十八話 日常
自働ドアを抜けたとたんに、体を揺らす程の轟音が僕を包んだ。
耳をつんざくような電子音の固まりが四方八方から鳴り響いている。
ラウンドワンってこんなにも喧しい場所だったのか。
「受付……ってくるね」
真白が何か言ったようだが、うるさすぎて途切れ途切れになる。真白が受け付けに向かったことで、真白の言葉が「受付しにいってくるね」だと分かった。
ビジター料金という少し割高なお金を払い、店員からの簡単な説明を受けてから僕らはレーンへと向かった。
今日はボウリングをしに来ていた。もちろん発案は真白だ。
重たいボールがレーンを転がる音と人のはしゃぐ声、ストライクを告げる喧しい電子音が混ざっている。
発案者の真白は我先にとレーンへと走っていく。僕らのレーンは入って一番右端にあるレーンだった。
「相沢はボウリングやったことある?」
「無いよ、真白は?」
「私もないんだ」
真白の声は子供みたいに弾んでいて、本当に楽しいのが伝わってくる。今も、初めての癖にどのボールが一番いいかを吟味している。
僕らの呼び捨ては昨日始まったばかりというのに、既に定着していた。まるで最初からそう呼びあっていたような感覚だ。
暫く悩んでから、真白は一番軽いボールを取った。それでも真白には重たいようで、重心がボールを持っている右手に片寄っている。
真白はそれっぽく構えてから、スムーズにボールを投げた。意外にもボールは殆ど真っ直ぐに進んでいき、真ん中のピンに直撃して八本倒した。右側のピンが三本残った形だ。
「うまっ」
思わず溢した感嘆を目ざとく聞いた真白は、わざとらしく胸を張ってどや顔をした。
真白が二投目を放つ。今度はボールの重さからか体が右に流れ、右端のピンを一つ倒すだけに留まった。
真白は僕の方を振り返った。
「次は相沢の番ね!」
そう言って並べられた椅子に重役みたいに足を組んで座った。接待されに来た会社役員みたいだなと思いながら、僕はボールを選び始めた。
ボールが並ぶ場所に来てみたものの、初めてだから本当にわからない。自分の非力さは重々承知しているから、軽い方が良いことは分かるんだけど。
真白が使ってたのがたしか六ポンドだったな。じゃあ僕は八くらいにしておくか。
そう思い玉に指を通して持ち上げようとすると、想像以上の重量感に体が持っていかれそうになった。
何とか持ち上げたが、右側に倒れてしまいそうな程不安定な立ち姿になる。
「どうしたの、まさか持てないの?」
真白が椅子に座ったまま煽り始めた。相変わらず偉そうに足を組んでいる。
「いや?全然余裕だし」
僕は精一杯の虚勢で返した。ボールを持った右手が小鹿の足のように震えている。
ボールを目線の高さに持ち上げ、前腕の骨にのせる形で保持する。レーンの前に立ち、何とか構えを取った。
狙いを定め、手を振り子のようにしてボールに助走を付ける。ボールの重さを支える右手が引き伸ばされて悲鳴をあげる。
痛みに耐えながら、ボールを前へと振り投げた。
いってくれ!真白よりは倒れてくれ!
祈りを込めて送り出されたボールは勢いよく真ん中のピンに当たり、ドミノのようにすべてのピンが倒れた。
何が起きたのかわからないうちに、ストライクを知らせる電子音が響く。横のレーンを使っていた客から感嘆の声が漏れた。
「相沢すごっ!」
真白の声に振り返ると、真白は立ち上がって目を輝かせていた。
そして真白は手をパーにして、僕の前に差し出した。その意味に遅れて気づいた僕はその手を叩いた。ハイタッチなんて、生まれて初めてかもしれない。
痺れるような手のひらの熱さが、不思議なくらいに僕の胸を暖める。
僕の奇跡は続かずガーターを出し続け、真白も最初の勢いは何処へやら、立て続けにガーターにボールを吸い込ませていった。
完全な泥試合だったけど、僕らは心の底から楽しんでいた。
そして最後の一投。僕が五本以上は倒せば真白に勝てる。
してもしょうがないのに、僕は深呼吸をして集中を高めた。柄にもなく勝負事に本気になってしまっている。悪い気はしなかった。
後ろで真白が手を組み祈っている。僕の失敗を祈っているのだろう。
何故か僕は失敗しないという確信があった。
手を下げてボールを吊るし、一度前へ振って助走を付ける。
その勢いで後方へボールを振り上げた。
そして鉄球を付けたクレーン車のようにボールの重さを使って前方へと投げる。
「わっ!」
今にもボールを離し、最後の一投を終えようとした瞬間。後方から真白が唐突に声をあげた。
明らかに僕を邪魔するためだけに発された声だった。
その一声で僕の確信は崩れ去った。一瞬頭が真っ白になり、ボールは明後日の方向へと飛んでいく。
ボールは隣のレーンまで飛んでいき、ガーターに入ってそのまま闇に消えた。
失意のなかで棒立ちしていると、後ろから堪えたような笑い声が耳に入った。
僕は真白をキッと睨み付けた。眉間に深い溝が刻まれる。
「そんなの、卑怯だろ」
「勝てば良かろうなのだ」
真白は勝ち誇ったように笑った。こうなった真白に何を言ってもダメだ。僕は諦めて笑った。
備品を受付に返し、僕らのボウリングは終わった。額には汗が滲み、体は疲労で軋んでいる。
だけどお母さんのところから逃げてきた時とは違う、爽快で、気持ちのいい疲労感だった。
自働ドアを抜け、外に出た。まだ日は勢いを失っておらず、煌々と辺りを照らしている。
外では学校帰りの学生たちが制服のままで遊びに来ていた。顔に満面の笑みを浮かべて、今日は誰が勝つとか、今日の勝負は何を賭けるかと言い合っている。
体を包む疲労感のなかで、僕はぼうっと彼らを見ていた。
彼らにとって今日のことは何てこと無い日常の一部なのだろう。
だけど僕らには、人生で最初で最後の出来事なのだ。
彼らと僕らは何が違うのだろう。何で僕らだけがいたい目に遭って、死を選ばなければならないのだろうか。
僕らが間違いを犯してしまったとでもいうのか。
僕の視線に気付くと、彼らは逃げるようにして店内へと消えていった。
「怖い顔してるよ、大丈夫?」
真白が心配そうに僕の顔を覗いていた。
僕は眉間に寄った皺に気付き、笑顔を作った。
「何でもない、もう帰ろう」
「石のドームにね」
真白が真面目な顔で言うので、僕は本当の笑顔を浮かべて笑った。