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欲望渦巻く海

作者: つっちーfrom千葉


 とある寂れた港町に奇妙な噂話が流れた。それは、中世に名を馳せた海賊王タウルスの遺した財宝が、近くの浅瀬に発見されたという情報であった。明日食べるものも持たない貧しい民衆の多くが、その不穏な噂話に強く惹かれたのは無理からぬことである。彼らは自宅の倉庫に眠っていた鍬やつるはしやナイフや最後の食糧を鞄に詰め込んで、船旅の準備を始めた。皆、財宝を手に入れることで、自分だけが貴族のような余生を送るのだと意気込んでいた。


 自分の船を所持していない者も多かったが、港の船着き場では、ひとりの見慣れない船頭が財宝が眠る付近まで案内することができると宣伝していた。頭部まで覆う漆黒の外套のために、彼の顔は陰になってよく見えなかった。しかし、躊躇するわけにもいかない。貧しい彼らは、仕方なしにいくらかの船賃を支払うと、その古い船に乗り込んでいった。やがて、二十人ほどの乗客が集まると、その船頭は曇天模様の中、船を出航させた。


 出航を急いだのは、先に乗り込んでいた乗客の大半が、これ以上の競争相手ができることを嫌ったからである。誰もが財宝の独占を狙っていたが、それと同時に、秘宝を発見した者たちの間で、これを分け合うことになった場合、人数が多いほど不利になるからである。


 洋上には濃霧が立ち込めていた。それは凍てつくような寒さの晩であった。大多数の乗客はいち早く宝を発見して、自分だけがそれを手に入れると思い込んでいたため、船内の空気は非常に重かった。乗客同士が陽気に語り合う姿はまったく見られなかった。どの乗客も暗い過去を背負っていた。強盗、殺人、密漁、横領、裏切り……、その内容は様々であったが、そもそも、このような怪しげな話に命を賭けてまで乗ってくる連中が、人好きのする、まともな人格を持ち合わせているわけはなかった。決まった住処を持っているわけでもない、世捨て人と表現した方がいいような連中である。ある者は懐に拳銃を隠し持っていた。また、ある者は鞄の中に麻薬や劇薬を隠し持っていた。財宝が見つかった折りに、自分の立場が有利になるための、何らかの取り引きに用いるためである。皆が周囲の気配に気を払い、他の乗客たちを牽制しながら、船が現地に到着するのを待った。


「誰か、欲にかられずに、人助けの理由から、ここまで付いて来た者はいるかね?」


 航海の半ばほどまで来ると、船頭は突如としてそのように尋ねてきた。両親の薬代を得るために参加したという色白の若者がひとり手を挙げた。


「それが本当であるなら、どんな苦難に襲われても、お前の命だけは助かるであろうな」


 船頭はよく徹る暗い声でそのように伝えた。


「それでは、自分が得た財宝の一部を、かつての恩人たちに、分け与えるつもりで来た者はいるかね?」


 今度はそのように尋ねてきた。その質問に対しては、少々遠慮がちに五人ほどの参加者が手を挙げた。


「それが真実であるなら、お前たちの願いはきっと叶えられる。おそらく、多くの財宝を手にして、無事に港まで帰還できるであろうな」


 船頭は怪しげな笑みをこぼしながら、そのような返事をした。


「海賊の宝の周囲に、もし、何匹もの凶悪な魔物が待ち構えていたとしても、それを討伐する覚悟を持っている者はいるかね?」


 この問いかけに対しては、そこに乗り込んだ客の全員が、勢いよく手を挙げて応えた。


「そうか、その意気込みがあれば、お前たちの純粋な願いは天に届き、きっと多くの財宝を得られるであろう」


 船頭はかなり満足げにそのような私見を述べた。彼がどのような思惑から、そのような問いを投げているのかは誰にも分からなかった。この時点で不穏な空気を感じ取れる者は、ほとんどいなかった。誰しも自分のたどり着く先は見えないからである。多少の危険と引き換えにしてでも、自身の未来を輝かせるための、財宝を手に入れる願望を持っていた。


 ここまで波は静かであり、船体が大きく揺らされることもなく、航海はきわめて順調であった。しかし、どこからか聴こえてくる悲しげな笛の音が、乗員たちの眠気を誘っていた。一人また一人と船室に降りていった。船はさして揺らされることもなく、北に北にと進んでいた。夜明けは確実に近づいていたが、時が経つごとに寒さは増していった。当初は誰もが持っていたはずの期待と希望は、このような過酷な状況の下で、少しずつ削られていった。


 さらに一時間ほどが経過した。霧の向こうには黄泉の国のような不思議な光景が広がっていた。船内の緊張感と恐怖感はすでに限界まで来ていて、ここまで来てしまったことを後悔する者も現れた。しかしながら、周囲は暗黒の世界である。命を捨てる以外に、逃げ道はない。自らの目で宝を見出すまでは、この厳しい旅を続ける他はない。この無謀な旅から逃亡するために、冷たい海上へとその身を投げ出すという狂気じみた選択肢は、すでにあり得ないことになっていた。


 出発してからすでに七時間余りが経過した。船はついに隣国の半島にある浅瀬にまでたどり着いていた。ここは霊界と繋がっていると噂される地方である。普段からこの海域に侵入する船はなく、付近には人もまばらな散村がわずかに存在するのみである。


「どうだ、ここが目的地だ、皆の衆、着いたぞ!」


 船頭は皆を眠りから覚ますために、魔人のような大声でそう叫んだ。疲れと寒さによって、船室で横になっていた乗客たちは、その鋭い声に反応して、自分の意思とは無関係に飛び起きた。しかし、ひどい寒さと幻覚に襲われ、各自の意識はすでに朦朧としていた。今がどのような状況なのかを冷静に判断できる者は、すでにいなかった。まるで、操られた人形である。甲板に出た彼らの視線の先には、北側の浅瀬の海面の上に、巨大な木箱が浮いているのが視認できた。


「さあ、者ども、喰いつくがいい! あれはすべてお前たちの取り分だ。分けるもよし、奪い合うもよしだ!」


 そう呼びかけられたとき、理性を保っている乗組員は、すでにひとりもいなかった。まるで、悪霊に思考を操られているかのように、皆、次々と冷たい海へと飛び込んでいった。泳げる者たちは必死の形相で宝の箱を目指して水をかいた。泳げぬ者たちは正気を取り戻すこともなく、真っ先に海中へと沈んでいった。


 ここから見る限り、海面に浮いている木箱は僅かにひとつあるだけのように見える。乗組員の全員がその箱の付近に殺到した。そこからは、唯一の獲物を得るための壮絶な殺し合いが始まった。今さら、仲間を斬り捨てることを躊躇する者は、そこにはいなかった。ひとり、またひとりと、これまで一緒に航海を続けてきた者たちの手によって、無残にも殺されていった。現場は狂気に支配されていた。他人の不幸に同情や理解を示す者はひとりもいなかった。皆が皆、手には武器を握りしめ、鬼のような形相で殺し合いに参加していた。いつしか、周辺の浜辺は殺害された者たちの鮮血で真っ赤に染まっていた。


 殺し合いによって生き残った者たちも、今となっては、少しの人間味も残っておらず、理性を完全に失った野獣のような形相へと変貌してしまっていた。その直後、生存者たちの肉体も、船の周囲に突如として現れた巨大な渦潮に次々と飲み込まれていった。やはり、この無謀な航海は黄泉に向けての旅であり、愚かな人間たちが殺されるためだけの旅だったのである。


 乗客のすべてが海面上で動かぬ死体に変わってしまうと、あの不気味な船頭が呼び出した骸骨兵たちが、殺された者たちの遺体が海底の砂の一部となってしまうまで、手持ちの巨大な斧で徹底的に打ち砕いていたという。


「どうだ、人は決して欲望には勝てまい。お前たちもこれまで死んだ者たちの仲間入りだ。時代の中で事件は繰り返す。このような凄惨なことが、短い期間の間に、何度も何度も繰り返されるのだ!」


 殺し合いが済んでしまうと、件の船頭の高笑いだけが辺りに響き渡っていた。付近の浜辺において、その凄惨な光景を目撃してしまった者たちは、すべからく精神を侵され、発狂したという。


 後に港町に流れた、信ずるに足る噂話によると、希望者たちを遠方の海まで運んでいったあの船頭こそが、海賊王タウルスの亡霊であるということだった。屈強な男たちが皆殺しの目に遭ったという、その結末を聞きつけ、直前になって、この航海への参加を取りやめた臆病者たちは胸を撫で下ろした。しかしながら、彼らの未来に幸福が待っているわけでもないのだが……。


 翌日になると、北の海は平穏無事に戻った。漁師たちは魚を求めて、再び漁船を漕ぎ出すようになった。それから数週間も経って、海賊王の亡霊の噂が薄らいでくると、彼が遺したとされる多額の財宝の噂話も、自然と立ち消えとなった。今回の航海に出た者に生き残りはなかったので、確かめることはできないわけだが、あの船頭の亡霊が浅瀬において指し示してみせた、あの古い木箱の中には、海賊王自身の遺体が収められていたと、私のような夢想家のひとりが想像することは、決して悪くないどころか、きわめて妥当とさえ思われる。



 最後まで読んで頂いて誠にありがとうございました。また、よろしくお願いいたします。他にもいくつかの完結済みの短編作品があります。もし、気が向かれたら、そちらもぜひ、ご覧ください。2024年3月10日

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