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カグヤのきせき  作者: 桜海
弐の月

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13/15

拾弐

 ちょっと速くしていい? というイツキの言葉に頷いた瞬間、体がグッと後ろに引っ張られる感覚がした。けれどそれでも恐怖を覚えないのは、後ろにいるイツキが抱き締めるように支えてくれるから。

 皇都中央へ行くときは馬の速さに怯えていたアオイも、帰りは少しだけ慣れたらしい。

 常歩からいきなり駈歩になっても、驚くだけでイツキの外套の中へ潜り込むようなことはなかった。

 外の景色が、矢のように後方へと去っていく。昨夜と同じような速さだが、明るい昼間だというだけで随分と恐怖心が薄れるものだ。

 頬に当たる冬の風が、冷たいのにどこか気持ちがいい。


(本当なら、イツキさんはもっと速く走らせたいんだろうなぁ……)


 アオイのために、遠慮してくれている。それがわかってイツキを振り仰ぐけれど、目があった瞬間「なぁに?」とふんわり微笑まれてしまえば、アオイから言えることはなくなってしまう。

 そんな彼女の機微に気づいているのかいないのか。

 イツキは風で煽られているアオイの髪をそっと撫で下ろす。


「怖かったり寒かったりしないですか? 大丈夫? なら、良かった。ここまで速く走らせてもらえれば、俺も彼女も満足だよ」


(彼女……)


 イツキの愛馬は牝馬だったらしい。

 黒い体躯に黒い鬣。蒼い瞳の美しい馬。

 初めてイツキに出会った日、アオイはこの馬よりもみすぼらしい自分に泣きたくなったのだ。


「……あ、あの。イツキさん……」


「んー? なぁに?」


 風の音がビュウビュウと耳を塞いでくる。いつもより大きな声を出さないと、お互いに会話などできない。

 アオイは出したこともないような……かつては出していたはずの声を、張り上げてイツキに声をかける。


「イツキさんの、お馬さんは! なんてお名前ですか!?」


「あー……アオイがかわいい」


「え、い、イツキさん……?」


「俺の馬はね、ヨヅキ(夜月)って言うんですよ。満月の夜に生まれた仔。俺の相棒になるって決まっていた子」


 緩んだような声が、イツキから聞こえてきた。

 決して大きくはないはずなのに、風に負けることなくアオイの耳へとするりと入ってくる。


「ヨヅキ、さん……」


 呟きながら、アオイは黒馬の首筋に手を当てた。ゆっくり撫でると、ブルルッと首を振られてしまう。

 しゅん、と落ち込んだ様子のアオイの手に上から手を重ね、イツキは少し力強く夜月の首を叩いてみせる。


「これくらい、強めに叩いてあげて。そのほうが喜ぶから」


 耳元に、唇を寄せて囁かれる。その擽ったさに肩を竦めながら、アオイは教えられたとおりに強めに首元を叩いた。

 上体が前に傾くアオイを、イツキは落ちないように支えている。


「あ、あの……ヨヅキさん……乗せてくれて、ありがとうございます……!」


 生真面目に馬にさん付けをするアオイの後ろ姿に、イツキが蕩けるような笑みを浮かべる。

 その表情をイサクやユヅルが見たら、呆れて溜め息を吐くのだろうし、何も知らない人々が見たら恐怖で固まるのだろう。

 けれど、向けられている当の本人は、馬に夢中で気が付かない。

 上機嫌で馬を駆るイツキに何を感じ取ったのか、ヨヅキがふん、と鼻を鳴らした。


 行きよりもだいぶ早くコクウの領内へ戻ってきた。

 陽はまだ中天を少し過ぎただけ。落ちるまで時間はある。

 皇都中央を訪れる前に立ち寄った市に、イツキはまたアオイを連れて行った。

 今度は、出店者の中に見知った顔がある。

 コクウ家で果樹園の管理をしている者のうちの一人だ。すでに売る物はなくなったのか、撤退の準備をしている。

 彼も、近づくイツキに気がついたらしい。

 慌てて頭を下げる男に気にするなと告げて、イツキは屋台の中を覗き込んだ。


「ずいぶん売れたようだな」


「あ、はい! 売上は後ほどお持ちする予定でしたが……」


「いや、その通りにしてくれ」


 すぐに売上の入った革袋を差し出そうとする相手を制し、イツキは作業に戻るように告げた。

 その様子を、アオイは珍しげに眺めていた。

 普段、アオイはイツキご外でどうしているのかを知らない。イツキが一緒にいるところを見るのは、大体イサクかユヅルで、気心が知れているせいかイツキの態度はいつも気安い。

 仕事相手と接するときは、もしかしたら祭祀礼館長やハクロウ家の当主と相対していたときのような感じかもしれないと思っているが、屋敷の人間と話しているところは初めて見たのだ。


(なんか、偉い人って感じがする……)


 なんとなく、気後れしてしまうような、そんな感じ。なぜか少しだけ寂しくなって、アオイはイツキの服の袖にそっと指をかけた。


「アオイ? どうしました? 疲れちゃった?」


 優しく問われる声に、俯いたままふるふると首を振る。それだけではイツキに何も伝わらないとわかっているけれど、アオイにもどうしていいかわからなかった。

 だって、寂しいなんて言っても、イツキを困らせるだけだ。

 なんで寂しいのかも、わからないのに。


「ほら、アオイ」


「……えっ?」


 俯いて戸惑うアオイの口元に、ふと硬いものが押し当てられた。驚いて顔を上げたアオイの目に、困ったように微笑むイツキがいる。

 その手には、どこから現れたのか真っ赤な果実が収められている。


「……姫月林檎?」


 きょとんとしながら呟くアオイに、イツキがホッとしたように笑みを崩した。

 姫月林檎。()の始まりに実を付ける、小さく可愛い林檎だ。呆然としながらその果実を受け取って、アオイはマジマジとその赤を見つめる。

 いまは、冬だ。林檎の収穫期はとっくに過ぎている。

 それなのに、この果実はまるで"今もぎ取りました"とでも言うように瑞々しい。姫月林檎の芳醇な香りが、鼻を擽って抜けていく。

 美味しそう……。と思わずかぶりつきたくなるほどだ。


「ふふ……うん。良かった。笑顔になったね」


「えっ、あの……イツキさ……これ……!」


「ああ、少し傷が付いてて売り物にならなかったそうだよ。でも味は変わらないだろうし、それでもよければ、アオイが食べちゃって?」


 いや、そうじゃない。という言葉が喉の近くまでせり上がってきたけれど、笑顔で促してくるイツキに抗えるはずがない。


「あ、あの……えっと……ありがとう、ございます」


 小さな姫月林檎(アオイの手には大きい)を両手で持ち、アオイははにかむようにして礼を言う。

 その姿にイツキの笑顔がピシリと固まり、アオイはそのまま彼の懐へと収められてしまう。

 ふわりと清涼なイツキの香りが林檎の甘い香りと混ざってアオイに届く。

 傍らで「い、イツキ様……?」と慌てる男の声がするが、イツキの腕がアオイから離れることはない。


「あー、もう無理。本当に無理。アオイが可愛すぎて、俺どうにかなっちゃいそう」


 上からそんな言葉が聞こえてくるけれど、アオイだって困る。

 どうしたらいいのかわからない。というよりも、イツキがなぜこんな状態になるのかがわからない。

 どうにかなってしまうと言われても、アオイはイツキをどうにかしようなどと思ってもいないのだから。本当に……どうしたらいいのか。


「頼む! あの果実を譲ってくれ! ひとつでいいんだ!」


「あの、そんなことを言われましても、もう全て売り切れておりまして……」


「嘘だ! 朝、あんなに持ってきてただろ!? まだあるんだろ!?」


「いえ、ですから……っ」


 不意に、背後から言い合う声が聞こえてきた。アオイを抱きしめたままのイツキの腕に僅かに緊張が走る。

 頭を上げようとして、そのまま胸元へと押し付けられた。

 大きい声は苦手だ。祭祀官に怒鳴りつけられたことを思い出すから。

 イツキの胸元に額を当て目を閉じる。トクントクンと静かな鼓動が聞こえてくる。乱れることもなく凪いでいて、規則正しくアオイに伝わってくる。

 それで、一瞬波立った心臓が落ち着きを取り戻す。


「大丈夫。大丈夫ですよ、アオイ」


 細身だけれど逞しい、長い腕がアオイをすっぽりと内側へと収めてしまう。

 ゆっくりと大きな手のひらが頭の形に沿って撫で下ろされる。何度も、何度も撫でられて、アオイはすっかりイツキに身を預けた状態になってしまった。


「なんの騒ぎだ?」


 アオイを抱き込み頭を撫でながら、イツキが騒がしくしている場所に声をかける。

 人が集まってきていた。

 騒ぎになっているのは、先ほどイツキが様子を見ていたコクウ家の果物屋台だ。

 騒いでいた男が、鬱陶しそうにイツキを振り返り、相手が誰かを知って青ざめる。

 イツキの顔は、思った以上に領内で広く知られているようだ。


「イツキ様……」


 見据えるイツキに萎縮したのか、男は震えるばかりで続きを話さない。

 眉を寄せるイツキに、果樹園の男が声を潜めて話しかけてくる。

 視線だけで「話せ」と言われた男が、項垂れる客の男を見て小声で言った。


「あの人、以前も何度か来ていまして。最初は買っていたんですけど、最近は譲ってくれの一点張りで」


 果樹園の男の言葉に、イツキが短く嘆息する。


「そもそも、うちの果実はしばらくコクウ家内だけで消費することになっていたのだがな」


 すでに果樹園に告知はしていた。だが、予想以上に実りが早かった。家の中だけでは消費しきれなくて、やはり市場に流すしかなかった。

 これにはイツキも、ユヅルも、もちろん果樹園管理人たちも、菜園管理人たちも頭を悩ませた。アオイが特別な存在だと、コクウ家内の者も気づき始めている。

 それなら、アオイをコクウの領地から連れ出せば果樹の成長も止まるかと踏んでいたのだが……。先ほど管理人の話を聞いた限りでは、見込みが甘かったようだ。


「申し訳ありません……これ以上収穫を延ばすと腐るだけでしたので……」


「いや、構わない」


 腐らせることは、イツキの本望ではない。

 なにせ、ここで売った果実はアオイの力で育ったものだ。

 その売上金は馬鹿にできないほど多く、今回のアオイへの贈り物も半分近くはアオイの果実を売った売上金から出している。まあ、すべてをアオイの金で賄うのは、イツキの矜持が許さなかったので、大半は自らの懐から出したが。

 そもそもアオイが贈り物を遠慮以上に固辞したら、気にすることないよという意味で、真相を伝えようとは思っていたのだが……。


「……そこの。なぜこの店の果実を求める」


 下を向いたままだった男が、イツキの声に勢いよく顔を上げた。

 しかし、すぐに視線を逸らす。そしてそのまま地面に膝を突くと、道に擦り付けんばかりに頭を下げ始めた。


「お、お、お願いします……果実を、分けてください……!」


「だから、それはなぜだと聞いている」


 イツキの淡々とした声音に、男の肩が跳ねた。お願いします、お願いします。それだけを呟き続ける男には、イツキの声はもう届いていないようだった。混乱している。誰もがそう思った。

 そして、相手が悪いと憐れむような視線を、土下座を続ける男へと向ける。

 イツキの眉間に深く皺が刻まれるのを、アオイは彼の腕の中から見た。男性を見つめるイツキの視線が、どんどん温度を無くしていくのも。

 イツキのそんな目を、見たくなかった。

 どうにかして、いつもの優しいイツキに戻ってほしかった。


「……あっ、あの!」


 そんなことを思って、地面に縋りつく男性を見ていたら、アオイの喉からひっくり返ったような声が出た。

 人だかりの視線が、一気にアオイへと集中する。イツキの腕が強まり、アオイの頭を胸に抱きこむようにしてしまう。

 その腕の隙間から辛うじて顔を出し、アオイは男性に声をかける。


「……っ、あの。どうして、ここの果実が、欲しいのです、か……?」


 辿々しい言葉は、イツキのものよりも弱く果無い。

 けれど、それが、男の混乱を鎮めたようだった。

 顔を上げた男は、イツキの腕の中の少女にポカンとした顔を一瞬だけ見せ、そして泣き出しそうに顔を歪めた。


「オレ……い、いや、私の妻が、少し前から臥せっていて……。祭祀礼館に診せてやる金も無ェ……あ、いや、無くて。でも、そんなときに、なけなしの金でここの果実を何回か買ったんだ……です。そうしたら、女房のやつ、食べたあと急に体を起こせるようになって。でも数日でまた臥せっちまって……。だ、だから、きっとここの果実がなにか特殊で、それで母ちゃ……女房が良くなったんだって……そう、思ったんだ……です」


 だから、どうか。そう言って再び頭を下げる男を、イツキは鋭い瞳で見つめていた。

 その頭の中で、どうするのが最善かが目紛るしく計算されているのだろう。たが、そんなものを簡単に吹き飛ばしてしまうのがアオイだった。


「えっと……これ、よければどうぞ……」


 気がつけば、イツキの腕の中からアオイが抜け出し、男の前に膝を付いていた。

 その手には、先ほどイツキがアオイにあげた姫月林檎が乗せられている。


「あの、これ……わたしがさっき貰ったんです。傷が付いてて売り物にならないからって……でも、たぶん味とかは変わらない、はず……なので、その……えっと……」


 林檎を男に差し出しながら、アオイは不安そうにイツキを振り返る。

 おそらく、貰ったものを許可なく差し出そうとしていることに、罪悪感を覚えているのだろう。

 イツキの好意を無碍にしたくない。でも、男の願いを無視もしたくない。

 アオイのその葛藤が手に取るようにわかり、イツキは仕方ないなぁと微笑んだ。

 周りがザッ青ざめるなか、アオイだけはパアッと顔を綻ばせる。

 どうしよう、とオロオロしている男の手を取ると、アオイはその手の中に姫月林檎をそっと握らせた。

 男の目から一筋の雫が零れて、地面にシミを作る。ありがとうございますとアオイの手ごと林檎を握りしめる男のその手を、イツキは容赦なく払い落とした。

 そして、アオイの手を袖で拭きながら、腕の中へと引き戻す。


「い、イツキ、さん……?」


「まったく……触りすぎです。そこの貴方。その姫月林檎で構わないな? せっかく彼女が譲ったんだ。これ以上ここで騒ぎを起こすのはやめなさい」


「はい……、はい……っ」


 ありがとうございますと頭を下げる男に、アオイが心配そうな視線を向ける。そんなアオイを見下ろし、イツキは小さく息を吐く。

 乱れてしまったアオイの髪を整えてやりながら、イツキはアオイの顔を伺うように覗き込んだ。


「アオイは……あの人を助けたい?」


 確信を持って尋ねられ、アオイは薄い琥珀の瞳を大きく見開いた。

 自身の胸に手を当て、目を閉じる。そして、はっきりと頷いた。


「……はい」


 そう、なのだ。

 ずっと、カグヤとして何もできないでいた。けれど、今なら。きっと今なら、誰かの……みんなの役に立つことができるんじゃないかと、そう思う。

 カグヤとして――ではなくとも、アオイとして、助けてほしいと願う人々を助けられるかもしれない。そんな気がする。

 だってそれが、ずっとアオイの願いだったから。

 

「そうですか……」


 イツキの返事に、不安になる。

 世話になっているのに、こんなことを思うなんて、良くなかっただろうか。

 それとも、貰ったものを勝手にあげてしまったことが、気に障っただろうか。


(……わ、わがままに、なりすぎちゃった、かな)


 イツキに否定されたらどうしていいかわからない。イツキに拒否されるのは怖い。

 だけど、イツキにだって考えがあるだろう。守らないといけないものだってあるはずだ。

 だから……だから――でも……。


「わかりました。まあ、アオイならそう言うと思っていたけどね。そうだな……ちょっと寄り道してから、屋敷に帰りましょうか?」


 頬を撫でられ、大丈夫だよと言うように微笑まれる。濃く碧い瞳が、アオイをしっかりと見て細められる。口元が緩く弧を描いている。

 その表情に泣きたくなりながら、アオイは大きく頷いた。

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