刻み、イツキはアオイを抱えたまま、部屋の入り口へと足を向ける。
「アオイの力を見た二人だ。丁重に屋敷へ連れてきなさい。くれぐれも――」
逃さないように。
最後の言葉は聞こえずとも、イサクとユヅルは了解したように揃って頭を下げた。
アオイを横抱きにしたまま馬に飛び乗ったイツキは、なるべく揺らさないようにヨヅキを駆けさせて屋敷へと戻ってきた。
馬上のまま門をくぐり、奥にある本邸の入り口までそのまま進む。後ろから馬方が慌てて走り寄り、アオイを抱えたまま飛び降りた後の、ヨヅキの手綱を取る。
屋敷の奥から使用人が走ってきて、すぐに入り口の扉を開いた。
手を止めた家人たちが一斉に頭を下げる。屋根の上で艷やかな漆黒の羽をした鴉がカア! と高らかに鳴いた。
「気にしなくていい。仕事に戻れ」
顔を上げた幾人かが、腕の中で眠るアオイに心配そうな視線を向ける。それに大丈夫だと告げ、イツキは飲水を持ってくるように命じた。
(目を覚ましたら、まずは水を飲ませないといけませんね)
急激に力を使い切ったせいで、体は休息を求めているだろうから。
一度もアオイを腕から離すことなく、イツキは階を上がり自身の部屋の扉を足でこじ開けた。
イサクやユヅルがいれば、行儀が悪いとでも文句を言うのだろうが、今その二人はいない。
後始末を全部押し付けて帰ってきたことを、悪いとは思いつつも全く後悔などしていない。
それよりも、もう少しアオイとともにいられる時間が増えて、むしろイツキは少しだけ上機嫌だった。
アオイを、自身のベッドの上にそっと寝かせる。
すやすやと寝息を立てる様は、初めてここに来た時を思い起こさせる。あの時よりも、頬が円やかになった。白を通り越し蒼白だった顔色は、今や健康的な乳白色だ。
頬にぱらぱらと散った髪を、指先でゆっくりと耳横に払い除けてやる。微かに触れた感触に、アオイが可愛らしく小さな声を上げた。
(ふふ……かわいい。もう、ずっと見ていられますね)
頬に滑らせた指で、柔らかな唇に触れる。ここに、昨日からずっと熱を灯している。柔らかく、甘く、温かなアオイとの口づけは、イツキを陶酔の縁へと難なく追いやってしまう。
「――イツキ様」
入り口から呼びかける声に、イツキは両目を瞬いた。
部屋の外から「水をお持ちしました」という声が聞こえてくる。
今のイツキは、侍従の一人も置かない存在となっている。以前はユヅルが必ずそばにいた。たまにイサクも侍っていた。だが、今イツキが最も信頼する二人は、アオイの守護と世話に回したのだ。そしてその任を先ほど一時的に解いた。
あとでどれほど文句を言われることかと思えば、こめかみが少しだけ痛む。
故に、自ら戸を開け使用人から盆を受け取った。
「しばらく誰も部屋に近づかないように。周知しておきなさい」
頭を下げた使用人の後頭部を見つめながら、イツキは扉を閉めた。ついでに鍵もかける。
小卓に盆を置き、ほんの一時でも側を離れてしまったアオイの元に戻る。
眠るアオイを起こさないように、自らもベッドに乗り上げる。壁に背を預けると、アオイの体を足の間へ移動させ、しっかりと抱きしめた。
「ン、ぅ……」
「ふふ……起きなかった。残念だなぁ。起きたら叱って、オシオキとご褒美の分、口付けようと思ったのに」
肩口でアオイの小さな頭がコテンと傾く。外気を吸って僅かに湿った黒髪が、しっとりとイツキの服越しに流れていくのがわかる。
イツキは視線を上げると、壁側に設置してあった魔法道具に魔力だけを放った。すぐに、微かな魔力波が広がり、部屋中の暖房が点く。
これですぐに暖かくなるだろう。
「暑くなっちゃうから上着脱ごうね、アオイ。俺も外套を脱ぐよ。ああ、首巻きもね。ふふ……やっぱりアオイにこの髪留めはよく似合うなぁ」
満月と白鴉の意匠。元々、月に鴉はコクウ家の象徴だ。それを知っている人間は、なかなかあの工房でこの髪留めを手に取る勇気はなかったに違いない。
それをコクウ家の嫡男であるイツキが購入し、誰も顔も名も知らぬ少女に捧げる。それを見た工房の人間がきっと噂を広める。
(髪留めと装飾品は、俺の懐から出した……)
さすがにアオイの身につけるものをすべてアオイの財布から出すのは、許せなかった。なにがって、イツキの矜持がだ。
アオイの羽織を脱がせ、自身も外套を腕から抜く。首巻きも外し、皺になるからと思いアオイの帯にも手をかける。
何枚も身につけてい布を肩から滑り落とし、白い肌着一枚にしてしまう。
白くて細い首筋が露わになっていた。そこから先、鎖骨がくっきりと浮き上がり、なだらかな胸が規則正しく上下する。
寒くないようにと、アオイを抱きかかえ、イツキは少女の両手と指を絡ませあった。
素肌が触れ、魔力が交じり合う。
「んぅ……ふ、ぁ……」
ふわりと、柔らかく温かな風が二人を包み込む。
イツキの喉が、コクリと上下に動いた。
魔力を馴染ませ合う行為は、少しだけ刺激的だ。本当に信頼し合う者同士でないと早々できることではない。
(カグヤの力は魔力とは違うが、それでもやらないよりはマシ、でしょう、から……)
触れ合う素肌から、イツキの魔力がアオイへと少しずつ流れ込む。逆に、アオイの魔力もイツキへと少量流れ込んでくる。
全身が震えるほどの、甘美な刺激だった。このまま、抱き潰してしまいたいほどに。
込み上げる衝動をなんとか散らしながら、イツキはアオイの魔力に自分のそれを添わせる。
耐えきれなくなって、アオイの黒髪に鼻を突っ込んだ。途端に自身を包む香りが甘くなり、逆にイツキを追い詰める。
「っ、はぁ……アオイ……アオイ。好きです……好きだ。かわいい。食べてしまいたい」
あの日、あの夜、アオイに出会ってから、イツキの退屈だった人生は一変した。アオイの為に生き、アオイの為に仕事をし、アオイの為に人生を捧げてもいいと思う程に。
出会った頃よりも、もっと。
アオイと話している時間は心が穏やかになり、側にいたいと思う。側にいさせて欲しいと思う。
だからこそ、この小さく柔らかな手を離す気は全く起きず、イツキは短くはない刻をただその身を震わるに任せていた。
イツキがアオイに魔力を送り続けてから、数刻。窓から覗く月はすでに中天を少し通り過ぎた。
細心の注意を払いながらアオイに魔力を馴染ませていたイツキは、半刻ほどで魔力の放出を止めていた。
カグヤの力は女神の力。故に誰もが持つ魔力とは性質が異なる。
北の大陸の星の乙女と同様であれば、生命力をそのまま使用する力のはずである。
そしてカグヤの力とは別に、アオイの魔力の容量はとても小さい。だからこそ、イツキの魔力をアオイがすべて受け止めることはできない。例え片手で針の穴に糸を通す程に細く慎重に添わせて流し込んだとしても。それ以上を行えばアオイを癒やすのではなく、壊すことになってしまう。
だから、イツキはアオイをただ抱きしめていた。
そして――。
体を包む温かなものにうっとりとしながら、アオイは目を覚ました。どこかとろりとした酩酊感がアオイの理性を奪っていく。
力強く抱きしめるその腕がイツキのものだと悟ると、更に体の力を抜いて額を擦りつけた。
片手は指を絡ませ合いながら繋がれていた。そこから温かなものが流れ込んでくる。肌をさざめくように撫でられた気がして、ふるりと全身が震えた。
頬を押し当てたところから、どこか甘さと清涼さが混ざったような香りが漂ってくる。
その匂いを肺いっぱいに吸い込んで抱きつけば、頭上から耐えるような呻き声が聞こえてきた。モゾリと抱きついたものが動く。
繋いでいる片手とは別の手が、アオイの頭をゆっくりと撫でるのがわかった。
「……イツキさん……好きです……」
夢見心地のままのほわほわとした声がイツキに直撃したなどと、アオイは知らない。
そこで抱きつかれている男が理性を総動員しているというのに、アオイはそれを容易く壊してしまえるということも。
「アオイのそれは、計算――では絶対ないんでしょうね。厄介だなぁ、ほんと……」
溜め息を吐くような吐息とともに、低い声が耳に届く。呼気が、肌を滑って熱くなる。
アオイは慌てて顔を上げた。イツキから聞こえた"厄介"という言葉が、胸に刺さった。
「ぁ、ごめ、なさ……っ」
勢いで謝ったアオイの両頬を、大きな手のひらが包み込んだ。
滲んだ視界の向こうに、強く光って見える濃碧玉色がある。
「本当に、厄介で……。それでいて、とても……愛おしい」
イツキの強い視線がどんどんと近づいてくる。
唇が触れるか触れないかのところで囁かれ、アオイはきゅっと唇を閉じた。
吐息が、表面を撫でる。
微かに濡れた音がして、ただ、それだけで去っていく。
額が、コツリと当てられた。
「体は? どこか苦しいとか、痛いとかはないですか?」
「ぇ……あ、はいっ。ない、です……」
頼りなく目で追ってしまった唇が、アオイを気遣うように声を零す。
元気よく返されたアオイの返事に、イツキが安堵の溜め息を吐いた。
「……心配しました。あんなに全力で力を使うなんて」
「ご、ごめんなさい。あの……加減が、わからなくて……」
あちこちに彷徨うアオイの薄琥珀の瞳を、イツキが逃さないとばかりに追ってくる。絡め取られ、アオイは眉を下げた。
イツキの表情を見て、またズキリと胸が痛む。
眉を寄せたその顔は、怒っているようで、でもそれ以上に泣き出しそうで。
(心配、かけちゃったんだ……)
アオイは、躊躇いながらもイツキの白い頬に指を滑らせた。そして、ハッとする。驚くほど、冷たかった。
アオイの震えた指先を、イツキの片手が包み込む。そして、どこか甘えるように頬を擦り寄せられる。
「俺はね、アオイがいないと駄目なんだよ」
熱の籠もった眼差しが、アオイに注がれている。まるで焼かれてしまいそうだと錯覚を覚えるほどに、強い。
「だから……あまり、無茶はしないで。無理もしないで。人助けをするなとは言わないから、俺の隣でずっと笑っていて」
わかった? と目だけで問われ、アオイは静かに頷いた。頷くことしかできなかった。
イツキの熱い視線から目を逸らすことができなかった。
そして、首から上を真っ赤に染めたアオイを目にして、イツキが吐息のような笑みを零す。
「うん。じゃあ……オシオキね」
「……へ!?」
「言ったでしょう? 『謝ったらオシオキしますよ』って。さて……何回だったかな?」
イツキの指が伸び、ちょんとアオイの唇を突く。
まずは一回目、そう言って深く溺れるような口付けが繰り返され、アオイは息も絶え絶えになった。
「それから、ご褒美もね。ああ、こちらも……何回だったかな?」
じゃあこれも一回目。そう呟いた唇が、オシオキよりも甘くアオイの咥内を暴いていった。
気付けばこヤツらキスしかしておらぬ…
次回は3/11!を!目指しています…。
時間は20:10です!




