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狼はそこにいる  作者: ひなたひより
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第16話 狼の鎖

 俺はぼんやりとした頭の中で男の声を聴いていた。

 狼人間は満月期になると細胞が賦活化し、脅威の再生能力を手にする。

 だが俺に気味の悪い薬を何本も打ち込んだ男は、俺の再生能力がどんなものなのかを愉しんでいるかのようだった。

 俺に打ち込まれた薬は恐らく麻薬の類なのだろう。

 俺はもっか、薬物による幻覚の中で苦しみもがいている最中だった。

 満月期の俺の体は体内に入った毒物をあっという間に無害化する。

 白衣を着たこの男は、そんな俺の体の再生機能をさらに上回る強い薬物を注入し続けていた。

 体の内側から何千本という針で刺しぬかれているような痛みが、今俺を襲っていた。

 死んだほうがまだましという苦痛があるとするなら、まさにこれこそがふさわしかった。

 おまけに猛烈な吐き気に全身に走る悪寒。全身の皮膚の内側を数えきれないほどの蛇が這いまわっているような感覚もあった。

 俺は大小便を垂れ流し、口からは胃にあった消化物ををすべて吐き出し、今は胃液を垂れ流していた。

 時折薬の量を減らして俺に自供しろと迫って来るが、俺は朦朧とした意識の中で何も知らないと答えるだけだった。

 本当に何も知らないだけなのだが、偏執的なこの男の責め苦はまだまだ続いた。



 手足を鎖で繋がれた裸の状態で、俺は壁に貼り付けられていた。

 聡子を人質に取られて、仕方なく繋がれてやった狼の鎖だった。

 からからに乾いた喉がひりひり痛む。

 一体どれだけ時間が経ったのだろう。

 薬がまだ残っているせいか、俺の頭の中は、ぼんやりとした靄がかかっている感じで思考が上手くまとまらなかった。

 だが急激に頭の中ははっきりとしてきた。月齢が進んだことで肉体の再生力が加速しているせいだ。

 薬を入れられているときに俺が何をペラペラしゃべったのかは知らないが、結局何も出なかったとあきらめたのかも知れない。

 俺は手足の鎖を何とかできないものかと頑張ってみた。

 規格外に太い鎖は俺の怪力をもってしてもびくともしなかった。

 聡子は無事だろうか。

 あの男はメンバーを集めて食事会を開くと言っていた。

 さらに頭がはっきりし、体内時計が正常に戻った俺は今が月齢十四日であることを知った。

 丸一日以上あれから経っている。俺が幻覚を見て体液を垂れ流している間に聡子の身に起こったことを想像して俺はぎりぎりと歯ぎしりをした。

 体内にある凶暴なエンジンが始動しはじめたのを俺は感じた。

 右腕の鎖に力を集中させて引きちぎろうとした。

 渾身の力を込めて腕を引っ張る。鎖が変形して腕の可動範囲が広がってきた。

 俺はあの時と同じように獣人化し始めていた。

 手首から血が噴き出るのも構わずに、俺はさらなる力を腕に込めた。

 ぎちぎちぎち。

 鎖の変形と共に俺の手首の筋繊維が断裂してゆく。

 苦痛の中で俺はこれを狙っていたのだった。

 筋繊維が切れ変形した手首に狼へと変貌しつつある俺の顎が届いた。

 俺は躊躇わず手首を噛み切った。

 ボトリと音がして血にまみれた手首が落ちた。

 俺は鎖から片腕を抜いて、もう片方の腕の鎖を、今度は手首の無い右腕を絡めて引き絞った。今度は右手が繋がれていないぶん、顎はスムーズに届いた。

 手首を噛み切ると、また鎖から腕を抜いてかがみこんだ。

 俺はさっき嚙みちぎった手首の断面に腕をくっつけてしばらく待った。

 まともな脱出方法では無かったが、これしか思いつかなかった。

 そして狼人間の賦活化した肉体は俺の期待に応えた。

 腱と神経の修復が終わったのか、指が徐々に動くようになってきたのだ。

 このまま足首を食いちぎって脱走する荒業もあったが、先に腕の方を万全にしてから両手で鎖を何とかする方を選んだ。

 流石に噛みちぎった腕が完全に再生するまで少し時間がかかった。

 完全にくっついた腕に渾身の力を込めて足の鎖は何とかなった。鎖を引きちぎったため足元をじゃらじゃら鳴らして部屋を出る。

 部屋を出てすぐに、微細な聡子の匂いを嗅ぎ取った俺は嗅覚の導く方向へとへ向かったのだった。



 施設内は異様な空気に包まれていた。

 ずっと俺をいたぶっていた男が、長い時間部屋を開けていたことを不審に思っていたのだが、どうやら何か問題が起こったようだ。

 聡子の匂いを追って、俺は丸裸で両足に鎖というおかしな格好で先を急いだ。

 途中出くわした銃を携帯した男が二人、異様な風体の俺に向かって躊躇うことなく発砲してきた。

 弾丸は俺にかすりもせず、壁に穴を開けただけだった。銃を持ってはいるが、訓練されたプロでは無さそうだった。

 俺は腕の一振りで二人を薙ぎ払い、さらに奥に進んだ。

 ざっと見た限り、施設内にはあまり人は残っていなさそうだった。

 俺は何らかのトラブルが起こったことを確信した。

 聡子の匂いを辿って行った部屋の扉を、俺は勢いよく開いた。

 しかし、恐らく少し前まで聡子がいたであろう部屋は、すでにもぬけの殻だった。慌てて一斉に逃げ出したかのような感じで、切り取られた人間の体の一部が放置されたままになっていた。

 俺は肉片の匂いを嗅いで、ひとまず安堵した。

 聡子ではない。

 推測するに、一旦聡子はここに運ばれたのだろうが、恐らく緊急に逃走しなければならない状況になり、慌てて聡子を連れて逃げ出したのだろう。

 そして、その逃走しなければならなかった理由はもう分かっていた。


「なんだ酷い格好だな」


 背後から近づいて来ていた男にはさっきから気が付いていた。


「如月……」


 俺は振り返って、かつての親友を獣の顔のまま睨みつけた。

 如月の背後には、こういった掃除を請け負う連中が十人程いた。

 いずれも眷属ではないが、眷属を崇拝する一派の精鋭たちだった。

 彼らはこういった仕事を専門にこなし、崇拝する眷属に仕え、その代わり甘い汁を吸わせてもらっていた。

 いわば彼らと眷属は切っても切れない共生関係であるといえた。

 混血種の如月は警察組織の上層部に属してはいたが、こういった連中を引き連れての汚れ仕事を普段からこなしていた。

 皮肉を込めて愛称を付けるとするなら、さしずめ眷属の番犬といったところだろう。

 本当なら今すぐここで如月を叩き殺してやりたいところだが、こんな奴に時間を割くよりも、一刻も早くさらわれた聡子を探なければならなかった。

 俺は憎々し気に如月に近づくと両手で胸ぐらを掴んだ。


「お前を殺してやりたいところだが後にする。あいつらは今どこにいるんだ?」

「お前の憤慨するのは仕方ないだろうが、まずその手を放せ。話はそれからだ」


 俺は渋々胸ぐらをつかんでいた手を放した。


「早く言え」

「まあ慌てるな。あいつらは俺たちに取り囲まれて逃げようにも逃げられなくなった。この施設の真下には廃坑になった迷路のような地下通路がある。そこへ逃げ込んだみたいだ」

「地下通路か。入り口はどこにあるんだ?」

「この部屋を出て右に真っ直ぐだ。さっき手下の一人が確認した」

「そうか分かった」


 地下に続く通路に向かって走り出した俺のあとを、如月が追いかけてきた。

 捨て駒の俺に汚れ仕事をさせるつもりだと、そう決めてけていたので意外だった。


「どうしてついてくる」

「奴を確実に仕留めたい。厄介な相手だ」

「ああ、知ってるよ」


 通路をぬけ、階段を下りた先には重い鉄製の扉があった。

 その扉を開けるとぽっかり開いた丸い穴があり、そこに錆び付いた梯子がかかっていた。どうやらこれで降りて行くようだ。

 真っ暗な深淵を覗き込むと、狼人間でも視界の利かない闇の奥から、濃密な湿度を含んだ独特の臭いの混ざった風が吹きあがって来ていた。

 俺はその冷たい風の中に聡子の匂いを感じ取った。

 間違いなくこの闇の向こうに聡子はいる。

 あとはこの深い闇の中に飛び込むだけだった。

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