序章/3話 「才能(前世)お化け」
小さな寝息を立てる日和さんを放っておくわけにも行かず、ソファーから外を眺めていた。広々としたロビーには、目が覚めた数人が話す声がしていた。船はブロンシュからヴィオレットへ着いてから少しの間、停まったままだった。ヴィオレットで降りる人に何度か、じっと睨まれる。その理由には心当たりがあった。
この世界では目の色で魔法の才能が判断できる。もちろん才能があるからといって実力があるわけではないが、この目の色は1つの指標になっている。
色で分けられたその順番は下から、緑・深緑・黄緑・黄・橙・桃・灰・空・青・紺または薄紫(これは性別やその人の状態によって出現する色が異なる)・紫・赤という順番になっている。俺の瞳の色は赤い、魔法を使う才能に恵まれていることは一目瞭然という訳だ。
膝の上で開いたままにしていた白の法典が赤い色の瞳を持ち転生した人はセカンドヘヴンで5人しかいません。あなたが5人目です、と応えた。
周りの乗客に俺がヴィオレットで降りると思われても、おかしくないだろう。
魔法の才能は前世への未練が強いほど、思い入れがあればあるほどに高くなる。色わけの元になっているらしい魔力指数というものの初期値が異常なまでに高い時、瞳の色が赤くなるのだという。基本的に赤色の下、紫色までの色にしかならない。瞳が赤く染まるというのは、異常なことと捉えるのが妥当だろう。白の法典はさも、希少価値のあるかのように説明したけれど。そもそも白の法典によれば魔力指数の初期値は1~9000以下で400~800が平均だ。個人の魔力を示すのが魔力指数、その初期値が魔力の才能と呼ばれ色分けされていくようになっている。その初期値が200未満だった場合に緑、400未満で深緑、600未満で黄緑、800未満で黄色となる。橙で魔力指数の初期値が2000未満と吊り上がり、桃色になるのは2000以上3000未満、灰が4000未満、空が5000未満、青が5500未満、紺または薄紫が7000未満、そして紫になるのが9000以下となっている。魔法の才能と言われる目の色が変わることはないが、魔力指数は個人の鍛錬によって変化する。ただ、魔力指数が目の色分けの1段階上の数値以上に跳ね上がることはない。例えば目の色が199で緑色の目の場合、どんなに努力しても魔力指数(個人の魔力)は399以下というわけだ。
そもそも白の法典によるとセカンドヘヴンに転生する際、魔力指数の初期値は9000以下になるようになっているというのに俺の目は赤い。前例があるとしても、白の法典が図解したこれを見ていれば、当たり前に俺は眼の敵にされるだろう。
この世界の理が制御しそこねた、ということだ。
「とんだ、化け物だな」
小さくつぶやいた。
前世にやらかしたひねくれものが転生したら魔力の才能がヤバかった、なんてどこかにありそうな楽しい御伽噺ならまだよかった。
魔力指数が刻まれる瞬間を、これからずっと奇異なものを見たような顔をされることを考えると、寒気がした。
違いなんてないほうがいいなんてことは、ずっと前から知っている。
魔力指数は個人の魔力に大きく影響する、転生を目指す場で戦うことはあまりないかもしれないが俺は今の時点でこの場にいる誰より強いということになる。そして、魔力指数は上昇しても減少することはない。
半数以上の乗客が船を降りた。にぎわっていた船内はその影も残していない。日が沈んだのか窓の外は何も見えないほど暗かった。
ヴェートに到着後、グリーズから便りが届くまでの期間は有効活用したい。何ができるかは検討もつかないが、探していく他ない。
知れることは知っていい範囲だけだとしても、白の法典は頼りになる。できるだけ今のうちに知識を集めておくか。
そう思い白の法典を持ち直した時、頭上から急に声が降ってきた。
「すいません! 僕、颯真っていいます! そのもしヴェートに行くなら僕もご一緒していいですか?」
「なんで俺がヴェートに行くって」
「ひよちゃん、えっと日和さんの声が聞こえちゃって。盗み聞きしちゃって、ごめんなさい! あとヴィオレットでも降りてなかったし、もしかしたらって思いました! あ、ひよちゃんとはちょっとグリーズのほうで話したんです。僕、あなたのことも気になってて、赤い眼の人ってあなた以外にいなかったし、すごいなぁと思って! それで、二人がデッキで話してたから僕も声をかけようと思ったんですけど……」
話しながら頭を整理するタイプだ。異常に話が長い。こういうタイプの人間は意図的に避けてきた。話す内容を整理してから話しかけてほしい、そのほうが効率的だ。ただあまりにも良い人間オーラが漂ってくる。面倒だと伝えるわけにも行かない。
どうするべきか。
「ん……? あ! そうくん」
どう返すか迷っていたところ、タイミング悪く日和さんが目を覚ました。
短期間とはいえ1人で行動するはずだったのに、気が付けば3人になっている。断り切れなかった。
今更ながら気が重くなる。
「そうくんって動物が好きなんだね!」
「前世は犬3匹と猫2匹飼ってたんだ僕」
日和さんと颯真は歳が近いのかもしれない、幼気に見えるがそれでも楽しそうに話す様子は嫌なものでもない。
船がヴェートへと動き出してからも2人の会話は途絶えることなく続いた。俺はたまに2人から聞かれる質問に答えながら、窓の外を眺めて暇を潰していた。
「そういえば、カフェってもう行った?」
「私はまだ行ってないよ」
「俺も行っていない」
そういえばあの霧が出た時、俺はカフェに立ち寄ったが特に言う必要も感じないので普通に返す。
「無料でジュースとか出してるみたいなんだ、今から行こうよ!」
「そうくん! それ、ナイスアイディアだね!」
やってしまった。船員を信頼していない俺としては行きたくない。だが、2人の興を削ぐようで言い出しにくい。さっき行ったことにしておけばよかったと後悔する。いや、そもそもカフェを利用したわけではないから嘘をつくことになってしまう……。
あの時、乗客が異常な眠気に襲われたのには事情があるはず。俺が今できることはないに等しい。だが、あの時の声は夢の中で聞いたものではない。あの時きっとこの船の全乗客が気を失っていた。船員はそれに気づかないわけがない。それでもあのことに関する説明もなければ、声を荒げる者すらいない。この状況は異常だ。
とはいえ、この2人にそれを説明して納得させるのは難しい。変なものが入っていないといいがそれを判断できるものもない。白の法典に頼ろうにも白の法典が応えるのはこの世界のルールや国々に纏わる情報だけだ。
細心の注意を払って観察もかねてカフェに行くなら、いやあまりに軽率な行動か。
「あきらさんは行きたくないですか?」
「そういうわけじゃない」
気乗りはしないが、それは別の理由があるからだ。
「船が得意じゃないとか、ですか? まぁ前世のことって転生しても吹っ切れないですよね。僕は船に乗った経験がなかったから平気だけど」
「私は前世のこと、ぼんやりとしか思い出せない部分もあるけど、考えてると寂しくなるな」
居た堪れない。
「……今のところ体調は平気だ、行ってみるか? カフェ」
「はい!」
仕方なく、俺はソファーから重い腰を上げた。
すぐに後ろから、もっとあきらさんと仲良くなりたいね、と二人が小声で話すのが聞こえる。俺は振り向かないまま、カフェへと向かった。
一応、3人で船内地図を確認し、足早に向かったカフェはさっきまで居たフロアの丁度裏側だ。
横に10人以上は座れそうなカウンター、その後ろに食器棚と流し、船の窓側にテーブルがいくつかある。割と広いが、やはり店員は1人以外に見当たらない。
あの霧の中でカウンターに突っ伏していた店員と、同じだろうか。あの時は混乱していたからよく思い出せない。そういえばあの霧の時、カフェの店員を揺すぶっても目覚めなかった。
あの霧は俺たち転生者だけを眠らせる目的で意図的に作り出されたものではないのだろうか。
「いらっしゃい」
気の良さそうな声をしたエプロンを付けた大人びた表情の茶髪の男性は、俺たちより体格がしっかりしているように見えた。背も異常に高い。魔法で変えられるとは聞いていたが、もう一度この世界の年齢や容姿に関する詳しい内容を白の法典に問い詰めたくなる。
「メニューです、どうぞ」
その茶髪の店員が笑顔でメニューを差し出す。
「ありがとうございます!」
カウンターの椅子に3人並んで座る。その男性からメニューを日和さんはにこにことしながら受け取る。
「えーっと」
隣の2人は屈託ない笑顔を浮かべてメニューを覗き込んでいる。
「あの」
淡い色をした綺麗なグラスを拭いている彼に話しかける。接客も仕事のうちなのだろう、サッとグラスを片付け布巾をかけて俺の目の前に戻ってきた。
「どうかしましたか?」
注文ではないことは察している様子だ。
「この船がグリーズから出て少しした頃、この船は霧に包まれた。だが、霧を抜けた頃の記憶がない。気が付いたら眠っていたんだが、それについて詳しく聞きたい」
少しだけ暈かして伝える。喧嘩を売るつもりもないし、変なことに巻き込まれるのも困る。声を荒げるのは何より危険だ。
「あの霧はこの世界にやってきたばかりの人には慣れないものだと聞いています。僕も苦手で」
嘘をついている様子はない。瞬きの回数も目の動きも、おかしいとは感じない。目線も俺の方から外れることはなかった。
この世界の体にはそういう影響は出ないのか。いや、俺の体の感覚も嘘かもしれない。だが心拍にも違和感はない。嘘をついているなら、さすがにどこにも生理的な現象が見られないのはおかしい、か。
「僕はこの船のカフェの店員になってもう随分、経ちます。元々はグリーズの者ではなかったのですが、訳あってグリーズの役員として僕はこの船にずっと乗っています。元々グリーズ役員であった方は、耐性が付きやすいと聞きました。僕もあの霧の中では眩暈がして、立ち上がれません」
「霧?」
「ここに来たばかりの方は気づかないことも多いのですが、グリーズと各国の間には霧がかかっているんですよ」
嘘を吐くときの人間の特徴の一つとして、聞いていないことまで多く語るというものがある。普段から関りのある相手なら確認は容易い。相手の話を後ろからさかのぼるように質問しなおせばいい、それも相手の話に納得をしたフリをしてから。ただ今回に至っては、初対面の相手だ、この方法は通じない。声からして此奴ではなさそうだが、俺を襲った船員がどこかにいるのは間違いない。
下手に動けないな。
「ただ、あの霧は空気中に浮かび上がった魔法エネルギーが固まって層になって作られる霧ですから極稀に耐性がある人もいらっしゃいます。きっと不信感を抱かせてしまったと思います」
そういう体質の人はあまりいないから、とその店員は申し訳なさそうに言った。
結局、横の2人が理解できない話はすぐに流れた。あれ以上に言及し様がなかった。
カフェのメニューは前世、目にしたことがあるようなものばかりだった。無難に珈琲を頼むと深緑っぽい液体が出てきて、一口目はかなり躊躇した。飲んでみると口当たりは微妙だったが味は全く変わりなかった。俺の驚いた様子を見た店員は、ここにあるもので再現しているんですと嬉しそうに言った。
日和さんはアイスフロートレモンソーダ、颯真はウィンナーコーヒーを注文していた。颯真の頼んだ珈琲も深緑色に近く、日和さんのレモンソーダはうす紫色をしていた。
店員に興味が沸いたらしい二人が根掘り葉掘り聞こうと図々しく質問していたが、店員ははぐらかすばかりだった。
店員から白の法典に興味の先を動かされた二人が盛り上がっている間、店員は俺にメモをそっと渡し、見ろというように目配せをした。あまり勝手な行動をしすぎるとグリーズに目を付けられるので気を付けて、とそこには書いてあった。
返答はしなかったが、そっと折ってローブのポケットにしまった。