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二十話 忘れ物

冷や汗が吹き出す。動悸が高鳴る。ドアノブが回り、扉が開かれていく様が、スローモーションで流れていた。


何で?今日は、帰って来ないはず。心の、準備が。


ドアが開け放たれ、お母さんが姿を現した。僕を見た瞬間、お母さんの顔がみるみる怒りに歪んでいく。


お母さんは僕を突き飛ばし、そのまま押さえ込んだ。図鑑が空中に舞い上がり、僕の後方に落ちた。


「翔太!お前逃げやがって、お母さんを見殺しにするのか!」


お母さんは僕を何度も殴打した。痩せて骨張った拳は固く、金槌で殴られてるみたいに痛む。


僕を殴っていたお母さんが、ふと顔をあげた。真白の存在に気付いたのだ。


お母さんの手は止まり、唇を震えさせて真白を見ている。真白も恐怖で顔が青ざめ固まっていた。


「お前か……お前が翔太を誑かしたのか!」


お母さんは僕から離れ、真白に飛び掛かった。


真白を殴る音が、僕の後方から聞こえる。


「お前がいなけりゃ、翔太は私から離れないんだ、翔太は私のモノだ!」


真白を殴る鈍い音を聞きながら、僕は立ち上がろうとしていた。


止めなきゃ。立ち上がって、逃げなきゃ。


立ち上がろうと体を起こすが、脳が揺れたのか僕の視界はグルグルバットみたいに傾いていた。


何とか体を起こして、後方を振り向くと、脳震盪の微睡みの中で、真白が殴られているのが見えた。


罵声を浴びせられ、執拗に殴られている。まるで、昔の僕を俯瞰して見ているようだった。


真白を助けないと。僕をこの光景から救いだしてくれた真白を。


僕は後ろからお母さんに体当たりした。脳震盪で足許が覚束ない状態だったが、お母さんにはそれで十分だった。


お母さんは吹き飛ばされて少し転がった。


その瞬間に、僕の心が軽くなった気がした。お母さんの体と一緒に、僕の中にある未練とか後悔が吹き飛んでいく気がする。


「真白、早く!」


僕が真白に手を伸ばすと、真白はその手をしっかりと掴んで立ち上がった。


僕は真白の腰を支え、部屋から急いで出た。首を回し部屋の中を覗くと、蹲って泣いているお母さんがいた。


もう追ってくる様子はない。その手前に図鑑が落ちている。ページが開かれ、幼い頃の落書きが目に入った。


僕は視線を戻して真白を支えながら逃げ出した。


もう図鑑はいい。もうこの家に、忘れ物は無いんだ。



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