十一話 逆鱗
頭に置かれたお母さんの手の指が、少しづつ曲げられていくのを感じた。
最初は撫でられているのだと思った。しかし、指は僕の髪を捲き込みながら曲げられてく。
頭頂部で感じていた温かみは痛みに変わり、顔が苦痛に歪む。
お母さんは僕の髪を掴み、俯いていた顔を無理やり引き上げた。鼻先の位置にお母さんの顔が現れる。その顔は怒りと、呆れがない交ぜになっているのが見てとれた。
「うるさいなぁ、ホントに!」
お母さんは絶叫して、僕の頭を半狂乱で振り回した。ブチブチッ!と音を立てて髪が毛根から千切られる。その勢いのまま、僕は床にうち伏せられた。
お母さんは倒れた僕に近づき、サッカーみたいに僕の腹を蹴った。爪先がお腹に刺さり、口から体液が押し出される。
何も食べてない胃から、純粋な胃液が吐き出された。
僕は状況が飲み込めなくて、目の前の自分が吐いた吐瀉物をただ見ていた。
「うるさくすんなっていつも言ってんのに、ピーピー喚きやがって」
腹にもう一度衝撃が襲った。
「生意気に育ちやがって、イジメられてる?どうでもいいんだよそんなこと、そのまま死んじまえよ」
文節ごとに挟まれる蹴りで全身に痛みが走る。血の気が引いて背筋が凍りついていく。
蹴りを受けながら、僕は泣いていた。涙が止めどなく溢れる。痛みが耐えられないからじゃない。
味方してくれなかった。慰めてくれなかった。真白の言う通りになってしまった。
お母さんがこんなことを言っているのは不機嫌だったからかもしれないけど、僕にはもうそんなことは関係なかった。
死んでしまえばいい。お母さんが言った言葉のなかで、一番僕を痛め付けていた。
生きていい。お母さんだけにはそう言って欲しかった。そう思っていて欲しかった。
痛みすら和らぐ悲しみのなかで、僕は声も出さずに泣いた。
それすらもお母さんは気に食わないようで、言葉にならない声をあげて頭をかきむしっている。
「あー、もういいわ」
そう言ってお母さんは急に僕から視線を外して歩き出した。
滲む視界でお母さんを追いかける。すると、お母さんがキッチンへと向かっているのが見えた。
カウンター越しに見えるお母さんの手に、鈍い光を発するものが握られている。
それがなんなのかを頭で理解する前に、僕は走り出していた。お母さんから、今の状況から、反射的に逃げ出したのだ。
ドアにぶつかるようにして家を出て、一目散に逃げ出した。背後から僕を止める声は、終ぞ発されることは無かった。