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カグヤのきせき  作者: 桜海
弐の月

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12/16

拾壱

 翌朝、アオイはイツキと職人街を歩いていた。

 もちろん、手は繋いだままで。ただ、彼の愛馬だけは、いまは宿で留守番だ。

 時間になったら引き取って、コクウの領地へ帰ることになる。

 職人街は、さすがその名の街だけあって朝早くから活気に溢れていた。そこかしこの工房がもう開いており、威勢の良い声や道具の音が聞こえてくる。

 昨夜、夜ふかしをしてしまったからか、アオイは朝告鳥が鳴いてからだいぶ遅くに起きた。コクウ家に来るまでは誰より遅く寝ても、鳥よりも早く起きていたというのに。

 慌てて寝室から顔を出したアオイに、すでに起きて身繕いまで済ませていたイツキが笑顔で「おはようございます」と言ってきて、顔から火が出るほどに恥ずかしかった。

 それ以上に、朝からイツキの甘い笑顔を見てしまって、心臓がおかしな音を立てている。いまも、ずっと。

 隣を歩くイツキを見上げて、アオイは顔を赤くする。楽しそうに喋っている唇に、目が吸い寄せられてしまう。

 起き抜けに、恥ずかしさでしゃがみ込み『ごめんなさい……』と告げたアオイに、イツキは微笑みながら口づけをした。

 それも、舌を差し込んで絡める濃厚なものを。

 昨夜、初めてイツキと口づけを交わしたばかりのアオイには、正直イツキの

 外から朝の光が差し込む明るい空間で。そのせいでアオイは目の前がクラクラしてしまった。


『言ったでしょう? 謝ったらオシオキしちゃうよって』


 だから、お仕置き。

 そう言って、唇に人差し指を当てながら微笑むイツキは、とても意地悪だ。

 また咄嗟にごめんなさいと言いそうになり、アオイは薄く開いた口を慌てて閉じる。

 その様子を満足そうに眺めたイツキは、こんどは触れるだけの口づけをアオイにくれた。


『あ、これは"おはようのキス"です』


 毎日しましょうね? と微笑まれ、アオイは起きたばかりだというのにそのまま気絶するかと思ったのだ。


 朝食は、イツキが離れに用意するように手配をしてくれていた。

 本館の食事処まで出ることもなく、ゆっくりとさせてもらい、アオイは焦ることなく出かける準備ができた。

 今着ているのは、宿で用意をしてくれたらしい冬物の袷だ。

 祭祀礼館にいた頃は、白の単衣に赤い(スカート)だったが、コクウ家に引き取られたアオイは普段、様々な色の襦裙を着せられている。

 畑仕事をするからもっと汚れてもいいやつを一着だけ用意してほしいと伝えたけれど、イサクに「汚してもいいですよ」と笑顔で押し切られてしまった。

 昨日は、馬に乗るためか下衣はスカートではなく袴だったけれど、今日は普通に着物だ。

 寒いからと下着は重ねられ、その上に裏側がふわふわとした袷の着物を着付けている。白地に大振りな雪椿の柄があしらわれた着物は、上品さもあってアオイは気に入った。

 その上に、薄青地に袖口と裾のあたりに雪を散らした羽織を着る。

 足元は、イツキと同様のブーツだ。

 羽織の上から大きな肩掛け(ストール)を巻いてもらい、寒さ対策はバッチリだ。

 もちろん、アオイひとりでは着られないので、着付けは宿の女将が手伝ってくれたが。

 イツキはいつもと変わらない。黒地に青銀の刺繍の入った裾の長い上衣(うわぎ)に、動きやすい下衣(ズボン)。それからブーツ。

 それでも、彼の美しさはどんどん増していくばかりなのだから、着飾ったらどうなってしまうのか。

 チラチラと向けられるその視線を、イツキはどこか楽しげな様子で受け止めている。

 本当なら、「俺じゃなくて、工房を見なくていいの?」と言ってあげたいところだが。

 アオイの意識が自分に向いていることが、とことん嬉しいので、イツキは意図的に口を閉ざしていた。


「そうだ、アオイ。あそこの工房で、ちょっと買い物をしよう」


 それでも、ただずっとぶらぶら歩いているわけにもいかない。イツキはアオイの手をそっと引いて意識を工房へと向けさせた。

 イツキとしてはこのままただアオイとのんびり歩いているだけでも良かったのだが。

 そもそもアオイと両想いになれた。それだけで、今回わざわざ皇都中央まで遠乗りに出てきた目的の半分以上は達成したと言ってもいいくらいなのだ。

 できればこのままさらって屋敷まで走り続けて、部屋に連れ込んだあとに思い切り甘やかしたいところなのだけれども。

 さすがにそれはまだ早い。それくらいはイツキも弁えている。

 アオイの周りのゴタゴタを排除して、すぐさまサクッと婚約して、それから結婚までなんの問題もなく漕ぎ着ける。

 婚約さえしてしまえば、どれだけ甘やかそうが誰にも文句など言われないはずだ。言わせるつもりもないが。

 そんなことをつらつらと考えながら、古風な工房の暖簾を押し上げる。アオイが入り口を越えたのを確認してから、イツキも工房へと足を踏み入れた。


「わ、ぁ……すごい」


 小さな呟きだった。けれど、イツキはその声を聞き逃さない。耳に心地よいアオイの声にクスリと笑みを浮かべる。

 その瞬間、ドサリと大きな音がした。視線を向ければ、奥の扉から顔を出した男が床に広がった帳簿を拾い上げているところだった。

 大方、イツキの笑みを見て取り落としたのだろう。


「ぁ、あの……大丈夫ですか? お、お手伝い、とか……」


「いえ!? だ、大丈夫……平気です! あの、どうぞご覧ください!!」


「え……? で、でも……」


「アオイ。大丈夫と言っているのだから、大丈夫ですよ。ほら、そんなに近づかないで、こちらにおいで? この棚の髪飾りとか、似合うと思うよ」


 一段高くなっている店の奥に、アオイの足が進みかける。そっと後ろから手を取って引き寄せて、イツキは華奢なその体を腕の中に抱き留めた。

 若干青ざめた男と目が合った。あちこちに泳ぐ彼の瞳はいったいなにを見たのか。ぷるぷると震えながら、「お、親方ぁ!」と情けない声を上げて工房の奥へと去っていく。

 その背中に首を傾げるアオイはどこまでもかわいい。


「ほら、アオイ。この髪飾りは頭の後ろで髪をまとめて留めるみたいですよ。この簪も似合いそうですね。ああ、でも、この帯留めもなかなか……」


「ぇ、あのイツキさん……そ、そんなにいらないです……」


 戸惑うような表情のアオイに、イツキはにこりと笑ってみせた。

 この工房は、奥が工房の本体。入り口近くは製作した商品を陳列した店舗の形式を取っている。外観は古いが、内装は新しい。

 陳列してある商品も、手の込んだ美しいものが多い。

 商人街の商人たちがこぞって各地に流通させようとするが、工房主(親方)が嫌がるためめったに流通することのない商品ばかりだ。皇王城から遣いを送り、直接購入しなければ皇太子であろうとこの工房の品を手にすることはできない。

 まあ、その遣いを務めているのはイツキなのだが。

 だから、先ほど奥から出てきた男のことも、イツキはもちろん知っている。アチラも当然のことながらイツキと面識はあった。

 それなのに、なぜイツキの顔を見て逃げていくのか。


(解せませんね……まったく)


 棚から取り上げた簪を手の中でくるりと回す。

 イツキの隣で焦った表情をしているアオイにそっと合わせてみる。驚きすぎて止まったアオイに、イツキは「うん」と一つ頷いてみせた。

 とても、似合っていた。

 流れるように揺れる月夜桜の青が、アオイの黒髪によく映える。

 もうひとつ。満月と白鴉を意匠と(デザイン)した髪留めを手に取る。

 ゆらゆら揺れている青い翡翠の輝石が美しい。

 それも、アオイに合わせてイツキは頷いた。

 同じようにして、簪で止める(タイプ)の髪留めも手に取る。

 そうして、髪だけではなく全身が身につける小物を選び取って、イツキは会計台へと持っていった。


「これを。すべて包んで、後日コクウの屋敷まで配達に回してください。ああ、すみません。それだけは今、彼女に渡したいのですが、よろしいですか?」


 いつの間にか、逃げたはずの工房の男が戻ってきていた。ここまでしても、工房主は姿を見せないらしい。


(だが、コクウ家への配達に口は出さないようだな)


 それは、イツキがアオイに商品を買い与えることに、否やはないということ。アオイが、自身の製作物を身に着けるに値すると、主自ら認めたということだ。


(奥からずっと見ていましたしね)

 

 懐から膨らんだ革袋を取り出し、イツキは会計台の上へと置く。

 開いた口から零れ出た大貨の数に、工房の男は目を輝かせ、隣からは息を呑む音がした。

 傍らのアオイの腰を引き寄せ、イツキは目だけで男に催促をする。

 その視線の圧を間近で受けた工房の男は、ザッと青ざめる。


「い、イツキさん……あの、やっぱり、こんな……」


 戸惑うように揺れるアオイの言葉に、イツキは、またにっこり笑ってみせた。工房の男の肩がビクッと跳ねる。

 腕の中に収まっているアオイの艷やかな髪を、イツキはやんわりと撫でる。


「大丈夫だよ。これはアオイに必要なものだし、それに――俺がアオイに身に着けてもらいたかったんだ」


 気にしないでと言ったところで、アオイはきっと気にするのだろう。

 だから、これはイツキがしたいことなのだと、教えこむ。


「そ……っ、そう、なんですか……」


 途端に頬を染めてモジモジとするアオイの様子に、イツキはそのまま宿に取って返したい気分になった。


 会計が終わり、小物工房を後にしたイツキは、今度は別の工房へとアオイを連れて行った。

 服飾工房に、家具製作工房、それから農具を扱う工房など。その全てでイツキは懐から大貨を取り出して購入していて、はじめは青ざめていたアオイも、だんだんと「イツキさんの外套の下ってどうなってるんだろう……?」という疑問で頭がいっぱいになってしまった。

 イツキが革袋いっぱいの大貨を置くたび心配そうに見上げていたら、工房の人間がいるにも関わらず抱きしめられ、髪を撫でられ口付けられ、優しい顔で笑いかけられるせいで、アオイは何も言えなくなった。笑顔が優しいはずなのに、有無を言わせない迫力があったような気がするのは、気のせいだろうか。

 ちなみに、アオイが連れて行かれた工房は、この職人街でも一流で、なおかつ癖のある工房主ばかりという厄介なところだ。その全てがイツキが使者として皇太子のために品を買い求めたところだということを、アオイは知らない。

 いつの間にか、身の回りのものが皇王城に匹敵するもので溢れていることを、アオイはおそらく一生知ることはないだろう。イツキも悟らせるつもりはない。

 

 そして、いま。二人は昨日と同じ甘味処にいた。

 甘味処と言っても、甘味だけが置いてあるわけではない。普通に食事処としても営業しているため、アオイとイツキも昼をそこで食べることにしたのだ。

 職人街は物作りの街だが、飲食物を制作している工房もある。そうなるともちろん、その場で店を構えることが利点となる。商人街と折り合いの悪くない工房は、こうやって職人街にも店を出す。

 流通の面を考えるなら、物作りと販売を分けるのは理にかなっている。しかし、職人街から商人街へ卸す際に上乗せされる金額が商品購入金額に反映されるため、商人街で買うより職人街で直接買うほうが良いと、人々が職人街へ流れてしまう問題があった。都市の発展という面で、イツキも皇太子とともに頭を悩ませている現実がある。


「……イツキさん、あの……ありがとうございました」


 食事を終え、温かな汁粉を食べながら、アオイはイツキに頭を下げた。

 その後頭部では、イツキが最初の工房で購入した満月と白鴉の髪飾りが、店内の明かりを反射してトロリと輝いている。

 食卓(テーブル)で隠れてイツキには見えていないが、服飾工房で彼が購入した帯締めがアオイの目に映っている。黒に近い藍色と細く雪のような色合いの白。二つを組むように編んだ帯締めは、イツキを思い出させる。

 この帯締めは、工房で見た瞬間アオイが目を離せなくなったものだ。それに気づいたイツキが即座に購入してくれたのが、アオイはとても嬉しかった。金額はとんでもないのかもしれないが。

 無意識に緩む頬を抑えていると、正面からイツキの腕が伸びてくる。下げていた頭を頬に手を当てられて上向かされ、指先が唇の端を優しく撫でて離れていく。

 その指を、ペロリと舐めたイツキの表情に、アオイはゴクリと唾液を飲み下した。


(き、き、昨日も思った、けど……! そ、それは、心臓が、保たない……です!)


「ふふっ、アオイはよくくっ付けてるね」


「ふぇ……っ、あ、あの……ごめんなさ……ぁっ」


 謝った瞬間にイツキの碧い瞳が妖しく光った気がした。どこか、じっとりとした熱さを感じる。


「俺が、アオイにしてあげたかったって、言ったでしょう? そんなに戸惑わないで、笑顔で受け取ってほしいな」


 だめ? と首を傾けながら問われ、アオイは必死に首を横に振った。


「あ、あの……! 大切に、します……嬉しかった、です」


 カタン、と小さく椅子の動く音がした。

 微笑んだまま顔を上げたアオイの唇に、柔らかな熱が灯る。何度か食むように啄まれ、最後にペロリと表面を舐められた。

 どこか切ない表情のイツキが、覆いかぶさるようにしてアオイを見つめていた。離れていく唇が、赤く脳裏に焼き付いていく。

 口付け(キス)されたんだ……と考えて、アオイは顔を真っ赤に染め上げた。


「こ、ここ……ここ……っ、い、イツキさ……っ」


「ん? 朝告鳥の真似? かわいいね」


「ち……っ、ちが……! だっ、ここ……お店……!」


「うん、そうだね。でも、だって仕方ないよね。アオイが可愛すぎるのがいけないんです。だから、どうしてもしたくなっちゃった」


 したくなっちゃった、ではない。

 この甘味処を、イツキは別に貸し切りにしていたわけではない。だから、店内にはそれなりに客がいて、そして目の前で熱い口付けを交わした二人を凝視している。

 なぁに? と言いながらイツキが首を巡らせた瞬間、突き刺さっていた視線が霧散した。


「うん、なにもないね?」


「ぇ、ええ……?」


「さ、じゃあそろそろ帰ろうか。帰りもまた、市場に寄っていこう」


 手を出してと言われて差し出した手を、イツキに握りしめられて引かれた。

 店内の微妙な空気に気が付かないまま、外に連れ出される。

 預けている馬を引き取るため宿に向かう道すがら、イツキがアオイの耳に密やかな声を落とす。


「オシオキと、ご褒美は、家に帰ったらたっぷりね」


 耳を押さえて飛びすさったけれど、手を繋いだ分しか離れられない。その距離も、「危ないよ」と笑ったイツキに縮められ、アオイは真っ赤な顔の状態で馬上の人となったのだった。


 ちなみにオシオキは深い口付けで、ご褒美も深い口付けだった。アオイには最後まで違いがわからないままだった。

次の更新は2/18!

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