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狼はそこにいる  作者: ひなたひより
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第9話 古の血脈

 デザートに杏仁豆腐を食べ終えた俺たちは、会計を済ませて普通に店を出た。

 ざっと一時間近く店の中にいたはずだ。あのバンに乗っている連中はさぞかしイライラしているに違いない。

 中華料理を堪能した俺たちに比べ、あいつらはきっと空腹を我慢しながら車の中で待っていたのだろう。

 さっさと三島聡子の家を確認して仕事を終わらせたいのだろうが、そうはさせない。

 俺はバンの方には目を向けずに三島聡子を助手席に乗せて、また車を発進させた。

 黒いバンはすぐに俺たちの車に続いて駐車場から出て来た。

 俺は口元に笑いが込み上げてくるのを押さえられなかった。

 しばらく走っているとバックミラー越しに付いて来ていた黒いバンがどんどん遠ざかって行った。

 当然だ。先ほど気付かれないように車の排気管の中におしぼりをぎゅうぎゅう詰めてやったのだ。当然ながら今エンストを起こしたわけだ。

 原因に気付いた時はもう俺たちを完全に見失っているだろう。


「フフフフ」

「え、どうしたんですか?」


 思わず漏れ出た笑いに聡子が反応した。


「あ、いや、失敬。思い出し笑いだよ。気にしないで」

「え、なんですか? 面白いことだったら私にも教えてくださいよ。なんだか気になっちゃうな」


 俺としては多分に聞かせてやりたかったが、そこはグッとこらえた。

 いつか話す機会が来たら二人で爽快に笑いたいものだ。

 まあ、きっとそんな機会など永久に来ないのだろうけど。

 こうして連中をまんまと罠にはめて、俺は三島聡子を無事に送り届けたのだった。



 落ち合うはずのバーに俺が到着したのは、約束の時間から一時間も遅れてからだった。

 如月はもう相当酒を飲んでいる感じだったが、当然ながら全く酔ってはいなかった。

 月齢十二日。この時期の狼人間はほぼ超人と化す。

 体に入ったアルコールはたちまち無害化されて全く体に影響を与えることはない。恐らく猛毒を酒瓶一本飲まされたとしても、死ぬことはないだろう。

 やっとバーに現れた俺を、如月は苦々しげに睨んだ。


「言っとくが俺は忙しいんだ。電話ぐらいして来いよ」

「ああ、まあ取り込んでいてね。謝るよ」

「謝る気もなかったくせによく言うぜ」


 如月はぶつぶつと不満を垂れ流したあと、俺の意見も聞かず適当に酒を注文し、すぐに本題に入った。


「別にお前とここで飲みたかったわけじゃない。どうせお互い酒に酔わない時期だしな。どうだ、あの屋敷で何か分かったことがあったか?」

「ああ、少しは。取り敢えずあの夫人の呼気からは人間の血の匂いがした。人肉を喰らうか、生血を飲んでいるのは間違いないだろう。だが人間以外の何かでは無さそうだった」

「ほう。では夫が怪しいということか」

「そうかも知れない。今日は夫の方は不在だったから何とも言えんが、少なくとも今日、あの屋敷の中には人外のものの気配は感じられなかった。夫婦の寝室にも入ったが、それらしき臭いは無かったよ」


 バーテンがカウンターにグラス置いて行った。如月は酔いもしない酒を俺に勧めてきた。多分高いウイスキーなのだろう。高級品の匂いを嗅ぎながら俺は一口琥珀色の液体を口に含んだ。


「瑠偉、お前の見解を聞かせてくれ」

「ああ、家政婦だけがまともで、あの夫婦は恐らく人間を食べている。人間を拉致してきてなおかつ捌くとすれば、夫婦二人だけでは難しいだろう。恐らく共犯の人間、あるいは人外のものがいるとみていいだろう。あの屋敷の中にはそれらしき者は見当たらないが、多分敷地内にある白いコンクリート造りの建物の中にまだ誰かがいて、そこで何かが行われているのだと思う」

「コンクリート造りの建物か。屋敷の他にもそんなものが」

「ああ、屋敷の丁度裏側だよ。俺の見る限り窓すらない不気味な建物だった」

「そうか。多分間違いないだろうな……」


 そこで俺はちょっとした疑問を如月に投げかけた。


「お前も今回の件を調べていたはずだろ。ドローンを飛ばすなりして調べたりしなかったのか?」

「ああ、飛ばしてない。というか飛ばせなかったんだ」

「どういうことだ?」

「妨害電波だよ。あの屋敷の敷地に近づくとドローンは通信できなくなる。お前に会う前に試して失敗したんで今度はヘリを飛ばそうかと準備していたところだった」

「そんで敷地に直接入れた俺の登場でヘリは用済みってことだな」

「そういうことだ」

「なあ、如月、おまえ他にも俺に色々話してないことがあるんじゃないのか? 別に深く関わり合いたいわけじゃないけど、相手のことを知っておかないと気味が悪いんだけどな」

「ああ、まあそうだろうな」


 如月はあまり表情を変えず話し出した。眷族の側に立つこの男は、利用するだけの駒である俺には決して機密事項の類は話さないだろう。それでも今は少しでも情報が欲しかった。


「人外のものの動きが各地であるのは間違いないことだ。今回の深田邸に住む夫婦はその中でも怪しげな動きを活発に行っているであろう要注意人物だ。二人が人間であるとなると眷族は彼らから手を退くことになる。あとは警察組織の犬たちに引き継ぐだろう。だが、そのコンクリート造りの建物の中が気になる。問題を起こしている何者かの存在を拭いされない限り監視の対象から外れることはないだろう」

「忍び込んで一気に片をつけたりはしないのか?」


 三島聡子のことが頭にあるからなのだろう。俺はことの収束を願うばかりに如月の前で焦りを見せてしまった。


「瑠偉、これはかなりナーバスな問題なんだよ。眷族と人間、あるいは人を食っている人外のものと人間という設定ならば、あっさりと片がつく問題に違いない。しかし眷族と正体不明の怪物が争った場合、もともと数を減らして希少種となってしまった我々が大きな痛手を受けかねない。それに獣人同士が争った場合、その争いは相当苛烈なものになるだろう」

「人間たちに俺たちの存在を大っぴらにしてしまうことになりかねない。そう言いたいんだな」

「ああ、そうだ。愚かな人間には今人を食っているあいつらと、俺たち崇高な眷族の見分けがつかないだろう。恐怖と不安でパニックになった人間は、ある意味俺たちよりも恐ろしい怪物になる」

「言いたい事は分かるよ。つまり魔女狩りの再来が起こると」

「そうだ。中世で起った凄惨な人間による人間に対しての殺戮だよ。悪魔の存在に恐怖を覚えた人間たちは怪しい者を次々に惨殺していった。女であろうが子供であろうが見境なくだ。俺たちの今構築して成り立っている世界は微妙なバランスで傾かずに水平を保っていると言っていい。恐怖という引き金を引いてしまうだけで、簡単に均衡は崩れ見慣れた世界は姿かたちを変貌させるだろう」


 眷族を主体に話をしている如月の意見には、素直に共感できない部分もあった。

 しかし人間が恐怖や不安に脆く、その精神が壊れやすいというのには同意見だった。


「ではどうするつもりなんだ? 今人殺しを行っている連中が敵対行動をしてきたとしたら」

「……」


 如月は何もこたえなかった。琥珀色の液体の入った小さなグラスに口をつけたまま黙り込んだ。

 それが意味するのは如月がというよりも、眷族のお偉いさんがたがその筋書きを避けているということなのだろう。


「監視をし、正体を見極める。それからだ……」


 そう言った如月の横顔には、かつて俺と苛烈な学生時代を過ごした名残など残っていないように見えた。

 若さゆえ、理想に燃え、俺たちは危険なことに首を突っ込み、命からがら生還した。

 かつて背中を任せた親友にあの時の面影はなかった。


「お前は変わったな……」


 如月は俺のひと言を否定しなかった。


「ああ、そうかもな。変わってないのはお前だけなのかも知れないな」


 たいして美味くも無さそうに如月はグラスをあおり、琥珀色の液体を飲み込んだ。



 車の通りの少なくなった深夜の国道を、俺はハンドル片手に物思いに耽っていた。

 如月に三島聡子に警護をつけるよう願い出ると、早速二人ほど信頼できる者に今晩から彼女を見張らせるよう手配してくれた。

 これで会社にいるときも帰宅してからも、あの娘の安全は保障される。

 これでモヤモヤせずよく眠れそうだ。

 眷族と得体の知れない怪物とのせめぎあいは置いといて、俺は目下身近なものを守ることだけに専念しよう。

 冷たいようだが眷族も人殺しの怪物もやっていることはそれほど変わらない。一方は死体を喰らい、もう一方は生きているのを捕まえてきて死体にしてから喰らっているだけの違いだ。

 おたくらが怪物であることは間違いないことだ。

 強いて言うならば喰われている人間も俺の感覚では怪物だ。

 清潔にして綺麗に着飾っていても、その中身は恐ろしい残虐性が隠されている。世界中で戦争が絶えないのがいい例だ。

 人間ほど殺人を犯して都合のいい解釈を出来る生き物はいないだろう。

 歴史上の人物で大勢の死体を積み上げて偉人と呼ばれるようになったもののなんと多いことか。

 食べるために誰かを殺す行為が非難されるのならば、権力や富を得るために殺しを行った者たちはそれ以上の極悪人と言えるだろう。

 人を数人食い殺した怪物に罰を与えて粛清するのなら、大勢の人間のいるど真ん中に一発の爆弾を落とした者の方がその罪は重いのではなかろうか。

 俺は人間ではない。しかし生粋の眷族でもない。実はおれは混血児だ。

 人間と眷族が交わって生まれた数少ない混血種だ。

 近年眷族はその数を急激に減らしていっていた。それは近親交配によって純潔を守ろうとしてきた眷族から子供が産まれなくなってきたのが大きな原因だった。そして不死身性を持つ純血種の赤子が人の姿ではなく狼そのものの姿で生れ落ちたり、あるいは奇怪な半獣半人の姿で生まれてきたりしたことも少なからずあったのだった。

 それらの赤子は一様に知能を有してはいなかった。ただ獣のように徘徊し肉を喰らうだけの動物だった。

 プライドの高い純血種はそういった獣に生まれ落ちた子供たちを許さなかった。その存在は切り捨てられ闇に葬られた。

 そして本来なら供物である人間の女に眷族は子供を産ませた。

 人間と交わったとしても、種の違いがある眷族との子はそうおいそれとできるものではない。

 気の遠くなるような試行錯誤の末にようやく数名の混血種が産まれた。

 それが俺であり、如月だった。まだ数えるほどしか混血種は誕生していなかったが、一応は眷族の血を受け継いだ俺たちは、純血種に不純な血統と蔑まれながらも彼らに近い超人性を持ち合わせており、仲間の端くれとして認められていた。

 生粋の眷族である彼らと似通ってはいても、俺と如月は違っていた。

 まず寿命が違う。眷族は年を取らずに何百年も生き続ける。しかし俺は普通に三十五年生きてきて、年相応にきっちり歳をとった。

 如月もそうだったのだが、ある時期から人間の肉を食べるようになり、そこからは歳をとらなくなった。二十代にしか見えない如月とおっさん臭くなった俺とは見た目でかなり違いが表れていた。

 食人という習慣が眷族に何らかの生命力を与えているのは間違いない。

 かといって俺は人を喰らう気は毛頭ない。肉はスーパーで売っている牛肉でいい。

 こうして生まれながらにして、どちらにも属さない存在として俺は今まで生きてきた。人間のように歳をとり、欠陥の目立つ混血の俺だったが、たった一つ純血の眷族に劣らない力を持っていた。

 それは満月時でなおかつ夜の世界だけしか超人的能力を発揮できない眷族と違い、混血の俺たちだけが満月期であれば昼夜問わず能力を発揮できたことだった。

 だが、それに伴い、俺は純血の眷族がなしうる完全体への獣化が出来なかった。

 お目にかかったことは無いが、満月の夜、眷族は完全な狼への変身を遂げることができるという。

 その姿は気高く美しく、畏怖や信仰の対象として象徴的だと言えた。

 しかし俺の獣化はまるで美しくなかった。

 人間の姿を残したまま、いびつに狼の姿に変貌する俺の体は、本当におぞましい怪物そのものだった。

 だから俺はなるべく外見を変身させたくなかった。

 満月の夜、体の賦活化が最高潮に達した時にだけ、俺の体は変貌することができる。持てる全ての力を引き出そうとしたときにだけ、どうしても変身してしまう化け物のような自分の姿に、俺は心底嫌気がさしていた。

 車の窓からもうすぐ真円になろうかという月がずっと見えている。

 もうすぐ自宅に到着しようかというタイミングで、胸ポケットの携帯が振動した。

 俺は片手で携帯を手に取ると、そこに表示された番号を見て眉をひそめた。

 如月からだった。数十分前に分かれたばかりだった。言い忘れたことでもあったのだろうか。

 俺はそのまま携帯を耳に当てた。


「もしもし」

「琉偉。よく聞け、三島聡子がさらわれた」


 そのひと言で俺の頭は真っ白になった。

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