第5話 古い友人
午前中、まだ日の高い時間帯。
俺は貴重な休日である日曜日に、昨日事件のあった繁華街へと足を伸ばしていた。
夜は盛り場になるこの界隈は、この時間帯にはそこまで人は多くない。
まして聡子が襲われそうになっていたあの路地裏には、当然のように人影は無く、野良猫一匹うろついていなかった。
昨日あれから聡子に訊いたところ、彼女が居酒屋を出てしばらくしてあの二人に気付いたらしい。
素人の彼女に簡単に看破されてしまうような尾行だったということだ。喧嘩は相当な手練れだったが、その辺りはお粗末極まりないといったところだ。
二人が付いて来ていることに気付いた彼女は、どういうわけか路地に入ってやり過ごそうとした。しかしやり過ごすどころか、二人がその路地に入って来たので、そこからは走ってどんどん知らない細道を駆け回ったのだと言う。
俺はすっかり呆れてしまった。同時に奇跡的に何事もなくて良かったと心から安堵した。あの娘にはまだいろいろ世間の常識を教えてやらなければいけないようだ。
あまり期待していなかったが、これと言った痕跡は見当たらず、奴らが何者だったのかを割り出す手掛かりは得られなかった。
本来なら、昨日あいつらを追いかけて締め上げたら良かったのだが、呆然自失していた三島聡子を放っておくわけにもいかず、また俺の特異性を知られるのもマズいと思い、出直すことにしたのだった。
雨のせいで臭いは消えており、それを頼りに跡を辿ることはできそうにない。
後はあれだけか。
この界隈にはあちこちに監視カメラが設置されていた。
逃げた方向は分かっている。その先の監視カメラに映像が必ず残っている筈だ。
俺はこの一帯を管理している会社に、映像を見せてもらえないかと掛け合ってみることにした。
映像は意外と簡単に見せてもらえることが出来た。
部下の女の子が襲われかけたというと、地域の組合長が話を通して、管理会社の録画記録を確認してくれたのだった。
どうして警察に相談しないのかと聞かれたが、そこははぐらかしておいた。
俺は警察という組織があまり好きではない。
若いころ少し因縁のある相手とやり合って、何人か病院送りにしたことがあった。当然暴力沙汰には警察が介入してくる。
俺の関わった事件は全て相手の過失で、俺の正当防衛を認めてもらえたものの、事件が起こる度に頻繁に俺の名が挙がるものだから、警察から目を付けられてしまったのは仕方が無かった。
今でもこの管轄の警察署には古い馴染みの刑事がいる。
俺の名前が上がれば、今度こそしつこく調べ上げられるかも知れない。
そして俺が警察組織を信用していない理由はもう一つあった。
往々にして警察というものは、ことが起こってから重たい腰を上げて動き出す。
何か起こる前に防いでもらいたい市民の要望にまるで応えれていない。
財産を取られたり、怪我を負わされたりしてからでは遅いのだ。
よく悲惨な事件を起こした犯人に、反省しろとか一生罪を後悔して生きろとかいうチンケな要望をする者たちがいる。
それが人間の価値観なのかは知らないが、俺の私見ではそんなものは何の役にも立たない足の裏の垢みたいなものだ。
ことが起こる前にその火種を根こそぎ消し去る。
突発的に、こちらの予期せぬ状態で襲われ、危険を防ぎ切れなかったとしても、必ずそいつを追い詰めて、あの時自分を殺さなかったことを後悔させてやる。それが俺のやり方だった。
始末するかはさておき、俺はあのトレーナー姿の襲撃者二人を片付けるべく動き出した。
それは俺にとって珍しいことだが、俺自身の為ではなく、あのちょっと可愛げのある部下の為だった。
あの二人はただの悪漢ではなかった。プロとして鍛え上げられており、計画的にあの路地へと聡子を追い詰めた。
恐らく見張られていたのだろう。俺としたことが雑踏に紛れてそのことに全く気付いていなかった。
しかし何の目的で……。
あのようなプロまがいの連中が動いていたことからして、性的な目的とは考えにくい。
誰かの指示で聡子をかどわかそうとしたという線が濃厚だろう。
問題はそれが誰で、どんな意図があったかということだ。
それを明らかにしなければ、三島聡子の身にまた昨日のような危険が及ぶ可能性が有った。
俺は監視映像を長い時間をかけて追いかけ、奴らがその後路上に止めていたバンで逃走していたことを知った。
そして俺は映像に映っていた車の写真を撮って、礼を言ってから管理会社を後にした。
遅い午後、俺は苦々し気にハンバーガー店で注文したハンバーガーを齧っていた。
毎回思うことだが、いったい何の肉なんだと思いつつ、そこそこ美味い二枚パティの挟まったハンバーガーに齧りつく。
近くの席で、高校生らしき学生たちが陽気に騒ぎながらポテトを齧っている。
部活帰りだろうか、同じ柄のバッグを床に置いている。
こうゆうファーストフード店は、学生がダベるのには丁度いい。
食べ終わっても時間を気にせず、空調の効いた部屋で何時間も過ごせる。
コンビニの前で座り込んで喋っている学生を見かけるが、この寒空でそれをやるのは修行か何かだろう。
俺は壁に掛けられている時計に目をやって、そろそろだなとまた苦い顔をした。
入店してきたスーツ姿の若い男は、正面で笑顔を見せる女性店員を無視して俺の座る席へと真っ直ぐにやって来た。
少し冷たく見えるほど、あまり表情が無い男は切れ長の目を俺に向けて、さらに冷たい声をその口から吐き出した。
「おまえとは会いたくなかった。何の用だ」
「まあ座れよ」
男は無表情のまま俺の前の席に座ると腕を組んだ。
細面の端正な顔立ち、鼻筋がやたらととおっている、いわゆるイケメンだ。
一見若く見えるこの男は俺の同級生。
昔は一緒に悪さをした仲間だった。
如月紫吹。
歌劇団の役者名で出てきそうな名だったが、本名だった。
「それで何の用だ」
「ああ、ちょっと頼みたいことがあってさ」
そう言っただけで、如月はあからさまに嫌そうな顔を見せた。
話も聞かずそんな顔をと思うだろうが、この男には俺にこう言った態度をとるに足りる、正当な理由があった。
その因縁については今は省略するとして、如月は俺と同じ眷属の血筋だった。
俺が人間社会で何のプライドもなくのうのうと生きているのに比べて、この男は眷属としての誇りに、未だしがみ付いて生きていた。
どちらが正解かは価値観の違いでは有るものの、はぐれ者の野良オオカミと気品あふれる貴族面オオカミでは考え方も異なるものなのだ。
「まあそう嫌な顔するなって、ちょっとしたことだからさ」
「まえにもそう言われて手を貸したら、酷い目に合わされたんだったよな」
「あれはたまたまさ。昔の話だしいつまでも根に持つなよ。それに俺というより相手が悪かっただけだろ」
「まあいい、手短に済ませてくれ」
俺はさっき撮影した監視カメラの画像を如月に見せた。
如月はまるで関心なさげにその画像を眺める。
「これが何だ?」
「この車、誰の物か特定してくれ」
「おまえ、俺を便利屋か何かだと勘違いしてるな」
端正な顔に不快感を滲ませて、如月は俺を軽く睨んだ。
俺だってこいつの機嫌を窺いたくなんてない。しかしこいつに頼らなければ埒が明かなさそうなので、作り笑顔を精いっぱい作ってみた。
「気持ち悪い笑い方をするんだな。まるで人間みたいだ」
「ああ、出世術の基本でね。こうしてへらへらしてれば給料は上がって行くのさ」
「下衆な奴だ」
吐き捨てられた。余計に不機嫌にさせてしまった様だ。
如月紫吹は警視庁のエリート組の一人だった。
昔から眷属は各重要機関に同胞を送り込んでいた。
人間がはびこる世界で、眷属は上手く人間をコントロールして生きていく術を学んだ。そして行政の中枢を担う警察組織に影響を及ぼしている幹部の一人がこの如月であった。
昔は気を許し合った仲だったが、人間を管理する側ではなく、人間に管理され尻尾を振って生きている俺を、如月は心底蔑んでいるようだった。
「協力するかは、話を聞いてからだ。くだらない案件なら手を貸す気はない」
「それでいい。助かるよ」
俺は昨日の襲撃の一件を話した後、その前に起こったあの奇妙な屋敷のことを話した。
あの不気味な屋敷に行った翌日に三島聡子は襲撃にあった。
無関係と考える方が不自然だと言えた。
その話の途中で、如月の顔色がそれと分かるほど変化したのに気が付いた。
「何か知ってるみたいだな」
「ああ、その屋敷のことは知っている」
如月は怪訝な顔で、俺の顔を値踏みするようにじっと見据えている。
こういう顔をする時のこいつは、俺を何かに利用できないかと計算している。過去に何度もそうされていた俺は、そのまとわりつく視線にさらなる厄介事の匂いを感じていた。