いつかなんて嫌だ
[第3、いつかなんて嫌だ]
偶然いや奇跡の出会いからひと月が経った、いつでもなんでも連絡を取り飲みに行くことが多くなった、仕事の愚痴や恋愛の相談なんでも話せるようになっていた、この日も楽しい時間を過ごしていた。
「そりゃあんなことされたら誰だってドキドキしますよ!何なんだよ!」
「はははっさすが童貞くん」
「佐東さん喧嘩売ってるんですか」
「まぁまぁ佐東くんもダメですよ」
「あざとい女の子なんて今じゃ普通よー」
中村と一緒の会社員が合コンを開いたらしく、それに呼ばれ1人の女性と話しているとボディータッチが多く谷間が見えるかのような格好で色気が凄かったとの事だ、女性慣れしていない中村は上手く話すことも場に馴染むことが出来なかった
「わざとですよ!絶対、それに俺が童貞だってバカにしたんですよ」
「よしよし」
「それは辛かったな中村」
「秀哉さん笑わない」
「フッごめん」
「あー佐東さんがいじめました!いじめましたー!」
「いじめてないですー」
「こらこら」
「逆に微笑ましいわ」
初めて会った女性に隠している事を話題にされ笑われるのはとても辛い、そんなに笑う事なのか何が悪いんだと何を責めたらいいのか、だが彼らに言われても辛く嫌な思いがしない、一体この差は何なのだろう
「童貞って別に悪いことじゃないだろ?」
「…」
「そんな目すんなよ、誰彼構わずやってるよりちゃんと自分も相手も大切にしてるってことだろ、むしろカッコイイじゃん」
「秀哉くん素敵ー」
「…佐東さんは大切にしてないですもんね」
「おい表出ろや」
「2人とも座ってください」
4人の笑い声が絶えず、明日も頑張ろうと思える日になった。
元気になるため勇気をもらうため笑えるため胸の重りを外すためと理由をつけていた、ただ会うと何も無い理由はまだもう少し先の話になりそうだ。
*
朝を迎え夜が顔を出しまた朝を迎えるそれが何回か続いたある日のことだ
「中村、おはよ」
「河瀬早いな、今日なんかあったけ?」
「資料今日中にしろって言われてな急いできたんだよ」
「また急に言われたんだろ」
「まーな、明日の定時までって話だったんだけどなー」
「あのハゲはいつもそうだからな」
「流石いつもくらってるやつは言うことが違うな」
「嬉しくねぇよ」
理不尽な要望には答えなければ社会人とは言えない、就活中は何がなんでも受かりたいものでどんな質問にもマニュアル通り答えるだがそれは間違いだ、きちんと自分の意思を伝えなければ地獄を見ることになる
「河瀬!!今日中にしろって言っただろうが、早く持ってこい」
「今度は河瀬くん?」
「てかあの資料明日って言ってたの部長なのに」
「それほんと?」
「いつもの嫌がらせでしょ」
朝早くから出社していたお陰かちょうど昼には完璧に資料を終わらせていた
「はい、こちらです」
粗探しのよう隅々まで目を通す、あまりにも完璧な資料に舌打ちをした
「できるなら早くしろ、もういい下がれ」
「さすが、優秀くんだ」
「ありがと」
ケラケラと笑うとそれを憎たらしく思ったのか中村を怒鳴りつけ仕事を増やし自分はランチへ行った
(あのクソハゲ俺の何がそんなに気に食わないんだよ!俺だって腹減ってんだよ!くそが)
「はぁコーヒー飲も」
この苛立ちをどこにぶつけていいのか自販機のボタンをいつもより強く押した、ガタンと落ちてきたのは甘いカフェオレだった、中村が押したのはブラックコーヒー
「…いいよ、誰だってミスはするよな入れ間違いだってあるさ……でもよ」
プルプルとカフェオレを持ちながら震えていたらまたガタンと言う音と声がした
「あれ?これブラックコーヒー?どうして」
「え?」
「え?、あ中村さん、何か間違ってブラックコーヒーが出てきちゃって」
「あ、あの俺も間違ってカフェオレが」
「ふふふそうなんですか、私ブラック飲めなくて、あ、そうだ中村さんが嫌じゃなかったら交換しませんか?」
「え、いいんですか、良かったです甘いの飲めなくて」
互いに間違って出てきた飲み物を交換した、照れながら笑う2人の周りにはフワフワと花でも舞っていそうなほど優しい空気に包まれていた。
「元気だね、どうした」
「んー?こんな地獄にも花が咲くんだなって」
「急にポエマー」
「その芸人さん好きだよな」
「これすると女の子にウケるからな、でどうした」
昼に自販機で合った出来事を話した
「あーその子なら下の階の広報の子だと思う」
「……河瀬お前」
「なんだよ」
「この会社の女性目に着けてんのか、俺はお前が心配だよ」
「バカヤロウ違うって、その子は可愛いって結構有名なんだぞ、あの部長でさえデレデレなんだから」
「ひぇ」
社内一の美人で有名だという事を中村は知らなかったそれほど自分に余裕もなく仕事に追い込まれていたのだと思い知った、河瀬に彼女の名前を教えてくれと頼んだが、自分で聞き出せとニヤニヤしながら言われた、もちろん彼女を呼び出すことも彼女の部署に行くこともできない、一輪の花は手に入れたりせず眺めているだけが一番いいということなのかもしれない、上司の罵倒を浴び続ける事3日が経った
(はい、げーんかい、よし今日皆を誘って飲もう、よしそうしよう)
ファイルに隠れながらメールを送った、昭子と佐東からOKと返事が来た、よしっと立ち上がりコーヒー休憩を取りに行った、部長の目が鋭く光った、だが気付かないフリをした
「あんなに睨むことないよな」
ボソボソと呟く
「中村さん?」
「へえ?」
壁にもたれ掛かりぼーっとしていた所に美しい女性の声がして思わず顔を上げた、広報の美人さんだ
「あ、あぁどうも」
「休憩ですか?」
「え、あーはいすぐ戻りますけどね」
「私もです」
「…」「…」
共通のものも無ければ居たという存在を知らなかったのもあり会話が続くわけない
(なんとか会話を広げないとでも何話せば、どどうする!)
「中村さんお昼食べました?あの時間すぎてるんですがもしお腹空いていたら、あのこれどうぞ」
そう言いクッキーを渡してきた
「…え、あ、お昼まだです、あ、ありがとうございます」
「良かったです」
天使のような笑顔に心を持っていかれる寸前だった
「あ、あの名前…俺言いましたっけ?」
他の部署の人の名前を知っているのは、相当良い意味と悪い意味で有名か共通の友人が居るかのどちらかだ
「あ、それは営業の友人に聞きました、中村さん営業用の名札付けていたので…」
目を逸らし頬を少し赤く染めながら彼女はそう言った
「え」
何も言えず固まったまま動けなくなっていた、彼女はチラチラと中村を見て恥ずかしさが頂点へ行ったのか、ぺこりと頭を下げ駆け足でその場を後にした
「……何がどうなっているんだ…何が起こって」
「中村、ここに居たのか早く戻って来い部長激怒だぞ…中村?」
「河瀬、これは恋かもしれない」
「は?」
それは後で聞いてやると引き摺られながらオフィスへ戻った案の定怒られた、これでもかって程めちゃくちゃに言われたが、彼女の照れた顔が頭から離れなく何を言われても痛くも痒くもなかった。
「中村くんどうしたんですか?」
「お前から誘っといてボーッとして、大丈夫か?」
「会社そんなに大変なの?」
仕事がいつの間にか終わりいつもの居酒屋にいた
「天使っているんですね」
「「「……」」」
(どういう事だ?コイツ等々頭おかしくなったんじゃ)
(剛士くんもう限界なのね)
「中村くん変なものに手を出したり…」
ゴクリと唾を飲み込み真剣に聞く森、それを聞いた2人がハッとし慌てて問い質す
「違うわよね!?」
「中村それはやめておけ」
「何言ってるんですか?」
3人の真剣な熱とは反対にぽかんと小動物のような中村だった、何があったのか話をすると紛らわしいと総ツッコミにあった
「そんなに、怒らなくてもいいじゃなくてますか」
「お前の言い方が怪しかったんだよ」
「ごめん僕が早とちりしたから」
「ま、まあ恋の悩みでよかったわ」
一安心した所で改めて乾杯をし、中村になにかアドバイスはないか会議が始まった
「ねぇ、アドバイスするのはいいけれど肝心なことを忘れてるわよ」
「なんですか?」
「「?」」
「彼女の名前を知らない」
「「「ハッ!」」」
どう話すかどう接点を作るかそんなことよりまず相手の名前を知るところから始めよう
「なんで知らないんだよ」
「だって彼女の部署に知り合いいないから」
「中村くんと同じ部署のお友達は?」
いくつか案が出たところで、どうなったか結果を話して進展するよう協力するという事になり今日の飲み会は終わった。
朝、中村はまるで戦にでも行くように覚悟を決め会社へ向かった空は少し曇っていた
「中村、おはよ…なんかあったか?」
「河瀬、俺決めたよ、彼女と会話する」
「え?あーそう、頑張れ」
河瀬の顔が少し引きつった、だが女性に不慣れな友人が積極的になろうとしているのを見て少しホッとしたようだった。
デスクでは中々仕事が進まず時計をチラチラと気にしてばかりだった
「なーかーむーらー手が止まってるぞ!」
「…」
「中村ァ!!」
廊下まで聞こえるかのような大きな声で怒鳴った、その声に全員がビクリと怯えた、中村も勢いよく立ち上がった
「は、はい!!」
「1回で聞け!このクズ!」
すみません、すみませんと何度も頭を下げた、彼女のことで頭がいっぱいだった会えるかどうかも分からないのに、いつ自販機へ行こうかなんて話そうかどのタイミングで名前を聞こうかと考え他のことは全く耳に入らなかった、その後もグチグチと説教をくらった、部長は大きなため息をして話が終われば部屋をあとにした
「…中村お前さっきのはヤバいぞ」
「あぁやってしまった、彼女の事ばかり考えてた」
「気持ちは分かるけどよ、あんまり怒らせると何するか分からないぞ」
心配した顔で背中をポンポン叩きながら言う
中村の気分はどん底になるくらい元気が無くなった仕方ない自業自得だ、顔を洗うためトイレへ向かった。
(はぁー確かに俺が悪いけどあそこまで怒鳴らくても…いや、俺が悪いから…)
「中村さん」
廊下をすれ違うタイミングで中村に気づき声を掛けた、中村はその声をすぐ反応し思わずぱっと明るく返事をした、まるで子犬だ
「はい!」
彼女も笑顔で中村に近寄る
「休憩ですか?」
「あ、はい!」
中村は今しかないとグッと拳を握り覚悟を決めた
「あ、あの!」
「はい」
彼女のつぶらな瞳がとても綺麗で吸い込まれそうだ、浅く深呼吸をし話を続けた
「あの、……お、お名前を!教えてください!!」
まるでプロポーズのよう手を伸ばし頭を下げた、彼女は少し驚いた顔をして可愛らしくふふと笑った
「木村華と申します」
彼女は何故か手を伸ばしている中村の手を取りながら名前を伝えた、中村は手を繋がれたことも名前を教えて貰えたことも両方驚き口をパクパクしながら顔を上げた
「あぁ、き、き、木村さん!」
彼女はニコニコしながら「はい」と返事に答えた、あまりの感動に涙が出そうになった、それよりずっと手を繋いでいることに気付きパッと手を離した
「す、すすすすみません!!」
「大丈夫ですよ」
顔が真っ赤になり照れていると彼女の同僚と見られる女性が彼女を呼びに来て、「また」と頭を少し下げ手を振りながら行ってしまった
「手、繋いじゃった」
まるで初恋のよう繋いだ手がドクドク温かかった、その時間が永遠だったらいいのにと。オフィスへ戻ったその後もグチグチ嫌味を言われながら仕事を続けた、普段なら苦しいはずだが今日は少しだけ乗り越えられた。
「手を繋ぎました!」
これは報告しなければと急いで皆に連絡をしたら直ぐに駆け付けた
「やるじゃない!」
「でその後どうした」
「おめでとうございます」
中村はへへへと喜びが溢れでていた
「名前は?」
「聞いたんだろ?」
「それが」
「「「……」」」
その場が静まりゴクリと3人が息を飲む
「…」
「「…」」
「いや言えよ!」
「ははは、すみません」
「それで?」
「…木村華さん」
「へぇー可愛らしい名前ですね」
「そうなんですよ〜」
恋人の惚気話のようデレデレと話す、名前を聞いただけでそれ以外は何も話していないだがそんなの関係ない、中村は嬉しくて嬉しくて堪らない
「よし次は華さんの好きなものを聞かないとな」
「会話を続けることも大事よ」
「まずは自分のことを話すのも大切ですよ」
あらゆる恋愛をしているベテランのような人から聞く言葉は参考になると中村はメモをとりながら「なるほど」とウキウキし、また何か変化があれば集まろうと解散した。
「おはようございます!」
「中村さん元気ね」
「昨日あんなに怒られたのに」
「大丈夫かな」
既に出社している人からヒソヒソと話し声がありほとんどが心配の声だった
中村は昼休憩の時間になるとすぐ自販機へ行った、だが今日は彼女と会うことは無かった、少し気分が下がった
(休憩を摂る時間とか彼女次第だもんな落ち着け俺)
「はぁ」
「大丈夫か?皆心配してるぞ」
「あぁ今日は会わなかったよ」
「あー木村さんね」
「…名前知ってたのか」
「もちろん」
帰り時間も会うことは無かった
中村は明日なら会えるかなと彼女の事ばかりだった。
*
「今日中村来ないな」
「えぇ心配ね」
「今日は進展なかったからとかですかね」
「ま、本気でなんかあったら連絡来るだろう」
それもそうかと安心したようにその日の飲み会が始まり皆それぞれ明日の仕事もあり少し早めに解散することにした、その道中3人で仲良く歩いていると昭子が人とぶつかった
「あらごめんなさい」
「いえ俺の方こそスミマセン…あ、確かこの前もここで」
「え?」
昭子がぶつかったのは以前同じ場所でぶつかった作業員だった、昭子はすぐに思い出した
「あ!あの時の!度々すいませんお怪我はありませんか?」
「大丈夫です体が丈夫なことだけが取り柄ですので」
小麦色の彼はニカッと歯を見せながら笑った、それを見ていた佐東と森は2人のいい雰囲気を邪魔しては行けないと察したのか先に帰ることを伝えた
「昭子さん僕達はこれで」
「じゃーまた」
残された昭子はすぐに気付いた
「ちょっと!……もぅ」
「えっとすみません」
「え?いいのよ、もうみんな帰るところだったから、それよりお仕事はいいんですか?」
「はい、今終わったところなので」
彼の先輩が呼びに来るまで少しだけ会話を続けた、彼は「では」と少し頭を下げトラックへ乗り行ってしまった、昭子は見えなくなってもその場から離れなかった
(とてもいい笑顔…素敵だったわ、また会えるなんて思わなかった、やっぱいい人)
昭子はあの2人に感謝しないとなーとメールを送った
(ぶつかっただけなのにあの2人勘違いしてるんじゃないかしら)
笑みがこぼれながら足取り軽く帰宅した。
*
朝は食事をとる気にならなくコップに水を1杯だけのみ出勤するのだが今日からゼリー飲料を飲むことにした
「よし!今日は会えますように!」
新人社員のよう晴れやかな気分で会社へ掛けて行った
「おはようございます!」
「お、おはようございます」
「え?今の中村さん?」
「すごく元気だよな」
「…大丈夫か」
「え?何が?」
「いや何でもないんだ」
清々しい中村はテキパキと仕事をこなしていくもちろん部長は茶々を入れる、それでも「はい!」と返事をして作業を続けた、カチカチと時計の針の動きを目で追う、昼になり部長がランチへ行ったところを狙い自販機へスキップするよう向かった
(まだかなー、木村さん…華さん、きゃっ)
にやけ顔が止まらず、飲み物を買いに来た社員に変なやつを見る目で引かれていた、だが30分が経っても彼女は来る気配がなかった、もう少し待とうとしていた
「部長会議あるからいつもより早く戻ってくるぞ」
「えぇ!?」
にやけ顔からぱっと目を見開き顔を向けたら河瀬が頷きながら中村に知らせた
(結局今日も会えなかった……はぁ)
そのあとの仕事は朝と違い干物のようカラカラになり気付けば残業までしてしまっていた、2日連続会うことは無かった、会いたいと思えば思うほど胸が締め付けられた、中村はまだ自分が本気だということに気付いていない。
*
「ありがとうございましたー」
夜は肩の力を抜いてゆっくりできる人、嫌々人付き合いをしている人など沢山の人で賑わっていた
「今夜は少し冷えるわね」
お客さんを見送り店へ戻ろうとした時
「昭子ちゃん」
「あらーお久しぶりですー」
最近来店がなかったお客さんだった、暫く話をしているとお店の子が呼びに来て「またいらっしゃってくださいね」と手を振りながらお店へ戻った
「ごめんなさい、久しぶりにお客さんと出会って話し込んじゃった」
あははと笑いカウンターに入りワイングラスを拭きながらお客さんと楽しく話を続ける、
カランカランと扉のベルが鳴った
「いらっしゃいませー、ぁ」
4人組のお客さんそこにはあの作業員の彼もいた
「あ」
思わず目を逸らしてしまった
(あらやだ、なんでワタシ目を逸らしちゃったの)
「こちらへどうぞーすぐ女の漢呼びますねー」
テーブル席へ案内をし昭子に声がかかった
「あっきーさんお願いできますか」
「ワ、ワタシ今日はカウンターがいいから」
いつもなら躊躇なく座るのに何故が今日は同じ席に座りたくないと思ってしまった
(なんでー?もうやだーー)
それに気付きママが「私が行くわ」と言い他の女の漢1人を連れて行った、昭子は丁度見えない位置のカウンターでひっそりしていた、テーブル席の会話が気になるのは隠せずそわそわと見て分かるくらい落ち着きがなかった
「あっきーお花〜」
「は、はい!、こちらです、ぁ」
「あ、すいません…やっぱり昨日の」
「や、あーあのーそのー、あ、こちらです」
お花とはトイレという意味で案内をし出てきたらおしぼりをお渡しする事になっている、昭子は見られたくないという思いはないと声を大にしてまで言えない、少しだけ見られたくなかった、今の自分はもちろん好きだ自分らしく女性な自分が好きだ、だがそれを理解されないことも分かっているし無理に理解してもらおうとは思わない、だが少しだけでも本物の女として最後まで見られ続けたい、だから知られたくなかったのかもしれない、今後会うわけないから、だから少しだけでも綺麗な女の人で終わりたかったから
「お、おしぼりです」
「ありがとうございます」
彼を席まで案内し昭子はすぐにカウンターへ戻った、彼は昭子の姿を目で追っていた
「カウンターへ行きますか?」
ママが小声でそう彼に言った。カタンと椅子が引く音がし昭子は顔を上げた
「え?あ、どうしましたか」
驚いたままでも目を合わせられない
(なんでなんでなんでー)
キラリと目を輝かせながらぐっと親指を立てるママ
(ママーー!)
「あのこっちで飲んでも大丈夫ですか」
「え?えぇ大丈夫ですよ…」
特に会話もなく少し気まずい雰囲気が続いた、話しかける勇気も目を合わせる勇気もなかった、昭子は今までこんなことは無かった、その時彼から口を開いた
「今日は先輩に連れられて、なんか前にもここに来たみたいで」
「そ、そうなんですか」
よく見たら確かに1度来たことがある人だ、言われて気付く程視野が狭く余裕がなかったのだと知った
「あの、俺こういう場所初めてで」
「そ、そうなんですか」
同じ答えばかり、あまりの緊張で今までどうやって話していたか真っ白になった、昭子はこの店の古株でお客さんからも人気が高く評判も良い、だからここまで上手くいかないのは珍しい
(見た目はよく行ってそうなのに、だって、こんなイケメン女の子がほっとかないでしょ!?…あ奥さんがいるとか……)
昭子はありもしないことをグルグル考えていた
「すみませんつまらないですよね」
「え?」(ワタシ何してんのよ、折角来てくれたのに初めてでどうしたらいいか悩んでるのに、ワタシ最低仕事中よしっかりしなさい!)
「ごめんなさい!ワタシのせいよ」
そう言うとにこりと笑顔を見せた
「昭子って言いますあっきーって呼んでもいいですよ」
「ぁ…金田大智です」
お互いニコニコしながら2人で会話を楽しんだ、2人だけの空気を壊すかのよう帰る時間が来てしまった
「おい、帰るぞ」
「は、はい」
先輩が会計を済ましていた、外まで見送った
「ありがとうございました」
「また来てくださいねー」
「昭子さん今日はありがとうございました、緊張してたんですが昭子さんと話してるといつの間にか緊張ほぐれてました」
「いえ、ワタシこそありがとうございました、最初はすいません気を使わせてしまって」(すごくいい子じゃなーい、もう可愛いー)
「あの、また来てもいいですか」
「えぇもちろん、お待ちしています」
手を振りながら姿が見えなくなるまで手を振った
「良かった、調子悪いのかと思ったわ」
「ママ、ごめんなさい」
「いいの、何かあったら話しなさい」
「はい」
少し肌寒く感じたはずの夜、今は少し暖かく感じる夜になった。
*
身体に冷たい水が染み込んでいく、今日は朝から雨だ、ビニール傘に当たる雨音を音楽にして仕事へ向かう、雨の日はどこも客足が少なくなる
「冷えますね」
「俺雨の日ってテンション上がんないんすよねー」
「そうだね、筋肉の調子もイマイチですよ」
「筋肉の調子ですか…」
「あーこいつ筋肉第一だからテキトーに流しとけ」
「酷いですよー」
暇を持て余したトレーナー達の会話、お客さんはポツポツと少ないだが外はザーザーと多くなっていく
(今日はずっと雨って言ってた、雨はあまり好きじゃないんですよね…)
ジムの掃除や器具の手入れをする人が多く森はお客さんの名簿をボーと眺めていた
(そう言えばこの人最近見ないな)
数ヶ月前までは良く来られていたお客さんの名簿だ、初めは森が担当をしており段々指名してくれるほど気に入ってくれていた、だがポツリと姿を見せなくなっていた
(もう辞めちゃったのかな、他のジムがいいとか)
根気よく続けていても段々手を抜いたり足を運ばなくなったりしてずっと通っている人は自分磨きをする人や自分を高めてる人が殆どだ。
(素敵な人だったのに残念ですね)
「森さーーん!」
若手トレーナーの女性が少し濡れた姿で走ってきた
「どうしたんですか?杉野さん」
「子猫が!」
「え?」
ジムの入口近くに子猫が1匹震えながら小さく小さく丸まっていた、人が近付くと怯えているのか威嚇しているのか来ないでと言っているみたいに鳴く
「どうしましょう、このままだと弱っていきますよ」
森は少しだけ近付きそっと手を伸ばした
「痛っ」
子猫は小さく立ち上がり爪を立てた、それでも森はその手を伸ばしたまま
「森さん大丈夫ですか」
「大丈夫です、きっと怖いんですよ」
森は優しいでもどこか悲しい顔をした
「大丈夫ですよ、僕はキミを傷付けませんよ」
子猫に人の言葉が通じたのかそっと森の手の匂いを嗅ぎ、そっと手の中にすっぽり入った
「森さん!」
「うん、安心してくれたのかもしれません 」
ゆっくり抱えてジムの中に入った、ふわふわのタオルで体を丁寧に拭き、杉野に子猫用のミルクを買ってきてもらいゆっくり飲ませた
「これで安心ですね!」
「そうですね」
他のトレーナーはみんな子猫にメロメロになっていた
「この子どうするの?」
「うちで育てましょうよ」
「でもなー」
「事務所で育てるのは?」
「でも施設とかそういう所に連れて行った方が」
みんな口々に話し合った、森だけは黙って子猫の顔をずっと見ていた、子猫は少しずつ距離を縮め擦り寄るようになっていた、その時扉がカランカランと開いた
「すみません」
「はい、いらっしゃいませ」
仕事を忘れ子猫にデレデレの顔を直しお客さんを出迎えた、森も子猫を抱えながら後から挨拶をした
「あ、お久しぶりです」
「お久しぶりです、森さんその子は?」
「先程お店の前にいて、今この子をどうしようかと悩んでまして」
「そうなんですか」
「あ、すみません、いつものメニューで大丈夫ですか?」
森は子猫を杉野に渡しお客さんのトレーニングにかかった。
このお客さんはさっき名簿を見ていた人だ、朝日葉ボーイッシュで爽やかな女性だ
「すごく久しぶりですね」
「そうですね、ちょっと仕事で海外に行ってて、一段落着いたので戻ってきました」
「そうだったんですか、お疲れ様でした」
「向こうにいる間運動をサボっちゃって」
「そんな、筋肉もスタイルもあの頃とお変わりないですよ」
休憩をとりながらメニューをこなし終了すると朝日はシャワーを浴びに行った、森は事務所へ戻ると子猫がみーと鳴いた、まるで森を待っていたように、ふっと笑い優しく撫でた
「なんでですかー私めっちゃ引っかかれて逃げられたのにー」
「なんででしょう」
朝日がシャワーから出て着替えを済まし戻ってきた、森も戻ろうとするが子猫が足にくっつき離れようとしない、どうしたものかと、仕方ないが子猫を抱きながら朝日の元へ戻った
「遅くなってすみません、日本にいる間はまた来られますか?」
「はい…あ、子猫?」
朝日はデカい筋肉に抱えられる子猫を見てクスリと笑った、子猫更に小さく見えたのだ
「すみません、離れなくて連れてきてしまって」
「いえ大丈夫ですよ」
朝日は子猫を撫でながら話しかける
「猫お好きなんですか?」
「動物はみんな好きですよ、言ってませんでしたっけ?私獣医師なんです」
「お医者さんとは聞いていましたがまさか獣医師だったとは」
森以外懐こうとしなかった子猫が朝日の撫でる手に擦り寄り安心した顔をした
「やっぱり分かるのかもしれませんね、朝日さんは大丈夫安心できるって」
ほっとしたような優しい顔で子猫を見つめながら呟いた
「森さんこの子引き取ってもいいですか?」
「え?いいんですか?」
「はい!」
「ありがとうございます!朝日さんなら安心です!」
2人はニコニコ笑いと子猫はにーと鳴きまるで家族のような温かい空気に包まれていた。
*
昼を過ぎても空は暗いまま、タイピングと貧乏揺すりの音がフロアに響く、中村は外と時計をチラチラを見ていた、昼休憩の間いつもの自販機で待っていた、でも会えなかった、会う約束もしてないもちろん連絡も取ってない、その中で会おうとしているのは、難しい話だ
(はぁ今日も会えないのかな、3日連続…華さん何してるんだろう、いきなり下の名前で呼ぶのって馴れ馴れしくないか?でも華って素敵だなー名前はその人を映すとかって言うもんなー)
「むら…かむら…中村!!」
中村のデスクまで来て怒鳴りつける声
「はい!」
立ち上がり綺麗に頭を下げた、その姿勢のまま罵声を浴びせられたたまに唾が飛んでくる、中村は「すみません、すみません」と言うことしか出来ない、「わかったか」と最後に言うと自分のデスクに戻った
(絶対いつかぶっ殺してやる、華さんのこと考えてたのに)
苛立ちを隠しきれないまま仕事を続けた
「中村、大丈夫か」
河瀬は小声で心配してくれる
「俺はいつか爆発するかもしれない」
「…捕まらない程度にな」
「はは、なぁ」
「どうした?」
「はな…木村さんと今日会ったか?」
「え?あー朝エントランスで」
「何時?」
「7時とかかな、お前が来るの早すぎるんだよ」
「…そっか」
社内にいる事は分かった、帰りを少し早めに出れば会うことが出来るかもしれないと中村は今まで以上にペースを上げすぐに仕事を終わらせることにした、その仕事ぶりに皆が驚いた、もちろん先に退社したのは誰よりも早い部長だった
「中村これもやっとけ」
自分の仕事を押し付けた、中村は何があっても早くここを出ないといけない、初めて断った
「すみません、今日は…急いでおりますので」
「お前断るのか!」
座ったまま頭を下げすぐパソコンの方へ向いた、口答えするのを嫌う部長は渡そうとしたファイルで2、3回机を叩きデスクに投げた
「やれ!できるまで帰るな!」
ドスドスと音を立てながら帰って行った、感情のない人形のよう淡々とパソコンと向き合う
「…中村!」
「河瀬、どうした?」
「いや…」
初めて言葉が詰まる河瀬、心配をし声をかけようとしたが、別人のように冷たい目をしていた中村に声が出なかった、周りも心配するようヒソヒソ話をし自分たちの仕事を終わらせ帰って行った、河瀬は仕事が終わっても中村を待っていた
「河瀬さん帰らないんですか?」
「え?あーまだやる事あるからさ」
「そうですか?…すいませんお先に失礼します」
お疲れ様ですとポツポツとあちこちで聞こえた、殆どの人が帰り静まり返った
「中村…お前木村さんに会いたいんだよね?」
「あぁ」
「そっか」
河瀬は立ち上がり中村の頭を優しく撫でながら言った
「分かった、お前はとりあえずそれを終わらせろ」
「え?」
正義のヒーローのようかっこよく退場して行った、そんなことより自分の仕事を早く済ませないととさらにペースを上げなんとか終わらせることが出来た、無理やり押し付けられた仕事は明日の朝にでもと少しだけ手をつけ後に回した、初めて遅くまで残業をせず帰る準備をした
「よし」
だが時間を見ると20時になろうとしていた
(華さん…もう帰ったかな…今日も会えないのか)
少し悩んだがドボドボと歩きエレベーターに乗った、エントランスに着くと聞き覚えのある話し声がし、声のする方を見たら待合用の椅子に木村と河瀬がいた
「え」
「中村!」
中村に気付いた河瀬はすぐに駆け寄った
「なんで、帰ったんじゃ」
河瀬は鼻を高くして、木村を足止めしてくれていたのだ、それを聞いた中村は感謝の言葉と涙が溢れ出た
「おい泣くなって、じゃ後は大丈夫だな、それじゃまた明日」
木村にもまたと手を振り中村には応援するようにその場を去って行った、本当にヒーローのようだった、河瀬が作ってくれたチャンス必ず後悔するようなことはしないと木村に話しかけた
「はn…木村さん」
「はい」
話をしたいことは山ほどあるが、いざと言う時どう話をすればいいのか分からなかった
「中村さん今お仕事終わられたんですね、お疲れ様です」
「あ、ありがとうございます、木村さんもお疲れ様です」
にこっと微笑む彼女に癒され頬が緩む
「木村さん、あのなんだが、お久しぶりですね!」
「そうですか?」
(あ、思ってたの俺だけかな、どうしよ、なにか話題を!)
「…」
(あー華さん暇だよね、どうしょ俺本当にダメ野郎だよ……)
どんどんテンションが下がる中村に気付いたのか木村から話題を振った
「中村さんワンちゃんお好きなんですよね?」
「え、あ、は、はい、でもどうして」
「さっき河瀬さんから聞いて」
「そうだったんですか」(河瀬ー!ありがとうございます!)
「私ワンちゃん飼ってるんです」
「そうなんですか!?」
「はい、見ますか?」
「いいんですか」
木村は自分のスマホを取りだし写真見せた、スマホを覗き込もうとしたら互いの肩がくっつき距離が近い
(えええ!?え?この距離いいんですか!?)
木村は「可愛いですよねー」「見てください」など話をしながら次々に写真を見せるが中村は今この状況と距離感に頭がついて行かない
(すっっごくいい匂いがする、え?女性ってこんなにいい匂いするの?え?ここは天国か?)
心臓が口から飛び出そうになるとはまさにこの事だと実感した、写真を見ないといけないのに彼女の横顔ばかりに目がいく
(綺麗だな、あ、まつげ長い爪楊枝乗るんじゃないのかな…肌綺麗白い…綺麗しか出てこないよ…ずっとこのまま時間止まってほしい)
「中村さん見えます?」
顔を上げ中村を見る、2人の距離はまるで恋人、ハっと驚きでも暫く見つめ合う2人、その時間は1分も無かったが1時間ほどに感じる幸福な時間だった
「す、すみません」
木村は顔を真っ赤に染め背を向けた、中村も真っ赤になった
「あ、や、お、俺こそすみません!」(どうしよ気持ち悪かったかな、俺息臭かったかな、大丈夫だったかな)
木村は背を向けたまま話を続けた
「あ、あのすみません、嫌な思いをさせてしまって」
「嫌だなんて思いません!あのすごく綺麗だなって思いました!!」
その言葉に驚き振り返った
(…え?言ってしまったー!絶対キモイって思われたヤバいどうしよ)
「あ、や、その、あの、変な意味はなく、その」
アタフタする中村に木村はクスっと笑った
「中村さんって面白い方ですね」
彼女の顔は無邪気で可憐だった、中村も釣られて笑った
「ねぇ中村さん、あのもし良かったら連絡先を教えてください、私もっと仲良くなりたいです」
「も、もももちろんです!」
中村のQRを読み取り、「送りますね」と言い彼女から初めてのメールが来た[木村華です、これからもよろしくお願いします]との内容だった
「届きました?」
「は、はい!!ありがとうございます!」
礼儀良く90度の礼をした、木村はフフフと笑った、暫く話を続け雨が止んだのを見て帰ることにした
「木村さん駅まで送ります」
「ありがとうございます」
2人は仲良く横に並んだ、2人のために雨が止んだかのようだった、駅に着くと人が溢れていた
「結構混んでますね」
「さっきまで雨降ってたからですね」
改札口を通ろうとするも人混みに押され中々前へ進めなかった
「大丈夫ですか?」
「すいません」
「人が少なくなるまで待ちましょうか?」
「そうですね」
「近くのカフェとか」
と言い駅から出ようとした瞬間、木村の背中に男性がドンとぶつかり転けそうになった
「華さん!」
体が動いた、倒れそうになる彼女を支えるように腕を掴んだ、だが勢いもありそのまま中村の胸へ飛び込む形になった
「っ!すみません」
彼女はすぐ腕を伸ばし離れた
(や、柔らかい…だと!?)
木村は顔を見られないよう下を向いたまま動かない
「あ、きき木村さん、だだだ大丈夫ですか」
明らか挙動不審だ、下心がある訳では無いが女性の二の腕は胸の柔らかさと一緒という知識たけはあったため、手の感触が離れず温かさだけが残る
「すみません、支えてくださりありがとうございます、あの、もう帰ります」
彼女はそう言うと人混みに掻き分け改札を通って行った、手の行き場をなくしたまま固まる中村は自分の行動を思い返し、色んなことを頭を巡らせた
(勝手に触れてこれってセクハラになるんじゃないか、気持ち悪いって思われたら、…柔らかった)
*
雨が止んだあとの空はどこか気持ち悪く風も冷たく油断をするとどこかへ連れて行かれそうになる、店内に流れる音楽はゆっくり子守唄のよう優しく流れていたその音楽に合わせて店主はリズムをとる、それを見て常連は笑ったり楽しく話をしていた、だがあるテーブルの人たちは黙り静かに飲んでいた
「…」
お酒のペースが1人だけ早くなる
「…」
何かしてしまい黙り込むのとは違い、何か楽しい事があり思い返し夢の中にいるような表情の緩みだった
「なんで何も話さないんだよ」
我慢ができず思い切りツッコんだ
「折角明日は休みだからみんなで飲もうって言って、集まったのに、黙ってなんか浮かれた感じで!どうしたって聞いても誰も話さねぇしよ!何この空気、マジなに!?」
「はぁー、俺今幸せなんです」
「子猫」
「はぁ?、あっきーさんは仕事だし俺1人でこの2人相手にすんのは無理だ」
中村は先程までの幸せと咄嗟に触れてしまった罪悪感とでいっぱいになっていた、森は久しぶりに再開した彼女の優しさと子猫の可愛さで胸がいっぱいだった
「でもあの状況では支えちゃいますよね!」
「は?いや知らねぇよ!」
「どうしよう、気持ち悪いって思われたら俺死にそうです」
「子猫」
「なんで猫?何があったんだよ!」
「すごく綺麗で可愛らしくて、女の人ってあんないい匂いするんですね、でも…セクハラってどこからがセクハラですか」
「待て、マジで何があった何をした!話せ!!」
「子猫」
「ちょっと森さんは黙ってて」
森も中村も話を聞いてもらうという気は無く一人言がうるさかった、佐東は2人に何があったのか全く理解が出来ず聞いてもまともに話す人はいなかった、それでも2人はポロポロ幸せと悩みを零し続ける
「えーいもういい勝手に話してろ!」
佐東は諦めて2人の一人言と思われる話を黙って聞くことにした、でも半分は聞き流していた。
2人の一人言をずっと聞いている佐東はギャグ漫画の魂を抜かれている描写のようぐったりしていた反対に花が舞っているようにキラキラしている2人
「……もう解散するか」
我慢ができず言った、2人は「はい」と笑顔で会計を済まし、3人で店を出た帰り道も2人の話は止まらなかった、佐東はどっと疲れたようため息ばかりだった
「元気ならもうそれでいいよ」
各自電車に乗り無事に帰宅した。
*
昨日の雨天から一変、全てを照らす太陽がキラキラ輝いていた、休日にはもってこいの晴天日和、だが彼らは休日はあまり関係がなかった
「暑っ」
会社に着く頃には汗が溢れていた、秋だというのにまだ夏が残る気温が続く、クールビズがそろそろ終わる。
休日にわざわざ出勤するなんて馬鹿げてる、余程仕事が好きか会社が好きか、ろくな上司なのか仕事分担が下手かのどれかだ
(華さんは優秀だから俺と違って休日出勤なんてないんだろうだろうな…)
「おはようございます」
「あ、おはようございます、え?!はn、木村さん!?」
「え、あ、はい、おはようございます中村さん」
(うっそ!なんで華さんまで出勤を!?)
木村はいつものように綺麗なナチュラルメイクに整ったスーツに綺麗にまとめた髪
(あぁ綺麗だ)
思わず見とれていると彼女は少し顔をそらした
「あ、あのもう行かないと…」
「え?あ、そ、そうですよね、すみません」
木村は頭を下げエレベーターへ駆け込んで行った、中村は昨日のことを考えながらエレベーターへ乗り3階へ、自分のデスクへ座った、出勤している人はチラホラいたが部長はもちろんいない、今日は河瀬もいない、中村はのんびり仕事に取り掛かり、木村が顔をそらし走って行ったことが頭から離れずもしかして、体臭が臭いのかと不安になった
(朝消臭剤するの忘れたからそれか!え?俺臭い?臭いのか!?)
自分の臭いを嗅ぎがっかりした、今からでも間に合うかなと、もしまた木村と会うことになったら臭いと思われたら一生の終わりだと、立ち上がりコンビニまで走り消臭剤を購入した。
息を切らし会社に戻った
「中村くんどうしたんですか?」
「いや、ちょっと緊急で買い物を」
同じ休日出勤している社員に心配された、「そそうですか」と言われデスクへ戻って行った、中村はトイレへ行きすぐスプレーをかけた
「よし、これでいつ会っても大丈夫だ!」
その後仕事に戻り特に何も無いまま夕方になり、各自仕事が終わり帰って行った、中村は部長に渡された仕事をし自分の仕事もし、もちろん休憩で自販機に行ったが会うことは無かった
(もう手遅れなのか、その日その日の第一印象が大事って聞いたことがあるからもう、きっとダメだ終わった…さようなら俺の恋心…)
「はぁー」
外が段々暗くなる、中村のため息も多くなる、昨日の居酒屋から帰った後すぐ消臭剤をかければ良かったと、タバコの臭いを嫌う人もいるのに自分の気遣い力の無さを悔やんでいた、が中村は気付いていない本当は臭いでは無いことを、木村は昨日の帰り抱き支えてくれた事を思い出し照れていたのだ。
(もう19時…20時になりそうだ、そろそろ帰るか)
怒鳴る部長がいないオフィスは平和で仕事に集中でき時間があっという間に経ってしまっていた、動く度消臭剤がフワリと香る、休憩中でもスプレーを振ったせいか
(やりすぎた、逆に臭い…はぁ)
エレベーターの扉が開きドボドボと歩いていた時「中村さん」と呼び止められ振り向くと木村が少し思い詰めたような顔で声をかけた、中村はそこまで自分は酷い臭いがしていたのかとどん底までに凹みながら返事をした
「は、はい、どうしたんですか」
「あの、朝の事なんですが私冷たい態度をとってしまって謝ろうと…」
「いやあれは自分のせいというか」
「そんな事ないです、元はと言えば私のせいなので」
「いやいや、木村さんは何も悪くないですよ!俺の気遣い力の無さが…」
中村は自分で言っていくうちに段々悲しみが襲ってくる、木村が近付こうとするとその分距離をとった、あまりにも不自然過ぎてお互い沈黙が続いた
「…あの、昨日はすみませんでした」
そう言うと彼女は外へ走っていった
「いえ、昨日……え?あ!き、昨日!?」
やっと気付いた中村
(昨日支えたとき腕を掴んだからとか近かったとかそう言う!?それで恥ずかしくて照れて…嘘だろ…可愛すぎでしょ!!)
「ま、待ってください!!」
恋愛ドラマのワンシーンのよう走る彼女を追いかけた、だがドラマのよう直ぐに追いついて腕を掴むことは難しかった、木村は学生時代陸上部で今でも休みの日はランニングをしており足がものすごく早かった
「ま、待って、ください…は、はなさん…」
ぜぇぜぇと息を吐き前屈みなりながら名前を呼び続けた、木村はちらりと後ろを振り返り中村の様子を見て驚き近づいた
「中村さん!大丈夫ですか」
「き、木村さん、足、早いんですね…」
近くのベンチまでゆっくり歩き中村を座らせ、自分の水筒を差し出した
「飲んでください」
「す、すみません」
ゆっくり背中を摩り息が整うのを待った、中村はみっともない姿を見せてしまったと前を向くことが出来なかった、その間ずっと木村はそばに寄り添ってくれた
(優しいけどこんな姿恥ずかしい!)
「中村さんそのままでいいので話を聞いて貰えますか?」
そう言うと木村は自分の事を話し始めた
「昨日転けそうになったのを助けて貰って嬉しかったですありがとうございます、でも、私あぁ言うの慣れてないというか男性との距離感が苦手で以前お付き合いしていた方と色々あって、その、近い距離が得意ではなくて、中村さんは優しい方って分かるんですが、ビックリしてあの時は急いで帰ってしまってすみません、今朝もどんな顔をすればいいのか分からなくて…その、すみません」
また沈黙になった、中村は下を向いたまま黙って話を聞いていた、自分の知らない彼女は今までどんな人と付き合ったのだろうと彼女は丁寧な口調で話したが、本当は何があったのだろうと彼女のことをもっと知りたくなった
「えっと、あの、に、臭いが嫌で避けたんじゃないんですね…」
話を変える訳では無いが咄嗟に出た言葉がこれだった
「え?匂い?」
ゆっくり顔を上げ少し目を逸らしながら続けた
「はい、タバコ臭かったのかなと…」
「え?」
「それだと思って…走ったと思って」
彼女は少し笑った、その笑顔を見て少し安心した
「あの木村さん、嫌な思いをさせてしまってすみません、俺知らなくて、俺は木村さんが嫌がることは絶対にしません、なので、そのお友達から、ど、どうですか」(どうですかってなんだよ!?)
彼女は輝く星を見ながら涙が零れないよう上を向いながら答えた
「はい」
中村も同じよう星を見た
「綺麗ですね」
「ふふ、そうですね」
2人は綺麗な夜空に包まれ優しい風が2人の友情を歓迎し星がこれからの2人を出迎えるようだった。
*
綺麗な星空が包む中それを壊すかのような大声が響いた
「お前誕生日なのか?」
サビの終わりのようにギターを振り下ろしジャンと音を奏でた
「はい、そうですよー21になりましたー」
今日は古株バイトの女の子の誕生日だった、佐東は従業員の祝い事はきちんと祝うという自己ルールがある
「そうだった、すまん忘れてた」
「いえいえ、大丈夫ですよ、他の人達からたっくさんお祝いしてもらいましたから」
「だったら尚更俺も祝わないといけないだろ!ちょっと待ってろ」
そう言うと財布だけを持ち外へ出たがシャトルランのように勢いよく戻ってきた
「なんか食べ物のアレルギーあるか?」
「え?えーと苺がだめです」
「分かった、後は大丈夫か?」
「は、はい」
今度こそ戻ることはなくケーキ屋さんへ全力で走った、外は蒸し暑くて夏のように感じる
「暑っ」
お店の近くのケーキ屋へ着き一呼吸整え店の中へ入って行った
「いらっしゃいませ」
「咲妃ちゃん?、ここで働いてたんだ」
「はい、そうですよ」
結婚式の二次会以来久しぶりの再会だ、青木咲妃とは大学の先輩後輩関係だ、青木はずっと夢だったパティシエになるため大学を中退に専門学校へ進んだその背中を押したのは佐東だったのだ
「今日はどうしましたか?」
再会に感動している場合ではない、今は誕生日ケーキを購入しに来たのをすぐ思い出した
「あぁ!バイトの子の誕生日でさ、ケーキ買いに来たんだ」
「そうだったんですね、おめでとうございます、どんなケーキにしますか?ってもうそろそろ閉まるのでもう残っているのしかありませんが」
ショーケースには残ったケーキが何個かある程度だった
「苺が乗ってないの全部頂戴、ソースにも苺使ってないやつを」
「はい」
笑顔でそう言うとショーケースから最後の残ったケーキを箱に詰める、まだ寂しそうに残るケーキを見た
「この残ったのどうするの?」
「うーん廃棄ですね、でもたまーに持って帰ってます」
「そう、じゃ箱違うのにして残ってるのも頂戴」
「分かりました」とバースデー用の箱とは違う色の箱に残りのケーキ全て詰めた、2箱にいっぱいのケーキと小さい箱1つになった、メッセージカードを付け会計を済ませて帰ろうとした時厨房から声が聞こえた
「咲妃さん、これどこに片付けるんですか…あ、すみません、…いらっしゃいませ…」
彼女は人見知りなのか佐東に驚き小声なった
「楓ちゃん、そっちは私がやるから掃除お願い出来る?」
「は、はい」
彼女は小さく返事をしてオドオドと締め作業に入った
「へぇー楓ちゃんって言うんだー」
「ダメですよ先輩、あの子に手を出さないでくださいね」
「えー可愛いのに」
「ダメでーす」
「はいはい、分かったよ、じゃまたね、楓ちゃんも」
「先輩ー!」
青木は外まで送り「ありがとうございました」と頭を下げまた店の中へ入って行った、佐東はケーキが入った箱を大事に持ち少しだけ早足で帰った、自分の店に着いて皆を集めた
「桂木、誕生日おめでとう、これからも頑張れよ」
そう言い、色んな種類が入ったケーキを渡した、チーズケーキ・モンブラン・チョコレートケーキ・ロールケーキ・プリン・シュークリームが1個ずつ入っていた
「凄っ」
思わず本音が漏れる、桂木は大きな声で「ありがとうございます」と言い直ぐに1個ケーキを食べた
「お前らの分もあるぞー」
とショーケースに残っていた苺を使ったケーキなど他のバイトに渡し皆で誕生日会が始まった、休憩室は大いに賑わっている中佐東は1人、店の締め作業をしていた、それに気付いた男性バイトが手伝おうとする
「いいよ、お前らは楽しんでパーティしてろ、けどあんまり汚すなよ」
「いやいや、買ってくださったのオーナーなので、パーティ参加してください片付けとか俺がやるので」
彼はいつも気が利くいい人だ、もちろんそれは佐東も知っている、彼の頭をポンポンと撫でながら笑った
「若いもんは若いもん同士で楽しめよ」
そう言い彼が持ったホウキを手に取った、彼は申し訳なさそうに休憩室に戻りまた楽しそうな声が店内まで響く。
店の片付けも終わり鍵を閉め、休憩室に戻った
「おーいもう暗いし危ないからそろそろ帰れー、残ったケーキは持って帰っていいから、タイムカード切ったやつからちゃんと帰るんだぞー」
「はーい」と帰る用意をしそれぞれ帰宅した
「佐東さん、ケーキありがとうございました、すごく美味しかったです、あのこれ佐東に、ではお疲れ様です」
そっと渡し元気よく店を出た、渡されたのはプリンだった、あまり甘いのは得意ではないと知っていたのかちゃんと取っておいてくれたことに佐東は嬉しくほころんだ
「…美味っ」
甘さもちょど良くキャラメルもいい苦さがありこの味のプリンが好きになった。
プリンを美味しく食べ佐東も戸締りをしっかりして家へ帰った。
*
甘苦い夜はどこでも見られる、穏やかなメロディーが店内に流れ賑やかな声が響く、お酒を飲む理由は人それぞれ、話を聞いて欲しい人賑わいたい人ただ飲みたい人、どんな人でも優しく迎い居れ共に楽しい時間を過ごす、彼もそれを心掛けている
「世間は休みだってのによなんでわざわざ仕事しないといけねぇんだよ」
「そうね、本当にお疲れ様、でもね玉木さんが一生懸命お仕事頑張ってくれたからこうして会えたんだって思うと、ワタシ嬉しいのよ」
「そうかい?」
「えぇ」
昭子はニコリと笑うとそれに釣られたお客さんもニコリと笑い「今日は飲むぞー」と気分よく声を上げ更に釣られた他の席でも飲むぞーと聞こえる
時間も経ち0時を回ろうとするとチラホラ帰る人が増える
「昭ちゃん俺もそろそろ帰るよ、嫁がこれだからさ」
鬼のポーズをとり溜息をつきながら財布を取りだした、昭子は笑いながら準備をし、会計を済ませると外まで見送った
「お気をつけて」
子供がいる家庭は家族サービスで休みの日は子供と遊びに行くなど家事を手伝わないとと言って早く帰る人がいる今日は特に多かった、数分まで賑わっていた店内が少し静かになった、昭子は外に出て様子を見に行った
「あっきーどう?」
「人は多いわ、結構飲んでる人もいるけどほとんど帰る途中って感じね」
「そう、ハルちゃん静ちゃん今日はもう上がっていいわよー」
「「はーい」」
お客さんも少なく今から増えることは無いだろうと若手を先に帰し残りは3人になった、残っていた客も1人1人と帰って行った、たまにはこういう日もある
「まだ1時なのねー」
ママが時計を見ながら呟いた
「今日は暇ですねー」
「清ちゃん、使わないところとかテーブル席掃除しちゃいましょ」
「そうね」
ママは売上の計算をし昭子ともう1人のオカマは掃除に入った、その間もポツポツと客は来るものの長居する程ではなく少し話したりお酒を楽しんだりするだけで帰って行く
「微妙な時間で来ますね」
「来ないよりマシよー」
アハハと笑いながら客が来るのを待っていた、3時になり「そろそろ閉めましょうか」と帰る準備をししっかり戸締りをして3人で帰った、昭子はコンビニに寄って帰ることにした
「じゃぁねあっきー」
「昭子さんまた明日ー」
「えぇお疲れ様ー」。
晩ご飯なのか朝ご飯なのかいくつか選んでいると、呼び止められた
「昭子さん?」
「え?…あ金田さん?」
「お仕事終わったんですか?」
金田は少し出来上がった様子でフラフラしていた
「えぇ、それより大丈夫ですか?」
「はい!大丈夫ですよ!」
フラフラの酔っぱらいの大丈夫は大丈夫ではない、昭子は会計を済まし金田を支えながらタクシー乗り場まで連れて行った
「お仕事の先輩方と飲んでたんですか?」
「はい、んでその後高校の時の友達と会ってさっきまで飲んでたんです」
金田はニコニコしながら楽しそうに話した、昭子は優しそうに返事をしながら水を渡す
「昭子さん今帰りなら一緒に飲みませんか?」
「え?でも金田さんもう…」
「まだまだ飲めますよ!俺ん家とかどうですか?」
「え!?で、でも」
昭子は顔を赤くして断ろうかとしたが少し気になる人からのお誘いを断るのも勿体無いと渋ついていたらタクシーが到着し返事する前に一緒に乗ってしまった、車内では金田と楽しく話しているとあっという間に家の近くに着いた
「どうぞ!入ってくださいー」
「えっと、は、はい」
意外と綺麗にされている部屋だった、ベッドの上には脱いだまま放置されたスエット、テーブルには缶ビールがいくつか転がっていた、金田はテーブルを適当に片付け冷蔵庫からビールを取り出した
「はい、昭子さん」
「あ、ありがとうございます」
無邪気に笑って話す金田にどんどん心を奪われていく、昭子は金田との出会いを思い返した
(初めて会ったのはかっこいい人で2回目は爽やかで笑顔が可愛かったわね)
フフと思い出し笑いをしていると金田が昭子の顔を覗き込んだ
「俺の話聞いてますかー?」
(か、かわいい)「も、もちろん聞いてるわよ」
思わず缶を握りつぶしそうなほど力んでしまい少しビールを零してしまった
「あぁごめんなさい」
「大丈夫ですか?昭子さん可愛いですね」
(ええぇ!?何その笑顔髭生えてる人でその笑顔はもうギャップで世界平和になるんじゃないの!?)
金田はフラフラと立ち上がり布巾を取りに行き同じようフラフラと戻ってきた
「昭子さんこれ使ってください」
と布巾を持っている手を伸ばすとバランスが取れなくなったのか倒れてしまった
「金田さん!?あ、あのその急に、ここ、こんなこと」
倒れた先へ昭子の無い胸の中
「ははは転けたー」
倒れて自分に笑い昭子の胸の中から離れようとしない
「か、金田さん、だ、大丈夫?」
心臓の音が外まで聞こえるんじゃないかと言うほどうるさかった、だがそんなの気にせず昭子の胸の中で楽しむ金田
「昭子さんいい匂いしますねー香水使ってるんですかー?」
「えーと今日は使ってないわ」
「えーそんなんですねー」
と言うとクンクンと匂いを嗅いでいるのか頬を擦り寄せる
(待って!ワタシたちまだそんな関係じゃないのよ!え?いいの?いいの!?)
昭子の頭は爆発寸前で缶ビールを一気飲みするしか手の行き場が無い、だが段々昭子もほろ酔いになっていった。
カーテンから差し込む日差しが強くトラックの音が聞こえ目を開けた、昭子は気が付いたら寝落ちしていたのだ
(あらいつの間に寝ちゃったの、……え)
どうやってそこへ行ったのか、きちんとベッドでそして彼の腕枕でぐっすり寝ていてのだ
(まって、え、どういう状況、嘘、ワタシ)
昭子は慌ててでも金田を起こさないよう静かにベッドから降り昨日の自分を思い返しなぜ彼の腕の中で寝て何をしたのか頭を巡らせるが全く思い出せない、昭子は乱れた髪を手でとぎ服を直し金田を見つめる、彼の寝顔は綺麗で髭を剃ればもっと綺麗なんだろうと言うほど整った寝顔だった、昭子は心がキュンと温かくて締まった感じがした、もう少しこのまま彼の寝顔を見ていたいと思った、金田が寝返りをすると、昭子は今起きられたらとまずいと思い手紙だけを残し金田の家を出て行った
(こんなになるなんてココ最近なかったのに、なんでー?)
昭子は夢のような時間を過ごしたかもしれない、彼と一体何をしたのか、もしかしたらもう会えないかもしれない、もう一度彼に会いたい昭子は目が回るほど色んな感情が体全身駆け巡った、この感情と同じくらい息を切らしても足を止めることなく走り続けた、ぶつかり転んでもまた直ぐ立ち上がりどこに向かうのか分からず走った
(なになになに??…ワタシどうしちゃったの、こんなの初めて)
喉が張り付くほど息が苦しく胸の鼓動がうるさかった
「ぎゃぁ!」
バタンと大きな音がした、ヒールが折れて顔面から倒れた、周りの人達はヒソヒソと声が聞こえた、昭子は座り込んだ、痛かったのかポロポロ涙が止まらなかった
「あっきー?」
ゆっくり声のする方を向く、心配そうに話しかけたのはママだった、昭子は安心したのか滝のよう涙を流し子供のよう声を上げた、ママはすぐ何かあったと察し抱きしめた、優しく背中を撫でながら怪我をしてところにハンカチを当てた、「歩ける?」と肩を抱きタクシーを呼び昭子の家まで向かった、車内では何も話すことはなくただ背中を摩るだけ
「着きましたよ」
「ありがとうございます」
ママは昭子の鞄を持ち鍵を取りだし玄関を開けた
「さ、入りましょ…あっきー?」
「ママ今日休んでもいいかしら」
「えぇもちろんよ、ゆっくり休みなさい」
リビングのイスに腰を下ろし、渡された水をゆっくり飲んだ、そして昭子はゆっくり口を開き昨日の夜からさっきまでの事をポツポツと話し始めた、ママは怪我の手当をしながら黙って話を聞いた、昭子は話を言い終わると綺麗に涙を流した
「ワタシ今まで色んな人を好きになって傷ついてもう傷つく恋なんてしたくないって言っては恋をしてって…繰り返したでしょ、でもね、こんな気持ち初めてなの」
「…」
ママは黙って昭子を抱き締めた
「手当も終わったわ、さ、ゆっくりおやすみなさい」
ママを玄関まで見送り鍵を閉め寝室へ向かった、天井とにらめっこをするも金田の顔ばかり浮かんでくる
「…ワタシ」
抱き枕をぎゅっと抱きしめそのまま瞳を閉じた、これが運命というものなのかもしれない。
*
「佐東さん昨日はケーキありがとうございました、あの後家帰ったらお母さんもケーキ用意しててずっと食べましたよーでも佐東さんがくれたケーキの方が美味しかったってお母さんも言ってましたー」
「おーそうか、俺もプリン食べたけどさ美味しかったわ」
昨日のプリンを思い出すと自然と彼女のことを思い出した、たった1回目が合った、クリクリして大きくて可愛らしかった、佐東は瞬間だったのに楓を鮮明に覚えていた、佐東はいつでもどんな瞬間でも女性を1回見たら特徴など覚える記憶力がずば抜けて凄かった、なので特に気にすることではなかった
(まぁ楓ちゃんは可愛かったけど、無いかな)
昼間になってお客さんはチラホラ来る程度、バイトは代わり代わりに休憩に入った佐東は賑やかな外と違い静かに曲を奏でていた時
「ここですよ!ここ!!」
カップルなのかニコニコしながら女性が先に来店してきた
「いらっしゃいませ」
「あ、佐東くん?」
「え?森さん!?」
まさか佐東のお店で会うとは誰も思っていなかった、杉野は小さい頃からピアノをしており今日は楽譜を買いに来た森はその付き添いだった、彼女はテンション高く店内を回った、森はボーと彼女の後を追っていた
「ども」
「まさか佐東くんのお店だったって知りませんでした」
「あー場所言ってないっすからねー……彼女さんですか?」
「え?ハハハ違うよ、彼女は同じトレーナーだよ」
「なーんだ」
少しつまらなそうに返事をする森は子供のように笑った、2人の仲は周りから見てもとても良くどんな関係なのか話題になった、楽しく話していると森の携帯がピコンと鳴った、直ぐに開けると相手は朝日からだった、子猫の元気よくご飯を食べている写真が送られた、森はその写真に微笑むよう見つめる
「恋人さん?」
「違いますよ、常連さんなんですがこの前子猫を拾って彼女が飼うことになったんです」
「気をつけろよ、動物で釣る女性は裏がある大人しく無垢なフリしてて一瞬で食い散らかす肉食獣へと豹変するんだ」
「……佐東くん苦労してるんですね」
またピコンと鳴った森は相変わらず無邪気な顔をした
「佐東くん女性が喜ぶ食べ物とかそう言うお店知りませんか?」
「ほぉー」
「そんないやらしい顔しないでください」
「ふふふ」
佐東のニヤニヤは止まらず下げていたギターでラブソングを弾いた
「こら佐東くん」
「すいませんって、そうっすねー」
佐東は女性が喜ぶ様なものは直ぐにいくつか浮かんだが、森のキャラもあるだろうと「ケーキはどうですか?」と提案した、森は少し考え「いいですね」と早速教えてた、「いいお店ですよ、咲妃ちゃんが働いてて」
佐東は店の名前と場所を伝えた、買い物を終えた杉野と一緒に店を出た
「ありがとう佐東くん」
「いいですよ、なんかあったら話してくださいね、また飲みましょ」
「分かりました、また連絡しますね」
外まで送り佐東は楽しそうに店内へ戻りいつもの演奏場所で明るい曲を弾いた、休憩から戻ったバイトも含め皆で佐東を囲んだ
「さっきの人誰ですか」
「めっちゃムキムキですよね」
「どういう関係なんですか?」
「佐東さんもあーなりたいんですか」
「おいおい、お前ら一体何?一片に言うなって、あの人は共通の友達がいてそれで仲良くなっただけだよ」
そう言うと口々に「ふーん」などやや不満な感じで答えた
「もっと面白いの期待してたのにー」
「面白くなくて悪かったなー、さっさと作業戻れー」
特に忙しくなることも無く夕方になり、その後はチラホラお客さんが来て気付けば夜になっていた
(森さん上手くいってんのかなー)
など少し気にしながら4人に連絡をしてみた、が昭子からは返事が来ず中村は会社の先輩に強制的に誘われ飲みに行くからと断られ森は遅くなるかもしれませんが行けますとの返事だった
(あっきーさん未既読って珍しいな仕事か?)
その後は少しずつ片付けをし退勤時間になった
「今日はもう上がりで、みんなお疲れ様」
「はーい、お疲れ様です」
静まり返った楽器佐東はシャッターと戸締りをして店を出た、特に何も無いがそのままいつもの居酒屋へ向かえばいいのになぜか違う道を歩いていた
カランカランと扉を開く
「い、いらっしゃいませ」
小さく可愛らしい声が佐東を招いた
「や、楓ちゃん」
彼女は周りをキョロキョロと少し脅えながら返事をした
「…はい、いらっしゃいませ」
「今日咲妃ちゃんいる?」
「あ、青木さんならもう帰られました」
「そうなんだ、遅かったか」
咲妃に用があった訳では無い強いて言えば彼女の顔を一目でいいから見たかったのかもしれない、だが佐東はまだそれに気付いていない
「あ、青木さんに何か用でもありましたか?」
「ううん居るかなーって思っただけだから…あ!」
「は、はぃ」
「プリンまだ残ってるじゃん、2つ頂戴」
「は、はい、かしこまりかした」
彼女は細く白い綺麗な指をしていた、その指に見とれていた
(キレーな手してるんだな)
梱包する指の動きがこんなに綺麗なものかと初めて知った
「あ、あの」
「え?」
「あの2つで420円です…」
「はい、ありがとう」
「あ、ありがとうございました」
彼女はプリンが入った箱を優しく渡し小さくお辞儀をした、受け取る時不意に彼女の手に触れた、柔らかく少し冷たい感触だった
「す、すみません」
驚いてすぐ手を引き自身の手を握り目を逸らしたまま謝った、佐東は触れた場所の体温を感じながら笑顔で答えた
「大丈夫だよ、気にしないで」
彼女は「は、はぃ…」と暫く会話がなく外の音が聞こえるくらい静かになった、佐東は彼女の顔を見て一呼吸
「楓ちゃん良かったら一緒にプリン食べない?」
今まで何回言っただろう誘っただろう、なのになぜこんなに緊張するんだろうと自分の事なのに分からなかった、でもきっと沈黙が続いたから彼女がこちらを見ないからだきっとそうだと言い聞かせた
「えっと、まだお仕事が」
「終わるまで待つよ」
「いや、でも…」
はっきり断る事ができず困った顔をしている
「そうだよね、ごめんね急に誘っちゃって、じゃまたね」
「あ……ありがとうございました…」
佐東はお見送りの言葉を聞く前に店を出た
(困らせたかなー)
気付けば星が輝く綺麗な夜になっていた、星空が綺麗に見えることは久しぶりで佐東は近くのベンチに座り自販機で缶コーヒーを飲み特に何も無いが携帯を覗いた、何件かメールが来ていたもちろん女の子だ、[今何してるの?][会いたいなー][飲みましょーよー]など
「はぁー」
特に返事する訳でもないがメッセージを眺めていた、誰かと会いたいなど特に思うことも無い、寂しいと最後に感じたのはいつだっただろうと広い空を見ながら考えていた
(なんか変な感じだな)
何時間くらい座っていたのだろうか、佐東は大きな欠伸をいくつかしたとき
「あ、プリン」
買ったプリンをまだ食べずにいたことを思い出した、中に入れていた保冷剤は半分溶けていた、取り出し食べようとした時
「あ、あの」
とても小さくか細い声が聞こえた、どこかで誰かが話しているんだろうと反応せずにいたら、後ろからさっきより大きく明らか自分に投げ掛けていると分かる声だった
「え?……楓ちゃん!?」
少し顔を赤くして少し息を切らしたような彼女がそこにいた
「え?ど、どうしたの?」
彼女は仕事を終え帰っている途中に佐東の後ろ姿が見え初めはスルーしようとも考えた、誰かと待ち合わせかもしれないと思ったからだ、暫く様子を見ていたが特に何も無く時間が経つので話しかけるべきか帰るべきか更に悩み悩んだその結果声をかけることにしたたとの事だった
「そ、そうだったんだ」
「…はい」
「座る?」
「……はぃ」
彼女は返事の間が結構あるが素直に隣に座った
「あ、そうだ実はまだプリン食べてなくて、はい、お仕事おつかれ様」
笑顔でプリンを渡した、彼女は「いいんですか?」と少し子供のよう明るく微笑んだ、その表情に胸がふわっと暖かいものを感じた
(なんだこれ…)
彼女は小さい口でパクパクと頬張って食べていた
「す、すみません、…お客様のなのに…」
「いやいや全然いいよ、2個買ったのは最初から楓ちゃんと食べたかったからだから」
「え…」
少し引き気味な反応をした
(え?キモかった?…うそ)
「な、なんちゃってーあはは…」
「あ…はぁ…」
彼女はそれ以上何も言わず再びパクパクと食べ始めた、佐東はこういうのを言ってときめかない女の子はいないのになと思いながら同じよう小さくパクパク食べた、男女がベンチに座り同じものを食べているが2人の間に会話は全くなかった
(え?こんな感じ?俺から話題降った方がいいかな)
佐東が悩んでいる間に彼女はペロリと食べ終わった
「…ご、ご馳走様でした…」
「え?あーはいお粗末さまです、って俺が作ったわけじゃないけどね」
と笑うと彼女は小さく「ふふっ」と笑った、その笑顔に少し驚いたとても可愛くもっと見たいと思った、暫く彼女の顔を見つめていたら段々頬を赤らめるのが分かった
「あの、何か」
「え!?あーごめん楓ちゃん可愛いなーって」
爽やか系イケメンのようなキラリと笑みを浮かべながら言った、が彼女は少し引いたような反応をしながら答えた
(え?楓ちゃんってこういう感じ嫌いなのか)
その後も特に何も起こらないまま、佐東が話題を降っても特に広がらずにいた
(空って大きいなー)
もうお手上げ状態だった、空を眺めていると彼女から話しかけてきた
「あの、そろそろ帰ります」
まさかの帰宅宣言
「そうだよねもう遅いし、夜道危ないから近くまで送ろうか?」
「いえ、大丈夫です、あのプリンありがとうございました、さようなら」
彼女は直ぐに立ち上がり頭を下げかけて行った
(…え?俺ずっとキモかった?もしかしなくてもずっとキモかった!?ウソ!?)
佐東は女性を落とすのには自信があり落とせなかった女性はいない、そんなギネスがあれば賞が貰えるほどだろう、そんな自慢にならないものを男性は誇りに思うのだろう、大きく深呼吸をしてゆっくり立ち上がり、ドボドボ歩きいつもの居酒屋へ向かった
(女の子って時代と同じよう変わっていくのかな……)
佐東の背中がいつもより丸く小さく見えた。
*
お店を出た森は杉野と音楽のことなど話しながら歩いていた
「森さんの友達のお店だったんですか?」
「うん、僕も知らなくてびっくりしました」
その後も会話をし彼女をジムまで送り佐東に教えてもらったケーキ屋へと道を戻った
「ここかな?」
外からお店の中を見渡した、キラキラしていて笑顔で楽しそうに働く女性がいた
「ほんとにいた…」
森はこう言ったお店に入ったことはなく少し抵抗があったが知り合いがいるのもあり扉を開けた
「いらっしゃいませ…あ!俊貴先輩お久しぶりです」
「久しぶり、佐東くんに教えて貰って」
青木は焼きたてのケーキを厨房の人に任せ駆け寄り話をした、森とは互い今の仕事に就く前にバイトをしていた所の先輩後輩関係でとても仲が良い。
「女性に人気のですか、その方アレルギーなど大丈夫ですか?」
「たぶん」
「ふふフルーツがどうか分からないのでシュークリームやプリンやクッキーとかですね…卵や小麦は分かりますか?」
森は大丈夫と言ってしまった、青木はシュークリームとプリンを1つずつクッキーの盛り合わせを1つ梱包した、その間森は彼女のことを何も知らないんだと、ただのジムのお客様でその以外の事は何も知らない、彼女が獣医と知り子猫を抱き上げる優しい表情も送られる写真の写る表情もどれも初めて見るものでこんな顔もするんだと、でも知らなくて当然のことなのに、なのに彼女のことを知らない自分がとても嫌に思えた、胸がモヤモヤしてキュッと握り締められてように苦しくなった
「俊貴先輩?大丈夫ですか?」
「…ぇ、あぁ少し考え事を、いくらですか?」
ピッタリ会計を済まし頭を下げ店を出た、彼女に今から子猫を見に伺ってもいいですかと連絡をした、動物のスタンプでOKと返事がきた
(こういうスタンプも使うんだ)
その後もケーキを買ったこと食べれるか確認を取りアレルギーが無いことを知った。電車の中で割れ物でも持っているように大切に箱を抱えるよう座っていた、自分の最寄り駅より2駅揺られ彼女がいる駅に着いた、知らないところに行くのは少しワクワクする感覚になる、いつもなら気にしない掲示板やポスターを見てしまう、階段も改札駅も何も変わらないのに行ったことのない場所と言うのは冒険しているような気持ちになる、きっと誰にでもあるのではないだろうか?改札を通り携帯を見た
「森さーん」
声をする方へ目を向けると、白衣姿の朝日が息を切らしながら手を振っていた
「電車が見えたので走っちゃいました、間に合って良かったです」
白衣姿は初めて見る、そうかこれが彼女の仕事着なのかと見入ってしまった
「?、あ、すいません急い出たのでそのままでした」
朝日は少し恥ずかしそうに白衣を脱ぎ腕に掛けた
「あ、いえ、とても似合っています」
咄嗟に出た言葉なのか本音なのか、医師に白衣が似合ってないと言うのは失礼に思ったのかどれかは分からないが彼女はあははと笑った、その笑顔につられ一緒に笑った
「あ、これ何が好きか分からなかったので…嫌いじゃないといいのですが」
「ありがとうございます、あ、ここで話すのもあれなので行きましょう」
箱を受け取り森を案内した、その道中は子猫の話がほとんどで他は動物の話だった、でも動物の事をとても大切に楽しそうに話すの彼女を見ていて森はさっきまで曇っていた心がだんだん温かい気持ちに溢れていた
(本当に動物が好きなんだな)
次第にもっと彼女のことを知りたいと思うようになり、話題を振ろうとした時
「ここですよ」
白く綺麗な建物だった玄関を見ると、どうぶつおひさま病院と書かれた看板が飾られていた
「動物病院兼自宅なんです、前までは別々にしてたんですが緊急で来られる方もいて、だったら一緒にしちゃえって」
玄関を開け「どうぞ」と中に入ると小さな受付があり5人座るといっぱいになる待合室だった
「あの、朝日さん1人でやられてるんですか?」
「そうですねほとんどは、たまに友達が手伝いに来てくれて、あ、ちゃんと獣医ですよ」
少し奥を見ると手術台のようなものもありライトや色んな道具がしっかりと丁寧に並べられていた
「こういうの初めてですか?」
「はい、来たことないので驚きました」
彼女は自慢げに微笑んだ、すると後ろから小さな子供声がした
「せんせぇ、たすけてぇ、モモ元気ないの」
小学生くらいの女の子が小型犬を抱いて泣いていた、後からこの子の母親が入ってきた、朝日は子供と同じ目線まで腰を落とし母親に話を聞き、朝から何があったのかしっかり聞いた、子供はどんどん涙を溢れとうとう座り込んだ、犬はぐったりしている
「せんせぇ、モモしんじゃうの?」
母親も悲しそうな顔をして朝日を見つめる
空気が重くなった、森はただ見守ることしか出来ない、すると朝日はいつもの笑顔で
「大丈夫!先生が助けるからね」と犬を抱き上げた
「さえちゃんはここに座って待っててね、お母さんいいですか?」
子供は言われた通り椅子に座り母親は一緒に診察室へ行った、子供は泣き止まずにいた、森は咄嗟に床に膝を着けぬいぐるみであいしつをした
「こんにちは、泣かないで大丈夫ですよ」
子供は顔を上げ森の顔を見た、少し照れくさくなり「はは…」と笑った、女の子はこんな大きな人見たことないだろうと、まるで未知との遭遇のよう空いた口が塞がらなかった、手に持っていたぬいぐるみを女の子に渡し、離れようとした時裾を掴んだ、森はもう一度座り一緒にぬいぐるみで遊んでいた時、診察が終わり戻ってきた
「モモは、せんせぇモモは」
「もう大丈夫だよ」
女の子はやったーと森とハイタッチをした、朝日は母親にしっかり説明をしていた、会計をし今度は母親がしっかり抱きかかえて帰っていった
「大丈夫だったんですか?」
「はい、熱中症です、部屋の温度や水分のやり方をしっかり伝えたので診る人によっては違う事を言う医師もいて…人間と同じですね」
笑顔の彼女はまるで別人のようだった
「私達も病院によって違う薬を出したり違う診察をされますよね、動物もそうなんです、それで最悪の場合命を落とすケースもあります、動物達は痛いや苦しいと言えません、でも何かしら合図をしてくれていますそれを決して見落としてはダメなんです」
待合室の椅子に座り真剣に話した、森は先程まで女性らしい可愛らしいと思っていたが今は逞しく格好良く見えた
「生きてるから命があるから大切にしないとダメなんですよ、動物だからとか言っちゃダメなんです」
そう言うといつもの少し知っている優しい笑顔になった
「……素敵です」
森は小声ででもはっきり聞こえる声で言った、彼女はパッと花が咲いたよう暖かい笑顔で「ありがとうございます」と答えた
「あ!ケーキ出しっぱなし!」
「あ、保冷剤あるのである程度は大丈夫かと」
「だめだめ!」
彼女は急いで箱を開けると子供のようなリアクションを取り、シュークリームを食べようとした時、また扉が開いた彼女は直ぐに患者の元へ寄った
「森さんごめんなさい、先に上に行って待っててくれますか?」
ケーキの箱を受け取った、少し固まりぽつんと1人になってしまった、まだ仕事があるようだしここに居ても邪魔になるだろうと言われた通り階段を上り部屋に入った、とても可愛らしい部屋だ、彼女のためのケーキなので冷蔵庫に入れた、どこに座ればいいか分からずキョロキョロしているとケージにあの時の子猫がいた
「元気にやってますか?」
子猫は森を覚えていたのかみゃーと鳴き擦り寄ろうとする
「勝手に出すのもダメですよね」
ケージ越しに触っていた、診察が終わり彼女が戻ってきた
「子猫出してもいいですよ、その方がこの子も喜ぶので」
「いいんですか」
森の笑顔を見て朝日は釣られて笑った、ケージから出た子猫は走り回るよう森によじ登った
「まだもう少しあるので待っててもらってもいいですか?」
「はい、大丈夫ですよ」
彼女はもう一度部屋を見た、大きな男と小さな猫が微笑ましく遊んでいる姿に元気をもらい仕事へ行った。
そこから数時間外はすっかり暗くなった朝日は仕事を終え外のライトを消し部屋へ戻ってきた
「おかえりなさい」
テーブルに料理が並べられていた
「え?」
「勝手に台所使ってすみません、朝日さん大変だろうと思いあるもので作りました、すみません」
「いえ、ありがとうございます」
彼女はゆっくり座り料理をまじまじと見た
「これ本当に森さんが……凄い」
「料理は得意なので、あ子猫のご飯はこれで大丈夫でしたか?」
「はい、大丈夫です、ほんとに助かります」
「いえ、お口に合えばいいのですが、どうぞ」
少し照れ臭く笑った、朝日はパクリと食べ「美味しい!」と声を上げどんどん箸が止まらず沢山食べた、森は彼女を待っている間、自分に何か出来ることは無いだろうかと考えた、彼女がなぜ獣医になろうと思ったのかは知らないだが誰にでも命と真剣に向き合い助ける彼女の姿勢が頭から離れなかった、自分は誰かのためとか考えたことあるだろうか何か必死になるものはあるだろうかと自分と比べてしまった。
「いやーほんとに美味しかったです、ご馳走様でしたー、こんな美味しいの久しぶりに食べましたよー」
「お口に合い良かったです」
「あーお皿は私が洗います」
「お仕事大変だったろうしゆっくりしてください」
「いやいや森さんはお客さんですので悪いですよ」
お互い気を使いながらも結局2人で台所へ立った
「いやほんと拭いてもらってありがとうございます」
「いえ、気にしないでください、あのデザートになってしまいましたが、ケーキを」
彼女は思い出したかのように勢いよく冷蔵庫へ向かいケーキを取りだした
「これです、これを待ってましたーんーー美味しー」
ケーキを食べ終わり少し駄弁っていると森の足を枕のようにして子猫が寝てしまった、2人はそれを見て同じタイミングて笑った
「無理に動かすのも悪いですね」
「…そうですね」
「もう少しこのままでも」
「……わ、私」
さっきまで楽しく話していたのが少し静かになった、森は変なことを言ってしまったと、誤解を解こうとした時
「…あのよかったら」
「ぇ」
「この子も森さんに会えて楽しかったんだと思いますし、その……私も楽しいですし」
「…朝日さん…」
「その…森さんが良ければ泊まられても」
「…」
朝日はさっきより少し顔を赤らめた、その表情に自然と見つめてしまった、こんな顔もするんだと、先程までの空気が変わり段々2人の距離が少しずつ近づき肩と肩が触れた、彼女の手を握り少し緊張しているのが分かる、こんな雰囲気になれば自然とってしまう行動だった、朝日はゆっくり瞳を閉じたその反応を見て森もゆっくり瞳を閉じた
「痛っ!!」
その声にお互い目を開き距離の近さにハッと正気に戻り勢いよく離れた
「ごめんなさい、私、あの」
「いえ、僕もすみません」
「あ、あの大丈夫ですか」
森の少しの動きに子猫が起きてしまった、驚いた子猫は咄嗟に爪を立てたのだ
「え、はい、大丈夫です、すみません動いてしまって」
2人はそこから会話ができず沈黙が続いた、恋人がいない男女がいい雰囲気になれば自然の行動なのかもしれない、でも誰にでもする訳では無い、2人は自分でも気付かないうちに惹かれあっているのではないだろうか、それかただの欲求を満たしたかっただけなのかまだ分からない、子猫はそんなこと気にすることも無く大きく伸びケージに戻って行った
「あ、あの……」
「…すみません、やはり帰ります、まだ電車もあるので、そのお邪魔しました…」
「そうですよね!いやほんとすいません」
朝日はあははと笑い駅まで送ってくれた。
森は彼女を握った手の温もりを思い出した、もし子猫が起きなかったらどうなっていただろうと、彼女に嫌な思いをさせたのでは無いだろうかと、彼女のことばかり考えていた気付くと自分の最寄り駅は超えてしまい、深呼吸をしてあの居酒屋へ向かった。
*
「っしゃーしゃーませー」
始めに来店してきたのは佐東だった、当たり前のようテーブル席へ座ろうとした時
「すまんな、そこ予約入ってんだよ」
「え?あーそうですか」
佐東は仕方なくカウンターへ腰を下ろした、 ビールを注文し1人で飲み始めた、直ぐに予約していた客が来店した4人グループのサラリーマンだった、1件目なのか大きな声で乾杯をし賑やかに飲んでいた
(あいつらまだかな)
何度も携帯をチェックするも1件も連絡がなかった、いつもよりペースが遅く元気がないのに気を使ったのか店主が小鉢をご馳走してくれた
「あの」
「サービスだ」
「…ありがとうございます」
とても美味しくのんびり飲んでいると、そろそろ12時を迎えようとしていた
「誰も来ないか」
4人掛けのサラリーマン達は仕事の愚痴や恋人夫婦の愚痴で盛り上がっていた、佐東はどこか懐かしく思えた
(そう言えばあんま会ってないな)
皆忙しいんだろうとも思うがまた一緒に馬鹿みたいに笑いたいなと
「はぁ、帰るか…」
会計をしようとした時店の扉が開いた
「っしゃーしゃーませー……こっちだ」
店主の知り合いかと思い誰が入ってきたか特に気にしなかった、その人は隣に座り「遅くなってすみません」そう聞こえ顔を上げたら森が申し訳なさそうに言った
「森さん」
「…まだいいですか?」
「勿論、遅いっすよ」
佐東はまるで迷子の子供がやっと母親に会えたそんな嬉しそう顔で笑った、でも森が元気が無いのを直ぐに気づいた
「…ビールにしますか」
「はい」
佐東は4人のサラリーマンより元気に乾杯をした
「なんか久しぶりな感じですねー」
「そうだね…あ、ケーキ教えてくれてありがとうございます」
「あ、あぁ、どうでした?」
「美味しかったです、咲妃ちゃんにも会えて」
「そう…すか」
その後特に会話が広がることも無くチビチビとお酒を飲むだけだった、お互い何かあったのだろうと気付いたが、その何かを聞けなかった、話してスッキリすることもあるでもきっと話してと言われても濁してちゃんと話さないだろうこの2人ならそうするなとお互い知っているから、だからその話題を口にすることは出来なかった、沈黙が続きやっと口を開いたのは森だった
「すみません、来たばかりなのにやっぱりもう」
「そーっすね時間も時間だしそろそろ帰りましょうか」
会計を割り勘にし店の外に出た、一緒に駅まで行っても良かったが、佐東はタクシーで帰ることを伝えた
「今日は遅くなって」
「全然気にしないでください、んじゃまた」
「うん、また…」
森はゆっくり歩いた、何も考えないようにしていた、何気なく路地を目をやると少し酔っているのか男女が隠れながらキスをしていた、その光景を見てフラッシュバックのよう朝日のことを思い出した、あのまま自分もキスをしていたら誰も止めなかったらどこまでしていたのだろうと
(何考えてるんだ、朝日さんはお客さんだろう)
でも、彼女の仕事姿には純粋にカッコイイと思ってしまう。森は電車の中でも家に着いても布団に入っても朝日の事で頭がいっぱいになった、こんなになることは無かった、森はこれはなんなんだろうと気づかない振りをした。
タクシーの中は不思議な匂いがした、あまり好きではなかった
「すみません窓を少し開けてもいいですか」
「どうぞー」
冷たくも暑くもない風が顔に当たる
(気ぃ使わせちゃったかな)
森が元気無かったこと自分が盛り上げられなかったこと、でも今はそれよりもあの子のことを考えたい、これはなんでだろう、きっと今までにないタイプだからだと惚れさせたいのかもしれないと、だって今まで落ちない女性はいなかったのだからと、そう思い納得した
「着きましたよ」
会計をし車を降りると1人の女性がいた、よく見ると知っている顔だった
「みゆちゃん?どうした?」
「秀哉くん、話があるの」
そう言われ一緒に部屋に入り彼女に飲み物を渡した
「なんかあった?」
「ねぇ、なんで会ってくれないの、私達付き合ってるよね?」
「…もちろん」
佐東は女遊びが酷いのでは無い、愛してくれるなら、それに答えないとと、来る者拒まずなのだ、でも女性からすれば私1人だけを愛してと言いたくなるものだ、この女性もその1人だった少し前に佐東と付き合ったのに数回の連絡だけで会うのも食事も少なくキスなんてさらに少ない
「愛してるって言ってくれたよね?嘘なの!」
女性はポロポロ涙を流し不満をぶつけた、佐東の愛してるは挨拶のように言う、カワイイ子に言うのは好きだと言ってくれる子にも言うのは当然だと思っている
「嘘じゃないよ」
「じゃーキスしてよ!セックスしてよ!…私分からないよ、私の友達にも愛してるって言ってキスしたって聞いて、秀哉くんは誰が好きなの!」
誰が好きなの、そう言われ直ぐに君と答えられなかった、自分は誰が好きなのか分からなかった
「なんで答えてくれないの…私秀哉くんに似合う女になりたくてエステもジムも通ってるんだよ!!」
好きな人のために努力するのは当然なのかもしれない、いつでも好きな人のためになにかしたいと思うから、彼女も自分だけを愛して欲しいそれだけだった
「私じゃダメなの!?」
「ダメじゃないよ、みゆちゃんは可愛いし好きだよ」
「何番?…何番なの!!」
「お、落ち着いて、もちろん1番に決まってるよ」
「違う!他なんて居ないって言ってよ!」
佐東は返す言葉が見つからなかった
何を言っても今は伝わらないとそっと抱き締めようとした、が彼女は怒りと悲しみで佐東の頬を叩いた、じわり頬が熱くなる
「みゆちゃん?」
「そうやって他の子にもしてるの?、抱き締めれば許すと思ってるの!?」
「俺はただ落ち着かせようとしただけで」
彼女は佐東から貰ったプレゼントを机の上に叩き出し、玄関へ向かった
「みゆちゃん!」
「秀哉くんもう別れて、別れるとかの前にそもそも秀哉くんの中では付き合ってないのかもしれないけど」
「そんなことないよ、愛してるよ」
「ねぇ、秀哉くん、愛してるって本音で言ってないよ、………秀哉くんは女の子を落としたいだけだよ…ゲーム感覚で…、私たちで遊ばないで……さようなら」
何も言えなかった、ゆっくり閉まる扉を見ることしか出来ず追うことも悲しむことも出来なかった、佐東は呼吸が早くなり足元からドス黒く冷たいドロドロしたものが襲ってくる感覚に襲われ腰が抜けた
「はぁ、はぁ、はぁ」
壁を伝いながらトイレへ向かいやっとの思いで着くと直ぐに嘔吐した、頭の中に言葉が走った聞きたくない汚い言葉が佐東を苦しめた
「…るさい…」
膝を抱え涙を流しその場で意識を無くした。
*
朝も少し肌寒くなってきたそろそろ秋に入りかかろうとしている。
会社の飲み会は悪酔いすることが多く今回も頭を抱えながら起床した
「…気持ち悪い…」
Noと断ることも出来ず途中で帰ることも出来ず最後まで付き合わされる、断ることが出来ない自分が悪いんだと攻めることしか出来ない、溜息をつきながら電車に揺られ会社へ向かう途中でコンビニによりおにぎり1個と酔い覚めに効くドリンクを購入した
「おはよう!」
「……おはよ」
「お前ホントに最後まで残ったのかよ、凄いな」
「河瀬、お前は許さん」
「いやいや別に残らなくてもいいだろう」
二日酔いに部長の暴君に付き合うのは精神的に耐えられるものじゃない、パソコンと向き合い気付けば昼になっていた、中村はおにぎり1個を小さな口で食べ自販機でコーヒーを買った
「中村さん」
「木村さん」
「昨日は大変でしたね」
「えぇ全く、木村さんは用事があったって聞きましたが…」
「えぇ……いやその…本当はあまり行く気ではなくて…嘘を着いちゃいました」
(可愛い)「可愛い…」
「え?」
「え!?あーいや、か、か、かわ川井さん!昨日すごく飲んでたので」
「そうだったんですか」
たった少しの時間でも彼女との時間があるなら生きていける中村は心からそう思った、そのあとも少し話をし木村の休憩時間が終わるのでと帰っていった、元気になった中村も気分よく仕事に戻った。
夕方になりまた休憩を摂る人が多い定時で帰る人は少ない
「よし、帰るか」
「え?河瀬お前…」
「河瀬何帰ろうとしてるんだ仕事をしろ!」
「言葉ですが昨日部長が仰られたんですよ」
そう言うと携帯を取りだし録音したのを流し始めた
『部長これからは定時で帰宅してもいいでしょうか?』
『あーん?定時でー?おおいいぞいいぞ俺なんかいつも定時だ!がっはっはっ』
その場にいる全員が凍りついた、もちろん1番驚いていたのは言った本人だった
「嘘なんですか?」
拳を握り1本取られてような顔をし「好きにしろ」と怒鳴りその場から逃げるように帰っていった
「お前いつ撮ったんだよ」
「あの人飲むと陽気になるだろそこを狙ったんだよ」
「…デキル男は違うな」
「ありがと、んじゃまた明日な中村、あ、お前も撮っといた方がいいぞ証拠になるからな」
「頼もしすぎて惚れるわ」
「いつでも惚れていいぞ、じゃーなー」
他でも「凄い」「流石」「その手があったか」など聞こえる、それぞれ仕事が終わり帰って行った
「…俺1人かよ」
1人になったのを狙い中村は大きな溜め息と思いっきり後ろに伸び叫んだ、少しこれでストレスが発散する、そのあとも作業に戻り集中していた
「…む、さん…な、か、む、ら、さ、ん!」
自分の名前を呼ぶ声ここには自分しかいない、中村は恐る恐る振り返った
「え?木村さん??」
「大丈夫ですか、何度も呼んだんですが…」
「え?本当?ごめん、集中してた」
中村は急いで資料をまとめ片付けた。
「あ、あの一緒にか帰りませんか」
「…はい、あの私そのつもりで」
「き、木村さん……」
電気を消し警備員に頭を下げ一緒にロビーを出た、まさか彼女が自分を待っていてくれたとこれは脈アリなのかと胸を高めた
「少し寒くなりましたね」
「そ、そうですね」
折角待っていてくれたのに何か話題を振らないとと落ち着きがなかった、周りを見渡すと男女が手を繋ぎながら歩く姿や仲良さそうに話しながら歩いていたりした
(俺もなにか話さないと)
ちらりと木村を見た、風になびく髪にビルや街頭の光が顔に差しキラキラ輝いていた、中村は彼女の横に自分が居てもいいのだろうかと不安になった、こんな美しい人の傍にはもっとふさわしい人がいるのではないだろうかと胸が締め付けられ、気付かずにはいられなかった
(俺、木村さんのこと好きなんだ)
中村はその場に立ち止まった
「どうしました?」
「俺……」
なびく髪を押さえながら中村を見つめる、唾を飲み込む音が聞こえるくらい真剣な表情だった、好きと伝えようと肩に力が入る、さぁ今だと思いを伝えようとした時
「おにぃさーん居酒屋探してませんかー?」
「えぇ!?」
「おねぇーさんどうすかー?」
「えぇーと私は」
「だ、大丈夫です!」
木村の手を掴み走って逃げた。
「す、すみません」
「いえ、あ、あの私帰りますね」
いつの間にか駅まで着いていた、木村は少し頭を下げ改札を通ろうとした、今言わなきゃいけないことがある中村は勇気を振り絞った
「木村さん!あの!……今度一緒に飲みに行きませんか!」
(えぇぇそれぇぇえ!?俺のバカ)
声量に比べれば告白でもするのではないかと思うがまさかの食事のお誘いだった、木村は目を丸くし少し考え、笑顔で答えた
「はい」
中村も子供のよう笑顔になり、木村を見送った、よしっとガッツポーズをしあの3人に連絡をしたが既読がつかず忙しいのかなと思うだけであの居酒屋へスキップするよう行った
「っしゃーしゃーませー」
「たいしょー、テーブル空いてますか?」
「悪いな埋まっててなー」
中村は特に気にする事はなくカウンターへ座り、今朝まで二日酔いだったのが嘘のようビールを飲んだ。
そのあとも酒を楽しんでいたが3人からの返事がなく少し心配になった
「まだ既読ついてない…どうしたんだろう」
なにかアドバイスを貰おうとしたが来れないなら仕方ないでも折角友達ができたのにと悲しくなった、まさかこの歳で友達が出来るなんて思っていなかったのもあり余計何か感じるものがあるのだろう。
中村は来店した時と明らかに気分が下がり会計を済まし帰宅した。
*
この日から彼らは会うことがなくなっていった、また会える日は来るのだろうか。
彼らの愛は恋はどうなるのだろうか、自分と向き合い相手と向き合い、誰かを好きになる事の勇気と誰かに好きになってもらう事の勇気。
一体何を持って幸せというのだろうか
その答えは彼らが1番知りたいだろう。
中村も佐東も昭子も森も何故自分が幸せではないと思うのだろう何を苦しんでいるのだろう彼らに一体何があったのだろう。
どんより曇りがかかった空、朝なのに朝ではないみたいな天気だ。
昭子は、目を覚ましママに連絡をした、今日はお仕事行けます迷惑かけてごめんなさい、とすぐスタンプで返事が来た、まだまだ時間がありテレビを見ながらボーとしていた。
佐東は、仕事用の携帯でメールをし今日は店に行かない事それとなにかあったら直接電話するよう従業員に伝え、自分の顔を鏡で見たあまりにも酷い顔に鼻で笑った、こんな顔誰も愛してくれないとタオルで頭を覆いリビングでコーヒーを飲みながら外を眺めた。
森は、いつも通りのルーティーンを無事にして、仕事をこなしていくだが元気がないのは誰が見ても分かるものだったが声をかけにくい。
中村は、いつも通りブラックに耐えながら仕事をこなしていき、休憩中に木村といつ飲みに行くか日を決めていた。
今まで通りの生活ただそれだけ、だが一つだけ誰かのことを想うと胸が辛くなるこの感情をどうしたらいいのだろうと悩むだけだった。
「じゃ、明後日!明後日はどうですか!」
「はい、大丈夫です」
スケジュール帳を取り出しピンク色で中村さんと飲みに行くと書いてくれた、それがあまりにも嬉しくて今から楽しみだ。
「も、森さん…今日天気悪いですねーあはは…」
「…そうですね」
扉が開く度に外を眺めまるで誰かを待っているようででも、来ないことを安心しているようにも見てえ、見ているこっちが少し悲しくなる。
テレビの音が響く部屋で時間が進むのを待つだけ、顎周りを触ると少しジョリジョリした
「おっさんかよ…」
鏡で見てもそこに映ってるのは綺麗な人ではなくただのおじさんだった。
コーヒーを飲みながらタイピング音が鳴る外を見ても淀んでる、そろそろ休憩しようと大きく伸びたすると非通知から電話がかかってきた
「……チッ」
1回無視してもう一度かかってきたら同じ人だと、相手は分かっている。
「何?」
「久しぶり、元気にしてる?」
「何?」
「お母さん再婚したの」
「あっそ」
「今回の人はいい人よ、いつでもいいから家に来て、ね?」
「……」
「秀哉も好きな人出来た?、そろそろ結婚とか、お母さん孫の顔みたいなって…無理にとは言わないから、ね」
「あんたに関係ないだろ、用それだけか、じゃぁ」
思いきり電話を切り苛立ちを抑えられないまま携帯を投げてしまった。
*
ゆっくり雲が流れる風が冷たく街ゆく人達は少し着込んでいる、コーヒーショップの客は窓側のカウンターでホットを飲みながらパソコンで仕事をしたり同僚と話したり友人と話したりそれぞれの時間を過ごして老夫婦が手を繋ぎ仲良く散歩をして公園の親子は楽しそうに遊んでいるきっとこんな当たり前を幸せと人は呼ぶのかもしれない、誰かと共に時間を過ごし苦楽を共にし子宝にも恵まれ何も無いことでも笑顔が耐えずそんな日常を人は求めるのだろう、自分が幸せならきっと周りも幸せだろうと勝手に思って自分が幸せならそれでいいと考えて、でもそれでいいのかもしれない、赤の他人の事まで考えなくてもいい考えたところで何も出来やしないのだから。
1人ならどうなんだろう、誰とも出会えず恵まれず孤独で生きるのはどうなんだろう、それは幸せと呼ぶのだろうか。
空はゆっくり色を変え始めた朱色に染め奥から真っ赤で綺麗に広がっていく、あんなに曇っていたのに気分でも変えたのか雲と雲の隙間から光を当てる、スポットライトのようにあなたが主役なのだと教えてくれているみたいだ
「綺麗な色…」
ベランダから見る景色は自分の知る世界じゃないみたいで思わず写真を撮った
「ふぅ…」
先程まで無精髭が生えてたとは思えないほど肌ツヤがよく綺麗に化粧されていた、部屋に戻り鞄を持ち家を出た、いつも歩いている道も電車も何も変わらないのに空があんなに綺麗だから、なのか気付くと心は彼の事ばかり考えてしまう何度も連絡が来ていたでも一つも返すことが出来ずきちんと読むことすら出来ない、もういい歳で周りは結婚もして子供もいて両親も結構な歳だ、子供の頃はこんな風な大人になるとは思っていなかったなあの頃の自分に今こんな大人になったよと胸を張れない、とずっと目を逸らし続けている、だからと言って今の自分が嫌いって訳じゃない、あの頃は何がしたかったとか夢とか思い出せない。
「おはようございます、ご心配かけてすみません」
「あっきーさん!大丈夫でしたか」
「あっきーさぁーーん」
すごく心配しながら抱きしめてくれる仲間達、後ろからママがどこか安心したよう笑顔で「おはよう」と言った、その言葉がどれだけ救われるのか分からない、せっかく綺麗に化粧したのに涙で流れていった、皆化粧直しをしてお店を開いた、穏やかに音楽が流れチラホラとお客さんが来始めた、外の景色が一変するそれはこの街のいい所なのかもしれない少し肌寒くても気持ち温かく感じる、人の流れが少し落ち着いたのは日付が変わった頃だった
「今日は忙しいわねー」
「有難いじゃないですかー、若手の子達どうしますー?」
「うーん今日はラストまでいて貰える?」
「分かりました!」
「あっきー、ラストまでいい?」
「えぇ大丈夫よ」
昭子は皿洗いをしながら新人に教えていたとき、扉が開きママが出迎え少し話していた
(誰だろう)
「あっきー!バック作業して!」
小声で言いながら背中を押した、昭子は何事かと言われるがまま裏へ行き在庫の確認やおつまみの用意などしていた、ふと聞き覚えのある声がした
「え?この声って」
そっとのぞくとそこには金田の姿があった、昭子は思わず顔を隠しその場にしゃがみこんだ
(なんでいるのー)
正直会いたくなかった見たくなかった、はずなのにこんなにドキドキして心臓がうるさくて彼の笑顔が見たくて、ふと彼の体温を思い出す、さらに鼓動は早くなった
「あの、あっきーさんはいますか?」
「あーあの子ね」
ママは彼の近くに寄り何か話していた
「ほんとうにあの子に会いたい?」
「はい俺謝りたくて」
「あの子を傷付けるつもり?」
「そんな事ないです、俺こんな気持ち初めてで…」
「分かったわ、でもあの子が嫌がったら諦める事いい?」
「はい」
ママはずっと立ち上がり昭子の所へ来て、少し不安そうな顔をしながら言った
「彼が会いたいって…どうする?」
昭子が苦しむのではないだろうかと優しく肩に触れ見つめる
「アナタの気持ちを優先しなさい」
「ママ、ワタシこのままじゃダメな気がする、ワタシね彼が好きなの」
昭子は何かパッと晴れたような笑顔でそう言うと彼の元へ行った
「お久しぶりです」
「あっきーさん!あの俺!!」
「フフ、座りましょ」
周りは賑やかで楽しい音楽が流れている中2人の席だけとても静かでそこにだけスポットライトが当たるそんなシーンのようだ
「あっきーさん、あの時はすみません、絡んで家まで連れて行って、あの朝てか俺いつ寝ました」
「……やっぱり覚えてないですよね」
金田は何度も頭を下げる、昭子はいいんですよと笑顔でそしてあの日何があったのか全て話した
「俺そんな…」
金田は驚いたように少しショックだったのか言葉が出なくなっていた、昭子はやっぱりそうかといくらオカマでも女の子じゃない、そんなやつと一緒に寝たなんて本音は嫌に決まってる、いくら大丈夫ですとか気にしないとか言ってても皆どこかで嫌と思ってる、そんなこと知ってる、金田もその1人なのだろうと思っていたが驚いた
「俺あっきーさんに酷いことしてないんですよね!本当に大丈夫でしたか!」
昭子のことを心配したのだ
「えぇ本当に何も無かったわ2人共ぐっすり寝ただけよ」
鳩が豆鉄砲を食らったようだった、ここまで心配してくれた人はいただろうか?、男だから何しても大丈夫傷つかないと笑って済まされることが多かった、なのに彼は昭子の事ばかり心配した
「ほんとに良かったー俺好きな人は傷つけたくないんですよー」
「…え?!」
この流れで告白するのかと思考が回らなかった金田はニコニコしている、これは返事をしないとダメなのか、でもこれは友人としてのパターンもあると昭子は何も言えなかった、暫く一緒にお酒を楽しみそろそろ閉店する時間になった、ママに呼ばれ席を外した
「今日は彼と一緒に帰りなさい、掃除は新人ちゃんに教えるいい機会だし、ね」
「でも他は?ママ1人で大丈夫?」
「今日は酔ってないからほぼ素面よーだから大丈夫、ちゃんと自分の気持ち伝えなさい、アナタがいいと思う人なら、でも酷いことされたら言うのよ!」
「いつもありがとうママ」
ママの優しさは変わらない男とか女とか関係なく包み込んでくれる優しさ、皆好きになるのは納得だ、昭子は言葉に甘えて金田と一緒に帰ることにした
「良かったんですか?」
「はい、もう少し一緒にいたかってので」
言ってから恥ずかしくなったのかお互い顔が見れずにいたけど隣を歩くと肩がたまにあたるそれだけで嬉しくなる、こんな気持ち初めて付き合ったあの甘酸っぱい恋のよう、交差点の信号で止まる歩幅も人混みから避ける時も合わせてくれているのが分かり昭子は金田の顔を見た、すると見返してくれてニコッと微笑んでくれた、まだ気持ちの返事もしてないのにあれが告白なのか分からないのにまるで本当に付き合ってるみたいと昭子も頬が緩む、こんな幸せの時間止まってしまえばいいのにと思えるほど、でもそれを壊す一言が昭子の耳に届く
「昭子?」
振り向くとスーツ姿の男がいた
「やっぱり昭子じゃん、久しぶり」
「えぇ久しぶりね」
近付く彼にサッと顔を背けた
「あっきーさんこの人は?」
「あーどうもこいつの元彼です」
と小声でそう言った、確かに間違いではない、昭子から50万近くお金を借りて1円も返さず女性と結婚して子供もできただけど離婚した男だ
「昭子お前こいつと付き合ってんの?」
「あ、いゃ…」
昭子は今の関係をなんと言ったらいいのか言葉が詰まった
「止めとけ止めとけ、こいつ結構重いし、化粧して隠してるだけだで男だし、あでもあっちはいい具合だから体だけなら問題ないけどな」
汚いおっさんの笑い声、昭子は握った手に力が入る
(重いってなによ不安になって何が悪いのよてか不安にさせたあなたが悪いのよ、綺麗になりたいって思ってるだけよ、そんなんだから奥さんにも捨てられてのよ!)
と言ってやりたい、でもここで言って金田に嫌われたくないもうこれ以上何も話さないでと願うことしか出来ない
「あの俺はまだ付き合ってないので分かりませんが好きた人ならどんな姿でも愛せますけど、貴方は違うんですか?」
「かーー若いっていいな」
金田の言葉になにか救われた気がした、男はまだ言葉を続ける、なにかの捌け口にしているようだった
「ちゃんと考えた方がいいぞ、確かに化粧して見なり整えたらそれなりに綺麗だけどよもういいオッサンだぞ、若いからって冒険しすぎも問題だぞー」
昭子の中でプツンと何かが切れる音がした
「ねぇ、もう満足かしら?確かにワタシはいい歳のおっさんよ、でもワタシがワタシであることには変わりないの」(良いわこのまま言ってやる)
「ワタシも言わせてもらうけど貸した50万まだかしら?貸したものも返せない人にどうこう言ってほしくないのよ、それに彼は彼の好きに生きてるの彼の価値観を変えようとか貴方の考え方を押し付けるのはやめて、迷惑よ」
男は唇をかみしめて悔しがっていた、昭子は好きな人には何も言い返すことなんてできない性格で、その人に流されてしまうのだ、だが男のことはこれっぽっちも想ってなく好意など1ミクロンもないのだ
「はっ!金、金ってよそんなの覚えてねぇよ!押し付け?教えてやってる親切な人だけど?」
「もうお金のことはいいわ、何を言っても返す気ないでしょうし、相変わらず上から物を言うことしかしないのね」
言葉で勝てないと思ったのか昭子の胸ぐらを掴んだ、ドレスがビリッと音を立ててしまって金田は直ぐ男の腕を掴んだ
「離して下さい、あっきーさんを苦しめないでください」
男の手首を力いっぱい握ると男はあまりの痛さに手を離した、ドレスは前がおおきく振りかぶって開き胸が見えてしまう
「あの、もうあっきーさんに近付かないでください、それでは」
そう言って上着を昭子に被せその場をあとにした。彼の腕の中はやっぱりどこか安心するこの人の事本当に好きなんだと思い知る。
人混みから少し離れ近くのベンチに腰を下ろした
「あっきーさん大丈夫ですか?怪我ありませんか?」
「大丈夫よ、ありがとう、さっきはごめんなさい嫌な思いをさせて…」
「大丈夫ですよ」
彼の笑顔に安心して昭子も釣られて笑った
(このままでいいなんてだめよね、ワタシちゃんとしないとあいつの言う通りもういいおっさん彼が本気ならワタシ身を固めたい、いつかなんて嫌だわ、今言わないと)
「金田さん、ワタシ……こんな歳で化粧とったらおっさんでそれでもワタシ貴方の事が好き」
思わず立ち上がり力いっぱい自分の想いを伝えた
「はい、俺もです、さっきの告白ないことにされたのかと思いました」
「やっぱりあれそういう事なのね」
目を合わせ2人で笑った、いっぱい笑った
そして、手を繋ぎ一緒に帰った今度は恋人として隣を歩きながら。
*
カランカランと音を立てながら鳴く扉が妙に心の奥に届き少し冷たい風が全てを吹き飛ばし心が空っぽになる、人の話し声が遠く何も届かない、ガラスに映る自分と外の人達はまるで住む世界が違うみたいにキラキラしている、ふとある人に目が止まった子犬を散歩しているカップルだろうか夫婦なのか分からないが楽しそうに笑う2人が少し羨ましくて少し悲しくなった、その時今まで感じなかったいや考えたくなかった思いが溢れ出そうになった、なんで自分は普通がないんだろう普通だと思っているのにそうじゃない変と言うのだろうと、また扉が開いた冷たい風が足を凍らせる、動けなくなる、きっとそれはもうここから動けないと言われているみたいだった、何をしても誰にも受け入れて貰えない普通じゃないから誰も知ってくれない、だからここで佇むしかないと
「森さん」
「…朝日さん」
彼女はゆっくり近付いて来た、森の目の前に来ると足を止め優しい目で見つめた、森は何も言えなかっただけどさっきまで冷たく凍っていた足がじんわり温かくなっていく、指が動く
「この前はすみませんでした、私焦っちゃって、同級生は子供いるしとかであはは…は」
彼女は少し困った顔で笑いながらそう言った、本当に気持ちはなかったのだろうか、森はどうなのだろうか
「そうだったんですね、僕も同じです」
「あーそうですよねー」
ぎこちない笑顔をする2人、本当にそれでいいんだろうか
「あーあのこの後時間ありますか?」
「え?あ、あります」
「お詫びもしたいですしご飯とかどうですか?」
「お詫びだなんていいですよ!」
「いえ、気持ちの問題なので」
「では…」
彼女は少し頭を下げジムを後にした、森は少しだけ前を向いて仕事にかかった
「森さんいい顔するなー」
「恋っすかね」
「あーやっぱり森さん…そうなんですね」
「あれ?杉野さんもしかして」
「え?ち、ち違います!」
夕方になると外には色んな人で溢れていた、仕事終わりの人が来る時間帯で少しジムが混んできた、森は上がりの時間が迫るがまだ終わりそうにない、その時交代のバイトの子が体調を壊し出勤できなくなった
「店長、僕残りますよ」
「ダメだよ!朝日さんとご飯でしょ!行かないと!」
「でも人足りなくなりますし」
もちろん彼女とご飯は行きたいけど今日はいつもより人が多いここで抜けてしまうのは、と考える、店長はどうしても食事に行ってほしそうに休みの従業員に声をかけていた
「森さん!」
「杉野さん」
「……行ってください!」
「でも杉野さんも上がりですよね」
「いいんです!私後半も入りますから森さんは朝日さんとご飯行ってください、何があったかは知らないけど、けど森さんが元気なかったのって朝日さんの事でなんだって分かって…だから…行ってください!」
「杉野さん…」
杉野はぐっと自分の気持ちを抑えた
「ありがとうございます、今度は僕が変わりに入りますね」
「さ、森くん!時間だ!お疲れ様!」
「ありがとうございます、お疲れ様です」
店長に背中を押され更衣室に行き着替えて皆に挨拶をして外へ出て行った
「よく頑張った!杉野くん!」
「……ってんちょー…」
小さく震え泣く彼女は大きな勇気と大きな愛を持っていた。
気付いたら走っていた、まだまだ余裕があるのに何故か走っていた、もう止まりたくないのかもしれない、溶かされた氷をまた凍らせないため立ち止まりたくなかった彼女に会って分かった、彼女といたい彼女の笑顔が見たい、息を切らしながら走った、最寄り駅に着き急いで電車に乗ろうとした時だった、再び森の足が止まる
「俊貴」
「……父さん?なんでここに居るんですか」
「仕事だ、お前は何してるんだ」
「ぼ僕も仕事が終わって、今からちょっと…」
正直父親が苦手だ、昭和の亭主関白で男なら早く結婚して家庭を持って仕事をテキパキとこなせという人なのだ、真面目なのだろうが森は小さい時は叱られてばかりで遊んでくれなかった父が怖くて苦手で、初めて男性と付き合ったとこをカミングアウトしたときは思い切り頬を殴られ叱られた、男がふざけたことをやるなと、今でも理解してはくれず家を飛び出し東京で1人で生きることを決めたのだ
「またふざけた事をやっているのか」
「いえ、ふざけてなんかいません」
「お前自分の歳を考えろ私も母さんもいつまでも生きている訳じゃないんだぞ、早く結婚して孫を見せろ、子供じゃあるまい」
「何をしようと僕の勝手です」
「そんな我儘に育てたつもりは無い」
「…」
何も言えなかった、貴方ではなく母さんに育ててもらったんだも言いたかったでも言い返されるのは知ってるそれが怖かった、きっと何年経ってもこの人は苦手なんだろうと、その場から逃げようと思った
「失礼します!」
ショートヘアがゆっくり揺れ横を通る、沈む夕日に輝くその髪はとても綺麗でその立ち姿はとても勇敢で目の前に経つ彼女に目を奪われた
「誰だ君は」
「私は…森さ…彼の恋人です」
「あ、朝日さん!?」
「…」
「親子水入らずのところに申し訳ありません、ですが黙ってはいられませんでした、彼はとても優しい方です、仕事も丁寧で誰でも親切で、とてもしっかりしていて職場の方々からも信頼が熱い人です、ワガママではありませんいつも人の事を考える素敵な方です」
「朝日さん…」
「君、本当に俊貴のことを知っているのか」
「…」
「こいつは男を好きなるような奴だぞ、歳のくせにまともな人と結婚も話もないいつまでも不貞腐れ家にも帰ってこないそんな奴だ」
父の言葉に何も言えない、全て本当のことだ受け入れて貰えないからその場から逃げて自分の好き勝手に生きて嫌になれば逃げてそれを感じたくないから色んな人と付き合い自分の居場所を探していた、それだけの弱い生き物なんだ、彼女には何も聞かないで欲しかった知られたくなかった自分を独りにしないで欲しかった
「父さん!もうやめて下さい、行きましょう朝日さん」
彼女の腕を掴みここから逃げたかった、だが彼女は1歩も動こうとはせず父親と向き合っていた、背を向けているのは自分だけだった
「お義父さん、お節介かもしれませんが、世界には同性愛者の方が沢山います、結婚をしても子供がほしくてもできない方も沢山います、私は仕事上海外に行く事が多いですなので辛い現実をよく見ます、日本は平和な国だと思います自分の考えで自分の好きなように生きられる場所だから、自分と言う個性を出していいそれを支え見守るのが家族ではないでしょうか」
彼女の言葉一つ一つに救われていく気がした、向いていた背中がゆっくり前を向かせてくれる
「…父さん…僕はずっと貴方が怖くて苦手です、僕は自分のしたい事や自分が好きな人とか分からなくなる時があります、でももっと自由に自分と向き合いながら生きていきたいです」
初めて自分の声で自分の気持ちを語った、声も足も震え泣きそうになるけどと隣に彼女が居てくれたから何も怖くなかったと森は胸を張った
「……勝手にしろ」
「父さん……正月に帰ります」
父親は何も言わずゆっくり歩いて行った、久しぶりに見る父の背中は少し小さくなっていた
「朝日さんありがとうございました」
「ううん、ごめんなさい勝手に入っちゃって」
2人は顔を合わせゆっくり笑った、肩の力が抜けたのか壁にもたれ掛かった、ゆっくり空を見ると夕日はいつの間にか沈み込み暗くなり始めていた
「食事所ではなくなってしまいましたね」
「また行けばいいですよ」
「あの、さっき恋人と…」
朝日ははっとしてもたれていた壁から離れ慌てた
「あ!あれは!その!そう言わないと誰だこいつってなると思ったから咄嗟についあー言ってしまって…すみません!!」
深々と頭を下げる
「そ、それに森さんをよくも知らないくせに言ってしまって!でもジムに通っている時よく見ていてので!何となく」
「…朝日さん」
「あ、いや見てたって言うかほら森さんお話上手ですし!」
慌てる彼女がとても可愛らしくいつも格好良い女性と思っていたからかギャップに負けてしまう、森はクスリと笑った、嬉しかったのだ自分をここまで見てくれてここまで自分のことを話してくれるのが、ここまで思われるような人間ではないけど彼女の目に映る自分がいる事が嬉しかったのだ
「森さん…」
「すみません、なんででしょう」
ポロポロと落ちる涙、悲しいことなんて何も無い嬉し涙だ、一生懸命涙を拭う、彼女も一緒に涙を受け止めてくれた、その手を取り今しか言えないと思ったといつかなんて嫌だと
「朝日さん僕、あなたが好きです、恋かどうかは分かりませんでももっとあなたのそばにいたいです」
彼女は大きなガタイをした泣き虫な男をゆっくりと抱きしめてくれた。お互い見つめ合った、安心したのかお互いお腹が鳴った、優しく笑い手を繋ぎ彼女の家へと足が向かった
*
森も昭子も家に着き、二人きりの夜をそれぞれ過ごした胸が軽くとても幸福と呼べる夜だった。
1人ソファの上でお酒を飲みながら電気のように付いているテレビをただ何となく眺めていた、すると『今大人気のケーキ屋さん』という話題でテレビの中の人たちが楽しそうに話していた、ケーキと聞いて頭の片隅に彼女が映った、少し話して一緒にプリンを食べただけの仲、それが妙に落ち着いたのを思い出したのだ
「プリン…」
不意に甘いものが食べたくなった、無意識に時計に目をやり出かける準備をした、外は少し風があり、心地よく体をなでていった、周りはスーツ姿やキラキラ着飾った姿ばかりだった、自分は白の七分丈に黒のジーパンにサンダル、もっと外行きにした方が良かっだろうか、だが今の佐東はそんなこと何一つ気にしていなかった、誰1人彼に目を向ける人などいなかったからだ、電車に少し揺られゆっくり歩いた、お店の灯りが眩しかった、だが1件だけどのお店よりも輝いて導いてくれた、足が止まり顔を上げると目的のケーキ屋さん、力いっぱい扉を開けた
「いらっしゃいませ」
小さい声で精一杯迎え入れてくれた
「楓ちゃん」
「あ、えぇと…お久しぶりです…」
佐東はどこかで明るくしないとと笑顔で話し始めた
「急にここのプリンが食べたくなってさ、まだある?」
「あ、すみません、もう完売してしまって」
「あ、そうなんだ、じゃぁ楓ちゃんのオススメは?」
「え、えっと…エ、エクレアです」
「じゃぁそれ2つ」
「は、はい」
彼女は小さな箱にエクレアを2つ並べ優しく梱包した、それを佐東はまた無意識に彼女の手を見ていた、彼女も気づいたのか少し困ったように手を隠した、けどどこが引っかかるものがあったのか、会計を済ました佐東を引き止めた
「どうしたの?」
「あ、えっと、その、お仕事でお疲れなのかと思って 」
「え?」
「あ、その、この前と違って元気が……ないように感じたので」
気付かれないと思っていたのもあり佐東は少し驚いた顔をした
「そうかなー気のせいだよ」
何とか笑って誤魔化し店を出た、ゆっくり歩いながら自分が情けなく嫌いになる
「ダッサ…」
ここが外じゃなかったら涙を流していたかもしれないほど胸が苦しくなった
(年下の女の子に気を使わせ心配されるなんて…らしくない、らしいってなんなんだよ…)
このまま真っ直ぐ帰ればいいのにベンチに腰を下ろした、雲もない真っ暗な空まるで今の自分の心と同じようだと空を眺めながら彼女が包んでくれたエクレアを1口、ほろ苦いチョコレートが口に広がりポロポロと涙が落ちた、デザートを食べて涙を流すなんて初めてだった
「はぁー」
思わず大きなため息が出た、下を向くとまた涙が出てきそうで怖くて上しか向けなかった
「あ、あの!」
ゆっくり振り向いた、息を切らしながら真っ赤になっている彼女がいた、急いで涙を拭いた
「楓ちゃん、どうしたの?」
「えっと…」
彼女は言葉を必死で探しているように見えたが中々見つからないらしい、佐東はそっと微笑み隣に座るよう言った
「仕事は?」
「終わりました、それで、その急いで来て…もし帰っていたらそれで、良かったんですが……その座っていて…」
「…心配してくれたんだ」
「……はぃ」
30前の男が若い女の子にここまでさせて更に自分が嫌いになっていった
「良かったら食べる?何でか2個にしちゃって、はい」
「え、あ、いや」
拒む手を取り無理やり渡し佐東は腰を上げた
「あ、あの」
「ごめんね、そろそろ帰るよ」
「あの!」
また言葉を探していた、佐東は溜息をつきながらまたベンチに座った
「何か言いたいことあるなら聞くよ」
「お、お客様に比べたら私はまだ子供でこんな奴に言われたくないのは分かります、けど…」
「けど?」
「その、元気がなかったので」
「あのね楓ちゃん、誰でも元気ない時くらいあるでしょ?」
段々、イラついてきたのが口調が強くなった、こんなカッコ悪くてダサくてみっともない自分が嫌で、それを知られたのも見られたのも嫌で、こんな子供に言われたくなくて、これはただの八つ当たりだ
「すみません…私、そのお客様の事を、咲妃さんから聞いて…」
不安や恐怖から下を向いたまま話をし少し震えているように感じた、女の子にそんな思いをさせるのは嫌で、でも優しくすることも出来なくて佐東は自分の心を整理するのも落ち着かせるのも全部がいっぱいでどうすればいいかも分からなくなっている
「お、お客様はいつも明るくてどんな時も話を聞いてくれていつも味方でいてくれて悲しんでいる時は励ましてくれてって…聞いて」
「…」
「す、すごく素敵な方だなって……」
素敵、今の自分とは正反対だ
「そんなことない、オレは誰にだってそうだよ、そういう自分な好きなんだよ、だから誰にでもする」
「ぁ…」
「何?がっかりした?」
少し嫌味な笑い方でだけど少し悲しそうで苦しそうで、そんな顔しないで欲しかった彼女はそっと佐東の頬を撫で零れている涙を拭った
「なんで泣いてるんですか」
佐東は自分がないていることを知り、自覚すればする程涙が溢れてきた
「気のせいじゃない」
彼女も目が熱くなったのかポタリと涙を落とした
「なんで楓ちゃんも泣いてるの?」
「分かりません、分かりませんがお客様がとっても苦しそうで、なのに笑おうとするから…」
(あぁこの子はなんて綺麗で優しい子なんだろう)
佐東は腕を伸ばし彼女を抱き寄せた、何度も何度も謝った
「ごめん、今だけ」
少し落ち着いたのか彼女の温もりが心地よく初めてこれが甘えるものかと分かった
「ごめんね楓ちゃん、そろそろ帰ろうか」
「……はぃ」
「家どこ?電車乗る?」
「いえ、近くなので」
じゃぁ家の近くまでと彼女を送り佐東は駅まで歩いた、行きとは違い少し軽い足取りだった。
「今日は、ちゃんと寝れるかもな」
*
キラキラ光る朝が登った、いつもは煩い目覚まし時計が今日はオーケストラのように聞こえ気持ちよく起床した
「おはよう…今日は華さんとご飯…っしゃぁーーー!!」
これまで大きな声を出し飛び起きたことは無い、遠足を楽しみにしている小学生のよう前日の夜からウキウキとワクワクが止まらずにいたのだ、いつもよりビシッとスーツを決める、いつもの何も変わらないスーツだが何故か今日だけは高くオーダーメイドのようかっこよく見えた、歩き方一つにしてもいつもより軽やかで昔で言う貴族のようだ
「おっはよーございまーす」
「…おぉ、おはよ」
「おはようございます」
元気よく出社する中村にみんな驚きを隠せない、ニコニコしながら自分のデスクに座っても周りからの視線を集める
「どうした、とうとう壊れたか?」
「何言ってんだよ、壊れるわけないだろ、俺今幸せなんだよー」
「本当に大丈夫なのか、病院行くか精神科の」
「…おい河瀬、俺は今日に掛けてるんだ」
「何があったんだよ」
河瀬に小声で木村と食事に行くことを話した、河瀬は何だそんなことかと、安心したように呆れたように言った
「まぁ楽しんで来いよ」
その様子を見ていた部長が近付く
「そんなに楽しいか、ならお前にピッタリの仕事をやろう」
と積まれた書類が中村のデスクに叩き付けられた、高笑いをしながら自分のデスクに戻る部長を目で追いながら何も言えなかった
(いや知ってたよ、アイツはこういう奴だ、でも絶対残業はしない!華さんと食事なんだ!)
グッと拳を握る、それを見ていた河瀬は詰まれた書類の半分をとった
「さ!ワガママな部長のお仕事俺らが代わりにやるか」
それは本人に聞こえるよう嫌味な言い方だったが、中村からすればこんなに頼もしい味方はいなかった
「でもいいのか?」
「お前が今日をどれだけ楽しみにしてたのか分かったからな、早く終わらせるぞ」
「河瀬ぇ〜」
「お礼はお前の奢りでいいよ」
「任せろ」
2人は昼食も取らず仕事をした、交代でトイレへ行ったりコーヒーを買いに行くそれ以外席を立つことも無く他人の仕事をした、合間合間に自分たちのこともしながら2人は熱気に溢れていたこれ程まで必死に仕事をしたことは無いだろう、気付けば定時になっていた
「ふーー今日もよく働いたー俺は帰るぞー」
周りがピリ着く、部長が欠伸をしながら背筋を伸ばした、特に何もしていないくせにと言いたげな空気になった。
「部長!もうお帰りですか?これ出来ましたよ、貴方がしなかったお仕事を」
2人は勇敢な戦士の様身も心もボロボロになっても立ち上がり書類を完成させたのだ
「なっ!あの量を…!」
「ついでに自分たちもしごとも終わってので俺たち帰ります!」
中村がここまで強く言えるようになったのは河瀬のお陰だろう、部長はまさか定時までに出来ると思っていなかったのだろう驚きを隠せず滑るように腰を下ろした
「「では、確認、全てよろしくお願いします!!」」
2人は鞄を持ち上着を肩に掛けるその姿はさながらトレンディドラマに出ていた俳優の様その背中が眩しく周りの人達は拍手喝采だった、2人は勝ったのだ悪逆非道の部長から勝ち上がり見事定時で帰るのだ
「ありがとう、お前がいなかったら俺は…」
「…中村…泣くなよ、お前の本当の戦いはこれからだ、木村さんと上手くいけよ」
「あぁ!」
ロビーの真ん中で共に称え合い熱い握手を交わした
「中村さん?」
「は!木村さん!!」
「えーと」
そりゃ木村もこの状況はなんだと不思議に思うだろう、是非聞かせてあげたい2人の勇姿を。河瀬は中村の肩をポンと叩き親指を立てながらニカリと笑い帰って行った
「河瀬さんとはもういいんですか?」
「はい、でもあいつには感謝しないと…さぁ木村さん行きましょう!」
「ふふ、はい」
木村は少し考えたが2人は本当に仲がいいんだなと微笑んだ。
会社が地獄なら彼女の隣は天国だ、中村は彼女と同じ歩幅に合わせ歩く、仕事が終わればプライベート例え同じ会社で働く仲間であっても彼女には仕事の愚痴は言わないそう決めたのだ、中村は密かに女性が嫌がることは何か調べそれを徹底してやらないそう心がけることにした、木村だけには嫌われてたまるかと、そして今回のディナーもリサーチ済み、女性を連れて行くにはココというのを読み漁った、本当はそういうのに詳しそうな佐東や昭子や森に聞いたのだが返事が返って来ず自力で調べるしか無かったのだ
(ディナーに連れて行くその間も楽しませろそれができる男の魅力、よし、もう覚えたぞ、大丈夫!俺なら出来る!)
一見楽しそうに会話をしながらお店に向かっているように見えるが中村は物凄く緊張して手汗が止まらない
「どこに行くか楽しみです」
「木村さんイタリアンが好きって言ってたじゃないですか、だからワインなどうかなって」
「覚えてくれてたんですか?」
「もちろんです」
「嬉しいです」
(よしきたー!!女性は何気なく言った言葉を覚えていると好感度が上がる)
中村の計画は今のところ順調よく行っており、あわよくばお付き合いまでと考えている
レンガがひかれスポットライトがオレンジ色のよう優しく高級そうなイタリアンのお店に着いた
「ここですか、凄い、いいんですか」
「はい、任せてください!」
「す、すみません、予約いました中村です」
「お待ちしておりました中村様こちらへご案内します」
皺のない背筋に伸び髪もきちりと固められ渋くイケメンに分類しなければいけないくらい格好いいウエイトレスが席まで案内した、椅子を引いて彼女を座らせる
「私こういうお店始めてで、そのマナーとか…」
「だ大丈夫です、俺も初めてです」
2人は小さな声で緊張を隠せない
「こちらのコースでお間違いないでしょうか」
中村は予約の時にコースもしていたのだ
「は、はい、お願いします」
白ワインを注ぎ乾杯をする、その後はスープがきてコースが始まった、見た目もキラキラしており庶民が口にしても良いのだろうかと戸惑ってしまうものばかりで、でも美味しかった、木村も大喜びしているように見え中村の中では大成功だった
「美味しいですね」
「はい、美味しいです、中村さん本当にありがとうございます」
緊張したコースも最後デザート、お皿の縁まで色鮮やかに着飾り、始めてる見る中村は
(この花は食べれるヤツなんだよな?あれ?どうだっけ?)と悩んだりもしながら食事をした、でも正直を言うと背伸びをしすぎたのか食べた実感がないというか少し物足りなく感じていた、が木村が喜んでいるならいいかと気にしなかった、木村が席を立った時こっそり会計をした、値段を知ってはいたが改めてこんなに高いんだと、しばらくは節約しないとと少し肩を落とした。
「ご馳走様でした、あの本当に良かったんですか?」
「はい、大丈夫ですこのくらい!任せてください!」
(頼もしく余裕のある男、よしできてる!)
でも行きとは違い足取りはゆっくりになっていた
(残業しても手当なんて付かないしでも華さんには喜んで欲しい…)
中村の様子がおかしいのは見てすぐ分かるものだった
「あ、あの!中村さん実は私まだ飲み足りなく付き合ってもらってもいいですか」
(ま、まさか!!どどどどうする今からいいお店を探さないと)
「ももももちろんですよ」
「ではココで」
と彼女が指を指したところは植物がオシャレに垂れ下がって店内はピアニストが弾いていたりする店では無く、小汚い大声で笑う人で賑わっているような居酒屋だった
「ココ!?え?いいんですか!?」
「はい」
看板には『ちょーオトク!ビール198円小鉢1つ頼んでね♡』と書かれていた、入りましょうと木村は中村の手を引っ張り店へ入った、さっきまで高級はイタリアンを食べていたとは思えないほど比べられない、2人はカウンターに座った
「え?本当にココでいいんですか」
中村は何回も聞いた
「はい」
木村は笑顔でそう答える
「何飲みますか?私はビールを、中村さんは?」
彼女の優しさに甘えるよう同じビールを頼んでまた2人は乾杯した、イタリアンよりも安い居酒屋で賑やかに飲んでいる方が落ち着いた、中村は気が緩んだのかお酒が進み少し出来上がっていた
「中村さん大丈夫ですか?お冷です」
「大丈夫ですよ〜、少しお手洗に」
(あー華さんっていい人だなーきっと俺が緊張してるって気付いたのかなーあーくそかっこ悪いー)
トイレを済まし鏡を見ながら、もっとスマートに出来ればよかったと反省会をし、顔をパチンと叩いた
「よし、大丈夫!今日は大人の男!」
席に戻ろうとした時自分たちが座っていた辺りから声がした
「華?久しぶりだな、元気にしてたかよ」
「…卓真…何でここに」
「1人寂しく飲んでんだよ、華相変わらずいい女だよなー俺さっき独り身になったばかりでよ、なぁ寄り戻さね?」
「何言ってんのよ、貴方がした事忘れたの!?」
卓真と言われる男は木村の前の彼氏で木村が男性が苦手になった張本人だ、この男は俺様で上手くいかないと癇癪を起こしてしまい以前も木村に何度も怒鳴りつけたり手を上げることもありそれが原因で別れた
「俺のどこが悪いのかなー?優しいよなー華ー」
「…」
「おい華」
木村の肩に少し強く手を置いた、怖くなり体が震える、それを見ていた中村は思わずその男の手を掴んだ
「は、離してください」
「あぁ?」
「中村さん」
「華〜今こいつと付き合ってんの?こんなブサイクと?」
「そ、それは」
木村は何も言えず怯えるだけだった、中村も理解し酔いも覚め段々腹が立ってきた、こいつのせいで木村がどれだけ苦しんでいるかと、勢いよく木村の肩からこの男の手を退けた
「痛ってーな!おい!」
「華さんを傷付けるな!それに!彼女は俺が守るんだ!離れろ!」
男は苛立ちをそのまま中村にぶつけた
「誰に物言ってんだよ!」
男は中村の胸ぐらをつかみ殴りつけ隣のテーブルへ飛ばされた
「中村さん!」
周りにいたお客さんはなんだなんだとザワザワしたが、いいぞーもっとやれーなど野次が飛び交った、木村は頭を抱え丸くなった、その姿を見た中村はすぐ起き上がり木村の手を掴み店を出た
「お代はあの人が持ってくれるみたいですー」
「お、お客さん!!」
街灯が輝く中息を切らしながら走った、酔った体には結構苦しかった、木村もきちんとは走れず涙を流していた、中村はどこかで休憩しないとと、どこかに入るかと見渡すとホテルが合ったが今の木村には大丈夫だろうかと考えた
(ダメだ、どうする)
少しもう少し走ったところに静かな公園があった
(ここなら)「華さんここで休みましょう」
呼吸が落ち着くまで互い何も話さずベンチに座るだけだった、先に声を掛けたのは木村だった
「ごめんなさい、ごめんなさい」
か細く今にも消えそうな声で何度も謝った
「華さん…」
こういう時は何をするべきだろうか必死に考えたが、何も出てこなかった、中村はカバンからクタクタのハンカチと取り出しそっと木村に渡した
「使ってください」
「ごめんなさい」
このままでは絶対にダメだと中村は立ち上がり彼女の前へ行き膝を着いた
「華さん、俺はあなたの笑顔が大好きです、俺の下らない話も聞いてくれて、今日あなたに喜んで欲しくてめっちゃ頑張って、でもすげー緊張して正直料理食べた気がしなくて、だから居酒屋へ行こうって言ってくれた時すごく嬉しくて、なのに怖い思いをさせてしまってすみません」
地面に顔をつけながら謝った、その姿に木村も地面に腰を落とした
「中村さんは何も悪くありません、私のせいなんです、怪我までさせてしまって本当にすみません、今日は本当に楽しみですごく楽しくて、なのにこんなことになってすみません…」
「華さんが謝ることは何も無いです!」
木村は自分のせいでと何度も言った、木村が男性が苦手で怖くてやっと中村に打ち解けてきたなのに自分のせいで人を傷つけた
「中村さん…もう……」
その続きは何となく察した、もう自分と会うのはやめましょう、中村は何度も彼女に幸せにしてもらったその気持ちを返したい、付き合えなくてもいいそれでも彼女を助けたい、言わないと、いつかなんて言っていたら絶対に言えない
「華さん、俺と友達になってください!俺は何度もあなたの笑顔に救われました!だから今度は俺があなたを…!」
顔を上げるとさっきまでとは違う涙がポロポロ流していた、中村のハンカチを握りしめていた
「は、華さん…」
「どうしてそこまでしてくれるんですか」
「…それは」
好きだからそれだけだ、中村は優しく割れ物を触るよう木村の手を取った、怯えることはなくその手を握り返した
「中村さんのお友達でいいんですか」
「もちろんです!」
木村に少しの笑顔が戻った、その笑顔に安心したのか中村は笑顔いっぱいになった、ゆっくり支えるよう立ち上がりベンチに座り直した
「もう少し落ち着いたら帰りましょうか」
「はい」
小さな静かな公園で静かに話を始めた、次は見栄を張らずに2人に合ったお店でご飯へ行こうと。
街灯がスポットライトのよう2人を包み込んだ。
沢山笑顔になれたもう怖いものはなかった、さぁと手を伸ばすとそれに答えるよう掴んで静かに並んで歩いて帰った。
*
小さな温もりが誰かに触れた時それだけで、救われる人もいる、ここにいる佐東もその人だ、小さくて純粋な彼女のことが頭から離れなかった、今まで色んな性格の女性とお付き合いして来て色んな刺激を受けたがここまで思い返すのは初めてだった、思ったより細く小さくでも温かかった。
久しぶりにスッキリ起床できた、カーテンを開けるのも太陽を浴びるのも苦ではなかった、携帯が点滅していたメールがきていたのだ、だが返事も見ることすらしなかった相手は分かった、宛名ハルカと書かれていた溜息を一つ、いつもならなんとも思わないはずなのに何故か今は違う頭の中には小さな彼女からの言葉がほしかった。メールを開くと[今何してるの~?今日時間ある~あったらご飯行こ~]何も返さないまま携帯を閉じ壁に掛けてある時計を見た、黙って仕事の用意をした、靴べらを上手く使いコンコンと鳴らし家を出た、雀なのか楽しそうに歌を歌っていた少し心が晴れやかになった、自分の店に着く前にあの子の店に寄った、窓から覗くと後ろから声がした
「何してるんですか?」
「え!?」
ビックリしながら振り向いた、ニコニコしながら笑う咲妃がいた
「なんだ咲妃ちゃんかービックリした」
「先輩不審者みたいですよ、お店に何か用でもありますか?」
「いや…」
首を少し傾けハッとし直ぐニヤニヤしながら咲妃が言った
「楓ちゃんなら今日お休みですよー」
「そ、そうかー」
「あれ違いました?」
佐東は目を逸らした
「楓ちゃん風邪引いたんだって」
そう言うとチラリと佐東の顔を見た、佐東は「お大事にって伝えといて」と伝言を言い早足でその場を後にした。
「おはよー」
「佐東さーん!なんだかめっちゃ久しぶりな感じがします」
「最近来ても直帰ったりしてたからね」
「今日は今日は最後まで居るんですか?」
アルバイトや社員から心配の声を聞き佐東は目頭が熱くなった、その後少し皆と会話をして各自仕事に就いた佐東は事務作業にかかろうとした時
「佐東さん」
「ん?どうした桂木、何か忘れ物か?」
「あの…」
桂木は何か言いたそうだがモジモジし中々言い出せないようだった
「何か相談か?今日の昼休憩ご飯でも行くか」
「あ、はい!」
桂木はパッと笑顔になり仕事に戻った。佐東はたまに来ては急ぎの書類など片付けていたがここまで溜まっているとは思わなかった作業は昼までかかった
「あー」思い切り背伸びをすると骨が鳴った、オフィスチェア座布団を引いている所からもう歳だと思わせる、腕時計は13時になっていた「佐東さん」ひょっこり顔を出し桂木が声を掛けてきた、桂木の休憩時間だ
「おぉ時間だよな」
デスクを見て桂木は「忙しいなら今度でいいですよ」
「あぁ大丈夫、そろそろ俺も休憩したいから、さ!」
腰を伸ばしながら立ち上がり「何か食べたいものある?」鞄から財布を取り出した、携帯と財布をポケットに入れた、男性社員に出掛けることを伝え桂木と外に出た、あまり遠くは行かず近くのイタリアンで昼食を摂ることにした、桂木は日替わりランチ佐東は和風パスタを頼んだ、料理が届く間佐東が聞いた
「何かあったの?」
「あ、いやその・・・最近会ってないと言うかお店に顔出してなかったじゃないですか、それで少し心配して…」
いつも元気でオープンから居てくれる気の使える素敵な子だ
「そうだな、迷惑かけてすまなかった」
座ったままだが頭を下げた、桂木は手を振り否定した
「違うんです、その何かあったのかなって、私はただのバイトで言えないのも分かります、けど」
話そうとした時タイミングが悪く料理が運ばれた、「あ…」とどうするか悩んでいる様子だった
「温かい内に食べようか」
「そうですね」
2人は美味しいねなど口にしながら食べた、最後まで食べ終えると佐東は話の続きを振った
「えっと、もし私に出来ることがあれば何時でも言ってください」
「あぁ、ありがとう、桂木もなんでも言うんだよ、そうだ今組んでるバンドはどうなんだ?」
「それが来ライブが決まったんです」
「おぉ良かったじゃないか」
「はい!もし良かったら来てください」
そう言いながらチケットを渡した、音楽関連の夢を持った子達が多く皆助け合っている
「桂木のバンドの子達が良ければ店に置くか?」
「いいんですか」
「残ったら買取だからな大変なのは俺も知ってるし良いよ」
桂木は笑顔で礼を言った、その後も少し話していたらあっという間に時間になった、佐東は会計を済まし2人で店に戻った、佐東は引き続き書類作業にかかった。やっと終わったのは夕方になっていたバイトの子も夕番に変わっていた、携帯の通知ランプが光っていた、咲妃からだった[お疲れ様です、急で申し訳ないんですが帰りにウチのお店に来て頂けませんか?]という内容だった、何かあったのか[分かった]と返事をした、閉店まで残ろうかと思ったがメールが気になり夕番の社員に戸締りを任せ閉店の2時間前に店を出て急いで咲妃の店へ向かった。カランと扉を開けると可愛らしい笑顔で出迎える咲妃がいた
「咲妃ちゃん何かあったの」
すると笑顔で答えた「早いですね、お願いがありまして」佐東は何が起きているのか理解が追いつかずハテナを浮かばせた
「お見舞い行ってほしいんです」
「え?」
「楓ちゃんの」
「え!何で!?」
咲妃は詳しいことは言わず先程作ったであろうプリンを何個か包み佐東に持たせ分かりやすく書いた地図も渡した、「え咲妃ちゃんが行った方が良いんじゃないの」
「そうなんですけど、仕込みもあるし明日旦那のお母さんの所に行かないといけなくて時間ないんですよー!」ダルそうに溜息をついた姑とは上手くいっているが気は張るものらしいそんな経験が無い佐東は分からず流されるまま咲妃の言う通りにしてしまった。
大事にプリンを抱えながら楓の家に向かった、地図を見なくても家の近くまで知ってる、表札には〔上原〕と書かれていた
(上原って言うんだ)
今思えば苗字を知らなかった、少し緊張した同じ職場でもないたった数回会っただけの男が来るのはおかしい、佐東は今の状況が変なことに気付いた
(俺なんでここに居るの!やっぱおかしいよな?咲妃ちゃん!)
家の前で頭を抱えていると近所の人が怪しい者を見る目だった
(ヤバい…完全に不審者じゃん!)
佐東は気合を入れ呼び鈴を鳴らした
(待てよ、家族の人が出てきたらどうすんの!?あ、待って)
玄関の扉開いた、だいぶ苦しそうな楓が出てきた
「…ぃ」
ほぼ声が出ていなかった
「楓ちゃん大丈夫じゃないよね、これ咲妃ちゃんから」
目が虚ろで最後まで話を聞く前にその場で倒れた
「楓ちゃん!」
佐東は直ぐ抱え何度も声を掛けた、だが返事もなく苦しそうな呼吸をし急いで楓の部屋まで運んだ
「お邪魔するよ!」
ベッドの近くには冷えピタと市販の風邪薬が置いてあった、意味の無くなった冷えピタを剥がし新しいのを付けた
「楓ちゃんプリン冷蔵庫に入れる?昼ご飯食べた?」
そう聞くと小さく首を振った
「食欲は?ある?」
また小さく首を振った、どうしたものかとりあえずこれを冷蔵庫に入れないとなと立ち上がろうとしたら、小さな弱い力で佐東の袖を掴んでいた、佐東は優しく頭を撫で囁くように伝えリビングへ降りた
(こんな事不謹慎だけどさっきの楓ちゃんすっごく可愛かった、どうしよやばっ…え、やば!)
ニヤケ顔を整え、少しでも何か食べた方がいいだろうとお粥を作った、勝手に使ってすいませんと何度も言った
「楓ちゃん」
顔色を見ながら声を掛けた
「さとうさん…」
(あれ名前何で知ってるんだ)
寂しそうな泣きそうな声で何度も佐東の名前を呼んだ、思わず抱きしめたくなる
「楓ちゃん…」
ご飯と言いたいがまずこの子の泣きそうな姿を止めたかった
「楓ちゃん」
ベッドの端に座りながら頭を撫でた、楓も次第に呼吸も落ち着きゆっくり眠りに付いた、楓の温もりに妙に落ち着く空間に佐東も眠りに付いた。
何時間だっただろう眠りから覚めたのは小さな声だった
「ん?あぁ楓ちゃん…ん可愛い…」
自分が何を言ったのか直ぐ正気になり赤面した
「あ、いや!これは!ゴメン!」
楓もまだ上手く頭が回っていないのか照れながら微笑み佐東に擦り寄った
「え、か楓ちゃん!?うそ」(どうするこれは恥ずかしい恥ずかしすぎる)
「そうだ楓ちゃんご飯食べる?」
この場の雰囲気を変えようと立ち上がった、楓も起きた、佐東はお粥を温め直しどうぞと渡した、思ったより熱かったのか小さな口で息を吹きかけながら食べた、食べ終わる頃には意識ははっきりで楓は自分がした行動に今になって照れ顔を上げれずにいた
「楓ちゃん?」
「あの…青木先輩が来るって」
楓が正気になったと気付き佐東も気まずそうになった、なぜ自分が来ることになったのか説明し、暫く沈黙になった。佐東はそろそろ帰った方がいいと思い立ち上がりジャケットを着た
「ぁ…」
「ん?どうしたの?」
恥ずかしそうに寂しそうに自分の手を弄っていた、佐東はしゃがみ顔を覗き込んだ、少し意地悪そうに聞いた、楓は布団で顔を隠した、とても小さい声で「もう少し」と言った、佐東はバレないようにニヤケ顔を隠しながら頭を撫でた、また暫く時間が経った、2人の雰囲気はまるで恋人のようだった、この空気感は互い嫌いでは無かった、すると玄関が開き母親が帰って来た、佐東は慌てて立ち兵隊の様背筋を伸ばした、楓も慌てた
「楓~大丈夫?」そう言いながら部屋に入った、見知らぬ男に恥ずかしそうに身を包んでる娘がいた「誰」そうなって当たり前だ、娘は全力で言い訳をした、佐東は何を思ったのかその場に正座になり頭を下げたその光景はまるで結婚の挨拶に来たようだった、何とか説明をしあまり納得はしてないが渋々分かってくれたようだった、楓も熱が少し下がり顔色も良さそうだった、佐東はこれ以上滞在するのは悪いと思い帰ることを伝え玄関を出た
「あの!」
「楓ちゃん外寒いから早く中入って」
「あのお礼を……」
「分かったから」
楓はまだ何か言いたそうだった、少し震える彼女にジャケットを被せた
「少しずつでいいから」
「あの今日はご迷惑をかけてすみませんでした、あのありがとうございました」
熱のせいなのかなんなのか顔を赤くしている彼女かとても愛らしく震える子を抱きしめたくなった、きっとそんな事をしたら引かれるんだろうな嫌われないかなと珍しく臆病になった、楓は手を伸ばし佐東の腕に触れた、勘違いでも嫌われてもいい今この子を抱きしめないと後悔する、いつかいつかと伸ばして大切なものを無くしてくた、それはもう嫌だ、いつかなんて嫌だ、気付いた時には彼女は腕の中にいた思っていたより細くすっぽり入っていた
「大丈夫?苦しくない?」
楓は腕の中で頷いた、まだ玄関が開いており母が腕を組んで睨んでいた、佐東は血相を変え楓を離した
「ささ寒いし、ね!」
また小さく頷いた、じゃ!と佐東は早足で別れた。
(ビックリしたー、めっちゃ睨んでたな、いやそりゃそうなるよな)
佐東は寒くなった夜道を歩いた、寒いはずなのに彼女の温もりが残っていた、発言が変態かよ)とツッコんだ、だが正直悪い気はしなかった、咲妃に少し感謝しながら楓が無事だったことを伝えたらGoodのスタンプが返ってきた
「女の子って怖いなー」
少し若返った気分になった。