狐憑き巫女に贈る誕生祝い
挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」を使用させて頂きました。
嵐山に建立された牙城大社の境内には、限られた者しか立ち入りを許されない禁足地が幾つも存在しているんだ。
私こと深草花之美が今こうして佇んでいる庭園も、そんな一部の者のみに許された禁足地の一つだったの。
「よし!」
着地時の風で白い着物と赤い女袴を揺らしながら、私はサッと顔を上げた。
巫女装束の腰間に二本差しした姿で、植えられた松の枝から枝へと軽やかに飛び移り、大きく弧を描いて宙を舞った末に足場の狭い岩へと爪先だけで降り立つ。
こんな軽業めいた動きを平気でやってのける私が、一介の巫女に留まらない存在である事は、誰の目にも明らかだろうね。
オマケに頭頂部からは銀色の狐耳を生やし、赤い女袴からは同色の尻尾まで食み出させているのだから。
この牙城大社を総本山として貞観の御世に結成された京洛牙城衆は、帝の御膝元である京を守護する使命を帯びた武装自警組織で、古武道や霊能力を極めた戦士達が大勢所属しているんだ。
中でも先祖代々狐憑きの家系に生まれた私は、その霊能力と戦闘能力の高さから、最前線での主要戦力として信任を頂いているの。
先祖伝来の神道九字を唱えれば、私は人間から狐憑きとしての姿に転身する。
硬化した銀髪を狐耳に変えて銀色の尻尾を生やした、半人半獣の白狐の姿にね。
御先祖様から受け継いだ白狐の力は私の誇りだけど、事情を知らない部外者に知られたら色々と面倒臭い。
だから戦闘技術の鍛錬も、余所者に覗かれる心配の無い場所で行う必要に迫られているんだ。
この京洛牙城衆の構成員だけが立ち入りを許された庭園も、そんな鍛錬場所の一つだよ。
「うん、良い感じ!思った通りに身体は動くし、感覚器官も正常その物。身体も心も、ちっとも鈍っていないみたい!」
自主鍛錬の成果が上々だと確認出来た私は、思わず声を弾ませてしまったの。
在籍している高等女学校が新学期を迎えて、既に十日余り。
ここ最近は荒事を伴う作戦も少ないから、安穏とした学生生活に流されていないかとヒヤヒヤしたけれども、それが杞憂だったみたいで何よりだよ。
だけど私には、もう一つ確認しておかなければならない事があるんだ。
戦闘において勝敗を大きく左右する、大切な事をね。
女袴の腰間に手を伸ばし、帯剣した愛刀の柄を握る。
そして精神を研ぎ澄ませ、念話で呼び掛けたんだ。
『頼みますよ、白蔵君!』
その次の瞬間、青白く輝く細長い光がうねるように空を飛んできたんだ。
人魂のようにも見えるけれども、優しさと温もりの感じられる淡い光。
これこそ、神秘の力を秘めた霊獣の管狐だよ。
嵐山に生息している管狐の中でも、白蔵君は特に私と相性が良いんだ。
京洛牙城衆の仲間との連絡や索敵等、何かと御世話になっているの。
そして勿論、戦闘時の補助だってね。
「飯綱招魂、白狐刀!」
丹田に力を入れて叫び、愛刀を鞘から勢いよく迸らせる。
抜けば玉散る氷の刃は、その次の瞬間には眩い光を放ち、ついには青白い炎さえ揺らめかせたんだ。
管狐の霊力を刀身に纏わせた事で、私の愛刀は悪鬼羅刹を魂ごと両断する力を秘めた霊刀と化した。
ここまでは順調だね。
だけど、まだまだ油断は禁物だよ。
何しろこの霊刀を真に使いこなせるか否かは、私と管狐の絆にかかっているんだから。
それを証明するべく、私と白蔵君は庭園の人工滝に向き合っていたの。
江戸以前の戸無瀬の滝を模した滝石組は、規模こそ小さいものの見事な物で、涼し気な水音を響かせながら爽快に水飛沫を迸らせていた。
角倉了以による開削が行われる前は、本物の戸無瀬の滝もこんな感じだったんだろうね。
今となっては、屏風絵等でしか確認出来ないけど。
「行きますよ、白蔵君!」
愛刀に憑依した管狐に呼び掛けると、すぐさま私は呼吸を整えて精神を集中させたの。
「むっ…」
そうして本差を青眼に構えると、自ずと心の中が研ぎ澄まされていくよ。
獣の本能に白狐の理性、そして人間としての情感。
その三つが一体になったのを実感した瞬間、私は青白い炎を上げる霊刀を振るったんだ。
「ええいっ!」
下から上へと真っ直ぐに切り上げる、逆真っ向の太刀風。
それは衝撃波の奔流と化して直進し、庭園の人工滝目掛けて突っ込んだんだ。
「むっ…!」
次の瞬間、清涼な水飛沫の軌道に変化が生じた。
それも無理はないだろうね。
何しろ先程まで自然に流れ落ちていた人工滝の水は、今や下から上へと逆流していたのだから。
それでいて、在りし日の戸無瀬の滝を模した滝石組には傷一つなく、私が太刀を振るう前と変わらぬ美しい姿を保っていたんだ。
刀風の衝撃波で滝を逆流させ、それでいて滝石組の岩肌には影響を及ぼさない。
この一連の妙技は、先祖代々伝わる狐憑きの力を的確に制御し、尚且つ愛刀に憑依した管狐と上手く連携する事で初めて成功する繊細な技なの。
そして岩肌を傷付けずに滝だけを逆流させられたという事は、それは私の力量が鈍っていないという何よりの証でもあったんだ。
「上手く出来ました…感謝しますよ、白蔵君。」
愛刀を鞘へ納刀しながら、私は視線を空中に向けて小さく目礼した。
その先では、業物への憑依を解除したばかりの管狐が、白くて細長い身体をくねらせながら飛び回っていたの。
「今日の鍛錬は、これで良いでしょう。また頼みますよ、白蔵君。」
そう呼び掛けられた管狐は赤い瞳を細めて笑い、私の左肩の辺りへ静かに降り立ったんだ。
狐憑きとしての力は正常に使いこなせているし、管狐とも阿吽の呼吸で連携が取れている。
要するに私は、今この瞬間にだって戦闘を伴った任務を拝命出来るって事だね。
それを確認出来て喜ばしい限りだよ。
そうして意気揚々と帰り支度をした私が更に上機嫌になったのは、庭園の入口に見知った顔を見かけたからなんだ。
「見事な技の冴えですよ、花之美さん。それでこそ、京洛牙城衆の戦巫女です。」
「あっ、武信さん…」
束帯姿の上で輝く端正な微笑に、私は思わず頬を緩ませてしまったの。
この管狐の収まった竹管を束帯の腰に下げた眉目秀麗な殿方は稲倉武信さんと言って、京洛牙城衆が誇る飯綱使いの一人なんだ。
私と同様に普段は書生として勉学に励まれているけど、管狐の扱いにかけては誰にも負けないんだよ。
今日こうして力を借りた白蔵君だって、元々は武信さんが育てた管狐だからね。
「武信さんも、鍛錬に御越しだったのですね。私の方は、今ちょうど終わった所なのですよ。それでは白蔵君も、そろそろ武信さんの管へ…」
「花之美さん、白狐転身を解くのは御待ち下さい。それに白蔵も、そのまま残って聞いて欲しいんだ。」
竹管に帰ろうとした白蔵君を押し留めたばかりか、人間の姿へ戻ろうとする私にも待ったをかけるなんて。
武信さんったら、一体どうしたんだろう。
何か重要な話でもあるのかな。
「花之美さんが帯剣されている太刀は、御家族からの賜り物と御伺い致しました。拵や装具も御立派で、御家族の思いを感じさせますね。」
「まあ…御褒め頂けて恐縮ですよ、武信さん。何しろ我が白狐村綱は、私の誕生を祝して鍛刀された業物ですからね。」
武信さんの御言葉に頭を掻きながら、私は帯刀した業物に視線を落としたんだ。
蒔絵塗で狐の姿が描かれた朱色の鞘や、弧を描いて飛ぶ狐のあしらわれた鍔を眺めていると、両親や御先祖様の思いが伝わってくるようで、温かい気持ちになってくるよ。
そして「先祖代々受け継いできた狐憑きの血脈に恥じぬ戦いをしよう。」という考えが浮かんできて、自ずと身が引き締まるんだ。
「そちらの小脇差は、先日に花之美さんが御自身でお求めになった物ですね。無号ではあるものの、本差と色味を合わせられた朱一色の漆塗りが、質実剛健という趣を感じさせますよ。」
「アハハ…いやぁ、武信さん。これは大阪での任務に入る前に誂えたのですが、刃の切れ味と拵の頑丈さに重きを置いた事で、刀装具まで手が回らなくて…」
鞘の漆塗りを武信さんは御褒め下さったけど、真新しい小脇差の装いが太刀に比べて簡素である事は、私としても気になっていたの。
鍔に関しては太刀と御揃いの図柄の物が家に有ったから良かったけど、目貫も小柄も安価な大量生産品だからね。
「そうでしたか、花之美さん。実を申しますと、貴女にお渡ししたい物が御座いましてね。」
そんな私の反応を見た武信さんは、満足げに軽く数回頷くと、大事そうに抱えていた風呂敷包みを解き始めたんだ。
藍色の風呂敷から現れたのは、小振りの細長い桐箱だったの。
「これは…」
「それは貴女の為に誂えた物です。どうぞ御開け下さい、花之美さん。」
武信さんの真剣な眼差しに、手渡された私もみるみるうちに緊張してしまったの。
赤い女袴から食み出た尻尾が高々と上がっているのが、自分でもよく分かるよ。
この分だと頭頂部の髪が硬化して出来た狐耳も、普段以上にピンと立っているんだろうな…
そんな緊張を何とか抑えながら、私は桐箱の蓋を開けたんだ。
「これは…?」
「誂えた品が今日に間に合って何よりですよ。何しろ今日は四月二十日。花之美さんの御誕生日なのですから。おめでとう御座います、花之美さん。」
細長い桐箱に収まっていた誕生日の贈り物は、若草色の座布団の上で鎮座する目貫と小柄だったの。
柄を朱漆で仕立てた小柄も、鍍金の施された揃いの目貫も、どちらも目を見張る程に素晴らしい品だった。
だけど私が何より驚いたのは、この二所物にあしらわれた狐の意匠が、あまりにも見事な物だったからなんだ。
小柄に彫られた向かい合う二頭の狐は、今にも動き出しそうな生命力と存在感に満ちていた。
そして目貫にあしらわれた狐には、ある工夫が凝らされていたんだ。
「目貫の狐は瓜二つのようでいて、咥えている物が違うのですね。こちらは稲穂を咥えているようですが、あちらの狐は何か細長い物を咥えているような…」
「そちらの目貫の狐が咥えているのは刀ですよ、花之美さん。戦場で自在に太刀を振るう貴女は、凛々しくも頼もしいですからね。」
何処か照れ臭そうな武信さんの笑顔を見ていると、私まで頬が緩んでしまう。
さっきまで緊張でカチカチになっていた尻尾も狐耳も、グンニャリと弛緩している事だろうね。
照れ臭さと喜びの綯い交ぜになった感情に戸惑いながら、ふと私は一つの事に思い至ったの。
揃金具にあしらわれたのは、刀を咥えた狐だけではないって事にね。
もう一方の狐にも、意味があるかも知れないなぁ…
「成る程…この刀を咥えた狐は私だったのですね。それでは、稲穂を咥えた狐が象徴しているのは、もしや…」
「御渡しした揃金具は、どうか例の小脇差に使って下さい。鍔に透かし彫りされた白狐とも、きっと相性が良い事でしょう。」
明確に答えるでもなく、かと言って沈黙するでもなく。
武信さんはただ、揃いの二点物について語るだけだった。
だけど、それがどんな返答よりも雄弁に真実を告げていた事は、私にはよく分かっていたんだ。
「武信さんに頂いた二点物を付け次第、この小脇差にも正式な号を付けたい所ですよ。いつまでも無号では可哀想ですからね。」
そこで私も、二点物への詮索から小脇差の命名へと話題を切り替えたんだ。
しつこく食い下がるのは流石に野暮って物だよ。
「号は、そう…『豆白狐』などはいかがでしょうか、武信さん?」
「ああ、太刀に因んだ号をお付けになったのですね。それは良い名付け方ですよ、花之美さん。きっと小脇差も喜んでいる事でしょう。」
二点物の贈り主である武信さんからも御褒め頂けた事だし、小脇差の号はこれで確定だよ。
朱漆の鞘の光沢も、気のせいか前より誇らしげに感じられたね。
「この小脇差は今日から『豆白狐』ですよ、白蔵君!」
意気揚々と声を弾ませる私の小脇を飛びながら、管狐が目を細めて笑っている。
白蔵君としても、自分の憑依する刀の号には関心があるんだね。
武信さんが誂えた二点物で飾られ、私が号を命名した豆白狐。
それは家族から受け継いだ白狐村綱と同様に、私の良き相棒になってくれるに違いない。
この小脇差に白蔵君を憑依させて武信さんと一緒に任務に着く日が、今から待ち遠しい限りだよ。